雑談はここに書け!【67】 (466レス)
1-

283: 132人目の素数さん [] 09/13(土)09:54 ID:sEZjaMYu(1/2)
みじめです
でもしかたねーです
頑張れチヨジ
284: 132人目の素数さん [] 09/13(土)11:40 ID:uzwAyADx(1)
この人も水木しげるの弟子↓

師匠は“伝説のポルノ俳優”、講談師・神田伯山との出会いが転機に…活動弁士・坂本頼光(46)が“異例の受賞”を果たすまで《芸術選奨文部科学大臣新人賞》
285: 132人目の素数さん [] 09/13(土)21:53 ID:sEZjaMYu(2/2)
つげ義春の芸術
286: 132人目の素数さん [] 09/14(日)10:01 ID:/xJ+pSVt(1)
弟の作品も味がある
287
(2): 132人目の素数さん [] 09/14(日)23:13 ID:m+0nOQgc(1/2)
三四郎を読む教養人は 一味違いますね
下記自伝 『ゲゲゲの女房』に出てきました
つげ義春 さん ゲゲゲで忙しくなって アシスタントになってもらったと
(”つげ義春”人捜しの新聞広告を打ったら ふらりと現れたとありました)
NHK朝ドラにもなりましたね

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E5%A5%B3%E6%88%BF
『ゲゲゲの女房』は、漫画家水木しげるの妻・武良布枝が著した自伝エッセイ。実業之日本社より2008年に単行本、2011年に文庫版が刊行された。
同書を原案に、2010年度上半期にNHK連続テレビ小説の82作品目としてテレビドラマ化
小峰章
演 - 斎藤工 ※第17週 - 第19週、第26週にゲスト
元・貸本漫画家。深大寺参道でスケッチをしていたとき、茂に画力を見込まれてアシスタントに期間限定で採用された。倉田卒業と時同じくしてアシスタントを卒業し旅に出る。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1343955503
sun********さん chiebukuro.yahoo
2010/7/20
ゲゲゲの女房:アシスタント3人組のモデルは、それぞれ誰ですか?
大阪から来たのは池上遼一さんがモデルだそうですが、あとの二人は誰ですか?
ベストアンサー
pav********さん
2010/7/20
茂が神社で出会った男(小峰章)が「ねじ式」で有名なつげ義春さん。茂と出会ったきっかけは違いますが、茂が自分から進んで声をかけた点、茂と出会った当時、つげさんは放浪生活をしていて風貌があんなだった点からしてつげさんではないかと。つげさんは茂のアシスタントになってからも突然ふらりと放浪の旅にて、茂を困らせたことがありましたから、小峰章に関してもこういうエピソードが出てくるんではないでしょうか。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A4%E3%81%92%E7%BE%A9%E6%98%A5
つげ 義春(つげ よしはる、戸籍上は1937年〈昭和12年〉10月30日[1][2](実際は4月の生まれ[1]) - )は、日本の漫画家・随筆家。

1965年、28歳。辰巳よしひろの興した出版社第一プロダクションにSFや青春ものを描く[24]。田端で行なわれた貸本漫画家の集まりで白土三平や水木しげると知り合う[22]。

1968年8月号の『もっきり屋の少女』まではその後、つげの代表作群が並ぶ「奇跡の2年間」が始まる。しかし当時の『カムイ伝』目当てでガロを買う読者層には主に「暗い」という理由(当時の読者欄より)であまり評価されなかった。特に『沼』は不評で、マンガ家を廃業して凸版印刷の職工になろうと真剣に考えたこともある[41]。『沼』が辰己や深井など仲間にも理解されなかったため、自作を続ける意欲が薄れ、生活のためにも、「少年マガジン」で連載を始め人手が要った水木のアシスタントをすることになり、調布に転居。実際は日当2千円という破格の報酬であり、「ゲゲゲの鬼太郎」のネームに苦しんだ水木に呼ばれ2人でオチを考えたこともあったという[42]。本人は水木の仕事に専念するつもりであり、自作を発表するつもりはなかった。

1966年9月頃から水木のアシスタントをしていた池上遼一によれば、この頃は水木プロに週3日程度手伝いに来て、あと徹夜してこもって自分のもの(「通夜」や「海辺の叙景」)を描いていたという。水木とは仲が良く、一緒に古本買いに行ったり古文書を探しに行ったりした。
288: 132人目の素数さん [] 09/14(日)23:15 ID:m+0nOQgc(2/2)
1967年には水木プロの仕事量が増え、右手の腱鞘炎を患う。この年には井伏文学からの影響で、4月に友人の立石と秩父、房総を、8月には伊豆半島を旅し、秋には単独で東北の湯治場(蒸ノ湯温泉、岩瀬湯本温泉、二岐温泉)などを中心とした旅行をする。その際、旅に強烈な印象をもち、また湯治場に急速に魅かれるようになる。このときの旅の印象はこの年後半から翌年にかけての一連の「旅もの」作品として結実する。このころ旅関係の書物や柳田國男などを熱読する。この年にはユーモラスな世捨て人的生活の日常スケッチである『李さん一家』(6月)や、少女が大人になる一瞬を巧みな抒情詩に仕立て上げた『紅い花』(10月)、小さな村の騒動記『西部田村事件』(12月)、そして翌1968年には紀行文学のスタイルを借りた『二岐渓谷』(2月)、『長八の宿』(1月)、『オンドル小屋』(4月)などを立て続けに発表する。

水木しげるとの関係
池上遼一、呉智英らとともに一時水木プロでアシスタントを務めたが、漫画家としてはつげは水木よりも2年先輩であり、すでに自己の世界を確立していた。当時水木プロにはつげを含め、5人のアシスタントが在籍した。部屋中に煙草の煙が立ち込め、午後1時から深夜1時までが定時であった。週に一度は徹夜で、水木は途中で仮眠をとり、締め切り直前に起きて仕上げをするのがお決まりとなっていた。池上によれば、水木の描く妖怪は江戸時代の古文書からのアレンジが主体だが、人物やメインキャラクターはデフォルメしたタッチだが、妖怪は点描技法を多用した細密な画にすることで、リアリティを出していたが、これはアシスタントの仕事で大変であり、徹夜の時など、うたたねしながら描いていると「君は点描に向いていないな」などと、からかわれたという。
水木はつげのタッチは自分の漫画に最適であり、水木は自分の作品作りを手伝ってもらうつもりでオファーした。ガロに発表した『沼』、『チーコ』が何の反応もなく、自作を続ける意欲を失っていたつげはそれに応え、プロのアシスタントとして生活の糧を得る目的で引き受けた。この期間中につげは『通夜』、『ねじ式』、『ゲンセンカン主人』、『海辺の叙景』、『紅い花』を発表した。呉によれば水木がアシスタントに求めたのは、アイデアのネタまでで、オチは必ず自分で考えていた。これはアイデアをもらえばそれを面白い作品に仕立てる自信があったからだという。しかし、どうしてもいいアイデアが出ないと「つげさん呼んできて」と言い出した。当時、つげは近くの中華料理屋の2階に下宿しており、池上が朝の5時ごろに私が呼びに行くと、寝ていて不機嫌ながら必ずやって来て、水木と2人でぼそぼそ話をして、仕上げていた。つげはプロットを丁寧に書く手法で、水木とは性格も真逆で愚痴を言うこともあったが、内心尊敬していたという[96][97]。
289
(1): 132人目の素数さん [] 09/14(日)23:17 ID:sGfdyysM(1)
数学とは神の作った世界を人が解読する学問ですか?
290
(1): 132人目の素数さん [] 09/15(月)06:31 ID:bdH1+JJk(1/2)
アイディアは神にもらう
オチは自分でつける
291: 132人目の素数さん [] 09/15(月)08:11 ID:iK+sB2GV(1/4)
>>287
>日当2千円という破格の報酬

1966年のラーメン80円、大学初任給24,890円
からすると、2千円→2万円 でしょうか
月20日で 40万円 家賃5万円として 35万円残る

http://mtomisan.my.coocan.jp/page153.html
60年代 モノの値段
食べ物関係
1966年 昭和41年 ラーメン80円
収入
大学初任給
1966年 昭和41年 24,890円
292: 132人目の素数さん [] 09/15(月)08:24 ID:iK+sB2GV(2/4)
>>289-290
>数学とは神の作った世界を人が解読する学問ですか?

最近みた 下記 蟹江 幸博先生の
『天書の証明』 訳者まえがき を連想しました

下記より抜粋
「天書」:本来は「唯一の書」という意味である. 唯一の書に記録する価値があるものと言えば,美と真実しかない. そのうちの1巻「真実の書」が天書である
エルデシュは,天書を自分の目でみたいと思ったのに違いない.
すべての生活を数学に捧げ,周りのすべてを数学に巻き込んだエルデシュが心の拠り所としたのが天書であった. 天書を垣間見,それを書き写すこと,それがエルデシュの生涯でもあった.

(参考)
http://kanielabo.org/mybook/proofftb/jobun_tr.htm
『天書の証明』 訳者まえがき
桑名にて,2002年11月
蟹江 幸博
 「天書」は英語ではThe Bookであり,ヨーロッパの慣習の中ではキリスト教の聖書を指すことが多いが,本来は「唯一の書」という意味である. 唯一の書に記録する価値があるものと言えば,美と真実しかない. そのうちの1巻「真実の書」が天書である. いかにも壮大な物言いではあるが,本書の本当の著者であるポール・エルデシュはそう思っていた. そうある筈だと思っていた.
 おそらくは命の尽きることを予感したエルデシュは,天書を自分の目でみたいと思ったのに違いない. 「君の頭は営業中かね」と言いながら,世界中の数学者を訪ねて回り,時間も気にせず共同研究を始めたというエルデシュの人となりは,最近日本でも出版された伝記『数を愛した男日本語版は,草思社から『放浪の天才数学者エルデシュ』(ポール・ホフマン著,平石律子訳)として出版されている』に詳しい. すべての生活を数学に捧げ,周りのすべてを数学に巻き込んだエルデシュが心の拠り所としたのが天書であった. 天書を垣間見,それを書き写すこと,それがエルデシュの生涯でもあった.
 序文にあるように著者たちがエルデシュに提案しなかったら,おそらくは本書は生まれなかっただろう. 天書そのものでなくていい,その近似でもいいから,という提案はエルデシュにとって新鮮な驚きだっただろう. その驚きに打たれ,すぐさま作業に取り掛かったが,それを仕上げないうちに旅先のワルシャワでセミナーの途中に倒れ,病院に運ばれて亡くなった.
 著者たちはエルデシュの遺志を継いで,本書を完成した. その経緯といい,内容といい,初版が出版された1998年に開かれたベルリンの国際数学者会議(ICM)では大変な評判だったと言う.
293: 132人目の素数さん [sage] 09/15(月)13:11 ID:T5P5Lanf(1)
私が書いた論文が盗用されることはあってはならない
294: 132人目の素数さん [] 09/15(月)22:18 ID:bdH1+JJk(2/2)
神の言葉?
295: 132人目の素数さん [] 09/15(月)23:09 ID:iK+sB2GV(3/4)
棒高跳びデュプランティスが6m30で14度目の世界新
https://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/20250915-OYT1T50112/
棒高跳びデュプランティスが6m30で14度目の世界新、圧勝で世界大会5連覇
2025/09/15 読売
 陸上の世界選手権東京大会は15日、男子棒高跳び決勝が国立競技場で行われ、アルマント・デュプランティス(スウェーデン)が6メートル30の世界新記録で優勝し、3連覇を達成。2021年東京五輪、昨年のパリ五輪と合わせ、世界大会5連勝を飾った。自身の持つ世界記録を1センチ更新。世界陸連によると、14度目の記録更新となった。(デジタル編集部)
296: 132人目の素数さん [] 09/15(月)23:35 ID:iK+sB2GV(4/4)
>>287
>貸本漫画家の集まりで白土三平や水木しげると知り合う[22]。

週刊少年マガジン、サンデー 1959年3月17日創刊 だが
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%83%9E%E3%82%AC%E3%82%B8%E3%83%B3
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%B1%E5%88%8A%E5%B0%91%E5%B9%B4%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%BC

その前 貸本漫画の時代 があった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B8%E6%9C%AC%E6%BC%AB%E7%94%BB
1948年(昭和23年)に神戸市開業の「ろまん文庫」が戦後型の貸本業の起源とされる。1953年(昭和28年)頃から貸本漫画も出回るようになり、店舗で販売されていた粗末な赤本漫画から豪華な装丁の貸本漫画に需要が移っていった。
終戦後の貸本屋にならんだ本は中小の取次店や特価本店から流れた一般流通の古本や古雑誌であったが、やがて、貸本出版社の出版する漫画単行本がほとんどとなる。1950年代末から1960年に最盛期を迎え、文具店・駄菓子店などとの兼業も含めて東京都で3000店、全国で3万店の店舗があったと推計されている。

水木 しげる 神戸市の水木通り沿いで経営していたアパート「水木荘」から
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E6%9C%A8%E3%81%97%E3%81%92%E3%82%8B
(本名:武良 茂〈むら しげる〉、1922年〈大正11年〉3月8日 - 2015年〈平成27年〉11月30日[1][2])
大阪府大阪市住吉区出生[4][5]、鳥取県境港市入船町育ち[4][6]。ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市の水木通り沿いで経営していたアパート「水木荘」から名付けた[7]。1958年に漫画家デビュー。代表作となる『ゲゲゲの鬼太郎』
過酷な戦争体験を重ね、アメリカ軍やオーストラリア軍の攻撃で左腕を失う。
1958年、貸本漫画『ロケットマン』で貸本漫画家としてデビュー。1960年から断続的に『墓場鬼太郎』シリーズを発表し始める
1965年 貸本時代に描いていた『ゲゲゲの鬼太郎』『週刊少年マガジン』掲載

貸本時代の『ゲゲゲの鬼太郎』を読んだ記憶がある
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%82%B2%E3%81%AE%E9%AC%BC%E5%A4%AA%E9%83%8E
『ゲゲゲの鬼太郎』
貸本を経て1965年から数多くのシリーズが描かれ、幼年誌から青年誌まで幅広く掲載された。連載当初のタイトルは『墓場の鬼太郎』であったが、アニメ化に伴い改題。怪奇色の強かった内容も鬼太郎と妖怪の対決路線へと徐々に変化し、鬼太郎は正義のヒーロー然としての側面が強くなっていった
297
(1): 132人目の素数さん [] 09/16(火)04:40 ID:igM2NgHV(1)
ガロ誌上でのつげ義春とある小説家との対談で
「あんな表現は文章では不可能」と
「チーコ」は高く評価された
298
(1): 132人目の素数さん [sage] 09/16(火)06:37 ID:IFp7hVjx(1/2)
何故ポール・エルデシュは収束する級数
Σ _{k=0,1,…,+∞}(1/(k!+1))
が無理数なることを示せなかったのか不思議だ
299
(8): 132人目の素数さん [] 09/16(火)10:44 ID:tjOKtzTb(1)
示せた人は?
300
(2): 132人目の素数さん [sage] 09/16(火)16:46 ID:IFp7hVjx(2/2)
>>299
Σ _{k=0,1,…,+∞}(1/(k!+1)) が有理数であると仮定する
仮定から、或る互いに素な正の整数p,qが存在して
Σ _{k=0,1,…,+∞}(1/(k!+1))=q/p であるから
(p!+1)!Σ _{k=0,1,…,+∞}(1/(k!+1)) は正の整数である
また、(p!+1)!Σ _{k=0,1,…,p}(1/(k!+1)) は正の整数である。よって、
A=(p!+1)!Σ _{k=0,1,…,+∞}(1/(k!+1))−(p!+1)!Σ _{k=0,1,…,p}(1/(k!+1))
とおくと、Aは正の整数である。しかし、Aを上から評価すれば
A=(p!+1)!Σ _{k=p+1,p+2,…,+∞}(1/(k!+1))
=(p!+1)!Σ _{k=p+1,p+2,…,+∞}(1/(k!+1))
=p!×(p!+1)Σ _{k=p+1,p+2,…,+∞}(1/(k!+1))
<p!Σ _{k=p+1,p+2,…,+∞}(1/(k!+1))
=p!Σ _{k=0,1,…,+∞}(1/(k+p+1)!+1)
<p!Σ _{k=0,1,…,+∞}(1/(k+p+1)!)
=p!Σ _{k=1,2,…,+∞}(1/(k+p)!)
<Σ _{k=1,2,…,+∞}(1/2)^k=1
であるから、Aは正の整数ではない
これはAが正の整数であることに反し、矛盾が生じる
故に、背理法により、Σ _{k=0,1,…,+∞}(1/(k!+1)) は無理数である
301: 132人目の素数さん [] 09/16(火)23:59 ID:AoAjk0dN(1)
>>297
>「チーコ」は高く評価された

チーコは、三四郎同様で 読んだことがない
というか、『ガロ』は立ち読みのチラ見程度で、内容はほとんど記憶にない
でも『ガロ』は、当時有名だったな

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%BC%E3%82%B3
チーコ
『チーコ』は、つげ義春による日本の短編漫画作品。1966年3月に、『ガロ』(青林堂)にて発表された。
解説
『ねじ式』発表(1968年)以前のつげの代表作のひとつ。完成度の高い作品として知られる。当時、つげは飢餓と孤独と不安で気も狂わんばかりの日々を送っていた。『沼』を描いて以来、それ以前のストーリー優先の漫画から解放されたという実感をつげは持った。自由に描くことを許された『ガロ』以前の貸本時代には、ストーリーの束縛があったため、自身の表現自体が拘束されていた。自分自身が描きやすくなったため、創作する上でプラスになったとつげ自身は述懐する。

当時のつげの作品にしては珍しく、生活経験を元にほぼ事実どおりに描かれている。全編において描写は非常にリアルである。ストーリーは作品が描かれた5年前(1961年)に別れた女性との同棲生活の一部を切り取ったものである。文鳥をたばこケースに入れ死なせたのも事実である。死んだ文鳥の真っ赤な嘴がみるみる真っ白に変化していくさまを見て恐ろしくなり、女性がバー勤めから自宅に帰った際にとっさに「逃げた」と嘘を言った。唯一創作は死んだ文鳥を隣の庭に埋める場面である。事実は隣家の庭の草むらに捨てたものである。

後に『下宿の頃』『義男の青春』などで、事実に即した作品を多く発表するが、それらに先駆けた作品でもある。これらの後期作品(この同棲生活の後日談にあたる作品も含む)に比べると絵柄はずっとシンプルであり、ヒロインも可憐に描かれている。

あらすじ
売れない漫画家とその生活を水商売で支える女性との同棲生活。お互いに疲れきってひび割れかけそうな2人の生活にある日、一羽の文鳥が変化をもたらす。喧嘩の日々だった2人の関係が文鳥を介して回復するかにみえる。

しかし、ある日、主人公が一人のときにふざけてピースのたばこケースに文鳥を入れ、放り投げたら空中でうまく抜け出したため、もう一度同じ行為を繰り返したところ脱出に失敗し嘴から床に落ち、死んでしまう。驚いた主人公は、帰宅した女性に「逃げた」と嘘をつく。女性は疑り、隣家の庭を掘り返す。そこに見たものは…。
302: 132人目の素数さん [] 09/17(水)00:05 ID:xGNccJij(1/5)
ガロは、殆ど読んでいないがカムイ伝が有名でそした
が、殆ど読んでいない
『カムイ外伝』が、『週刊少年サンデー』に ありましたね

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%A4%E4%BC%9D
カムイ伝
『カムイ伝』(カムイでん)は、白土三平による日本の長編劇画。1964年から1971年まで『月刊漫画ガロ』に連載された。連載中、『週刊少年サンデー』(小学館)に『カムイ外伝』を不定期連載している。1982年から1987年まで『ビッグコミック』(小学館)誌上に『カムイ外伝 第二部』を連載、そして同誌上に1988年から2000年まで『カムイ伝 第二部』が発表された。構想されていたとされる『カムイ伝 第三部』は作者の死去によりついに発表はされなかった。『カムイ外伝』は別項目を参照。2021年10月時点で「カムイ伝」シリーズの累計発行部数は1500万部を突破している[1]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%A0%E3%82%A4%E5%A4%96%E4%BC%9D
カムイ外伝
『カムイ外伝』(カムイがいでん)は、白土三平の日本の漫画。
および同作品が原作の日本のテレビアニメ。日本のラジオドラマ。2009年の日本の映画。
このうち、テレビアニメ版は『忍風カムイ外伝』(にんぷうカムイがいでん)、ラジオドラマ第2作は『続・カムイ外伝』(ぞくカムイがいでん)と題して放送された。
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