[過去ログ] 日中戦争を支那事変と言ってる奴wwwwwwwww2 [無断転載禁止]©2ch.net (766レス)
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397: 2017/10/02(月)13:35 ID:S3zZGLyT0(1/4) AAS
議論自体がカオスである北支事変に対して、第二次上海事変〜第1次近衛声明の流れと問題点はまだ解り易い。
僕は下記のような理解をしている。   
・第二次上海事変直前、日本は和平の為 いわゆる船津工作を行った。
・第二次上海事変は中国軍による先制攻撃で逢始まり、の本軍が応戦した。
・中国側の圧倒的兵力差により日本側は増派した。
・日本側の杭州湾作戦で上海戦は拡大。日本軍は意外に苦戦し予想を超える被害に和平を計画した。
・日本側は船津案を基にした「第1次案」をドイツを仲介人に中国へ伝達した。
・蒋介石は日本への不信とブリュッセル会議への期待を理由に回答を遅らせた。
・日本側「第1次和平案」は「満州国の承認」を求めず、日本側の北支における既得権も一部放棄した寛大な内容であった。
・蒋介石は難色を示したが、国民党軍の将軍たちはこの案に賛成であった。
省2
398: 2017/10/02(月)13:44 ID:S3zZGLyT0(2/4) AAS
参考 http://sitiheigakususume.cocolog-nifty.com/blog/2009/04/post-4ccf.html
トラウトマン工作から見えるものーーーここで僕が留意しているのは「第1次案」に満州国の承認が入っていないこと、
つまり満州は日中にとって争点ではないことである。 蒋介石は事変前への原状復帰を要求したが、
第1次案はさほど事変前と変わらない内容だと僕は思う。国民党幕僚たちは賛成したが、結局、蒋介石の回答遅延と第二次案の登場で和平話は壊れる。
整理すると
? 北支事変は偶発的であるが、7月17日の蒋介石の声明で戦争の性格が変わった。。
? 上海事変の勃発は中国側の計画的攻撃で始まった。
? 満洲問題は全く争点ではない。
? 和平交渉の争点は北支の扱いで、第1次案は双方が合意できる内容だった。
? 中国側が飲めそうもない第2次案を日本側が出したことで全面戦争となった。
省1
399: 2017/10/02(月)13:50 ID:S3zZGLyT0(3/4) AAS
大体、自分の方から“真珠湾攻撃”を仕掛けて返り討ちに会い、敗走を重ねている側が
和平条件に原状復帰を出してくるのがまず御目出でたいし、戦況が敵に有利に推移すれば
和平条件もハードになるのは当たり前であって、チャンスを逃してしまった蒋介石の責任は免れない。
 一方、日本側も望外の勝利と予想外の人的被害の元を取り戻すべく「事変」を泥沼の「戦争」に切り替えた。第2次案に反対した石射外務省東亜局長は「これは行くところまで行きつく」とこの戦争を喝破した。 
蒋介石の徹底抗戦路線は民衆の支持を得たものだったが、数百万の死者を出す焦土戦にシフトしたことが国民にとって本当に良かったのか評価は分かれるところであろう。
 戦争の勃発・拡大は各所各所のヒューマンエラーの積み重ねである。 主因が異なる満州事変を
「根本原因」と定義し日中8年戦争とくっつけて歴史を俯瞰するのもいいが、
俯瞰するなら満州事変の遠因まで遡及しないと画竜点晴を欠くことになりはしまいか? 
トラウトマン工作でわかることは日中8年戦争と満州事変は別の戦争である、ということだ。
 
401: 2017/10/02(月)14:07 ID:S3zZGLyT0(4/4) AAS
私見だが
 満州事変―侵略、北支事変―どちらとも言えない、第二次上海事変―日本側の自衛戦争
これらは「過失割合」が多い方に×点をつけただけで、片方に『圧倒的に過失責任がある』ことを意味しない。
日中8年戦争は中国軍による日本軍への先制攻撃(第二次上海事変から始まった。 
中国側が先制攻撃を仕掛けた理由は満州事変に対する正当防衛、などという意見には全く賛成できない。 
満州事変が侵略かどうかと言う議論と上海事変の中国の行動の正邪についての議論は全く別だ。
国際法からみる第二次上海事変での中国の正当性については後日 法学板の別スレでしようかと思う。
 
【おまけ】   法律論から言えば
フィンランド冬戦争―ソ連側の侵略   継続戦争―フィンランドの中立義務違反
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