「名誉教授」のスレ 2 (488レス)
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201: 132人目の素数さん [] 06/28(土)09:26 ID:Om34p0pv(3/3)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%9C%E7%94%B0%E9%9D%96%E4%B8%80
浜田 靖一(濱田 靖一[1]、はまだ やすかず、1955年〈昭和30年〉10月21日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(11期)、衆議院議院運営委員長。
防衛大臣(第6・24代)、防衛庁副長官(第1次小泉第1次改造内閣)、防衛政務次官(小渕内閣)、衆議院予算委員長、同安全保障委員長、同国家基本政策委員長、自由民主党国会対策委員長(第53・59代)、自由民主党千葉県連会長、自由民主党水産総合調査会長を歴任した。
父親は元衆議院議員の浜田幸一[2]。

(囲碁)
http://igoclub.life.coocan.jp/photo.html
津田沼囲碁クラブは
2025(令和7)年 3月30日をもって
閉店いたしました。
皆々様の長らくのご愛顧に厚く御礼感謝申し上げます。
※このサイトはアーカイブです。
http://igoclub.life.coocan.jp/photo/images/tv_top.jpg

▲フジテレビの取材でインタビューを受ける故・浜田幸一さん

http://igoclub.life.coocan.jp/photo/2006/akinokaze.html
写真の間 【2006年】
秋の風囲碁大会
2006年8月27日(日)、
秋の風囲碁大会が当クラブで開催されました。
大会成績
(参加者39名)
4組
優 勝=矢崎良三(千葉市)
準優勝=浜田幸一(富津市)
敢闘賞=青田誠(船橋市)、関明治(船橋市)
217: 132人目の素数さん [] 07/12(土)14:09 ID:UeSo7oXL(2/2)
>>214-215
>長岡と言えば
>新幹線の駅の
>良寛像を思い出す
>天上大風

夏目の三四郎を読む教養人は違いますね
良寛 天上大風 か。下記ですね

http://www.all-japan-arts.com/rekishi/rekishinosyo.html
全日本美術
http://www.all-japan-arts.com/rekishi/0709rekishi.html
2007 9月  良寛禅師 『天上大風』
歴史の中の「書」2  田宮文平
http://www.all-japan-arts.com/rekishi/rekishi_foto/0709ryokan.jpg

凧文字 天上大風  良寛書   45×31cm 
  新道画伯に限らず、岸田劉生にしても、晩年、東洋的な墨の世界に回帰する人が少なくない。その日本人にとって、いわば郷愁のように戻ってくる象徴的なところに位 置するのが、良寛禅師の人と書である。村上三島なども若い時代に王鐸のような脂っこい中国の書に魅かれたが、晩年は専ら良寛をイメージして淡泊な書をかいた。
  良寛の存在が全国的に注目を浴びるようになるのは、大正期の中ごろ以降のことではないだろうか。それには、後半生をほとんど良寛研究に捧げた相馬御風の一連の著作の果 たした役割が大きいにちがいない。何と言っても早稲田大学で会津八一と同期であり、坪内逍遙、島村抱月らに薫陶を受けた人の良寛論は、これを広めるに大きな力があった。
  それに時代の空気が、良寛のような生き方を求めていたとも言える。わが国の近代化のなか、自我に目覚めた人たちにとって良寛の苦悩は切実な問題であったにちがいない。良寛は越後出雲崎の名主の家の長子に生まれたが、一八歳のとき突然、家を捨てて出奔してしまう。当時の社会常識では許されがたい落伍者と言われても仕方がないことであったであろう。しかし、時代が変われば、そのやさしさ、清らかさが、社会的にも精神的にも柵にとらわれた人たちの共感を呼ぶようにもなるのである。  

  良寛の書は、ここに採りあげた『天上大風』や、『一二三 いろは』のように童心にあふれた簡朴なものが、よくイメージされるが、実はそうしたものばかりではない。若いころから王羲之の尺牘や、孫過庭の書譜、懍素の自叙帖、わが秋萩帖(小野道風)等を本格的に学んできた人であるから草書の崩しにも熟達している。従って、漢詩などを書いたものは、かならずしも読みやすいとは言えないのである。

  『天上大風』の凧の書は、子どもにせがまれて書いたというぐらいだから、忽卒の間に書かれたものにちがいない。天、上、大は画数が少なく、風だけがやや多い。天の字だけが異常に大きく、しかも第一画と第二画の間が広く離れすぎている。風もかまえの中の虫が極端に左に寄って一文字だけでは収まりがよくない。落款の「良寛書」の位 置も決してよいとは言えない。それが全体としては、インテリア・デザイナーでもが設計したかのごとくぴたりと収まっているのが不思議なくらいである。そして、このほのぼのとした素朴さは意図してできるものではない。しかし、考えてみれば王羲之の書こそ、アンバランスのバランスの極致であるのだから、それを習った過程でおのずと身についたとも言える。現代の書人でも津金寉仙、赤羽雲庭などは、それをみごとに熟している。書はどこまでも奥が深いのである。
 歴史の書indx   
338: 132人目の素数さん [] 07/27(日)07:45 ID:6EVaf5Z4(2/2)
今日の 読売日曜版は、佐原(千葉県香取市)の話
佐原といえば、伊能 忠敬
佐原の 伊能家を 昔見に行きました。随分前ですが

(参考)
https://www.yomiuri.co.jp/stream/1/25737/
読売新聞 2025年7月27日
日曜版 新着動画
旅を旅して 新浜レオン歌「佐原の町並み」 佐原(千葉県香取市)
古今の紀行文、詩歌などの舞台となった名所や、小説、映画、歌謡曲の主人公たちが訪れた土地を訪れます。今回の「旅を旅して」は長戸大幸作詞・作曲、新浜レオン歌「佐原の町並み」(2020年)から、「あなたと肩寄せ 歩いた小野川あたり レンガ色が 今日も夕陽(ゆうひ)に染まる」、千葉県香取市の佐原(さわら)を訪ねます=東京本社写真部 横山就平撮影 
特集 旅を旅して動画 旅を旅して名言巡礼(アーカイブ)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E8%83%BD%E5%BF%A0%E6%95%AC
伊能 忠敬(いのう ただたか[注釈 1]、延享2年1月11日〈1745年2月11日〉- 文化15年4月13日〈1818年5月17日〉)は、江戸時代の商人・天文学者・地理学者・測量家
寛政12年(1800年)、56歳から、文化13年(1816年)まで、17年をかけて日本全国を測量、73歳で死去[2][3]。その後は弟子たちが遺志を受け継いで『大日本沿海輿地全図』を完成させ、国土の正確な姿を明らかにした。
1883年(明治16年)、贈正四位。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/d7/Ino_Tadataka_%28cropped%29.jpg/500px-Ino_Tadataka_%28cropped%29.jpg

佐原時代
当時の佐原と伊能家 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/72/Inou-tadataka-house%2Ckatori-city%2Cjapan.JPG/500px-Inou-tadataka-house%2Ckatori-city%2Cjapan.JPG

忠敬が入婿した時代の佐原村は、利根川を利用した舟運の中継地として栄え、人口はおよそ5,000人という、関東でも有数の村であった。舟運を通じた江戸との交流も盛んで、物のほか人や情報も多く行き交った。このような佐原の土壌はのちの忠敬の活躍にも影響を与えたと考えられている[21]。
364: 132人目の素数さん [] 08/07(木)13:43 ID:Z5kSPt9q(2/2)
追加記事
読売新聞からのリンク
https://journal.meti.go.jp/
2025/05/16
HOTパーソン
出産して感じた社会の壁…夜ご飯テイクアウト事業で、人の温かみも届ける!
マチルダ 丸山由佳さん

https://journal.meti.go.jp/wp-content/uploads/2025/04/image001-11-1024x683.jpg


都内にステーションを展開して、家庭料理のテイクアウトサービスを提供する「マチルダ」も、2021年のサービス開始以来、利用者が増え続けている。代表取締役の丸山由佳さんが、自身の出産、子育てで感じた課題を解決しようとして起業したスタートアップだが、「子育て家庭を支援すること」だけが目的ではないという。丸山さんに創業の経緯や意図などについて聞いた。

「課題の当事者」の自覚と、夫のひと言で起業へ
――― 出産が起業のきっかけになったそうですね。

25歳で妊娠しましたが、その時は、「まだ、仕事を頑張りたいのに」と、出産をポジティブには受け止められませんでした。でも、出産してみたら、とんでもない幸福感を感じました。「子育てって大変」、「子どもができたら、あきらめなきゃいけないことがたくさんある」という社会に広がる価値観が、私にも刷り込まれていたのかもしれません。実際に子育てを始めてみると、社会は子育てに寛容ではないと感じることも多く、子どもと電車に乗ると泣き声などで「うるさい」と言われる。子育てを「している人」と「していない人」の間に“分断”を感じました。

では、どうすればいいのか。そこで始めたのが、「晩ご飯のおすそ分け」をイメージしたミールシェア事業でした。例えば、晩御飯を5人分多く作れる人がいたら、メッセージアプリで欲しい人を募って、配っていくというものです。

私は料理が得意ではなく、子どものご飯も泣きながら作るぐらいでした。しかも、仕事から帰ってきて夕食を作るとなると大変。子育ての負担となっている「食」の課題を解決したいのもあって始めた事業ですが、目的は、ただ食を届けるだけではなく「社会とのつながり」を作りたいと思いました。分断の解消には、孤独感すら感じる子育て家庭や子どもと、社会とのつながりを作って広げることが、解決につながっていくのではないかと考えたのです。後にマチルダのベースになったともいえる事業でした。

――― 会社を辞めていきなり起業した訳ですが、戸惑いはなかったですか。
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