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【仏教】悟りを開いた人のスレ96【天空寺】 (1001レス)
【仏教】悟りを開いた人のスレ96【天空寺】 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/
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23: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 00:20:10.39 ID:sPcFRcWE >>19 浅眠とは浅い眠りの事ですね。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/23
24: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 01:12:17.82 ID:m7cTOrcv 和尚様 前世の記憶というものが実在するのならば 昔の人々がどのような暮らしをしていたのか、 どのような言葉を喋っていたのかも分かるのではないでしょうか 悟りを得た人は数有れどそういったものに寄与した話を聞かないのは何故ですか http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/24
25: 素人A [] 2011/07/06(水) 06:35:14.60 ID:Nw0miqk9 今見えている世界がサスペンス劇場では内容で一安心か.へい平凡の普通の幸福と 普通の不幸せばかりの毎日今は繰り返し.進歩もない。死に向かって更新している。 太陽や月も毎日同じ事を繰り返しあきもせずまた朝だ。芸術作品の中で演じているんだ と思い込めば.仏も詰まらないと物々ばかりでは無いか.さあとりあえずはまあよいばかり 何処に新しいものがあるのでしょうか?新しい物をほしがるのは鶴田浩二さん傷だらけの人生。 http://www.youtube.com/watch?v=SRap6i9PlVY http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/25
26: 机龍之介 ◆b5VIxRNE/I [sage] 2011/07/06(水) 10:11:48.34 ID:0ZlqqrLK >>25 ハードボイルド聴かせて頂きました。じゃあ、お礼と言ってはなんですが、 女の情念的なもんを、ひとつ僭越ながら・・・w http://www.youtube.com/watch?v=ehV9RXhJnOs&feature=related 梶芽衣子・夢は夜ひらく http://www.youtube.com/watch?v=NVCQU_I5dgU&feature=related 緑川アコ・夢は夜ひらく 藤圭子の「夢は夜ひらく」の歌詞は、たしか少年院の少女の「詩」かと記憶してます。 (現在は放送禁止歌だと思う。たしか・・・) 拙者は、どちらかというと梶芽衣子(硬派)の唄がいいですね。 (藤圭子は、どちらかというと軟派でしょう?) http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/26
27: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 10:12:44.72 ID:KdJm2Xtl うんちゃ! http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/27
28: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 10:42:10.18 ID:KdJm2Xtl 廓庵禅師 十牛図 提 唱 窪 田 慈 雲 十牛図はいわゆる牧牛図の一種で、我々の真の自己を牛に譬 えて、その牛を求め、捕まえ、馴らし、遂に求める自 分と牛とが全く一つとなり、 それも忘れて只の生活が できる過程を画で示したものである。我々の修行の道程を 具象的に明示しているので、自分の修行を自ら点検し 策励の指標とするのに大変役立つものである。 そこでこの十牛図を参究することにより、常に皆様自 身の修行を自ら点検し、自分が今どの段階にあるかを 反省する指標として役立てて頂きたい。 十牛図の作者廓庵師遠禅師は、大随元静禅師(1065〜1135)の法嗣で、臨済禅師より第十二代目 の法孫であるというだけで、生年寂年はじめその伝記 ははっきりしていない 。十牛図は十枚の図のおの おのにまず廓庵禅師が「頌」をつけ、その後その弟子慈遠 (一説では廓庵自身とも廓庵の友人とも云われる)が 「総序」と頌の一つ一つに「小序」をつけたもの と云われている。 さて、十牛図には童子と牛が描いてある。ここで 牛とは我々が求めている真の自己のことである。 この真の自己を観念や思想でなく、生きたまま捕まえ たいと切々たる思いの現象界の自分、それを童子で描 いている。 この童子は何時も何かを求めている。お金が欲しい、地位が欲 しい、名誉が欲しい。だが人生はお金だけてはない。 地位だけでもない。又名誉だけでもないというわけで、 あの哲学この宗教と求め求めて、少しでも成長しよう 進歩しようと努めるようになる。 中にはこの競争に負 けてノイローゼになり自殺まではかる人もいるが、 これは何かを求める心がマイナスに働いただけてあっ て、何時も何かを求める力があることに変わりはない。 それでは何故人間はこのように何かを求めるのであろうか。禅の立場から云うと、それは人間が本 質において完全円満、無限絶対の実在(これを仏と云 い、 本来成仏という)でありながら、現象としては不 完全きわまる、有限相対のはかない、いと罪深き存在 (これを凡夫と云い、衆生と云う)として現われてお り、しかも人間は生まれながらにしては、 自分の完全 円満・無限絶対の本性(仏性)を知ることができない という現実から発生しているのである。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/28
29: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 10:46:45.97 ID:KdJm2Xtl 十牛図はこの不完全・有限相対の自己(童子)が、 完全円満・無限絶対の自己の本性(牛)に目覚め、捕 まえ、馴らし、忘れ、 完全に人格化する過程を具体的 に示したもので、まさに実践の指針であって、観念思想 の対象ではないことを銘記すべきである。 そこで十牛 図の参究は実際に参禅し、足の痛い思いをして坐って、 真の自己を明らめようとする人にとっては極めて有効 であるが、 禅理のみを尊重し追究せんとする者に とっては、無用の長物であることを警告しておきたい。 従って今回の参究では、「総序」の解説は省略し各段階 の「小序」の精神を概説した後で、廓庵禅師自ら作られた 「頌」についてはその一句一句について逐語的に味わうこ ととしたい。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/29
30: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 10:56:39.98 ID:D+O572Q+ 次回予告!! 「君は空円を見たか!?」 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/30
31: 素人A [] 2011/07/06(水) 11:04:47.82 ID:Nw0miqk9 分からないところまで行ってもまだ分かろうとして頑張るのは小○。 分からないものは分からない。私は全然そこまでも行ってない少しは前進せよ。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/31
32: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 11:37:28.69 ID:nMhoYqXR >>29 十牛図は実際良く出来てますね。 その通りの流れで事が進んでいきますから。 でも、4番目の得牛の段階で悟ってないといけないから、なかなか難しいんですよね。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/32
33: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 11:37:57.85 ID:qfS11skS 日本語が不自由過ぎて読むに堪えん。 悟り以前に小学校からやりなおせ、ボケナス。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/33
34: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 12:45:46.05 ID:nMhoYqXR >>33 どこが不自由なのかをきちんと書かないと 脳の腐った人だと思われるよ。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/34
35: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 12:51:33.77 ID:qfS11skS 安価つけてなかったな。 >>34、あんたのことじゃない。 >>31のことだ。 心配すんなカス。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/35
36: 神も仏も名無しさん [???] 2011/07/06(水) 13:12:47.96 ID:5JHkaVyl 大乗経典は、すべて釈迦とは何の関係もない。 富永仲基で、この説は現在も 論破されていない。 釈迦は、サトリをひらいてから、みずからを如来と称したが、べつに えらぶってそう自称したわけでもなく、またその当時 如来ということばも そのような神秘的意味はなかった。単に法(真理)と一体化した人、という 意味で、げんにこの人は、自分の死んだ高弟をよぶ場合も、如来という敬語 を使ったそうです。 大乗仏教では、釈迦は仏陀という真理そのものになる以前、一階級下の菩薩 の呼称でよばれていました。菩薩とは仏智を得るべく努めて、ほぼ完成に近い 段階の人ということです。大乗仏教以後、菩薩は観念化し、人を救うための 存在もしくは機能そのもになりました。 釈迦の仏教とは何も関係ないことです。 現代の新興宗教もすべて釈迦とは関係のないものです。 サトリ(解脱)などは、何億人に一人の天才にして可能なもので、 釈迦さんはどういうつもりで法をすすめてまわったのでしょうね? 過去も現在も未来においても解脱できたのは(できるのは)釈迦さんただ一人と 思わなかったのでしょうかね? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/36
37: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 13:27:34.77 ID:UFWBrqAm 原発事故の詳細な報告は一切されず、何かもうすべてが解決したかのようである。 何度も何度も安全であるとだまされ続け、それを住民は信用してしまった。 それは完全なカルト組織の洗脳術だったのである。 原発は、安全ではないので、事故が起きるのは当然だった。 何をしようとも、一切責任をとらないし、処罰もされない。 そして増税を勝手にやり、電気料金も引き上げ、さらにぼろ儲けをする。 汚職は続き、腐れ官僚や、汚職役人が甘い汁を吸い続ける。 日本以外の他国は納得しない。やがて日本はそれなりの追及を受けるだろう。 闇で支配している悪の官僚は、まったく何の影響も受けず、完全防備の要塞の中で平然としている。 原発事故は官僚が引き起こしたようなものである。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/37
38: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 13:31:39.36 ID:NORj117o >過去も現在も未来においても解脱できたのは(できるのは)釈迦さんただ一人と >思わなかったのでしょうかね? 鬼和尚様がいるではないかw http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/38
39: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 13:40:04.06 ID:KdJm2Xtl うんちゃ! http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/39
40: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 13:52:53.91 ID:nMhoYqXR >>36 過去も現在も未来においても解脱できるのは釈迦ただ一人だと言うのなら 解脱を伝える意味などないでしょう。 その考えでは釈迦が悟りについて弟子に語ったのは 自分の自尊心や虚栄心を満たすためになってしまいますよ。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/40
41: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 13:53:24.92 ID:KdJm2Xtl 壱 尋 牛 頌 茫々(ぼうぼう)として草を撥(はら)って去って追尋す。 水濶(ひろ)く山遥かにして路更に深し。 力尽き神(しん)疲れて覓(もと)むるに処なし。 但だ聞く楓樹(ふうじゅ)に晩蝉(ばんせん)の吟ずるを。 十牛図の第一は尋牛位(牛を尋ねる位)で、いよいよ自己の本質・本来の自己(牛)を求めようとする心が起きた段階である。 これを初発心(しょほっしん)と云うが、実に尊く美しい心である。この地球上に何十億という人々が生活しているが、 自己の本質が完全円満・無限絶対であることを知る人はごく僅かである。ましてこの事実を悟り身につけている人はほとんどないと云っても過言でない。 幸い我々は正伝の佛道にめぐり会って、この修行の第一歩を踏み出すことができた。何と美しく尊いことではないだろうか。 さて我々の本質が完全円満・無限絶対である事実をこの地球上で初めて悟ったのはお釈迦様である。 悟ってみると完全円満なる自己(牛)はどこにも行かない。元々身に備わっているのであるから追い求める必要はなかったと宣言されたのである。 衆生本来佛とはこの事実を示したものである。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/41
42: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 13:58:38.09 ID:nMhoYqXR >>41 まさしくその通り。 お釈迦様もいい事言うねえ。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/42
43: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 13:58:46.61 ID:KdJm2Xtl だが現実の我々はどうであろうか。どこが完全円満でどう無限絶対なのか皆目見当がつかない。 どう考えても不完全不十分で五十年か八十年のはかない命の有限相対の存在としか思えない。 それは何故かと云うと、 本来の自己とはこれ何者ぞ!と追求しこれに目覚めること(覺)に背を向けて、 自分の外の客観界ばかり追い求めているから、 ますます本来の自己と疎遠になってしまう。 この分別妄想の塵に向かうと、次から次へと分別妄想を追いかけて、限りなくその塵にまみれてしまって遂に本来の自己を全く見失ってしまう。 坐禅をする人達が正に落ち入る誤りはこれである。何が見えても聞こえてきても頭に浮かんでも、 一切相手にせずたゞ「無字」ばかりとなる実践的修練をせず、自分の外に無字があると思って、それを観念的に把えようとして、 次から次へと頭に浮かぶ想念を追いかけてとゞまるところをしらない。そして求むべき無字(本来の自己)はどこかへ行ってしまう。 從って何年経っても無字を手に入れることができない。 そして自分の古里の家や山(本来の自己)は遠く離れてしまって、もと来た路がわからなくなってしまう。 そこで帰ろうにも帰る路がわからなくなって岐路(わき路)へ入ってしまい、本来の自分とはますます違った方向に行ってしまう。 どんなわき路かというと、利害得失の念がますます強くなって、その立場からあれが良くてこれが悪いと、 強い批判の心が鋒(ほこさき)のように鋭く起きてくる。 物質的な世界では満足せず、何かしっかりした精神的基盤を確立しようとして、尋牛の位にたどりついたのであるが、 坐禅の仕方を間違えると、忽ち岐路に入ってしまって却って坐禅をしない方がよかったという結果になってしまう。 從って参禅に当っては正しい師匠を選ぶことが大切であるとともに、常に厳しい自己反省心を持って修行することが不可欠である。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/43
44: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 13:59:24.35 ID:KdJm2Xtl それでは廓庵(かくあん)禅師の頌を味わうこととしよう ● 茫々(ぼうぼう)として草を撥(はら)って去って追尋す。 次から次と出てくる分別妄想の草を追い払おうとして一生懸命牛を追いかけて無字の拈提をする。 足は痛くなる膝もつまってくる。午後になると眠気も出てくる。経行(きんひん)で足をほぐし、 顔を洗って眠気をさます。気を取り直して、再び無字の拈提に挑戦する。 ● 水濶(ひろ)く山遥かにして路更に深し。 どこまで行っても、川の水は広く續き、山並みは遥かに續いて、 これでよいというところに来ない。 壁に向かってたゞ坐るだけ。 こんなことをしていて果たして人生問題の解決など出来るのであろうか。 思いは千々に乱れて深い路に入ってしまう。 ● 力尽き神(しん)疲れて覓(もと)むるに処なし。 体力も尽き果て、精神も疲れ果ててしまった。どうしてよいかわからない。 これ以上何をどうして求めればよいのであろうか。実地の修行をした人でなければこのような境地はわからない。 しかし実はこゝは大死(だいし)一番底(てい)と云って宝所(ほうじょ)近きにありと云える非常に大切な状態である。 ● 但だ聞く楓樹(ふうじゅ)に晩蝉(ばんせん)の吟ずるを。 夕方になる。楓の木で蝉が「ミーン・ ミーン」としきりに鳴いている。この声を聞くとこちらが泣きたくなる。 ああ!これで今日もまた空しく暮れようとしていると。 幾度かこのような思いを経験しなければ、眞の自己を見出すことはできない。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/44
45: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 14:10:06.09 ID:nMhoYqXR >>43 >本来の自己とはこれ何者ぞ!と追求しこれに目覚めること(覺)に背を向けて、 自分の外の客観界ばかり追い求めているから、 ますます本来の自己と疎遠になってしまう。 このために「空」とか「無」が必要になるんだよね。 世界が「空」や「無」だと分かってしまえば 外の世界に求めるものがないと分かって外の世界に求めるのを止めるもんね。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/45
46: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 15:42:03.02 ID:KdJm2Xtl うんちゃ! http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/46
47: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 15:43:47.83 ID:KdJm2Xtl 弐 見 跡 頌 水辺林下跡(あと)偏(ひとえ)に多し。 芳草離披(りひ)たり見るや也(ま)た麼(いな)や。 縦(も)し是れ深山の更に深処なるも、 遼天の鼻孔(びくう)怎(な)んぞ他を蔵(かく)さん。 見跡位とは牛の足跡を見つけた段階である。見跡とは一般的には、 お経を読んでその意味を理解するとかお釈迦様はじめ歴代の祖師方の教えをいろいろ参究して、その体驗の内容を思想的にわかった段階を云う。 すなわち牛の居ることを頭で理解した段階である。 しかし実地の修行においては、無字の拈提を一生懸命やっていくと、初めは自分と無字が別々であったものが、 次第に軌道に乗ってきて無字の拈提が深くなり、自分と無字とが一つとなり、この調子でいけば自分も見性(けんしょう)できるに違いないという、 一種の確信に似たものが出てくる。そこでなお一層無字の拈提に力が入ってくる。こうした段階が見跡位である。 さて牛の存在が思想的にわかるというのはどういうことかと言えば、 色即是空すなわち天地萬物がすべて空であるという道理がわかったということである。 この空性がわかると、天地萬物一切が自分だという、この道理もわかる。 「天地と我と同根、万物と我と一体」と肇法師も云っているが、しかしこの道理がわかった自分がいる。 この自分がいる限り、本当の空性も、「天地と我と一体」の本当の境地もわからない。 そこで色即是空の事実を自分自身で確かめる必要がある。それには只一つ。無字の拈提に全力を捧げ、 只自己を忘じて無字ばかりという実践が必要である。この実践を続けていくと、何かの機会に自分が完全にカラッポでどこにもないという事実と、 カラッポだからすべてが自分であるという事実が手に入るのであります。この実践と体驗が無い限り、 それは観念禅であり思想禅あることを知らねばならない。 この観念禅・思想禅のトリコとなっている段階の人をひっくるめて見跡位の人と云うのである。禅を学問的に研究する人は、 それがどんな精細な研究であっても、すべて禅の実践面からすると一括してこの見跡位の人と云う。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/47
48: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 15:44:32.92 ID:KdJm2Xtl それでは廓庵禅師の頌を味わうことにしよう 。 ● 水辺林下跡(あと)偏(ひとえ)に多し。 水辺にも林の下にも、至る所に牛の跡が見える。理論的には「色即是空、空即是色」であり、 「天地と我と同根、 万物と我と一体」であるが、実践面では無字の拈提に当たって、 一單提一單提が全部牛の足跡である。 ● 芳草離披(りひ)たり見るや也(ま)た麼(いな)や。 香りの良い草が、そこら中に拡がり繁って風に吹かれているが、それが見えるかどうかと我々にせまっている。 天地万物の一つ一つが、そっくりそのまま眞の事実の丸出しであるが、それがわかるかどうか。 頭では一応わかるが、本当のことはわからんだろうなと云っている趣がある。 ● 縦(も)し是れ深山の更に深処なるも、 ムームーと本来の牛を追いかけていくと、その牛は追えば追う程、山又山と奥に入っていってしまう。 無字はそれを外に眺めて追いかけようとすると、どこ迄も遠くに行ってしまう。ここが非常に大切なところであって、 無字を外に眺めて追い求める拈提ではいけない。只々無字に成り切っていく拈提でなければいけない。 ● 遼天の鼻孔(びくう)怎(な)んぞ他を蔵(かく)さん。 だが一寸待って貰いたい。ムームーと一つ一つの牛の鼻面をつかむ拈提の一つ一つが、そのまま牛 (眞の自己)そのものではないか。 それはどこにも蔵(かく)しようがない事実ではないか、と我々に警告している。 実地に着実に修行していくと、初めは何が何だかわからなかったものが、次第に坐禅の足の組み方手の 置き処、姿勢の保ち方から始まって、 呼吸の整え方、無字の拈提の仕方がわかってくる。 二月三月(ふたつきみつき) 乃至半年一年と続けていくと次第に心も落ち着いて、 坐禅工夫の仕方自体が深まりを増してくる。そしてこの工夫を 続けていけば、自分も見性ができるに違いないという確信が湧いてきて、 ますます熱心に坐禅に励むようになる。 思想的にも明確となって少々のことでは坐禅に対する信念はゆるがなくなってくる。 体驗的には未だ本物の牛を つかまえてはいないが、坐禅修行の軌道は完全に敷かれた。これが見跡位の段階である。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/48
49: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 15:45:01.79 ID:4IDZqdiz >>45 本来の自己とは何かね? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/49
50: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 15:46:47.24 ID:5MA2075L ウシ? 牛はうまい。 以上。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/50
51: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 15:50:47.68 ID:nMhoYqXR >>49 今のあなたの他にいないねえ http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/51
52: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 15:52:39.48 ID:4IDZqdiz >>51 今の自分とは何かね? じゃあ過去の自分は自己じゃないのかね? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/52
53: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 15:57:54.76 ID:nMhoYqXR >>52 過去は存在していないから 過去の自分も存在してないよ http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/53
54: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 15:59:06.69 ID:4IDZqdiz 前スレ992はせったんの言葉だな。流すのがもったいない。 無字の公案とか眉間に意を置くとか、アルファ波の追求とか、いろいろあるんですが なにかしら手段を取ると手段倒れです 悟ったと云いながら悟りというものを持ち それによって人生をしきってもって、結局は生活そのものにならない。 お釈迦さまにはなんの手段もなかったんです、あらゆる一切事において、仏だったんです。 ちらとも手段を仮ると仏にならない、仏教という木偶に巣食う虫です。 まるっきり手つかずの法しかないんです。 なぜかといって、私たちの生活このありようがまるっきり手つかずに出来ているんです。 悟りおわって悟りなし、廓然無聖がらっとこう個々別々なんです ヒエラルキ−やカルト教団ではないんです。 人みな知らん人になって下さい 花のように知らないって云うんです。 そうして初めて人間も地球の仲間入り、いったん人間を卒業するんです。 やさしいって云えば元の木阿弥、難しいって云えば、一句を持って来なさい 是は是、不是は不是。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/54
55: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 16:02:16.43 ID:nMhoYqXR >>54 何が言いたいのかさっぱり分からない。 今日のポエムか? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/55
56: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:05:25.24 ID:4IDZqdiz >>55 あんたのやり方自分が他人に精神病のリスクを 犯させてると自覚したほうがいいよ。 これ以上業を重ねるな。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/56
57: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 16:11:27.38 ID:nMhoYqXR >>56 おかしいと思ったら聞き流せばいいんじゃないの おれの言葉に惑わされちゃダメだよ http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/57
58: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:15:44.21 ID:4IDZqdiz >>57 そうだな。 あんたは空病患者の見本だ。 何が面白いのかしらんが。 で、過去がないなら「本来」という言葉そのものが成立しないよな。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/58
59: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 16:20:42.78 ID:nMhoYqXR >>58 >過去がないなら「本来」という言葉そのものが成立しないよな。 どうしてそうなるの? なんで過去がないと「本来」という言葉が成立しないの? でも、空病患者っておもしろい言葉だね。 おれが空病患者なら釈迦は無病患者だね、JAJAJA。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/59
60: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:28:35.57 ID:4IDZqdiz >>59 では定点、何時何分何秒に本来の自己があって、 過去になったら本来の自己がいなくなる。 その時は本来であって次のときが本来でなくなるなら、 本来って何時にあるんだってなる。 あってなくなるもの、こんなもんが本来か? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/60
61: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 16:29:22.32 ID:nMhoYqXR 今日のポエム。 過去の自分と今の自分、両方自分のはずなのに ここにいるのは今の自分 過去の自分はどこに行ったの? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/61
62: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:39:46.17 ID:4IDZqdiz >>61 本来が身体なら30年前の自己と今の身体は細胞の一つも変わらず同じとなる。 感情が本来なら笑っているときの、泣いてるとき精神は同じだということになる。 知識が本来なら、誰でも東大に入れるだろう。 意志が本来なら、子供のときの目的と大人の目的 顧客の目的と売り手の目的は同じになる。 で、きみのいう「何」をもって本来とすべきかね? 本来というのは変わらないもの、それが何か示してくれんかね? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/62
63: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 16:39:57.26 ID:nMhoYqXR >>60 今には確かに自己がある。 過去になったとたんに世界ごと消滅する。 全ての事象は過去や未来に無く、今にある。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/63
64: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 16:41:37.54 ID:KdJm2Xtl うんちゃ! http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/64
65: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:42:29.41 ID:4IDZqdiz >>63 だから、どこをもって自己というのかね? 具体的にどれ? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/65
66: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 16:43:45.00 ID:nMhoYqXR >>62 「ここにいる」って感覚かな、言葉にして一番近いのは・・・ http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/66
67: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:44:30.63 ID:4IDZqdiz >>66 その感覚は常時ありますか? 寝てる間も?食べてる間も?テレビ見てる間も? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/67
68: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:45:39.12 ID:qfS11skS さあ、どんどんキチガイじみてきましたよっと。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/68
69: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 16:46:00.60 ID:nMhoYqXR >>62 でも「ここ」って特定のどっかじゃないんだよなあ・・・ http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/69
70: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 16:46:37.31 ID:KdJm2Xtl 頌 枝上一声々。 日暖かに風和して岸柳青し。 ただ是れ更に廻避する処なし。 森森たる頭角画けども成り難し。 見牛とは牛即ち本来の自己をはっきり見た段階である。本来の自己をはっきり見るとはどういうことかというと、 今迄自分というカタマリ(自我)があると思っていたのが、本当は全く中身カラッポで自我なぞというカタマリは全く無かった! という事実を体験することである。 この体験は、多くは声より入るのが一番である。無門和尚は太鼓のドドーンという音を聞いた途端に大悟したし、 香嚴和尚は一生懸命庭の掃除をしている間に、箒にはさまった石が勢いよく飛んでいって竹に当たり、カチーンという音を聞いた途端に今迄の迷いが一度に吹き飛んで、 本来の自己に契当したというように、声に従って得入する例が多いのである。 このようにして本来の自己を悟ってみると、「見るもの聞くもの一つ一つが、そのまま真の自己である」という水源に達する。 要はこの真の体験が大切であって、一寸でも観念が入っていては、本当の見性(見牛)ではない。 これをもう少し詳しく云うと、六根と言われる眼・耳・鼻・舌・身・意の六つの感覚器官とそれに対する色・声・香・味・触・法の六境、 この六根が六境に相対して起こる心の働きの眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識の六識―――これら一つ一つが、中身カラッポの真の事実・真の自己であって、 その間に全く差が無いということがわかるということである。 この六根・六境・六識ばかりではない。 立つ・坐る・泣く・笑う・食べる・飲む・滑る・ころぶという一切の動きも本来の自己・真の事実の牛全体が丸出しになっているというのが本当である。 この中身カラッポの真牛の有様は、丁度海水中の塩味や絵の具のニカワのように表面からは全くわからない。 普通の人は海水とか絵の具という表面の姿しかわからないが、悟ると海水に塩味があり絵の具にニカワがあって、 それが本来の働きをしていることに気付くのである。この海水を海水たらしめている塩味、絵の具を絵の具たらしめているニカワがはっきりわかると、 確信を持ってこれが牛(本来の自己)だと云うことができるし、今までの見方も完全に一変するのである。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/70
71: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:47:26.67 ID:4IDZqdiz >>69 よのような不確かなものをもってきて「本来の」と主張するわけですか? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/71
72: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 16:47:34.07 ID:KdJm2Xtl それでは廓庵禅師の頌を拝見しよう。 ●枝上一声々。 こうおうは鶯である。鶯が枝にとまって、ホーホケキョーと声高らかに鳴いた。見牛(見性)はこのように、 テッキリハッキリしたものでなければならない。無門和尚のドドーンであり、香嚴和尚のカチーンである。 「天地万物一つ一つが無字の展開です」なぞという理屈を室内に持ってくる限り本物ではない。 理屈・観念・思想は禅の模型であって禅そのものではないことを師学共に心すべきである。従ってこの点検が特に大切である。 ●日暖かに風和して岸柳青し。 真の見牛(見性)の体験をしてみると、初めて自我の桎梏から離れて、事実を事実としてありのままに見ることができる。 その肩の荷を下ろした有様は、丁度春の日ざしがポカポカとして、そこへ心地よい風がそよそよとこれに和し、 両岸の柳が青芽を出してゆったりと枝がゆれている様子に似ている。 ●ただ是れ更に廻避する処なし。 このうららかな春の景色で表現される真牛は、只眼に見、耳に聞く世界(人空)だけではない。 我々を取り巻く環境すべてが真牛そのもの(法空)であって、全宇宙が牛そのものである。こうなると、この牛から逃げようと思っても逃げようがない。 ●森森たる頭角画けども成り難し。 森森と盛んに活発々に現れる真牛の活動は、何時どんな風に現れるかは、だれも予測できないし、画きようも表現しようもない。 だがここで心しなければいけないのは、このような体験をすると、まるで鬼の首でも取ったような気持ちとなり、 何時の間にかこの体験を鼻にかけ自慢して、修行を怠り師匠もないがしろにして、却って禅なぞやらない方が良かった結果になることがあることである。 見牛は未だ第三段階で、向上更に向上の道があることを知らねばならない。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/72
73: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:48:48.75 ID:YhDrZKsy かなり、深いような、どっちでもいいような、、、 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/73
74: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:48:59.43 ID:qfS11skS >>69 逃げるな。 言語に最後までしがみつけ。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/74
75: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 16:49:23.45 ID:nMhoYqXR >>67 あると思うけど普通に生活してる時は気にしてないよ。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/75
76: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 16:52:14.88 ID:nMhoYqXR >>71 俺にとってはハッキリした感覚だから、 不確かだとは思えないんだよなあ http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/76
77: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:54:28.29 ID:4IDZqdiz >>75 あると思う?映画に集中してるときでも? ここに俺がいるって? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/77
78: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:55:31.97 ID:qfS11skS >>76 ジャン=リュック・ナンシーはこう書いてるぞ。 物の何らかの物が、ただ思考と同じ水準に至るために、いったいどこまで思考を酷く扱わねばならないのか、 あるいはどこまで思考によって酷く扱われなければならないのか。 中途半端はありえない。続けることしかできない。 とにかく書け、馬鹿野郎が。 書けないなら黙れ、くそが。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/78
79: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:56:26.82 ID:4IDZqdiz >>76 心の引き出しから「出してきた」でなくて、 常に頭の中で「俺はいる、俺はいる、俺はいる」 って断続的につぶやいてるわけ? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/79
80: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 16:58:50.37 ID:YhDrZKsy どこいくんだ〜。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/80
81: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 17:00:40.65 ID:qfS11skS >>80 クリニックじゃないすか? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/81
82: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 17:06:25.70 ID:nMhoYqXR >>77 ここにいるって感覚が気になったのは最初の1週間くらい。 あとはあるのが普通だから気にはならないよ。 >>79 ここにいるって感覚はあるけど、俺とか私って感覚は無いね。 もう飯の時間だから一旦落ちるよ。 気が向いたらまた来るよ。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/82
83: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 17:08:20.59 ID:qfS11skS 辛くなるほど拙いな。 なんで問われたとたんに片言になるんだ? 独り言なら饒舌なのにw http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/83
84: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 17:09:44.13 ID:KdJm2Xtl うんちゃ! http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/84
85: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 17:09:47.95 ID:YhDrZKsy 食べ後は、ハミガキしろよ。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/85
86: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 17:10:22.17 ID:KdJm2Xtl 四 得 牛 頌 神通(じんづう)を竭尽(けつじん)して渠(かれ)を獲得す。 心強く力壮(さか)んにして卒(つい)に除き難し。 有時(あるとき)は纔(わずか)に高原の上に到り、 又烟雲の深き処に入って居す。 得牛位とは眞の自己である牛を、しっかり掴まえた位で、牛の正体が明瞭になった段階である。 「見牛」と云うのは牛を見ただけであるから、これで有頂天になって油断をしていると、牛はすぐに見えなくなってしまって、 只牛を見た(見性した)という記憶だけが残るという状態になってしまう。そこで見性したら、ますます熱心に参禅して、 その世界を更にはっきりさせていくことが肝心でありる。 ところがこの心牛は、長い間郊外の野原や山の中に埋もれていた。ということは二元対立の現象界に埋もれて、 その味が忘れられないので、中々引っぱり出すことができなかった。しかし、 長年の修行の結果、漸く今日その牛を掴まえることができた、というのが得牛の位である。 さてその眞牛を掴まえたということはどういうことかと言うと、自分の心の実体が全くカラッポであること、 実体がカラッポであるから何にでもなりうる無限の能力を備えていることが観念を通さずにはっきりするということである。 般若心経でいう「色即是空」とは、この事実を云うのであって、思想や観念ではない。ここまで来ると牛を見失うことはなくなってくる。 ところが長年住みなれた二元対立の世界は大変住み心地が良いので、中味カラッポという眞牛は、 何時の間にか自分を離れて環境のトリコとなってしまう。そしてそこにうづくまって、中々そこから出ようとしない。 我々が旧来の二元対立の世界に執われる心は、非常に頑固であるばかりでなく、すぐにあばれ回る習性を持っている。 そして自分の外に何となく客観界があるように見えて仕方がない。本来自分の心の実体がカラッポ(心空)であることがわかれば、 客観界もすべてカラッポ(法空)であることがわかる筈であるが、これが中々うまくいかない。 そこで益々刻苦勉励して法空の世界を更に明らかにしていかねばならない。 人空、法空が手に入ってはじめて全宇宙一人きり(天上天下唯我独尊)の眞の得牛の世界が明らかとなる。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/86
87: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 17:11:06.48 ID:KdJm2Xtl それでは廓庵禅師の頌を味わうこととしよう。 ● 神通(じんづう)を竭尽(けつじん)して渠(かれ)を獲得す。 眞牛を見つけた(見牛)ので、やれ嬉しやと勇気百倍、その牛を現実に手に入れようと精神を鼓舞して、 一生懸命追いかけていった甲斐があって、ようやくその牛の鼻づらを掴まえることができた。 ● 心強く力壮(さか)んにして卒(つい)に除き難し。 ところが、その心牛を掴まえてみると、この牛は二元対立の分別を求める心が強く、盛んに自己を主張し、 他を認めてその世界にとらわれ、せっかく明らかにした中味カラッポの手綱が、ともすると切れそうになってしまう。 自他対立の悪習性は、長年にわたってついたもので、中々その空性はわかっても云うことを聞かないのが現実である。 そこでますます熱心に坐禅に励まなければならない。 ● 有時(あるとき)は纔(わずか)に高原の上に到り、 その云うことを聞かない有様を云ってみると、ある時は(これはほんの一寸の間であるが)、得牛の悟りの頂上に立って、 空の世界にとどこおって、衆生を度せんとするに衆生無しと云う世界に執着し、俺程深い悟を開いた者はおるまいと高慢となり、 この状態に心を奪われて自由がきかなくなることがある。たしかにこのような徹底した空性を体験する人は少ないし、 この世界を体験した喜びは比較を絶しているが、この世界に執着すると独りよがりの禅病患者であり、 衆生済度の役には全く立たない無用の長物となってしまうのである。 ● 又烟雲の深き処に入って居す。 もう一つの云うことを聞かない有様は、烟雲と称すべき二元対立の魔境に、すぐに戻ってしまって、 そこから抜け出せなくなってしまうことである。それも俺は人の出来ない悟を開いたという自意識が一層強くなっているから、 却って悟らない人より頑固となり、自己主張が強くなって、手に負えない状態となってしまう。 古来禅天魔と云われて警告されているのは、このようなケースが幾つも過去にあったからであろう。 これから抜け出す道は、悟ったらますます謙虚になって、坐禅に励むことである。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/87
88: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 17:12:15.72 ID:qfS11skS こいつはこいつで独り言が酷いなww http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/88
89: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 17:27:13.05 ID:lmJB6eVI だからぁ、「ウシはうまい」 これで、いいじゃん? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/89
90: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 17:35:44.61 ID:qfS11skS >>89 たしかにウシは肉もうまいが牛乳だってあるからな。 むしろウシの本質は乳じゃないんか? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/90
91: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 17:36:08.64 ID:YhDrZKsy なるほど〜。そういうものなのか〜。 思いあたるな〜。ふつうの世界で、自分なりに確かめながら生活してるが、二元対立の魔境から離れることは、今のトコロできない。離れてしまったら、生活するのが大変になる。ので、二元対立の中間にいようといった今日この頃。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/91
92: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 17:40:53.48 ID:4IDZqdiz >>91 何から離れると大変になるの? 具体的に何をしているときに何から離れたら大変になるか、 説明お願いします。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/92
93: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 17:46:43.94 ID:qfS11skS >>91 クリニックに池。 薬をもらえ。 楽になるからな。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/93
94: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 17:47:54.64 ID:YhDrZKsy 92、二元対立は、真理、世俗 の二つの世界。 日々生活していくうえで世俗から離れてしまっては大変だということ。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/94
95: 机龍之介 ◆b5VIxRNE/I [sage] 2011/07/06(水) 17:52:58.32 ID:0ZlqqrLK >>54 >悟ったと云いながら悟りというものを持ち >それによって人生をしきってもって、結局は生活そのものにならない。 知識や論理といった対立(相対)という構図において、その論理性の破壊ということをしたとしても、 それが一転して非論理性を帯びる。→いわゆる頓悟です。 ですから「悟った」という段階においては、まだ悟っておらんということですね。 矛盾のさらに矛盾において「悟った」となりますが、 これはさらには「悟っておらん」といういことになり、 つまり「悟る」と「悟らない」は言語における特殊用語でして、唯一対立しない。 ってことになりますね。 つまり、矛盾としてしか自己とは成り得ないが、この矛盾をいかにして解決するか?ってことですね。 非合理性を合理性として成り立つ。ということです。 これだと漸修漸悟ですと限界でしょう?→(北宗禅の限界) やはり頓修頓悟じゃないとね。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/95
96: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 17:54:16.13 ID:qfS11skS >>94 お前も真理とやらをゲットンしたんかwwww 石投げたら当たるくらいおるもんだな。 ありがたみねーなーwwwwww http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/96
97: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 17:55:24.33 ID:qfS11skS また毛虫が来ちゃったよorz http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/97
98: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 17:56:58.90 ID:qfS11skS >>95 「特殊用語」の定義を教えてくれ。 意味がわからん。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/98
99: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 17:58:22.04 ID:4IDZqdiz >>94 その「世俗」を具体的にお願いします。 その具体的なものに対する意識は断続的に持ち続けるべきか?(離れてはいけないか?) もお願いします。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/99
100: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:00:28.48 ID:YhDrZKsy 95、言っていることはわかるが、"最後"まで行ったらここには来ないんじゃないかな。その間があるし、"その間"でもけっこう、楽になれる、でもイイんじゃない。つまづいたら、つまづいたで、自業自得。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/100
101: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:07:55.63 ID:YhDrZKsy 99、字、出てこない、"しょうぎたい" でないのが世俗。離れたり、つなげたりの二元対立。離れるか、離れないかは、その時、その時、決めればイイ。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/101
102: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:10:05.89 ID:4IDZqdiz >>101 すみません。 文字の世界ではなくて、現世の具体的な例でお願いします。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/102
103: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:12:20.47 ID:O6cSJkxn 鬼和尚さま 先日数息観はある程度の緊張感をもって集中したほうがよいかと 質問させて頂いた者です。その際は、ご回答ありがとうございま した。 やや緊張感を持って、鼻先や呼吸に意識を集中させる数息観を続 けております。だいぶ、コツも分かってきました。 この、呼吸なのですが、横隔膜での通常呼吸、さらには腹式呼吸 や胸式呼吸などありますが、鬼和尚さんのお勧めはありますか? 腹式呼吸は健康にもいいそうなので数息観時に腹式呼吸にてして ますが…、結構疲れますよね(^^ゞ 更に… >ある程度集中できたら観察をしていいのじゃ。 のある程度とは、 >行が深まり、潜在意識が見えてくるようになったのじゃ。 のような状態でしょうか? 潜在意識が見えてくるというのがイマイチ分かりません。通常顕在 意識しか認識できないところ、集中により自我の思考が停止すると、 潜在意識まで認識できるようになるということなのでしょうか? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/103
104: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:13:11.04 ID:4IDZqdiz 鬼さんこんにちわ。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/104
105: 机龍之介 ◆b5VIxRNE/I [sage] 2011/07/06(水) 18:13:19.13 ID:0ZlqqrLK >>98 言語は対立概念において成り立ちますね。 ですから、表記上においては「悟る」と「悟らない」は対立しますけど、 その語義について、どこまでも解釈していくと対立しないことになる。 これはインド哲学の特徴ですね。 非合理性はそのまま合理性になるからです。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/105
106: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:14:14.01 ID:qfS11skS 安価くらいできんのか。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/106
107: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 18:14:52.95 ID:KdJm2Xtl うんちゃ! http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/107
108: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 18:19:50.86 ID:KdJm2Xtl 五 牧 牛 頌 鞭策時々身を離れず。 恐らくは伊(かれ)が歩を縦(ほしい)ままにして埃塵(あいじん)に入らんことを。 相将(ひき)いて牧得すれば純和せり。 羈鎖(きさ) 拘(とど)むることなきも自(おのずか)ら人を逐う。 牧牛位とは真牛である本来の自己を、漸く得牛位で手に入れたものを、 そこで安心せず必死になってそれを馴らして自分のものにしていく段階で、非常に大切な過程である。 真牛を掴える(得牛)ということは、前回述べたとおり、 自分の心の実体が全くカラッポであること(人空)と同時に宇宙万物がそのままで 全くカラッポであること(法空)を事実として掴むことであるが、 このような悟りを開いたからといって、我々の観念・妄想が直ちに全くなくなるわけではない。何か一つの観念が一寸でも起きると、 次から次へとその後に続く想念が出てきてとどまるところを知らない。特に得牛の体験がはっきりしている程、 この世界を手に入れたことへの想念が忘れられず、次から次へとこの体験を鼻にかける思いに陥入りがちになる。 そしてそれを自慢して、禅を吹聴したり、やたらと人の指導をしたがるような弊に陥入るのである。 このように次から次へと湧き出てくる想念・分別の本質は何か。勿論それはそのままで本来カラッポであって実体が無い。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/108
109: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:20:59.65 ID:YhDrZKsy 102、ふつうに生きてりゃ、笑ったり、泣いたりするだろう。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/109
110: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 18:23:50.01 ID:KdJm2Xtl その事実に本当に安住することができれば、その一つ一つが真の自己そのものとなるのであるが、我々人間というものは、 悲しいことに自分が体験したことにどうしても執着してそれを放さないという習性を持っている。特にそれが得牛という、 普通の人では仲々手に入らない境地を得てみると、俺程すばらしい体験をしたものはいない。もしかするとお釈迦様以上の体験ではないかと、 次から次へと思い上った想念が湧いてきてそれに執着し、遂にそれが新たな迷いの基となってしまうのである。 我々は常に主観・客観の二元対立の世界しか見えないが、客観界が現実にあるから「有る」という観念が出てくるのではない。 「客観界が有る」と心に認識するから「有る」のであって原因は「心」に在るのが事実である。そこで得牛を体験した自分という心が生ずるため、 その高慢さに対する境が生じてそれ相応の客観界が現れる結果となる。本来得牛の世界は、この客観界がカラッポ主観界もカラッポであって、 有無の生ずる余地は全く無い。そこで常にこの世界に安住するためには、どうしても牛の鼻に通した綱をしっかり引きつけて、 この牛が分別妄想の草を食べようとしたら「駄目、駄目」とどこまでも油断のない訓練調教が必要である。 その具体的方法は、どこまでも「ムー」の一本槍である。これが悟後の修行であって、考えようによっては、 悟る前の修行より数倍難しい。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/110
111: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:30:48.74 ID:YhDrZKsy まったく、サボってるわけではないが、それ程ハードコアにはなりたくない今日この頃。一所懸命、"駄目、駄目" してはいるつもり。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/111
112: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:35:33.42 ID:4IDZqdiz >>102 私とあなたの「勝義諦」の定義が異なっているようですね。 あなたの勝義諦は「心や感情を失っている」 ということでしょうか? それならば、職務中や学業中などの特殊な状況を除いて 102、ふつうに生きてりゃ、笑ったり、泣いたりする というありのままの感情に何か都合が悪い事が起こるでしょうか? という質問に変えます。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/112
113: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:37:53.18 ID:4IDZqdiz すみません>>112は>>109さんあてで。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/113
114: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:42:12.63 ID:YhDrZKsy 112、異なっているようですが、あなたの勝義諦はどのようなものでしょうか。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/114
115: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:46:38.51 ID:4IDZqdiz >>114 私の考える勝義諦の内容を述べることはできませんが、 「究極においての真理」として「そのまま誰にでも説いてはいけないもの」 と解釈しております。 説いて良い者になる手段のために「世俗諦」が説かれていると、、いささか大乗寄りの考え方です。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/115
116: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:50:36.94 ID:4IDZqdiz >>114 なぜ異なっているというと、「感情」に対する解釈が異なるからでしょう。 例えばヴィパサナの結果としてあなたは「感情が失われたから好転した」よいうでしょう。 私は「あるのままの感情を受け入れたために好転した」というでしょう。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/116
117: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:56:12.30 ID:YhDrZKsy 115、116、今晩仕事なので寝ます。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/117
118: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 18:57:49.03 ID:4IDZqdiz お疲れ様でした。>>117 また暇つぶしに付き合ってください。 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/118
119: 神も仏も名無しさん [] 2011/07/06(水) 19:04:12.12 ID:sPcFRcWE >>116 好転してるんだったらどっちでもイイんじゃね http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/119
120: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 19:38:20.84 ID:4IDZqdiz >>119 「どうでもいい」 素晴らしいですね、あなたはVagabondのお仲間ですか? 「これでいいのだ」 http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/120
121: 忍法帖【Lv=20,xxxPT】 [sage] 2011/07/06(水) 19:44:19.55 ID:SZE4qYyV 鬼和尚 出口王仁三郎 山岡鉄舟 肥田春充 という方々は本当に悟っていたのでしょうか? あと、以前ナザレのイエスは悟っていなかったといわれてましたが 私はイエスさんは悟っていたような気がするのですが答えは同じでしょうか? http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/121
122: 神も仏も名無しさん [sage] 2011/07/06(水) 19:46:48.25 ID:z7oPqnYj おお、2000年に一度現れるお方の お言葉を拝聴しようではないか http://wc2014.5ch.net/test/read.cgi/psy/1309832792/122
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