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マルティン・ハイデガー5 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
マルティン・ハイデガー5 [無断転載禁止]©2ch.net http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/
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3: 考える名無しさん [] 2016/07/09(土) 19:33:10 ID:0 『Sein und Zeit』の主な訳本 (英:Being and Time、仏:Être et Temps) 『存在と時間』 光文社 (中山元訳)<...刊行中> 『存在と時間』 作品社 (高田珠樹訳) 『存在と時間』 岩波書店 (熊野純彦訳) 『存在と時間』 岩波書店 (桑木務訳) 『存在と時間』 中央公論新社 (原佑、渡辺二郎訳) 『存在と時間』 勁草書房 (松尾啓吉訳) 『存在と時間』 三笠書房 (寺島実仁訳) 『存在と時間』 筑摩書房 (細谷貞雄訳) 『存在と時間』 理想社 (細谷貞雄、亀井裕、船橋弘訳)<ハイデッガー選集> 『有と時』 創文社 (辻村公一、ハルトムート・ブフナー訳)<ハイデッガー全集> 「Destruktion」の訳語 「解体」=細谷、桑木、高田、中山、辻村(構造解体) 「破壊」=原&渡辺、熊野、松尾、寺島 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/3
123: 考える名無しさん [] 2016/10/16(日) 20:11:43 ID:0 ixtlanの問題点 > 44 名前:ixtlan[] 投稿日:2016/08/19(金) 22:50:22.54 0 > >>42 > 序論から読むのはきつい。 > 30節以降、頽落論あたりから読むという手もある。 > 最小限の努力で中核をものにしたいのであれば、41節と65節だけでいいんだよ。 (1)ゾルゲ(気遣い、関心、慮、Sorge)の構造分析で終わっている (2)『存在と時間』やハイデガー哲学の全体像が示されていない (3)ハイデガーのケーレ(転回)が充分に考えられていない (4)受動能動論と『存在と時間』論の混同がみられる http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/123
125: 考える名無しさん [] 2016/10/16(日) 20:13:26 ID:0 >>123(2) 『存在と時間』は未完でありながらも、 その序論8節には中断された本全体の構成が示されており、 それに従って全体像を想像することが出来る。 以下は木田訳。 『存在と時間』の全体構成 序論 第一部 現存在を時間性へ向けて解釈し、時間を存在への問いの超越論的地平として究明する ★第一篇 現存在の準備的基礎分析 ★第二篇 現存在と時間性 ☆第三篇 時間と存在 第二部 テンポラリテートの問題群を手引きとして存在論の歴史を現象学的に解体することの概要を示す ☆第一篇 テンポラリテートの問題群の予備段階としてのカントの図式機能論および時間論 ☆第二篇 デカルトの〈われ思う、われ在り〉の存在論的基礎と〈思考するもの〉の問題群への中世存在論の継承 ☆第三篇 古代存在論の現象的基盤とその限界の判定基準としてのアリストテレスの時間論 ★=既刊部分 ☆=未刊部分 手にとって読める『存在と時間』は★のついた既刊部分で、全体構成の1/3。 未刊部分は、形を変えて『現象学の根本問題』、更には『哲学への寄与論考』へと引き継がれる。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/125
161: 考える名無しさん [] 2016/10/18(火) 22:49:29 ID:0 存在論の変遷とケーレ 基礎存在論 ・存在一般への問いに先行する人間存在への問い ・『存在と時間』(1927年)83節 ↓ メタ存在論 ・基礎存在論から存在者全体をテーマとする問題圏へのKehre ・この場合のメタは「超える」、「超越」ではなく、Umschlag「転換」、「反転」、「折り返し」 ・『論理学の形而上学的な始原諸根拠』(1928年)補遺 ↓ ケーレ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/161
197: ixtlan [] 2016/10/23(日) 15:27:37 ID:0 ハイデガーは事実存在の側だ、などと適当なことをペロペロするような脳味噌にはここに書き込んで欲しくない。 まともに本を読むことができないならば、消えろ。本を読むというのは、人の言うことをちゃんと聞き取るということだ。 それができないならば、公共の掲示板なんかに出てくるんじゃない。 んなことは当たり前のことだろが。 **************************************************************************************** 『現象学の根本諸問題』から 「現存在は、<何であるか Washeit>によってではなく、−こうした造語が許されるならば、 <誰であるか Werheit>によって構成されているのです。この問いに対する答えが与えられるのは、 事象ではなく、むしろ私、君、われわれ、君たちです。 しかし、我々はやはり他方ではまた、現存在のこの<誰か(Wer)>とこの<誰であるかということ>は 何であるか、と問いますし、たとえば先に挙げた狭義の<何か Was>すなわち事物的現前存在者の 事象性からは区別されるこの<誰か>とは何であるか、と問います。 我々は疑いなくこう問うことでしょう。しかし、ここで告げられているのは、<誰か>の本質をも問うときの この<何か>は明らかに、<何であるかということ>という意味での<何か>とは一致し得ないということに すぎません。 言い換えれば、本質存在 essentia すなわち<何であるかということ>という根本概念はいまや、 現存在と呼ばれるべき存在者に直面して、ますます問題をはらんだものになり、このテーゼ[すなわち、 どんな存在者にも本質存在と事実存在が属しているというテーゼ]を普遍存在論的なものだとする 基礎づけが不十分であることが明らかになる、ということです。」(邦訳198) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/197
438: 考える名無しさん [] 2018/03/20(火) 01:11:58 ID:0 <Geviert> 四方界(四方域)の解説 ・『現代思想 2018年2月臨時増刊号 特集=ハイデガー-黒ノート・存在と時間・技術への問い-』 (1)グレアム・ハーマン「大陸系実在論の未来――ハイデガーの四方界」 (2)村井則夫「自性態と四方域――後期ハイデガーにおける概念的思考と像論」 ・辻村公一『ハイデッガーの思索』8(1991) ・神尾和寿「ハイデッガーにおける「四方界(Geviert)」の思想の可能性と限界を巡って」(2001) ・試論:四方域[Geviert]の範疇論的解釈に至るための準備 http://trounoir.ohitashi.com/geviert.html ・鈴木哲「四方域の思惟への道 ハイデッガーの新たなる世界思惟」(1995) https://www.jstage.jst.go.jp/article/philosophy1952/1995/45/1995_45_252/_article/-char/ja/ ・秋富克哉「技術時代に死すべき者たちとしてこの大地の上に住む : ハイデッガーの技術論再考」(2013) https://www.jstage.jst.go.jp/article/rsjars/87/2/87_KJ00008912632/_article/-char/ja/ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/438
473: 考える名無しさん [] 2018/06/02(土) 20:20:51 ID:0 四方界 <Geviert> “元有の真理を、われわれは、世界が世界するはたらきにおいて思索し、 天空と大地、死すべきものどもと神的なものどもからなる四方界の反照-遊戯、ととらえた。” ― 『ハイデッガー全集 第79巻 ブレーメン講演とフライブルク講演』 p93 天空、大地、人間、神々 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/473
518: 考える名無しさん [] 2018/06/08(金) 23:18:10 ID:0 ルター「ハイデルベルク討論」における解体/構築 <解説> 「ハイデルベルク討論」の終わりのところで「十字架の神学」が隠れたる神の逆説として展開する。 ルターによるとキリストにおいて自己を啓示する神、つまり顕れた神は、もっとも深く自身を隠している神である。 (略)キリストは苦難と十字架というローマの極刑に付けられた、見るかげもない哀れな姿において自己自身をあらわす。 <本文> (19)神の「見えない本質が」「造られたものによって理解されると認める」者は、神学者と呼ばれるにふさわしくない[ローマ 1:20]。 (20)だが神の見える本質と神のうしろ[出エジプト 33:23]とが、受難と十字架によって認められると理解する者は、神学者と呼ばれるにふさわしい。 [独語] Die Heidelberger Disputation http://www.reformatorischeschriften.de/Hddisp/hddisput.html [英語] The Heidelberg Disputation http://www.catchpenny.org/heidel.html 解説…『ルター神学討論集』 マルティン・ルター、金子晴勇 (2010) 本文…『ルター著作選集』 マルティン・ルター、徳善義和ほか (2012) http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/518
581: 考える名無しさん [sage] 2018/09/23(日) 10:55:15 ID:0 >>580 話は逸れるが、ソシュールやレヴィ=ストロースは、ハイデガーにつながるんじゃないだろうか? 「存在」というありもしないものを設定するハイデガーと、ソシュールの言語の先見的共同性は同じものじゃないだろうか? レヴィ=ストロースは、同時代に歴史段階の差異を認めないという、反ヘーゲル(マルクス)的な思考が、構造主義という名前を付けられてもてはやされただけで、内実はただのフィールドワーカーだと思う。 反歴史的思考のワラに縋りたい人を集めたという意味では、ハイデガーと同列ではないんだろうか? http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/581
583: 考える名無しさん [] 2018/09/23(日) 15:52:43 ID:0 >>581 ハイデガーの「存在論」というのはトートロジーの構造になっている 何でもかんでも同じ存在のひとつとして人間も現存在として定義している それにハイデガーには「言葉の問題」という20世紀哲学の中心問題のひとつには絡んではいない 彼は存在という「塊」について考えることで自分自身が抱えていた人生の問題を解決しようとした しかしソシュールというのは「記号学(記号論ではなくて)」という人間の認識の根幹にかかわることまで考えようとしていたわけ 「言語には差異しかない」とソシュールはいったけれども 存在認識やその区別としての意味なんていうあたりのことはハイデガーにはどうでもいいことだったでしょう 人間が小説を書いたり絵を描いたり科学の体系を作ったりしたというようなことは他の動物にはないこと それは人間だけが「言葉」というもの獲得していてその「言語能力・言語活動」によって こうした学問や芸術はそもそも作られているというような考え方をしていた メルロ=ポンティもソシュールを読む前に亡くなっているけれども 大筋はレヴィ=ストロースから聞いていたんだろうね だから身体論から言葉の問題に舵をきったとことで若くして亡くなった ちなみに戦後にラカンやメルロ=ポンティなどはハイデガーをフランスに呼ぼうと考えたのだけれども それは実現している ラカンにはハイデガーの『存在と時間』での考え方がかなり影響しているけれども あくまでも序論レベルの範囲での影響だった それ以外は同じことを何度も不器用な文体で繰り言をしているだけだったし そもそもの『存在と時間』でのハイデガーの目的は「私はどうやって人生と折り合いをつければいいのか」 という人生論だったわけだからね ソシュールの「記号学」というのは「言葉を獲得しているかどうか」で人類の文明は全く違ったものになっていた というよりも 言葉なしではそもそも人間は何も「思考」できないということが常にあったのだと思うよ http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/583
584: 考える名無しさん [sage] 2018/09/23(日) 20:00:20 ID:0 >>583 ソシュールが構造主義として受け止められたのは、その言語観が、歴史的な経緯からではなく、同時代としては先験的に人間に備わるとする思考による。 歴史を輪切りにして、それぞれの時代の共通基盤(としての言語の先験性)を設定したところが、構造主義と呼ばれる所以だ。 ドゥルーズのリゾーム概念が、構造主義のわかりやすい説明だ。 ハイデガーの存在概念は、さらにそれを時代を超えて、世界の本質として、「存在」なるものを設定する。 設定する意味が不明だともいえるが、「神」を設定したかっただけだだともいえる。 メルロ=ポンティは、現実の構造=人間と対象(環境)との関係に目を向けた。 その結果として心理学に向かった。 生活の糧を得るためだけで、心理学に進んだわけではないだろう。 『見えるもの見えないもの』は、言葉の問題にむかったといえるとは思えないが。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/584
588: 考える名無しさん [sage] 2018/09/23(日) 23:06:00 ID:0 >>587 では、まずソシュールの思考から。 >「記号学(記号論ではなくて)」という人間の認識の根幹にかかわることまで考えようとしていたわけ 学と論を分ける意味がわからないが、人間の認識の根幹にかかわることまでということには疑問がある。 言語や心理は、すべてが認識の根幹にかかわるといってしまえばそれまでだが、ソシュールの思考の根幹は言語の共通性にあって、言語と認識の関係を解明しようとしたものではない。 むしろ認識から切り離して、言語というものがそれ自体で独立して存在するかのように考えた。 あなたへの反論として書くと、論争みたいになって嫌なので、その結論だけを、>>584 に書いた。 かえってわかりにくかったのなら、申し訳ない。 異論があれば、もちろん、受けます。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/588
758: 考える名無しさん [] 2018/11/18(日) 14:59:42 ID:0 >>756 >>745の気持ちは無事日本語で表現されてるけど 根拠の説明もできそうな人ではないってこと じゃないかな 言われなくても、その程度は読解できる素養も 哲学的素養の前に必要かな。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/758
925: 考える名無しさん [] 2019/03/21(木) 03:03:23 ID:0 ハイデガー哲学の専門家である轟孝夫氏が「ハイデガー『存在と時間』入門」という著書の なかで、未完の『存在と時間』はハイデガーにとって主著ではないと主張しているが、それで は一体、ハイデガーの主著はどの本であるのだろう? http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/philo/1468060350/925
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