雑談はここに書け!【67】 (461レス)
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46: 132人目の素数さん [] 01/31(金)12:49:34.03 ID:BnEwySZf(1)
本当はこわい5ちゃん
306: 132人目の素数さん [] 09/17(水)07:06:20.03 ID:xGNccJij(4/5)
雑誌 『ガロ』
”『カムイ伝』に対抗した『火の鳥』を連載する。ともに全共闘時代の大学生に強く支持されていった”
か。そんな話を聞いた記憶がある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AC%E3%83%AD_(%E9%9B%91%E8%AA%8C)
ガロ (雑誌)
『月刊漫画ガロ』は、1964年から2002年頃まで青林堂が刊行していた漫画雑誌。大学生など比較的高い年齢層の読者に支持され、独創的な誌面と経営難の中で独自の路線を貫き漫画界の異才を数多輩出した、伝説的な雑誌である。創立者は白土三平[1]、初代社長兼編集長は、青林堂創業者の長井勝一。1998年からは青林堂の系譜を引き継いだ青林工藝舎が事実上の後継誌『アックス』を隔月で刊行している。
『ガロ』は先見性と独自性で一時代を画し、単なる漫画雑誌には止まらない足跡を出版界に遺した。また、独自の作家性を持つ個性的な漫画家たちの作風は「ガロ系」と呼ばれ、『ガロ』出身ではない作家でも「あの作家はガロ系」としばしば表現された。彼らの作風は、海外のオルタナティヴ・コミックの作家たちとも親和性が高いと言われた。
歴史
日本初の青年漫画雑誌『月刊漫画ガロ』は、それまで貸本漫画の出版などで知られていた編集者の長井勝一と漫画家の白土三平により1964年7月24日に創刊された[注 1]。誌名は白土の漫画「やませ」に登場する忍者「大摩のガロ」から取っているほか我々の路すなわち「我路」という意味合いもあり、またアメリカのマフィアの名前(ジョーイ・ギャロ)も念頭にあった[2]。誌名の複数の候補からガロを選んだのは長井の甥である[2]。題材・内容とスケールから連載する場所がなかった白土の漫画『カムイ伝』の連載の場とすることが創刊の最大の目的だった。同時に、活躍の場を失いつつあった貸本漫画家への媒体提供と、新人発掘のためという側面もあった。
長井は後年「執筆者が7人以上いないと雑誌と認めてもらえなかった」と創刊時を振り返っており、水木しげるや白土が複数の名義を使い執筆者を水増ししての創刊だった[3]。当初は白土の赤目プロの援助を受けて刊行された。雑誌のロゴも白土が発案し、レイアウトのほとんどを白土が構成した。表紙のレイアウトは週刊誌『朝日ジャーナル』を意識した[4]。『ガロ』に触発された手塚治虫は67年1月、虫プロ商事より『COM』を創刊、『カムイ伝』に対抗した『火の鳥』を連載する。ともに全共闘時代の大学生に強く支持されていった。
貸本マンガ時代のつげ義春を高く評価していた白土の意向で、65.4月号に「つげ義春くん連絡乞う」の案内を掲載。つげはそれまでガロの存在を知らなかったが、65.8月号に「噂の武士」、66.2月号に漫画史上唯一無二の傑作「沼」を掲載。その後68.8の「モッキリ屋の少女」まで、傑作続きの「奇跡の2年間」を現出する。
1960年代の『ガロ』は、白土の『カムイ伝』と水木の『鬼太郎夜話』の2本柱でおよそ100ページを占め、残るページをつげ、滝田ゆう、つりたくにこ、永島慎二などがレギュラーとして作品を発表していた。
356: 132人目の素数さん [] 09/20(土)22:04:52.03 ID:eje/AQ+H(5/6)
なるほど
https://www.youtube.com/@hannahmiracairo
Hannah Cairo
https://www.youtube.com/watch?v=3ZeH_8sTyKA&t=1
A counterexample to the Mizohata-Takeuchi Conjecture - OARS
Hannah Cairo
61,261 回視聴 2025/04/09
This is a recording of a presentation I gave at OARS (online analysis research seminar) on Apr 8. You can find my paper here: https://arxiv.org/abs/2502.06137
https://nazology.kusuguru.co.jp/archives/183227/3
ナゾロジー
10代の数学者が「溝畑・竹内予想」が偽であると証明 (3/4)
2025.08.12
17歳の無名の学生が40年越しの数学の常識を覆した──このニュースは数学界のみならず世界を驚かせました。
ある専門家は「皆が衝撃を受けた、こんなことは見たことがない」とコメントし、長年信じられてきた前提が崩れた衝撃の大きさを物語っています。
今回の発見によって、数学者たちは調和解析の理論を見直し、新たな方針を考える必要に迫られました。
例えば、複数の波が関与する難問を溝畑・竹内予想を土台に一気に解決しようとするアプローチは、この反例によって使えないと分かりました。
発見者と同じくこの予想を証明しようと2年間取り組んでいた研究者も「我々は全員衝撃を受けた、こんなことは見たことがない」と語っています。
カイロさんの反例は「この道筋で一気にゴールへ到達することは不可能だ」と示しました。
ハンナ・カイロさんは幼い頃から数学に魅了され、孤独を感じるときは数学の世界に「逃避」していたといいます。
https://en.wikipedia.org/wiki/Hannah_Cairo
Hannah Mira Cairo (born 2007) is an American mathematician who gained recognition at age 17 for disproving the longstanding Mizohata–Takeuchi conjecture in harmonic analysis.
Mathematical work
While studying under Zhang, Cairo began working on the Mizohata–Takeuchi conjecture, which had remained unresolved since the 1980s.[5] Initially aiming to prove the conjecture, she instead constructed a counterexample that disproved it.[4] Her work involved using fractals and other tools and originally resulted in a more complex counterexample before finding a simpler example after reformulating the problem in frequency space.[6]
Her findings were published in the preprint titled "A Counterexample to the Mizohata–Takeuchi Conjecture" and uploaded to the arXiv preprint server on February 10, 2025. Later that year, she presented her work at the 12th International Congress on Harmonic Analysis and Partial Differential Equations in El Escorial, Spain.[4] Media described her as one of the youngest mathematicians to resolve a major open problem.[1][4][7][8][3]
https://en.wikipedia.org/wiki/Mizohata%E2%80%93Takeuchi_conjecture
Mizohata–Takeuchi conjecture
The conjecture was disproven in 2025 by Hannah Cairo.[1][2]
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