【阿曇・住吉・宗像】海人族 Part.8.1 (408レス)
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94: 06/05(水)12:56 AAS
>>93
宗像大社と朝廷の深い繋がり、そして宮地嶽古墳の貴重な副葬品は、歴史的にも非常に興味深いものです。

特に、宗像徳善の娘と高市皇子の間に生まれた血縁関係は、神話だけではなく、皇室と宗像三女神の繋がりをよりリアルなものと感じさせますね。
8万点もの国宝が出土している点からも、当時の宗像大社の重要性が伺えます。

これらの史跡や遺物は、古代日本の歴史と文化を知る上で貴重な財産と言えるでしょう。
95
(1): 06/05(水)14:19 AAS
八咫鏡を依代にしているのは伊勢神宮と宗像大社だけです
96
(1): 06/05(水)21:39 AAS
>>95
八咫鏡を神様のお姿として祀っている神社は、伊勢神宮と宗像大社だけと言われています。他の神社では、神様の御霊代として剣や玉などを祀っていることが多いんです。
この二つの神社がなぜ特別なのか、気になりますよね?
伊勢神宮は、太陽神・天照大神を祀る日本最高位の神社です。八咫鏡は、天照大神の魂が宿るとされ、神聖な奥宮に厳重に保管されています。
一方、宗像大社は、海の守護神として知られる三柱の神様を祀る神社です。八咫鏡は、天照大神から託された神宝とされ、辺津宮に祀られています。
97
(1): 06/05(水)22:58 AAS
>>96
ご存知かとは思いますが天照大神と宗像三女神は親子なんですよね、日本書紀では天照大神は宗像三女神に「お前たち三柱の神は、国の中に天降って、天孫を助け、また天孫に祭られるのをお受けしなさい。」 と神勅しているんです。そして現在も皇室は神勅を守り祭り続けています
98
(1): 06/06(木)19:25 AAS
>>97
AIのトンデモ文をまたAIに纏めさせたか。
トンデモ度が増幅しているな。
暇潰しの遊びとしてはアリかもしれないが。
99: 06/06(木)19:47 AAS
>>98
AIレベルの知能だと褒めてくれてありがとうございます。
100: 06/06(木)19:49 AAS
ちなみにAI株ならエヌビディアを買っておきましょう数年で3倍になりますよ
101: 06/08(土)00:50 AAS
コピペとかAIに書かせた長文を貼る奴はただの荒らし
しかも私は自分で日本語文が書けませんという無能宣言にもなってる
102: 06/08(土)11:01 AAS
伊都国の範囲については、様々な議論が存在します。確かに、現在の糸島市全域を伊都国と断定するのは早計でしょう。
現時点の考古学的知見や文献史料に基づくと、伊都国の中心地は怡土郡平野部(約30平方キロメートル)と考えられます。これは、魏略・魏志倭人伝に記された1,000戸程度の規模とも一致します。
しかし、周辺地域との関わりや、当時の政治情勢などを考慮すると、伊都国の勢力範囲は怡土郡平野部だけにとどまらなかった可能性も否定できません。
103: 06/08(土)11:23 AAS
名島神社や志賀海神社、風浪宮など、代々阿曇氏が神職を務めた神社に残された社伝や神楽歌によれば、奴国王は志賀島という聖地を訪れて祭祀を行っていたことがわかります。
奴国王は志賀島以外にも居を構えていた可能性がありますが、その伝承が唯一残っているのは名島神社です。
先代の宮司であった阿曇氏によると、名島こそが龍宮であり、奴国王安曇の宮があった場所なのだそうです。
阿曇氏によれば、名島の「ナ」は「浦」と同義であり、壱岐や対馬では今でも「浦」を「ナ」と読む習慣があるとのことです(例:辻の浦→ツジノナ、郷ノ浦→ゴウナなど)。
つまり、名島は阿曇読みでは「ナ島」、大和読みでは「ウラ島」となり、龍宮伝説の発祥地と考えられているのです。
一方、風浪宮で百年の杜事業を推進する津村氏の本姓は津守氏で、儺県主(阿曇氏や津守氏は儺県主を奴国王と考えている)安曇の宮は那珂川市の現人神社だと主張しています。
104: 06/21(金)01:31 AAS
糸島市全域が伊都国だったという思い込みについて:歴史学者の視点から

はじめに
近年、福岡県糸島市全域が弥生時代の「伊都国」だったという説が一部で唱えられています。しかし、これは史実を誤解した俗説であり、冷静な歴史学的考察に基づいて否定する必要があります。

史料と考古学資料からみる伊都国の範囲
中国の歴史書『魏志倭人伝』や『魏略』には、伊都国が末盧国から東南に500里の地点にあったと記されています。当時の1里は約4.4kmなので、これは現在の糸島市の一部と福岡市西区の一部に相当します。
考古学調査でも、糸島市には弥生時代の集落遺跡が数多く分布していますが、その中でも特に規模が大きいのは、白塚古墳群、三津寺遺跡、そして川上甕棺墓群です。これらの遺跡は、いずれも糸島市の中心部に位置しており、当時の伊都国の政治・経済の中心地であったと考えられています。
一方、糸島市北部や志賀島には、弥生時代の集落遺跡はほとんど確認されていません。これは、これらの地域が当時の伊都国の勢力圏外にあったことを示唆しています。

行政区画の変遷からもわかる伊都国の範囲
古代から近代にかけて、糸島市域は怡土郡と志摩郡に分かれていました。怡土郡は現在の糸島市の中心部と西部を占め、志摩郡は現在の糸島市東部と志賀島を占めていました。
この行政区画の変遷は、当時の政治情勢を反映しています。伊都国が滅亡した後、この地域は怡土郡と志摩郡に分割され、それぞれ異なる支配を受けました。
省3
105: 06/29(土)10:18 AAS
宝賀寿男氏が提唱した海人族と海神族は、弥生文化前期において重要な役割を果たした海洋民集団です。彼らは海上での活動に特化し、航海や漁労を通じて繁栄を築き上げました。4世紀以降になると、海上輸送にも力を注ぎ、海洋交易において重要な役割を担うようになります。
106: 06/30(日)09:34 AAS
纒向遺跡は、海外や九州とのつながりが薄く、東日本の文化の影響を強く受けた特異な遺跡と言えます。
つまり、邪馬台国とは別の、独自の文化を持つ「何か」が存在していた可能性があるのです。
魏志倭人伝に記された「東の倭種の国」こそ、この謎めいた遺跡の正体なのかもしれませんね。
107: 07/01(月)14:02 AAS
海人族は、独自の言語を持っていたと考えられています。その言語は、日本語とは異なる文法や語彙を持ち、朝鮮語や琉球語との共通点も指摘されています。
108: 07/01(月)18:08 AAS
鳥取県神職会刊『鳥取県神社誌』によると、前述の神を祀る県内の神社数は、町内のものも含めて、阿曇系16社、宗像系44社、住吉系19社を数える。倭文神社に祀られている下照姫の母は宗像系とされる。このほか、羽合町橋津の湊神社には、速秋津彦命・速秋津姫命(港の神)が祀られている。

これらの祭神名や遺跡・遺物から、古代の海洋族が東郷湖周辺にもいたことが推定できる。馬ノ山4号墳、宮内・狐塚古墳、野花・北山1号墳など大型の前方後円墳を築いた首長級豪族は、日本海を活躍の場として交易し、富を蓄積したものと思われる。

羽合町の長瀬高浜遺跡では、磯釣り用ではなく、明らかに沿岸漁業用と推定される大型の釣り針が十数本、直径2.5センチメートル前後の小型の素面鏡(凸面鏡)が出土している。西村彰滋氏は、同様な鏡が出土している福岡県沖ノ島などの例から、海もしくは航海に関する祭事用具であろうと推定している。

さらに、同遺跡からは古墳時代前・中期のものと推定される巨大な高床式の掘っ立て柱建物跡が発掘された。玉垣に似た柵列跡がみとめられることから神社形式の建物跡とされるが、一説には魚見やぐらの跡と考える学者もある。こうした遺跡・遺物からも、東郷湖周辺に住んだ古代人の漁業活動あるいは神社信仰のあったことが想像される。
109: 07/01(月)18:12 AAS
『日本書紀』では、田裳見宿禰を津守連(つもりむらじ、津守氏)の祖としています。津守氏の名は、住吉津を守ったことに由来し、代々住吉大社の祭祀を担ってきた氏族です。

一方、『新撰姓氏録』摂津国神別 津守宿禰条では、津守氏を火明命(天火明命)八世孫の大御日足尼の後裔とし、尾張宿禰(尾張氏)と同祖としています。
110: 07/01(月)18:15 AAS
弥生時代末期九州北部は瀬戸内海勢力の支配下だった
住吉さんも支配され兵におとされていたのかもな
神功皇后の三韓征伐、往路復路で瀬戸内海の鬼を退治している
復路は住吉さんと共に戦っているな
111: 07/01(月)18:17 AAS
田裳見宿禰と津守氏

『日本書紀』では、田裳見宿禰を津守連(つもりむらじ、津守氏)の祖としています。津守氏の名は、住吉津を守ったことに由来し、代々住吉大社の祭祀を担ってきた氏族です。

一方、『新撰姓氏録』摂津国神別 津守宿禰条では、津守氏を火明命(天火明命)八世孫の大御日足尼の後裔とし、尾張宿禰(尾張氏)と同祖としています。
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(1): 07/01(月)18:21 AAS
阿曇氏

阿曇氏(あずみうじ、やすみうじ)は、「阿曇(安曇)」を氏の名とする氏族である。海神である綿津見命を祖とする地祇系氏族であり、阿曇族、安曇族とも呼ばれる。

古代日本を代表する海人族、海人部として知られる有力氏族で、発祥地は筑前国糟屋郡阿曇郷(現在の福岡市東部)と推定されている。古くから中国や朝鮮半島との交易を通じて交流があり、奴国の王族であったとする説もある。

神武東征後、最初の拠点であった北部九州の福岡志賀島一帯を離れ、住吉神と共に畿内へ進出した。その後、摂津国西成郡安曇江を根拠地として、全国の海人集団・海部を管掌する伴造の地位を得たと考えられている。
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(1): 07/01(月)18:38 AAS
安曇氏が筑紫の日向の倭王の末裔だということ。
天皇家の遠い親戚。
もっとも、古代の豪族も中世の貴族も、大半は祖先が天皇家に縁がある。
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