刑死者慰霊塔の近くに引越しするか悩む (31レス)
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1: 04/07(日)14:59 ID:Jkyvap/A0(1) AAS
大逆事件て知ってるか?

その犯人11人が死刑になった慰霊塔の近くに
綺麗なマンションがあり引越し悩んでる

市ヶ谷刑務所、東京監獄の跡地なんだよな
新宿の余丁町

スピリチュアル詳しいやつ、どうや?
12: 04/24(水)10:38 ID:zsG+0e0A0(9/9) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 01.異生羝羊心(いしょうていようしん) - 煩悩にまみれた心6

・羝羊外道
時間や物質要素や自在天が存在の本源だと考える外道、ヨガの実習で自我を究竟する外道、魂の存在を主張する外道、すべての存在は自然に有ると考える老荘、三十の大外道は、それぞれに、真実に迷い輪廻する。
仏教の中の犢子部と、および説一切有部との両部は、「過去・未来・現在の、三世を通じての実在がある」と主張している。
もし、「過去・未来・現在が実在している」のであれば、「数取趣(『さくしゅしゅ』と読み、『個体存在』の意)が存在している」のと同じであり、仏のお説きになった、三種の真理のしるし(諸行無常・諸法無我・涅槃寂静)に矛盾する。
インドのもろもろの菩薩が、種々の論を著して、これらの主張を論破している。
また、もし魂が輪廻の世界に遍在するのであれば、どうして、また生と死があるのか。
もし、仏教を信ずる人が、自らの心の、真実の姿を見ることなく、誤って認識し、それに執着すれば、「我あり」とする誤った見解と同じことになる。
13: 04/25(木)10:09 ID:MzCk+Yr00(1/7) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 02.愚童持斎心(ぐどうじさいしん) - 道徳の目覚め・儒教的境地1

愚童持斎心というのは、すなわち、人間としての存在(人趣)において、やや善なる心がきざし、迷える者が、自分の心の根底に本来、有する、仏の心に帰るはじめである。
あやまちを知れば必ず改め、賢人を見ては、「それと等しいものになろう」と思い、初めて因果の道理を信じ、だんだんと善い行ないと悪い行ないの、報いの結果にうなずく。

・六心
種子の心とは、「大日経疏」に言う。――世の中には、遠いはるかな昔より、今に至るまで、次第に伝え伝えられてきた、善と言われる物事がある。突然として、おのずから善に対する思いが生ずる。
牙種の心とは、「大日経」に言う。――「貪り求めるのを止めたことで、内に利益・安楽を得る」のを見て、「この善きことを実践して増大せしめよう」と思うから、自分の財として用いるものを捨てて、最も親しい人々に与えるのである。
疱種の心とは、「大日経」に言う。――また、これをもって見知らぬ他人にも施し与える。
葉種の心とは、「大日経」に言う。――また、この施しを「才能のすぐれた徳の高い人」に与える。すなわち、これは聡い性質が次第に開けて、正しい道理を説く者にめぐりあう理由である。
花種の心とは、「大日経」に言う。――音楽家や長老など、施すところの相手の是非を分けて選び取り、「その他の者のためになる」ことを見る。
成果の心とは、「大日経」に言う。――布施を実践して心が純粋に熟し、ただ歓喜するだけではなく、また、よく親しみ、慈しむ心によって、すべての、すぐれた行ないの人に施し与える。
14: 04/25(木)10:10 ID:MzCk+Yr00(2/7) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 02.愚童持斎心(ぐどうじさいしん) - 道徳の目覚め・儒教的境地2

・三帰戒
子牛に母牛がなければ、必ず死ぬことは疑いがなく、ヤマイヌや狼が、すべて走って、やって来る。
生けるものが仏に帰依しなければ、悪魔や鬼人が、みな、やって来て取り囲む。世間の道徳をたもって犯すことがなければ、来世に美名をはせる。
王は彼に語って、汝が恐れなきことを求めるならば、我が国境から出てはいけない。我が教えに違反してはいけない。必ず汝を救い護るであろう、と言うようなものである。
仏・法・僧の三宝に帰依し、仏の教えに違うことがなければ、悪魔に囚われることはない。

・五戒
そもそも五戒とは、中国の典籍にある五常の教えと同じである。すなわち、仁・義・礼・智・信である。
「あわれんで殺さない」のを仁と言い、相手を害なうのを防いで「男女の道を、乱すことをしない」のを義と言い、「ことさらに、心に酒を禁ずる」のを礼と言い、「清らかに思察して盗みをしない」のを智と言い、「道理にのっとった言葉でなければ語らない」のを信と言う。

「薩婆多論」に言う。――過去七仏中の第六の、迦葉仏のときに、在家の男性の信者がいた。彼は飲酒することによって他人の妻を犯し、他のものの鶏を盗んで殺した。他人がやって来て問うのに、「盗まない」と言って、嘘の罪を犯した。
省5
15: 04/25(木)10:11 ID:MzCk+Yr00(3/7) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 02.愚童持斎心(ぐどうじさいしん) - 道徳の目覚め・儒教的境地3

・十善戒
「正法念処経」巻二に言う。
――殺生と怨みとを離れて、慈しみを生ずれば、神々に守護される。死後、天界に生まれる。
――盗まず、「足る」を知って施せば、みな信頼する。死後、天界に生まれる。
――異性に対する邪まな行為を離れて、煩悩の心がなければ、自分の妻に満足し、もろもろの善きことを摂める。死後、天界に生まれる。
――嘘を離れたならば、すべての人はみな信じる。死後、天界に生まれる。
――二枚舌を離れた者は、親しい人とも、疎い人とも関係が確かで、「怨みによって破られること」はない。死後、天界に生まれる。
――悪口を離れて、やさしい言葉で語れば、人はみな安らかである。死後、天界に生まれる。
――飾った言葉を離れた人は、正しい言葉を説くので、世の中で尊重される。わずかに、やわらかい言葉で説くと、他人に理解されやすい。死後、天界に生まれる。
省4
16: 04/25(木)10:11 ID:MzCk+Yr00(4/7) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 02.愚童持斎心(ぐどうじさいしん) - 道徳の目覚め・儒教的境地4

・不正治国王
「金光明経」に言う。――四天王は、ともに仏に申し上げた。
――もし人間の王があり、その国土に、この経典があっても、広まっておらず、よく聞こうと願わず、供養することがない。
――正しい理法を信ずることなく悪人に親しみ、国中の大臣と役人とが、へつらいとおもねりを心にいだいて、ともに、ことごとく非法を行なう。
――国を守護する諸天および薬叉は、国の領土を捨て去って他方に行く。国土に災害変事がたびたび現れる。

・正治国王(1/3)
「金光明経」の経文にしたがえば、国王の正しい政治には、かならず3つの条件がある。
1つには、怠けることなく有徳の人に親しみ近づく。2つには、正しい信仰をもって、この経文を聴聞し受持する。3つには、「王法を犯した者」を正しい理法によって罰する。

「王法正論経」に言う。――「国王の過失」とは、どういうことか。
省6
17: 04/25(木)10:12 ID:MzCk+Yr00(5/7) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 02.愚童持斎心(ぐどうじさいしん) - 道徳の目覚め・儒教的境地5

・正治国王(2/3)
――「国王のすぐれた特性」というのは、どういうことか。
――王族に生まれ、あらゆる人民を恵み養い、仏・法・僧の三宝を浄らかに信仰する。これを、「族姓が高い」と言う。
――詩歌管弦の遊びを興し、命令が広く行きわたって、滞ることがない。
――群臣たちが、少々のあやまちを犯すことがあっても、よく許す。群臣たちに「大きな誤り」があっても、重い法律をもって刑罰せず、過失の軽重によって、あわれみをもって裁く。
――群臣の心が清廉であれば、時々、正しく円満な言葉でいたわり、恩賞をわかち与える。忠実で、潔白で、よく法律にしたがう人の進言を信じ用いる。
――何かをなすときには、よく思い、よく選んで、そののち実行して、また乱暴でない。
――群臣たちの集まりにおいても、意見の終わりまで、言葉を発して、「他の人の論」を中断させることなく、かならず待って論議を起こし、先王の教えのとおりに実行する。

――「王の衰え」とは、どういうことか。
省8
18: 04/25(木)10:12 ID:MzCk+Yr00(6/7) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 02.愚童持斎心(ぐどうじさいしん) - 道徳の目覚め・儒教的境地6

・正治国王(3/3)
――「王の愛すべきもの」とは、どのようなものか。
――すべての正しい事柄をはっきりと認識し、手段を講じて争うことなく反対派を包容する。
――倉庫の増減を考えて、物惜しみせず平等に、時候の様子にしたがって給与する。医者に食事の内容を聞いて、その指示にしたがって、分配する。

――「王の善き事柄を勤め修める」とは、どういうことか。
――国王がいて、王子・大臣と、ともに布施を実践し、受戒・瞑想をなし、護摩の息災と増益をなし、曼荼羅を建立し、灌頂を受ける。
――毎日、早朝に、この秘密主(金剛薩た)の教を、あるいは読み、あるいは唱えて、これによって修行する国王を、聖王と名づけ、法王と名づける。
――諸仏・菩薩・護法の神龍は、常に守護する。

・輪王
省4
19: 04/25(木)10:13 ID:MzCk+Yr00(7/7) AAS
24になった
20: 04/26(金)15:16 ID:IKfYN+/Y0(1/6) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 03.嬰童無畏心(ようどうむいしん) - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地1

愚かな児童のような心も、心のうちにある絶対真実の影響によって、苦を嫌がる。
仏の戒めを守って天界に生まれ、善を修めて地獄を脱しようとする。そうなると、下をにくむ心と、上を喜ぶ願いが、はじめて起こってくる。
嬰童(子供)とは、「初心ということ」から名づけられ、無畏(畏れなきこと)とは、「煩悩の束縛を脱すること」にちなんで名がたてられた。

・仏教以外の三宝と世間的な瞑想
「大日経」に言う。――これは天であり、すべての楽を与える者である。もし真心をこめて供養すれば、願いとするところのものは、みな満足する。
――いわゆる自在天・梵天である。誰でも、このようなことを聞いて、心に喜びをいだき、恭しく敬い、したがい、修行する。

これは、戒めを守って、仏教以外の三宝(仏宝・法宝・僧宝)に帰依することである。

「大日経疏」に言う。――戒めを守ることにより、現世でもろもろの恩恵を得て、名聞と利得のために心身が安楽である。死後は、天界に生まれることができる。
省6
21: 04/26(金)15:17 ID:IKfYN+/Y0(2/6) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 03.嬰童無畏心(ようどうむいしん) - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地2

・十六外道
第一は、「原因の中に結果がある」と執われる雨際外道。
第二は、「本よりある存在が、条件によって顕れる」と考える、インド六派哲学の、精神・物質の二元論や、声常住論。
第三は、「過去・未来という時間が実在する」と考える、インド六派哲学の勝論や、バラモン教系の時間論。
第四は、「自我が実在する」と考える、ジャイナ教や、仏教部派の犢子部。
第五は、最高神イーシーカを祀る外道などで、「何か永遠なるもの」を考える。
第六は、「苦を生み出す、過去世の悪しき原因を消滅させる」と執れ、苦行を修める無繋外道。
第七は、「苦楽は、大自在天が原因である」と考える。
第八は、「肉を食べたいので、供犠は正しい」と討論する、五濁悪世の婆羅門。
省8
22: 04/26(金)15:18 ID:IKfYN+/Y0(3/6) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 03.嬰童無畏心(ようどうむいしん) - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地3

・瞑想の四段階と精神世界
初めの瞑想とは、「順正理論」に言う。――下方の段階である、欲望の世界を対象とするとき、粗大・苦悩・障害のうち、1つがあらわれる。上法の段階である、離生喜楽地(「欲望の世界の悪を離れる」ことによって生ずる喜楽を得る段階)を対象とするとき、静寂・殊妙・分離のうち、1つがあらわれる。

第二の静慮とは、 「順正理論」に言う。――第1段階の瞑想を対象とするとき、粗大・苦悩・障害のうち、1つがあらわれる。上法の段階である、定生喜楽地(瞑想によって生ずる喜楽の段階)を対象とするとき、静寂・殊妙・分離のうち、1つがあらわれる。

第三の瞑想とは、 「順正理論」に言う。――第2段階の瞑想を対象とするとき、粗大・苦悩・障害のうち、1つがあらわれる。上法の段階である、離喜妙楽地(妙なる楽を得る段階)を対象とするとき、静寂・殊妙・分離のうち、1つがあらわれる。

第四の瞑想とは、 「順正理論」に言う。――第3段階の瞑想を対象とするとき、粗大・苦悩・障害のうち、1つがあらわれる。上法の段階である、捨念清浄地(念慮を捨て去った清らかな段階)を対象とするとき、静寂・殊妙・分離のうち、1つがあらわれる。
省4
23: 04/26(金)15:19 ID:IKfYN+/Y0(4/6) AAS
93お気持ち
24: 04/26(金)15:19 ID:IKfYN+/Y0(5/6) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 03.嬰童無畏心(ようどうむいしん) - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地4

・欲界の諸天 - 欲望の世界
「起世経」に言う。――帝釈天の宮殿の外に、三十三天の宮殿がある。
「倶舎論」に言う。――次の生涯において、仏となることが約束されている菩薩は、都率天の中に生まれる。

十の善を修めることによって、下の部類は、星・月・日の天宮に生じる。中の部類は、四天王と、三十三天と、夜摩天に生じる。上の部類は、都率天と、化楽天と、他化自在天に生ずる。
欲望の世界の、六つの諸天は、みな煩悩の心がある。彼が、怠けることがなければ、この天の上に生まれ、もし怠ければ墜落するであろう。

・色界の諸天 - 物質世界
「順正理論」の第八十に言う。――上の階位の生を受くべき、現世の行為が、次の次の未来世に結果を受ける業をつくったのである。
――かの行為の報いがすでに熟して、まさに目のあたりに現れようとするとき、勢力がたかまって瞑想を起こさせることとなる。まだ下方の段階の煩悩が離れていない場合には、かならずしも上方の段階に生まれることはない。

無想天とは、「倶舎論」に言う。迷える者・仏教以外の者は、この瞑想による。
省8
25: 04/26(金)15:20 ID:IKfYN+/Y0(6/6) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 03.嬰童無畏心(ようどうむいしん) - 超俗志向・インド哲学、老荘思想の境地5

・真言の密意
嬰童無畏心とは、「天に生まれる」という教えである。天乗には、二種類の理解のしかたがある。一には浅略的理解と、二には深秘的理解とである。
「大日経」に、「我はすなわち天・龍・餓鬼などである」と言う云々。言うところの我とは、大日如来である。
「大日経」に、もろもろの天・人・餓鬼などの真言がある。また、もろもろの世天などの、普明の心真言がある。

――ロキヤロキヤ(世間・暗冥・無明)キヤラヤ(智慧を作る)サラバ(すべての)デイバ(天)ナウギヤ(龍)ヤキシヤ(「夜乞叉」という名の、護法の神龍)ゲンタラバ(「健闥縛」という名の、護法の神龍)アソラギヤ(「阿修羅」という名の、護法の神龍)ロダ(「掲露荼」という名の、護法の神龍)キンダラ(「緊那羅」という名の、護法の神龍)マゴラギヤ(「摩呼羅伽」という名の、護法の神龍)デイ(等)カリダヤ(心)タヤキヤヤ(摂めて真理を会得させる)ビシツタラギヤチ(実践)ソワカ

すべての世間の「条件によって、生起するもの」の存在は、さまざまな色彩・形態・相をそなえている。
「一切万有は、本来、生起しない」ことを阿字が象徴表現する、と説く、その阿字門に入るならば、すべての相を離れることになる。
相を離れた相とは、「真実そのものを身体とする仏が、すがたかたちをとった色身」であって、曼陀羅をそなえている。
世天の真言と大日如来の真言とは、「別ならざるもの」なのである。この一字を読誦すれば、すべての、人・天の、教えの法門を持つことになる。
省4
26: 04/27(土)09:48 ID:iMzk/iSR0(1/6) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 04.唯蘊無我心 (ゆいうんむがしん)- 上座部仏教のうち声聞の境地1

修行僧(比丘)の戒律である二百五十戒は、身・口の非法なることを防ぎ、三十七菩提分法は、身心の善の実践をすすめる。
この世は苦であり(苦諦)、苦の原因は煩悩であり(集諦)、妄執を断つことで「さとりへの世界」が開かれ(滅諦)、そのために八正道を実践する(道諦)。
八正道とは、正しく四諦の道理を見て(正見)、正しく四諦の道理を思惟し(正思惟)、正しく四諦の道理を語り(正語)、正しい行動をし(正業)、正しく日々を過ごし(正命)、八正道の実践に努め励み(正精進)、四諦の道理を憶念して邪念を払い(正念)、清浄なるさとりの境地に入る(正定)、八種の生活規範である。
これは、自利のために修行する、声聞のさとりの成果であり、煩悩のとらわれから離れる方途である。

・声聞の教えを唯蘊無我という理由
大日如来が秘密主(金剛薩た)に、次のように仰せられた。――「ただ存在要素のみが実在し、実体的な自我は存在しない」のを明らかにさとることである(「大日経」住心品)。
「華厳経」に言う。――すぐれた十の善き行為で、自分のための修行をする。その智慧は、まだ狭く劣っているので、三界の輪廻を怖れて、生きとし生けるものの苦を救う大悲が欠けている。他の師の、教えの声を聞いて理解し、さとりを得ることができるので、声聞と名づける。

「唯蘊無我」という一句のなかに、すべての小乗の教えがおさめられている。「蘊」は、「積み集められたもの」の意。
「存在を構成する五要素(物質・感覚・表象・意思・識別)のみが実在(唯蘊)であり、個々別々の存在には実体がない(無我)」という心のあり方である。
省1
27: 04/27(土)09:49 ID:iMzk/iSR0(2/6) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 04.唯蘊無我心 (ゆいうんむがしん)- 上座部仏教のうち声聞の境地2

・声聞の修行階梯の第一「五停心観」
煩悩を停止するための五つの観法が、五停心観である。
一には、外界の不浄な様相を観じて、貪りの心を止める(不浄観)。貪欲に悩まされる、多くの人が実践する。
二には、生きとし生けるものを観察して、慈悲の心を起こし、怒りを静める(慈悲観)。
三には、「あらゆる存在が、原因と条件とによって生ずる」と観察して、愚かな心を止める(因縁観)。
四には、五蘊などを観察して、「存在には実態がある、とする妄見」を止める(界分別観)。「色(物質)」「受(感覚)」「想(表象)」「行(意思)」「識(識別)」を「五蘊」と言う。「五蘊」は「五つの集まり」の意。
五には、自らの呼吸を数えて、心を治める(数息観)。あれこれと思い煩うことの多い人が実践する。

[阿字の子が 阿字のふるさと 立ち出でて また立ち帰る 阿字のふるさと](cf)「十住心論」9巻の「真言の密意」
※智積院(京都)智山派総本山の阿字観ネット予約外部リンク:chisan.or.jp
省5
28: 04/27(土)09:50 ID:iMzk/iSR0(3/6) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 04.唯蘊無我心 (ゆいうんむがしん)- 上座部仏教のうち声聞の境地3

・声聞の修行階梯の第二「別相念住」
「倶舎論」に言う。――別相念住とは、五停心観を修めおわって、四念住という観想法を修習し、妄見を破ることである。
――1.肉身は不浄である(身念住)。2.煩悩を有する存在の本性は不楽である(受念住)。3.心は無常である(心念住)。4.存在する、すべてのものには実体がない(法念住)。

・声聞の修行階梯の第三「総相念住」
「倶舎論」に言う。――総相念住とは、無常・苦・空・無我の、四つの心のはたらきを実修することである(四行相)。
――苦聖諦を観察する。恒存性がなく苦であり、仮の存在で、実体性がない。
――集聖諦を観察する。愛執は苦の原因であり、苦を集起させ、苦の助縁である。
――滅聖諦を観察する。苦滅の理想郷は繋縛を滅し、煩悩を静め、殊妙の境地で、災禍から離れている。
――道聖諦を観察する。苦滅への聖道は、聖者実践の正道であり、迷いの生存を超出する。
省2
29: 04/27(土)09:51 ID:iMzk/iSR0(4/6) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 04.唯蘊無我心 (ゆいうんむがしん)- 上座部仏教のうち声聞の境地4

・五位七十五法の修行体系
「倶舎論」の巻二十三に言う。――「解脱の因となるもの」を種えようとする者は、速い者で、三たび生を受けて、解脱の因を得る。
――第一生で、解脱の因にしたがう心を起こす。第二生で、四つの聖なる真実の理法を見て、智慧の因にしたがう。第三生で、聖者の道に入り、解脱を得る。

生けるものが人間界で、あるいは他に一食を施し、あるいは戒律の一つを守り、解脱する願いを捨てないから、解脱の因となる善を増長させる。
遅い者だと、六十劫(「劫」は、カルパの訳語で「時分(顕教)」「妄執(密教)」)という、無限に長い時間を要する。[巻末要語29]
第二生に入るための、準備的な修行には三種類ある。(ア)智慧の実修と、(イ)身器を整えること、(ウ)さとりを求める修行である。

(ア)世親は智慧の相を注解して、次のように述べている。――「教えを聞くことによって生ずる智慧」が聞所成。「正しい理法を思惟することによって生ずる智慧」が思所成。「定(瞑想)を修することによって生ずる智慧」が修所成。

(イ)身器をととのえるとは、「倶舎論」に言う。
――1.身心遠離。悪友から離れる。不善を求めることから離れる。
省4
30: 04/27(土)09:52 ID:iMzk/iSR0(5/6) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 04.唯蘊無我心 (ゆいうんむがしん)- 上座部仏教のうち声聞の境地5

・煩悩を断つ依りどころ
三空とは、「我と我の所有するものには実体がない」と観じ(空三昧)、「空であるがために差別の相がない」ことを観じ(無相三昧)、「故に何も願い求めるものはない」と観ずる(無願三昧)。
「道理に迷う」とは、まず苦諦に迷うことで、十の煩悩を引き起こす。理に迷う知的な煩悩(見惑)と、事象に迷う情意的な煩悩(思惑)がある。
1.「実体としての身体がある」と執着する。2.極端な見解を「正しい」と執着する。3.因果の道理を認めない。4.誤った見解を「正しい」と執着する。5.低劣な誤った見解などに執着する。6.むさぼり。7.いかり。8.おごり。9.真実を疑う。10.おろかな迷い。

・さとりの定まっている人と、そうでない人の相違
声聞の最高境地である、阿羅漢果を得る人に、二種類の別がある。
一には、「かならず声聞となる」と約束された定性。二には、声聞・縁覚・菩薩のうち、いずれの成果を得るか確定していない不定性である。
不定性の者は、教え導く人に遇って、大乗の教えに向かい、菩薩の善行を実践して、如来の正しいさとりを成就する。

道宣律師は、「四分律刪繁補闕行事鈔」で、次のように述べている。
省4
31: 04/27(土)09:53 ID:iMzk/iSR0(6/6) AAS
空海コレクション「十住心論」(ちくま学芸文庫)抜粋 04.唯蘊無我心 (ゆいうんむがしん)- 上座部仏教のうち声聞の境地6

・真言の密意
――ケ(声聞の実践行)イ(瞑想)ト(声聞が入るところの絶対真実)ハ(声聞が観ずる絶対真実)ラ(煩悩)チヤヤ(声聞の教え)ビ(煩悩)ギヤタ(離れる行)キヤラマジリジヤタム(恐るべき障害)

「大日経」巻二に、声聞の真言が説かれている。
「恐るべき障害」という言葉を含む。声聞の人は、生死を厭い怖れることが、極めて切実だからである。
声聞の教えは、そのまま、「すべての生けるものが成仏すべき道」を説く仏乗であり、両者は別々でなく一体である。
もしも理解しようとしない者がいれば、菩薩に対して毒となる。
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ぬこの手 ぬこTOP 0.680s*