[過去ログ] 【仏教】悟りを開いた人のスレ96【天空寺】 (1001レス)
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3: 2011/07/05(火)11:29 ID:HkoWRdCD(3/4) AAS
数息観のコピペじゃ。みんな修行に励むのじゃ。

 先ず静かな所に座り、鼻の頭に軽く意識を掛け、普通に息を吸って、ゆっくり長く息を吐いていくのじゃ。
 息を吐く時に、頭の中で一と数える。
 又、普通に息を吸い、ゆっくり長く息を吐いてニと数えるのじゃ。
 このようにして十まで数え、十まで行ったら今度は十から数を減らして行って、一に戻るんじゃよ。
 たまに長時間行うより、一日に五分でもよいから、毎日続けると不動心が身に付くのじゃ。
 夜の寝る前などに行うと、安らかに眠れるようにもなるじゃろう。

初めて数息観などをする者は、とにかくイライラして止めたくなったりするじゃろう。
 そんな時は一度、中断してストレス解消の運動でもするといい。すっきりしたら又続けるのじゃ。
 暫く修行をすると、今度は雑念に悩まされるようになるかも知れん。
省9
4: 2011/07/05(火)11:30 ID:HkoWRdCD(4/4) AAS
数息観によって集中力がついてきた者は観の行をするのじゃ。
 その前に観の行の前行である、観察の力と集中力を身につける観察の行をやるのじゃ。
 先ず、目の前に観察の対象となる物を用意するんじゃ。
 木でも花でも何でもいい。そしてそれを見て、細かく観察するのじゃ。
 最初の内は、心の中で言葉にしてもよい。

 例えば花なら花という言葉を使わず、
 「今、目の前にそれがある。それは薄い膜のような物が幾つも重なっている。それは赤い色をしている。
 それはふちが薄く、真中にいくほど厚くなっている。それの真中には細い糸が幾つも出ている・・・」
 などと観察していくのじゃ。

 出来るだけ細かく、普段なら見落としてしまうような事も、可能な限り観察するのじゃ。
省13
5: 2011/07/05(火)12:14 ID:nNse/v1N(1/4) AAS
またお前か。
立てるな、バカ。
6: 2011/07/05(火)13:03 ID:8xD8/s/d(1) AAS
>>1
乙かれ!
7: 2011/07/05(火)14:07 ID:HTRqxsYo(1) AAS
>>2

>否定されても発狂しない。
>否定されても発狂しない。
>否定されても発狂しない。
>否定されても発狂しない。
>否定されても発狂しない。
>否定されても発狂しない。
>否定されても発狂しない。

こんなことを書かないといけないスレに悟ったヤツなどおらんな。
8: 2011/07/05(火)14:12 ID:yaVKlHK6(1/2) AAS
ここは悟りという魔境に堕ちた者の集う所
9
(1): 2011/07/05(火)15:48 ID:IeXNWpaT(1) AAS
自分が消えてく時って怖いよね
10: 2011/07/05(火)15:52 ID:yaVKlHK6(2/2) AAS
>>9
怖いね。
11: 2011/07/05(火)15:52 ID:nNse/v1N(2/4) AAS
病気としか思えない。
12: 2011/07/05(火)16:33 ID:33VGU/Zs(1/2) AAS
なんもならん
外部リンク[html]:www.ne.jp
13
(1): 鬼和尚 ◆GBl7rog7bM 2011/07/05(火)19:49 ID:KcGe9FDh(1) AAS
>>1 ご苦労さんじゃ。お駄賃D縁、わしとご縁があるように。
14: 2011/07/05(火)23:08 ID:tdA1lCjz(1) AAS
悟りを開いた人のスレってここでいいんだよね。
いつものメンバー誰も来てないな。
15: 2011/07/05(火)23:22 ID:J5QM1475(1) AAS
こんでいい
16: 2011/07/05(火)23:23 ID:nNse/v1N(3/4) AAS
こんでいい。
17: 2011/07/05(火)23:29 ID:cCDl0weN(1/2) AAS
こんでええ。。
18: 2011/07/05(火)23:35 ID:JXINhePB(1/2) AAS
諸行無常じゃから いつものメンバー とか
そのようなものはないのじゃ。
日々新たなり。
19
(2): 2011/07/05(火)23:36 ID:JXINhePB(2/2) AAS
下層民はたちが悪く、言動に品がない。
そして周囲に迷惑をかける。

お釈迦様は言っている。
人の貴賤はその行いによって決まるのだと。

良民と浅眠に分け、扱いも住処も分けて
良民が浅眠に要らぬ深い、迷惑をかけられないような社会にする

これは仏教ですよね?
20: 2011/07/05(火)23:42 ID:cCDl0weN(2/2) AAS
ああ、それが仏教でええよ
21: 2011/07/05(火)23:55 ID:nNse/v1N(4/4) AAS
どうでもええよ。
22: 2011/07/05(火)23:59 ID:33VGU/Zs(2/2) AAS
>>13
いいかげん自分の会社の社員にだけ説いていろよ。
23: 2011/07/06(水)00:20 ID:sPcFRcWE(1/9) AAS
>>19
浅眠とは浅い眠りの事ですね。
24
(1): 2011/07/06(水)01:12 ID:m7cTOrcv(1) AAS
和尚様
前世の記憶というものが実在するのならば
昔の人々がどのような暮らしをしていたのか、
どのような言葉を喋っていたのかも分かるのではないでしょうか
悟りを得た人は数有れどそういったものに寄与した話を聞かないのは何故ですか
25
(1): 素人A 2011/07/06(水)06:35 ID:Nw0miqk9(1/2) AAS
今見えている世界がサスペンス劇場では内容で一安心か.へい平凡の普通の幸福と
普通の不幸せばかりの毎日今は繰り返し.進歩もない。死に向かって更新している。
太陽や月も毎日同じ事を繰り返しあきもせずまた朝だ。芸術作品の中で演じているんだ
と思い込めば.仏も詰まらないと物々ばかりでは無いか.さあとりあえずはまあよいばかり
何処に新しいものがあるのでしょうか?新しい物をほしがるのは鶴田浩二さん傷だらけの人生。
動画リンク[YouTube]
26: 机龍之介 ◆b5VIxRNE/I 2011/07/06(水)10:11 ID:0ZlqqrLK(1/3) AAS
>>25
ハードボイルド聴かせて頂きました。じゃあ、お礼と言ってはなんですが、
女の情念的なもんを、ひとつ僭越ながら・・・w

動画リンク[YouTube]
梶芽衣子・夢は夜ひらく
動画リンク[YouTube]
緑川アコ・夢は夜ひらく

藤圭子の「夢は夜ひらく」の歌詞は、たしか少年院の少女の「詩」かと記憶してます。
(現在は放送禁止歌だと思う。たしか・・・)
拙者は、どちらかというと梶芽衣子(硬派)の唄がいいですね。
省1
27: 2011/07/06(水)10:12 ID:KdJm2Xtl(1/38) AAS
うんちゃ!
28: 2011/07/06(水)10:42 ID:KdJm2Xtl(2/38) AAS
廓庵禅師 十牛図
提 唱

窪 田 慈 雲

十牛図はいわゆる牧牛図の一種で、我々の真の自己を牛に譬 えて、その牛を求め、捕まえ、馴らし、遂に求める自 分と牛とが全く一つとなり、
それも忘れて只の生活が できる過程を画で示したものである。我々の修行の道程を 具象的に明示しているので、自分の修行を自ら点検し 策励の指標とするのに大変役立つものである。
そこでこの十牛図を参究することにより、常に皆様自 身の修行を自ら点検し、自分が今どの段階にあるかを 反省する指標として役立てて頂きたい。

十牛図の作者廓庵師遠禅師は、大随元静禅師(1065〜1135)の法嗣で、臨済禅師より第十二代目 の法孫であるというだけで、生年寂年はじめその伝記 ははっきりしていない
。十牛図は十枚の図のおの おのにまず廓庵禅師が「頌」をつけ、その後その弟子慈遠 (一説では廓庵自身とも廓庵の友人とも云われる)が 「総序」と頌の一つ一つに「小序」をつけたもの と云われている。

さて、十牛図には童子と牛が描いてある。ここで 牛とは我々が求めている真の自己のことである。 この真の自己を観念や思想でなく、生きたまま捕まえ たいと切々たる思いの現象界の自分、それを童子で描 いている。
この童子は何時も何かを求めている。お金が欲しい、地位が欲 しい、名誉が欲しい。だが人生はお金だけてはない。
省5
29
(1): 2011/07/06(水)10:46 ID:KdJm2Xtl(3/38) AAS
十牛図はこの不完全・有限相対の自己(童子)が、 完全円満・無限絶対の自己の本性(牛)に目覚め、捕 まえ、馴らし、忘れ、
完全に人格化する過程を具体的 に示したもので、まさに実践の指針であって、観念思想 の対象ではないことを銘記すべきである。
そこで十牛 図の参究は実際に参禅し、足の痛い思いをして坐って、 真の自己を明らめようとする人にとっては極めて有効 であるが、
禅理のみを尊重し追究せんとする者に とっては、無用の長物であることを警告しておきたい。

従って今回の参究では、「総序」の解説は省略し各段階 の「小序」の精神を概説した後で、廓庵禅師自ら作られた 「頌」についてはその一句一句について逐語的に味わうこ ととしたい。
30: 2011/07/06(水)10:56 ID:D+O572Q+(1) AAS
   次回予告!!

「君は空円を見たか!?」
31
(1): 素人A 2011/07/06(水)11:04 ID:Nw0miqk9(2/2) AAS
分からないところまで行ってもまだ分かろうとして頑張るのは小○。
分からないものは分からない。私は全然そこまでも行ってない少しは前進せよ。
32: 2011/07/06(水)11:37 ID:nMhoYqXR(1/17) AAS
>>29
十牛図は実際良く出来てますね。
その通りの流れで事が進んでいきますから。
でも、4番目の得牛の段階で悟ってないといけないから、なかなか難しいんですよね。
33
(1): 2011/07/06(水)11:37 ID:qfS11skS(1/16) AAS
日本語が不自由過ぎて読むに堪えん。
悟り以前に小学校からやりなおせ、ボケナス。
34
(1): 2011/07/06(水)12:45 ID:nMhoYqXR(2/17) AAS
>>33
どこが不自由なのかをきちんと書かないと
脳の腐った人だと思われるよ。
35: 2011/07/06(水)12:51 ID:qfS11skS(2/16) AAS
安価つけてなかったな。
>>34、あんたのことじゃない。
>>31のことだ。
心配すんなカス。
36
(1): [???] 2011/07/06(水)13:12 ID:5JHkaVyl(1) AAS
大乗経典は、すべて釈迦とは何の関係もない。 富永仲基で、この説は現在も
論破されていない。
釈迦は、サトリをひらいてから、みずからを如来と称したが、べつに
えらぶってそう自称したわけでもなく、またその当時 如来ということばも
そのような神秘的意味はなかった。単に法(真理)と一体化した人、という
意味で、げんにこの人は、自分の死んだ高弟をよぶ場合も、如来という敬語
を使ったそうです。

大乗仏教では、釈迦は仏陀という真理そのものになる以前、一階級下の菩薩
の呼称でよばれていました。菩薩とは仏智を得るべく努めて、ほぼ完成に近い
段階の人ということです。大乗仏教以後、菩薩は観念化し、人を救うための
省7
37: 2011/07/06(水)13:27 ID:UFWBrqAm(1) AAS
原発事故の詳細な報告は一切されず、何かもうすべてが解決したかのようである。
何度も何度も安全であるとだまされ続け、それを住民は信用してしまった。
それは完全なカルト組織の洗脳術だったのである。
原発は、安全ではないので、事故が起きるのは当然だった。

何をしようとも、一切責任をとらないし、処罰もされない。
そして増税を勝手にやり、電気料金も引き上げ、さらにぼろ儲けをする。
汚職は続き、腐れ官僚や、汚職役人が甘い汁を吸い続ける。
日本以外の他国は納得しない。やがて日本はそれなりの追及を受けるだろう。
闇で支配している悪の官僚は、まったく何の影響も受けず、完全防備の要塞の中で平然としている。
原発事故は官僚が引き起こしたようなものである。
38: 2011/07/06(水)13:31 ID:NORj117o(1) AAS
>過去も現在も未来においても解脱できたのは(できるのは)釈迦さんただ一人と
>思わなかったのでしょうかね?

鬼和尚様がいるではないかw
39: 2011/07/06(水)13:40 ID:KdJm2Xtl(4/38) AAS
うんちゃ!
40: 2011/07/06(水)13:52 ID:nMhoYqXR(3/17) AAS
>>36
過去も現在も未来においても解脱できるのは釈迦ただ一人だと言うのなら
解脱を伝える意味などないでしょう。
その考えでは釈迦が悟りについて弟子に語ったのは
自分の自尊心や虚栄心を満たすためになってしまいますよ。
41
(1): 2011/07/06(水)13:53 ID:KdJm2Xtl(5/38) AAS
壱 尋 牛


茫々(ぼうぼう)として草を撥(はら)って去って追尋す。

水濶(ひろ)く山遥かにして路更に深し。

力尽き神(しん)疲れて覓(もと)むるに処なし。

但だ聞く楓樹(ふうじゅ)に晩蝉(ばんせん)の吟ずるを。
省7
42: 2011/07/06(水)13:58 ID:nMhoYqXR(4/17) AAS
>>41
まさしくその通り。
お釈迦様もいい事言うねえ。
43
(1): 2011/07/06(水)13:58 ID:KdJm2Xtl(6/38) AAS
AA省
44: 2011/07/06(水)13:59 ID:KdJm2Xtl(7/38) AAS
それでは廓庵(かくあん)禅師の頌を味わうこととしよう

● 茫々(ぼうぼう)として草を撥(はら)って去って追尋す。

次から次と出てくる分別妄想の草を追い払おうとして一生懸命牛を追いかけて無字の拈提をする。
足は痛くなる膝もつまってくる。午後になると眠気も出てくる。経行(きんひん)で足をほぐし、
顔を洗って眠気をさます。気を取り直して、再び無字の拈提に挑戦する。

● 水濶(ひろ)く山遥かにして路更に深し。

どこまで行っても、川の水は広く續き、山並みは遥かに續いて、 これでよいというところに来ない。
壁に向かってたゞ坐るだけ。 こんなことをしていて果たして人生問題の解決など出来るのであろうか。 思いは千々に乱れて深い路に入ってしまう。
省8
45
(1): 2011/07/06(水)14:10 ID:nMhoYqXR(5/17) AAS
>>43
>本来の自己とはこれ何者ぞ!と追求しこれに目覚めること(覺)に背を向けて、 自分の外の客観界ばかり追い求めているから、
ますます本来の自己と疎遠になってしまう。
このために「空」とか「無」が必要になるんだよね。
世界が「空」や「無」だと分かってしまえば
外の世界に求めるものがないと分かって外の世界に求めるのを止めるもんね。
46: 2011/07/06(水)15:42 ID:KdJm2Xtl(8/38) AAS
うんちゃ!
47: 2011/07/06(水)15:43 ID:KdJm2Xtl(9/38) AAS
弐 見 跡


水辺林下跡(あと)偏(ひとえ)に多し。
芳草離披(りひ)たり見るや也(ま)た麼(いな)や。 縦(も)し是れ深山の更に深処なるも、
遼天の鼻孔(びくう)怎(な)んぞ他を蔵(かく)さん。
見跡位とは牛の足跡を見つけた段階である。見跡とは一般的には、
お経を読んでその意味を理解するとかお釈迦様はじめ歴代の祖師方の教えをいろいろ参究して、その体驗の内容を思想的にわかった段階を云う。
すなわち牛の居ることを頭で理解した段階である。
しかし実地の修行においては、無字の拈提を一生懸命やっていくと、初めは自分と無字が別々であったものが、
次第に軌道に乗ってきて無字の拈提が深くなり、自分と無字とが一つとなり、この調子でいけば自分も見性(けんしょう)できるに違いないという、
省12
48: 2011/07/06(水)15:44 ID:KdJm2Xtl(10/38) AAS
それでは廓庵禅師の頌を味わうことにしよう 。

● 水辺林下跡(あと)偏(ひとえ)に多し。

水辺にも林の下にも、至る所に牛の跡が見える。理論的には「色即是空、空即是色」であり、 「天地と我と同根、
万物と我と一体」であるが、実践面では無字の拈提に当たって、 一單提一單提が全部牛の足跡である。

● 芳草離披(りひ)たり見るや也(ま)た麼(いな)や。

香りの良い草が、そこら中に拡がり繁って風に吹かれているが、それが見えるかどうかと我々にせまっている。
天地万物の一つ一つが、そっくりそのまま眞の事実の丸出しであるが、それがわかるかどうか。
頭では一応わかるが、本当のことはわからんだろうなと云っている趣がある。
省13
49
(1): 2011/07/06(水)15:45 ID:4IDZqdiz(1/23) AAS
>>45
本来の自己とは何かね?
50: 2011/07/06(水)15:46 ID:5MA2075L(1) AAS
ウシ?

牛はうまい。  以上。
51
(1): 2011/07/06(水)15:50 ID:nMhoYqXR(6/17) AAS
>>49
今のあなたの他にいないねえ
52
(1): 2011/07/06(水)15:52 ID:4IDZqdiz(2/23) AAS
>>51
今の自分とは何かね?
じゃあ過去の自分は自己じゃないのかね?
53: 2011/07/06(水)15:57 ID:nMhoYqXR(7/17) AAS
>>52
過去は存在していないから
過去の自分も存在してないよ
54
(3): 2011/07/06(水)15:59 ID:4IDZqdiz(3/23) AAS
前スレ992はせったんの言葉だな。流すのがもったいない。

無字の公案とか眉間に意を置くとか、アルファ波の追求とか、いろいろあるんですが

なにかしら手段を取ると手段倒れです

悟ったと云いながら悟りというものを持ち
それによって人生をしきってもって、結局は生活そのものにならない。

お釈迦さまにはなんの手段もなかったんです、あらゆる一切事において、仏だったんです。
省10
55
(1): 2011/07/06(水)16:02 ID:nMhoYqXR(8/17) AAS
>>54
何が言いたいのかさっぱり分からない。
今日のポエムか?
56
(1): 2011/07/06(水)16:05 ID:4IDZqdiz(4/23) AAS
>>55
あんたのやり方自分が他人に精神病のリスクを
犯させてると自覚したほうがいいよ。
これ以上業を重ねるな。
57
(1): 2011/07/06(水)16:11 ID:nMhoYqXR(9/17) AAS
>>56
おかしいと思ったら聞き流せばいいんじゃないの
おれの言葉に惑わされちゃダメだよ
58
(1): 2011/07/06(水)16:15 ID:4IDZqdiz(5/23) AAS
>>57
そうだな。
あんたは空病患者の見本だ。

何が面白いのかしらんが。

で、過去がないなら「本来」という言葉そのものが成立しないよな。
59
(1): 2011/07/06(水)16:20 ID:nMhoYqXR(10/17) AAS
>>58
>過去がないなら「本来」という言葉そのものが成立しないよな。
どうしてそうなるの?
なんで過去がないと「本来」という言葉が成立しないの?

でも、空病患者っておもしろい言葉だね。
おれが空病患者なら釈迦は無病患者だね、JAJAJA。
60
(1): 2011/07/06(水)16:28 ID:4IDZqdiz(6/23) AAS
>>59
では定点、何時何分何秒に本来の自己があって、
過去になったら本来の自己がいなくなる。

その時は本来であって次のときが本来でなくなるなら、

本来って何時にあるんだってなる。

あってなくなるもの、こんなもんが本来か?
61
(1): 2011/07/06(水)16:29 ID:nMhoYqXR(11/17) AAS
今日のポエム。
過去の自分と今の自分、両方自分のはずなのに
ここにいるのは今の自分
過去の自分はどこに行ったの?
62
(2): 2011/07/06(水)16:39 ID:4IDZqdiz(7/23) AAS
>>61
本来が身体なら30年前の自己と今の身体は細胞の一つも変わらず同じとなる。

感情が本来なら笑っているときの、泣いてるとき精神は同じだということになる。

知識が本来なら、誰でも東大に入れるだろう。

意志が本来なら、子供のときの目的と大人の目的
顧客の目的と売り手の目的は同じになる。

で、きみのいう「何」をもって本来とすべきかね?
本来というのは変わらないもの、それが何か示してくれんかね?
63
(1): 2011/07/06(水)16:39 ID:nMhoYqXR(12/17) AAS
>>60
今には確かに自己がある。
過去になったとたんに世界ごと消滅する。
全ての事象は過去や未来に無く、今にある。
64: 2011/07/06(水)16:41 ID:KdJm2Xtl(11/38) AAS
うんちゃ!
65: 2011/07/06(水)16:42 ID:4IDZqdiz(8/23) AAS
>>63
だから、どこをもって自己というのかね?
具体的にどれ?
66
(1): 2011/07/06(水)16:43 ID:nMhoYqXR(13/17) AAS
>>62
「ここにいる」って感覚かな、言葉にして一番近いのは・・・
67
(1): 2011/07/06(水)16:44 ID:4IDZqdiz(9/23) AAS
>>66
その感覚は常時ありますか?
寝てる間も?食べてる間も?テレビ見てる間も?
68: 2011/07/06(水)16:45 ID:qfS11skS(3/16) AAS
さあ、どんどんキチガイじみてきましたよっと。
69
(2): 2011/07/06(水)16:46 ID:nMhoYqXR(14/17) AAS
>>62
でも「ここ」って特定のどっかじゃないんだよなあ・・・
70: 2011/07/06(水)16:46 ID:KdJm2Xtl(12/38) AAS

枝上一声々。
日暖かに風和して岸柳青し。
ただ是れ更に廻避する処なし。
森森たる頭角画けども成り難し。

見牛とは牛即ち本来の自己をはっきり見た段階である。本来の自己をはっきり見るとはどういうことかというと、
今迄自分というカタマリ(自我)があると思っていたのが、本当は全く中身カラッポで自我なぞというカタマリは全く無かった!
という事実を体験することである。
この体験は、多くは声より入るのが一番である。無門和尚は太鼓のドドーンという音を聞いた途端に大悟したし、
香嚴和尚は一生懸命庭の掃除をしている間に、箒にはさまった石が勢いよく飛んでいって竹に当たり、カチーンという音を聞いた途端に今迄の迷いが一度に吹き飛んで、
省11
71
(1): 2011/07/06(水)16:47 ID:4IDZqdiz(10/23) AAS
>>69
よのような不確かなものをもってきて「本来の」と主張するわけですか?
72: 2011/07/06(水)16:47 ID:KdJm2Xtl(13/38) AAS
それでは廓庵禅師の頌を拝見しよう。

●枝上一声々。

こうおうは鶯である。鶯が枝にとまって、ホーホケキョーと声高らかに鳴いた。見牛(見性)はこのように、
テッキリハッキリしたものでなければならない。無門和尚のドドーンであり、香嚴和尚のカチーンである。
「天地万物一つ一つが無字の展開です」なぞという理屈を室内に持ってくる限り本物ではない。
理屈・観念・思想は禅の模型であって禅そのものではないことを師学共に心すべきである。従ってこの点検が特に大切である。

●日暖かに風和して岸柳青し。

真の見牛(見性)の体験をしてみると、初めて自我の桎梏から離れて、事実を事実としてありのままに見ることができる。
その肩の荷を下ろした有様は、丁度春の日ざしがポカポカとして、そこへ心地よい風がそよそよとこれに和し、
両岸の柳が青芽を出してゆったりと枝がゆれている様子に似ている。
省8
73: 2011/07/06(水)16:48 ID:YhDrZKsy(1/11) AAS
かなり、深いような、どっちでもいいような、、、
74: 2011/07/06(水)16:48 ID:qfS11skS(4/16) AAS
>>69
逃げるな。
言語に最後までしがみつけ。
75
(1): 2011/07/06(水)16:49 ID:nMhoYqXR(15/17) AAS
>>67
あると思うけど普通に生活してる時は気にしてないよ。
76
(2): 2011/07/06(水)16:52 ID:nMhoYqXR(16/17) AAS
>>71
俺にとってはハッキリした感覚だから、
不確かだとは思えないんだよなあ
77
(1): 2011/07/06(水)16:54 ID:4IDZqdiz(11/23) AAS
>>75
あると思う?映画に集中してるときでも?
ここに俺がいるって?
78: 2011/07/06(水)16:55 ID:qfS11skS(5/16) AAS
>>76
ジャン=リュック・ナンシーはこう書いてるぞ。

 物の何らかの物が、ただ思考と同じ水準に至るために、いったいどこまで思考を酷く扱わねばならないのか、
 あるいはどこまで思考によって酷く扱われなければならないのか。
 中途半端はありえない。続けることしかできない。

とにかく書け、馬鹿野郎が。
書けないなら黙れ、くそが。
79
(1): 2011/07/06(水)16:56 ID:4IDZqdiz(12/23) AAS
>>76
心の引き出しから「出してきた」でなくて、
常に頭の中で「俺はいる、俺はいる、俺はいる」
って断続的につぶやいてるわけ?
80
(1): 2011/07/06(水)16:58 ID:YhDrZKsy(2/11) AAS
どこいくんだ〜。
81: 2011/07/06(水)17:00 ID:qfS11skS(6/16) AAS
>>80
クリニックじゃないすか?
82: 2011/07/06(水)17:06 ID:nMhoYqXR(17/17) AAS
>>77
ここにいるって感覚が気になったのは最初の1週間くらい。
あとはあるのが普通だから気にはならないよ。
>>79
ここにいるって感覚はあるけど、俺とか私って感覚は無いね。

もう飯の時間だから一旦落ちるよ。
気が向いたらまた来るよ。
83: 2011/07/06(水)17:08 ID:qfS11skS(7/16) AAS
辛くなるほど拙いな。
なんで問われたとたんに片言になるんだ?
独り言なら饒舌なのにw
84: 2011/07/06(水)17:09 ID:KdJm2Xtl(14/38) AAS
うんちゃ!
85: 2011/07/06(水)17:09 ID:YhDrZKsy(3/11) AAS
食べ後は、ハミガキしろよ。
86: 2011/07/06(水)17:10 ID:KdJm2Xtl(15/38) AAS
四 得 牛


神通(じんづう)を竭尽(けつじん)して渠(かれ)を獲得す。
心強く力壮(さか)んにして卒(つい)に除き難し。
有時(あるとき)は纔(わずか)に高原の上に到り、
又烟雲の深き処に入って居す。

得牛位とは眞の自己である牛を、しっかり掴まえた位で、牛の正体が明瞭になった段階である。
「見牛」と云うのは牛を見ただけであるから、これで有頂天になって油断をしていると、牛はすぐに見えなくなってしまって、
只牛を見た(見性した)という記憶だけが残るという状態になってしまう。そこで見性したら、ますます熱心に参禅して、
その世界を更にはっきりさせていくことが肝心でありる。
省13
87: 2011/07/06(水)17:11 ID:KdJm2Xtl(16/38) AAS
それでは廓庵禅師の頌を味わうこととしよう。

● 神通(じんづう)を竭尽(けつじん)して渠(かれ)を獲得す。

眞牛を見つけた(見牛)ので、やれ嬉しやと勇気百倍、その牛を現実に手に入れようと精神を鼓舞して、
一生懸命追いかけていった甲斐があって、ようやくその牛の鼻づらを掴まえることができた。

● 心強く力壮(さか)んにして卒(つい)に除き難し。

ところが、その心牛を掴まえてみると、この牛は二元対立の分別を求める心が強く、盛んに自己を主張し、
他を認めてその世界にとらわれ、せっかく明らかにした中味カラッポの手綱が、ともすると切れそうになってしまう。
自他対立の悪習性は、長年にわたってついたもので、中々その空性はわかっても云うことを聞かないのが現実である。
そこでますます熱心に坐禅に励まなければならない。
省12
88: 2011/07/06(水)17:12 ID:qfS11skS(8/16) AAS
こいつはこいつで独り言が酷いなww
89
(1): 2011/07/06(水)17:27 ID:lmJB6eVI(1/4) AAS
だからぁ、「ウシはうまい」

これで、いいじゃん?
90: 2011/07/06(水)17:35 ID:qfS11skS(9/16) AAS
>>89
たしかにウシは肉もうまいが牛乳だってあるからな。
むしろウシの本質は乳じゃないんか?
91
(2): 2011/07/06(水)17:36 ID:YhDrZKsy(4/11) AAS
なるほど〜。そういうものなのか〜。
思いあたるな〜。ふつうの世界で、自分なりに確かめながら生活してるが、二元対立の魔境から離れることは、今のトコロできない。離れてしまったら、生活するのが大変になる。ので、二元対立の中間にいようといった今日この頃。
92: 2011/07/06(水)17:40 ID:4IDZqdiz(13/23) AAS
>>91
何から離れると大変になるの?

具体的に何をしているときに何から離れたら大変になるか、

説明お願いします。
93: 2011/07/06(水)17:46 ID:qfS11skS(10/16) AAS
>>91
クリニックに池。
薬をもらえ。
楽になるからな。
94
(2): 2011/07/06(水)17:47 ID:YhDrZKsy(5/11) AAS
92、二元対立は、真理、世俗 の二つの世界。
日々生活していくうえで世俗から離れてしまっては大変だということ。
95
(1): 机龍之介 ◆b5VIxRNE/I 2011/07/06(水)17:52 ID:0ZlqqrLK(2/3) AAS
>>54
>悟ったと云いながら悟りというものを持ち
>それによって人生をしきってもって、結局は生活そのものにならない。

知識や論理といった対立(相対)という構図において、その論理性の破壊ということをしたとしても、
それが一転して非論理性を帯びる。→いわゆる頓悟です。
ですから「悟った」という段階においては、まだ悟っておらんということですね。
矛盾のさらに矛盾において「悟った」となりますが、
これはさらには「悟っておらん」といういことになり、
つまり「悟る」と「悟らない」は言語における特殊用語でして、唯一対立しない。
ってことになりますね。
省4
96: 2011/07/06(水)17:54 ID:qfS11skS(11/16) AAS
>>94
お前も真理とやらをゲットンしたんかwwww

石投げたら当たるくらいおるもんだな。
ありがたみねーなーwwwwww
97: 2011/07/06(水)17:55 ID:qfS11skS(12/16) AAS
また毛虫が来ちゃったよorz
98
(1): 2011/07/06(水)17:56 ID:qfS11skS(13/16) AAS
>>95
「特殊用語」の定義を教えてくれ。
意味がわからん。
99: 2011/07/06(水)17:58 ID:4IDZqdiz(14/23) AAS
>>94
その「世俗」を具体的にお願いします。
その具体的なものに対する意識は断続的に持ち続けるべきか?(離れてはいけないか?)
もお願いします。
100: 2011/07/06(水)18:00 ID:YhDrZKsy(6/11) AAS
95、言っていることはわかるが、"最後"まで行ったらここには来ないんじゃないかな。その間があるし、"その間"でもけっこう、楽になれる、でもイイんじゃない。つまづいたら、つまづいたで、自業自得。
101
(1): 2011/07/06(水)18:07 ID:YhDrZKsy(7/11) AAS
99、字、出てこない、"しょうぎたい"
でないのが世俗。離れたり、つなげたりの二元対立。離れるか、離れないかは、その時、その時、決めればイイ。
102
(1): 2011/07/06(水)18:10 ID:4IDZqdiz(15/23) AAS
>>101
すみません。
文字の世界ではなくて、現世の具体的な例でお願いします。
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