雑談はここに書け!【67】 (461レス)
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17: 132人目の素数さん [sage] 01/14(火)14:28:11.34 ID:wAGmgpG8(4/5)
>>16
雑談はここに書け!【68】
2chスレ:math
95: 132人目の素数さん [] 04/14(月)17:26:31.34 ID:dtRwwAZi(1)
教えてgooが閉鎖だとさ
288: 132人目の素数さん [] 09/14(日)23:15:09.34 ID:m+0nOQgc(2/2)
1967年には水木プロの仕事量が増え、右手の腱鞘炎を患う。この年には井伏文学からの影響で、4月に友人の立石と秩父、房総を、8月には伊豆半島を旅し、秋には単独で東北の湯治場(蒸ノ湯温泉、岩瀬湯本温泉、二岐温泉)などを中心とした旅行をする。その際、旅に強烈な印象をもち、また湯治場に急速に魅かれるようになる。このときの旅の印象はこの年後半から翌年にかけての一連の「旅もの」作品として結実する。このころ旅関係の書物や柳田國男などを熱読する。この年にはユーモラスな世捨て人的生活の日常スケッチである『李さん一家』(6月)や、少女が大人になる一瞬を巧みな抒情詩に仕立て上げた『紅い花』(10月)、小さな村の騒動記『西部田村事件』(12月)、そして翌1968年には紀行文学のスタイルを借りた『二岐渓谷』(2月)、『長八の宿』(1月)、『オンドル小屋』(4月)などを立て続けに発表する。
水木しげるとの関係
池上遼一、呉智英らとともに一時水木プロでアシスタントを務めたが、漫画家としてはつげは水木よりも2年先輩であり、すでに自己の世界を確立していた。当時水木プロにはつげを含め、5人のアシスタントが在籍した。部屋中に煙草の煙が立ち込め、午後1時から深夜1時までが定時であった。週に一度は徹夜で、水木は途中で仮眠をとり、締め切り直前に起きて仕上げをするのがお決まりとなっていた。池上によれば、水木の描く妖怪は江戸時代の古文書からのアレンジが主体だが、人物やメインキャラクターはデフォルメしたタッチだが、妖怪は点描技法を多用した細密な画にすることで、リアリティを出していたが、これはアシスタントの仕事で大変であり、徹夜の時など、うたたねしながら描いていると「君は点描に向いていないな」などと、からかわれたという。
水木はつげのタッチは自分の漫画に最適であり、水木は自分の作品作りを手伝ってもらうつもりでオファーした。ガロに発表した『沼』、『チーコ』が何の反応もなく、自作を続ける意欲を失っていたつげはそれに応え、プロのアシスタントとして生活の糧を得る目的で引き受けた。この期間中につげは『通夜』、『ねじ式』、『ゲンセンカン主人』、『海辺の叙景』、『紅い花』を発表した。呉によれば水木がアシスタントに求めたのは、アイデアのネタまでで、オチは必ず自分で考えていた。これはアイデアをもらえばそれを面白い作品に仕立てる自信があったからだという。しかし、どうしてもいいアイデアが出ないと「つげさん呼んできて」と言い出した。当時、つげは近くの中華料理屋の2階に下宿しており、池上が朝の5時ごろに私が呼びに行くと、寝ていて不機嫌ながら必ずやって来て、水木と2人でぼそぼそ話をして、仕上げていた。つげはプロットを丁寧に書く手法で、水木とは性格も真逆で愚痴を言うこともあったが、内心尊敬していたという[96][97]。
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