[過去ログ] 坐禅と動中の工夫13 (1002レス)
1-

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
495
(1): 鬼和尚続き 2021/03/26(金)08:23 ID:laLeOqol(2/5) AAS
 わしは金剛経を読んでいる時、観照が起こったと前に書いたのう。

 観照によってわしの自我は消え去った。そして静寂と安心が起こった。
 
 もはや守るペき自我が無いことにより、緊張と不安が消えたためじゃった。
 そして、智慧が湧いた。
 自我が消えた故に、自我の歪みを受ける事の無い、平等性智が起こったのじゃ。
 
 わしはその智慧(自己のアラヤ識)に問うた。
 (ここでは言葉を使う必要上わしという主語を使うが、その時の心にわしは
 無かったと覚えておくのじゃ)
 
 この境地が最後のものであるのか? すると自然に智慧が湧き起こり、
 答えが湧いて出た。

 この境地が最後のものではない!未だ安心と静寂を認識するものが残って
 いる、と。
 
 そこでわしは更に認識するものを観察し、それが実体が無く、
 空であると観じた。

 自我が消えてしまえば認識を破壊するのは容易であった。

 空であると観じていると、認識するものが消えた。
 そして、認識するものがなくなると、言葉やイメージで表せるものが
 全て消え去った。

 そこにおいてはもはや見る者も、見られるものも、見るという事も無かった。
 言葉もイメージも、記憶さえも無かった。

 全てが無かった。

 そして無でさえも無かった。

 今、何年も経ってからでさえ語るべき言葉の無いものじゃった。

 わしはそこで全ての技を捨てた。空であると言う観も捨てた。

 そこでは為すべきことは無く、為す己が無く、為すという行為さえ無かった。
1-
あと 507 レスあります
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.012s