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835: 2018/08/17(金)23:16 ID:Zs.6Y06g(23/25) AAS
作家の保阪正康さん「歴史的に相当重い意味」
ノンフィクション作家の保阪正康さんは、15日の天皇陛下のおことばについて「戦争の悲惨さや怖さを皮膚感覚で知っている天皇陛下の本音、お気持ちが出ているおことばだと思う。平成最後の8月15日ということだけではなくて、戦争というものの空気、時代背景を皮膚で知り、そこで育った天皇の最後のおことばだったと考えれば、歴史的に相当重い意味を持っていると思う」と述べました。
そして、結びの一文に「戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ」という一節が加えられたうえで、引き続き「深い反省」という言葉を盛り込まれたことについて、「戦争という人類の不幸を起こしてほしくない。起こさないために私たちは何をすべきか、かつて戦争で亡くなった人たちへの追悼というものを繰り返すことによって、その思いを平和と繁栄へのエネルギーに変えていくんだということを伝えているのではないか。戦争の教訓を次の時代に語り伝えなくてはいけないと、天皇陛下自身が次の時代に託するという意味が込められていると思う」と話しました。
外部リンク[html]:www3.nhk.or.jp
終戦から73年 平成最後の戦没者追悼式
2018年8月15日 13時25分
終戦から73年を迎えたきょう、およそ310万人の戦没者を慰霊する政府主催の全国戦没者追悼式が東京の日本武道館で行われました。
平成最後となる式典には、全国から遺族の代表など6500人余りが参列しました。
天皇皇后両陛下が菊の花で飾られた式壇に着かれたあと、安倍総理大臣が「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。歴史と謙虚に向き合い、この決然たる誓いを貫いてまいります。争いの温床となるさまざまな課題に真摯(しんし)に取り組み、万人が心豊かに暮らせる世の中を実現することに不断の努力を重ねてまいります」と式辞を述べました。
そして、参列者全員で1分間の黙とうをささげました。
続いて天皇陛下が「さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民と共に、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和とわが国の一層の発展を祈ります」とおことばを述べられました。
来年4月の天皇陛下の退位を前に両陛下が追悼式に出席されるのはことしが最後となります。
このあと遺族を代表して昭和19年8月に北マリアナ諸島のテニアン島で父親を亡くした宮城県石巻市の鈴木喜美男さん(75)が「遺品となった戦地からの便りは東日本大震災により流失してしまいましたが、父の生きた証しを伝えていくことは、遺族としての役割と考えております。再び悲惨な戦禍を繰り返すことなく、世界の平和、命の大切さをしっかりと後世に受け継いでいくため、たゆまぬ努力を続けることをお誓い申し上げます」と述べました。
式典ではこのあと、参列者が式壇に菊の花を手向けて戦争で亡くなったおよそ310万人の霊を慰めました。
終戦から73年を迎えて遺族の高齢化が進み、参列した遺族の78%は、70歳以上となり、参列した戦没者の妻も13人にとどまりました。
そのひとりで、最年長の参列者でもある東京 練馬区に住む102歳の芹ヶ野春海さんは昭和20年6月に沖縄本島で、結婚してまもない夫の博さん(当時31)を亡くしました。
芹ヶ野さんは「戦争は絶対やってはだめだ。自分もとても悲しい思いをしたし、みんな困っていた。人生でいちばん嫌な記憶です」と涙を流しながら話していました。
また、戦争の記憶を受け継いでいこうと、18歳未満の若い世代合わせて121人が式典に参列しました。
このうち香川県丸亀市の高校1年生、原淳一郎さん(16)は、昭和20年に曽祖父の前田馨さん(当時29)と田中茂さん(当時33)の2人がフィリピンのルソン島で戦死しています。
原さんは「これまで祖父などからひいおじいちゃんが戦死したという話を聞いたことはあったが、聞くだけでなく、もらった資料を読んで戦死したことが本当にあったことなんだと現実味をおびて感じました。二度と戦争が起きないためには自分に何ができるかを考えていきたいです」と話していました。
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