一流考古学者「倭人はワイ人です」 (44レス)
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30: 2023/06/19(月)17:45 ID:JWdpNyPr(2/3) AAS
支石墓

新町遺跡で発見された人骨は支石墓という墓に埋葬されていました。支石墓とは、遺体を土に埋めた後、墓標として大石を上に被せ、大石を支えるために複数の支石を噛ませる構造をとるものです。朝鮮半島の南部でよく見られるため、そこから伝来したと考えられています。

支石墓の埋葬部は木棺で、木棺の近くに小さな壺が副葬されていました。この壺が弥生時代早期の土器であったため、稲作が伝来した同じ時期に支石墓も朝鮮半島から伝来したことが分かったのです。
新町支石墓復元

支石墓の墓制は、弥生時代早期から前期にかけて九州の西北部(長崎県~福岡県西部)を中心に広がります。しかし、稲作が九州南部や本州へ広く普及・定着していったのに対し、支石墓は九州西北部から先では定着せず、弥生時代前期で消滅してしまいます。

このような特徴を持つ支石墓に埋葬された人々は、一体どのような人たちだったのでしょうか。

新町遺跡の人骨

新町遺跡は引津湾(ひきつ)に面した砂丘上にあります。砂丘に埋もれた人骨は、腐敗せずに良好な状態で残りやすい傾向があり、新町遺跡では17体の人骨が発見されました。

朝鮮半島から伝来した支石墓の人骨なので、朝鮮半島系の人が埋葬されていると予想されましたが、発見された人骨の特徴は低顔で平均身長が157cmと、縄文系の特徴を持っていたのです。そして、縄文時代の風習である抜歯の痕跡も確認されました。

この結果、弥生文化は、朝鮮半島からの移住者が一方的に普及させていったもののではなく、縄文人が積極的に受容し、自らの集団に定着させていったものだと分かってきたのです。
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