[過去ログ] 仏教 議論スレッド 18 (1001レス)
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1: 2011/07/04(月)09:28 ID:sSsXQKv8(1) AAS
仏教の総合的な議論スレッドです。
仏教に関すること全て扱います。

仏教 質問箱スレッドで議論になったら、
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Category:仏教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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外部リンク:ja.wikipedia.org
省4
902
(1): [ふっふふうふh] 2011/07/24(日)12:14 ID:AHSofYcO(1) AAS
仏教ってなんすか?
903
(2): 2011/07/24(日)12:20 ID:kkpjIVbr(13/24) AAS
そこである種の人たちは議論に負けないように、
あるいは自己の目的の修正、理由の修正、現実の範囲の修正をしたくないために
議論の土俵を故意に変形させることをする。
こうすれば、彼・彼女には永遠に土はつかない。
取り組み中にトイレに行っても彼らは自分が土俵の外に出たとは認めない。せめて手を洗おうよ>隠居
土俵の綱は常に自分の体の外周3cmを漂っているとさえ主張する。君の事だよ>宝珠
904
(1): 承狂 ◆TptLNQXPVWuJ 2011/07/24(日)12:22 ID:1cjfFWtb(4/6) AAS
>902
仏の教えっす。
905
(1): 2011/07/24(日)12:28 ID:kkpjIVbr(14/24) AAS
隠居や宝珠に正当性が無いか?
といえば在る。
議論のマナーとしてはよろしくはないが現実には暴力はありふれている
力による解決だ。
進歩は失敗を認める事から始まるが、日常のほとんどの場面で有効なのはゴネルことだ。
学習も大事だが、胃の心配もしなくちゃいけない。それで倒れるような正義ならそれまでのことだし。
906: 2011/07/24(日)12:33 ID:kkpjIVbr(15/24) AAS
話をもどす。
このように目的や理由や現実の範囲によって個性があり議論がある
アメリカでの政治や裁判の壮大な実験を見ればわかるとおり領域の設定範囲の種類だけ正義はある。
逆に正義を設定して、そのもとになる領域を重要視していく方法もある。
弁護士の活動なんかまさにそうだ。
907: 承狂 ◆TptLNQXPVWuJ 2011/07/24(日)12:35 ID:1cjfFWtb(5/6) AAS
>905
仏教スレで妄執振りまくのは道化。(笑)
正当性なんて微塵もねぇわ。(笑)
908: 2011/07/24(日)12:41 ID:kkpjIVbr(16/24) AAS
以上874の説明でした。これから876を説明する
現実の選択は2つの選択肢から一つを選ぶのが基本形になると思う
選択肢が3っ7っとあるようでも段階や時間でツリー状に図示表現できる
現実にその時、選択しなければならないのは、いつでも2つから1つを選らぶことだ
(選ばないという選択もあるが一先ず置く
その時大事なのは、よい方を選ぶ事だ。当然ですよね。
909
(1): 2011/07/24(日)12:53 ID:kkpjIVbr(17/24) AAS
自明性が有効なのは、事前の知識の欠けている場合の事。
一般の方がパーリ系でも日本大乗でもチベットでも或いは市井の行者でも
その時点でその人がより良い方向に誘導される縁に従えば問題ないです
というかそれ以上の何を望むんでしょうか
比較の基準はあくまで、その一般の方自身以外にもってきようがありません
その人自身の舌で味わってもらえば、すくなくとも2つの味の優劣はわかるとおもいます
(論旨が怪しく希望的観測になってまいりました、汗
910
(1): 2011/07/24(日)13:05 ID:kkpjIVbr(18/24) AAS
個人個人にその人の正義があり、その社会集団の多様性と危機対応能力が比例するのはわかりますよね?
管理に手間はかかるが未知の脅威にたいする対応能力はあがる。
当然、維持コストでつぶれる可能性もある

そろそろお出かけの時間も迫っております
911: 宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk 2011/07/24(日)13:10 ID:wyZpCPfe(8/8) AAS
>>903
>君の事だよ

il||li ●| ̄|_ とほほほ

まっ、自覚はしてます。
“考えるキッカケ”を提供するためです m(__)m
-----皆んな、同じではツマランでしょ?
912
(1): 2011/07/24(日)14:06 ID:JDVnbA0K(1/2) AAS
>>903
>取り組み中にトイレに行っても彼らは自分が土俵の外に出たとは認めない。せめて手を洗おうよ

狭い土俵の中でしか通用しないのなら、興行と同じ。猿回しの猿と同じだ。いい加減で「釈迦の猿」
であることから手を洗え。

>>904
>仏の教えすっす

宗教板最悪の愚答。記念碑的。「その教えとは何か」と聞かれているんだローガ。
913
(1): 承狂 ◆TptLNQXPVWuJ 2011/07/24(日)14:12 ID:1cjfFWtb(6/6) AAS
>912
(^〇^)うわっはっはっは♪マヌケな質問するからだ♪(笑)
914: 2011/07/24(日)14:27 ID:JDVnbA0K(2/2) AAS
>>913
>(^〇^)うわっはっはっは♪

「集狂者」の狂気の笑い声w。
915
(1): 2011/07/24(日)16:35 ID:sY7XFnkx(3/11) AAS
>>910
宝珠や在家を、オウムや統一教会等と同じ扱いをするわけではないが、
(もっとも一在家の方は、それなりの監視が必要なグループといえるかもしれんが・・w)、
>>909にあるように、「外れでない」、
「人格的に良性・上品であり」「社会的に好評価可能性の高い」《人物》、或いは《思想、理屈・理論》に於いては、
あなたの言う通り、「見究め可能」かもしれない。
しかし、双方がそうした長所を有しているにも関わらず、幾つかの点で相違があった場合どうするんだ?
まさに、(このシリーズ的に言えばw)
「仏教は無我だ」という主張と、「無我と言っていない。非我と言っている。釈尊に於いても我は想定され、容認されていた」
という主張と、うやむやにできるか? 勿論、後者は神智学に直結している。
省18
916
(3): 2011/07/24(日)17:18 ID:sY7XFnkx(4/11) AAS
AA省
917: [to] 2011/07/24(日)17:43 ID:LvyZuWdc(1) AAS
宗教って大きな世界を説いているようだけど、実は万人に理解されないから小さな世界なのだ。
だから当然その世界観は、宗教団体のドグマであり真理ではないということになる。

「人間は、全て死ぬものである」
これは、釈迦でもイエスでもアサハラでも大川でも・・・オバマでも天皇でも・・・宗教者でも・・・
万人に通用するから当然に「真理」だ。
918: 前世は一在家 2011/07/24(日)18:16 ID:yCMUQO9W(1) AAS
お題:手塚治虫「ブッダ」の晩年の悟り

仏陀は晩年、父王殺しのアジャセ王を3年間治療し、その時王に神の神々しさを
見出して歓喜されました。
「人の心の内に神が宿っている。人はやがて神になり得る。」と。

手塚治虫氏が参考にした仏説をご存知の方は教えていただきたく。

法華経の方便品では、神という言葉が仏という言葉に置き換えられた、
「人は仏性を宿す仏子である。仏子はやがて仏となり得る。」と。
919: 2011/07/24(日)19:42 ID:7vlKdUd8(1/6) AAS
宗教は
 反〜
で出来ている
 仏教は 反バラモン教である
920
(1): 2011/07/24(日)19:47 ID:8w67sXpm(1) AAS
>>916
「おしえ」や「経」を含めるのは、分類学的に誤り。あくまで「個人の見解」
であり、普遍的妥当性も検証可能性もない。他の項目とレベルが違いすぎ。

1個人の「おしえ」で「法」が「作り出せる」ものではない。いずれも「法に
従う」べきものである。
921: 2011/07/24(日)20:07 ID:sY7XFnkx(5/11) AAS
>>920
アホ全開フルスロットルだなw

仏教だけでなく、インドに於いて、およそ思想的形式を持つものは、
すべて、《それぞれの中での「おしえ」や「経」に当たるもの》に『dharma』の語を当ててるんだよ。
紀元前から続く、インド人の常識なんだよw 解る?w
そういう性質(「おしえ」や「経」といったものが、其々の共同体中でどういう位置付けのものか等)を持つものもまた
ダルマと言い倣わされているんだよ。
英語のlawもそうじゃないのか? 日本語の法もそうじゃないのか?
『法とは制定された法律(行政法)のことだけを言う。それ以外は法ではない』とでも言うつもりか?

語源探索するまでもなく、現行語義からも、十分演繹できる範疇なんだよ。
省4
922: [to] 2011/07/24(日)21:05 ID:I6uRL379(1) AAS
>>847
>しかし、縁起を含め、真理を認識できるのは「生命現象を現す肉体(生命)」のみ。
>従って、生命が、すべての真理の不可欠な前提となる。つまり、すべての真理に先立つのが「生命」。

生命って凄いなぁ!(^-^)

宗教も生命がなければ語れないし、釈迦もイエスもアサハラも大川も・・・
自己や他の生命の声に耳を貸してたら、歴史が変わっていたカモ

■<神仏 = 生命 = 人間 > ■♪〜  (*^。^*) 

 (ちなみに ↑ は、万人に通用するから、勿論、生命教等と言う宗教団体ではありません。)
923: 2011/07/24(日)21:06 ID:pjEbBY0J(1/3) AAS
なにが正しい正しくないとか偉い偉くないの問題じゃないよあ宝珠愚者さん
真理はひとつ。
スッタニパータにもかいてあるよね。
仏教はジャイナ教に煮てるとかいろいろ言われてるけど、仏教は他宗教とは異なる教えがある。
それは縁起ではないか?
我々は我があってそれによって生きているのではなくて、縁起によって相対的に存在しているだけの存在。
相対的であるため、我など我々の執妄であり、故に我々は無我である。
真理から見れば悪も正義も良し悪しも何もない。ただ縁起しているだけの存在。
ただ真理は言説思慮のつかないものであるため、我々の対象にも出来ないし、ことはでも表現出来ない。
だから揉めているんでしょうね。
省1
924: 2011/07/24(日)21:15 ID:7vlKdUd8(2/6) AAS
真理から見れば 悪も正義もなく縁起してるだけ・・・・・

 危険な考え方だ
925
(1): 2011/07/24(日)21:15 ID:jhm9+59K(1/4) AAS
>>916
「釈迦の教え」や「仏典」が「法」であるとは、「紀元前から続くインド人の
常識」ではない。「佛教独自の用法」に過ぎない。

分類の同一レベルには、等価のものを並べるべきだろう。

ちなみに、その「行政法」の定義も誤り。正しくは「制定法」。
926: 2011/07/24(日)21:21 ID:pjEbBY0J(2/3) AAS
悪も正義も人間が決めた考えでしょ?
人間がいる依然から存在する縁起からしたら、悪も正義もないと言っているだけです。
説明不足でした
927: 2011/07/24(日)21:24 ID:7vlKdUd8(3/6) AAS
人間がいる依然から存在する縁起
 は人間が考えたもの
928: 2011/07/24(日)21:27 ID:pjEbBY0J(3/3) AAS
人間が考えたのではなく気付いた。
その表現の方が適してはないかい?
人間がいない時代も世界は縁起していたわけやし、その真理に気付いたのが、ただのインド人である仏陀。
この方がわかりやすくないですか?
929
(1): 2011/07/24(日)21:30 ID:sY7XFnkx(6/11) AAS
>>925
そりゃそうだw
だって、アレ(>>916)は、【仏教内の術語としてのdharma】の話だから。
正式な、古代インドの用語としては、下位におかれる語義だ。
しかし、辞書内に記述されないものではない。 たとえば〔仏〕という但し書き付でw
なぜなら、それもまた、語義の歴史的変遷の一ページだから。

日本語の辞書でも、たとえば〔哲〕という但し書きで記述されることがあるだろ?w
それは、一般的ではない・常識的用例ではないけれども、認知され、それなりの使用頻度のある語義だからだ。
同じことだよ。

ちなみに、仏教は、インドで一時代を築いているので、
省2
930: 2011/07/24(日)21:37 ID:N4tVf72r(1) AAS
というか、宝珠さんは結婚して毎日、花嫁(天空の花嫁?)と
毎晩SEX三昧だからあ
法もクソもないだろ・・・・
縁起に関して言えば、いつか誰かが気がつく関係性にすぎず
それをもってして「仏陀」を論じるのは
仏陀さんのちからの凄さを過小評価することになりかねない
まあ、正直ブッダ以前にすぐれた「悟った人」はいたわけで
単なるバラモン教の秘教的側面を一般大衆に公開しただけのことだろ
それが証拠のいわゆる「滅尽定」のサマディ没入しても
いけしゃあしゃあと「生きて」「食って」「飲んで」るもんね
省1
931: 2011/07/24(日)21:45 ID:P7yE+bvO(1) AAS
仏陀も人間だということをまず理解しないとおかしいことになる。
ただの人間でも悟れる(気付ける)ということですよ結局は。
仏陀もただのインド人であったから普通に死んだのではないでしょうか?
まずは彼が私たちと同じように苦しみに悩んだ人間であると言った認識が必要ではないでしょうか?
現人神にしてはならない問題であると私は了解しています。
932
(1): 2011/07/24(日)21:46 ID:kkpjIVbr(19/24) AAS
>>915
厳然とした現実との再会 基礎としての座禅:小乗
力との同化 清掃された場での力:大乗
塵と世界 踊り場:実践

この比喩は大乗仏教の階梯から持ってきています。伝統としては1000年を越えています。
ですから時間による淘汰圧に耐えたことは、担保を考える際の目安になるかと思われます
933
(2): 2011/07/24(日)21:47 ID:jhm9+59K(2/4) AAS
>>929
>たとえば〔仏〕という但し書き付でw

いちいちその但し書きを付けなければならないのでは、その概念が普遍性を欠く、
即ち、真理ではないことを示している。

ところで、「縁起」という言葉がさかんに飛び交っているが、釈迦のいう縁起とは、
もっぱら、「苦」や「業報」の「因果関係」に限定されているのではありませんか。
ご教示ください。
934: 2011/07/24(日)21:52 ID:kkpjIVbr(20/24) AAS
私は伝統に従いますが担うだけの器はありません
空手儀を着ていてもボクサーのパンチは空手の突きにはなりません。
しかも「その場」に必要とされているのは突きでもパンチでもなく督促状の一枚かもしれません
なんというのでしょうか、世の中は宗教者が思っているより自由なんです、底抜けに。
そのことを呪わないでください
935
(1): 2011/07/24(日)21:56 ID:sY7XFnkx(7/11) AAS
>>932
だからwww

>伝統としては1000年を
>ですから時間による淘汰圧に耐えたことは

という、【自身の主観・体験】でなく、【(外的)情報】を基準にしてるじゃないですかw
その情報は、《そうした時間的スパンがある》ということだけが担保している状態です。
五比丘を説得した際、100年を越えた淘汰圧を潜り抜けていたのでしょうか?
936: 2011/07/24(日)21:56 ID:7vlKdUd8(4/6) AAS
体制に取り入れられて過大評価されているものに
 日本人は 少し距離を持ち 
視野を広げたほうがいい時代なのかもしれない
 日本の再生のために
937: 2011/07/24(日)21:59 ID:sY7XFnkx(8/11) AAS
>>933
アホかw

「普遍性」を欠いた語義なぞ、掃いて捨てるほどあるぞ。
お前は、何にこだわってるんだ?
つか、もともと、言語(語義)ってのは、【或る限定的共同体内部での隠語の集大成】だろうがw
そういう姿すら見えないか? 語学は専門じゃなかったのか?www
938
(2): 2011/07/24(日)22:01 ID:kkpjIVbr(21/24) AAS
>>935
そうです。目の前に現存する人の在りようは、担保如何こうの壁を易々と乗り越えます。
だからカルトも俺俺詐欺も根絶は難しい。頼りは自身の心身の自明性だけですw
939: 2011/07/24(日)22:05 ID:kkpjIVbr(22/24) AAS
大乗は論理的に釈尊が口を噤まれた部分にも言及してしまった。
格義仏教もそうですが論理的に踏み越えた以上はやがては実践の面でも言わざるおえなかった

今自分が話している体系については、塵として(の私)が一応の基底になっているようです。
此処の妥当性さえ証明できれば構造全体は保たれるようです
940: 2011/07/24(日)22:10 ID:kkpjIVbr(23/24) AAS
>独善的妄想、夢物語でないことを何によって担保し得るのか?と。

師、教師、仲間によって。もし居るのなら生徒さんやお弟子さんによって。
941: 2011/07/24(日)22:11 ID:sY7XFnkx(9/11) AAS
>>938
うむ、その正直な台詞が欲しかったw

隠居みたいなの(或いは、いちびった“てすと”みたいなのw)を相手にするときは、
どうしても、『カルトとは違う!』『新興宗教とは違う!』
「当時の仏教は新興宗教でしょw」の指摘には、
『弊害、狡猾さ、金儲け、騙し、非整合性などなど、もろもろの欠点がない!』的なこととかを述べて、
その共通性については一切触れないのが多いからね。
別に、中沢新一や島田裕巳を庇う気はないがw、
規模拡大途中の当時のオウムと初期仏教に「共通点が無い」なんて、さすがに恥ずかしくて言えないよw
それは、仏教が持つ特質の一つをも同時に否定することになるからだ。
省2
942
(1): 2011/07/24(日)22:13 ID:jhm9+59K(3/4) AAS
>>933
我々「人間」にとっての「最大限の限定的共同体」は「人間界」だから、「普遍性」
とは、「すべての人間に通用する性質」と解すべきでしょう。従って、1宗教内部
だけに通用するものには「普遍性」、即ち「真理」はない。
943: 2011/07/24(日)22:15 ID:7vlKdUd8(5/6) AAS
宗教は
反〜でしかない以上
複数で拮抗している状態が恒常的状態であろう
 そしてそれぞれに真理が存在してる
944: 2011/07/24(日)22:19 ID:sY7XFnkx(10/11) AAS
>>942
だからwwwww

言葉の意味ってのは、「普遍性が泣ければならない」なんて絶対条件は無いんだよw
ほんとアホだな・・・。

辞書に載ってる言葉は全部真理なのか?www
945
(1): 2011/07/24(日)22:27 ID:kkpjIVbr(24/24) AAS
蚕が糸を吐いて自らを繭に閉じ込める。
特に大乗を実践する上で、悟りの後の世界を天国のように夢想する陥穽があります。
鸚鵡も含めて新興宗教のほとんどがここで落とされます。
もしかしたら浄土宗の一部も。
御利益宗教は大乗の名を冠する前に、その主たる売り物である”御利益”を捨てる羽目になるでしょう。
捨てられなくとも結構!できるものならやってみな!!そんな感じです。
946: 2011/07/24(日)22:31 ID:jhm9+59K(4/4) AAS
>>938
>頼りは自身の心身の自明性だけですw

その「自身の身心の自明性」自体を、人為観念によって変容・破壊するのが、
宗教の恐ろしさであることを、理解する必要がある。
947: 2011/07/24(日)22:36 ID:7vlKdUd8(6/6) AAS
歴史的に暗躍してきたその行動パターン 思考パターン
 を参考 分析 理解することが
せめてもの救いなのかもしれない
948: 2011/07/24(日)23:03 ID:sY7XFnkx(11/11) AAS
>>945
そ。
ストイックに、表層でなく深奥に触れんとするならば、
大乗仏教のハードルは遥かに高い。
比べてしまえば、上座部や部派、或いは小乗諸派wの方が、楽なことこの上ないw
現世利益、或いは単純な理想郷の希求に甘んじるなら、確かに易行だ。
だが、そのもう一つ先へ行こうと思った時、
大乗仏教が個々人に要求するスキルは極めてハイレベルだ。
ここが見えない者が、庶民派大乗を標榜する。 アホかwと・・。
法然にしろ親鸞にしろ、六祖にしろ道元にしろ、そんな甘っちょろい「○○だけでよい」では無かった筈なのだ。
949
(2): 2011/07/24(日)23:35 ID:uwdtsx/D(1) AAS
現世利益なんかないですからねぇ
浄土宗系は確かに頭良くなかったら理解出来ない部分ありすぎると思う。
ただ念仏は嫌いだ。
真宗の大谷派でも清沢満之などの近代教学の先生は念仏は捨ててるしね(笑)
浄土系ならあれは哲学とほぼ同様。
仏教の縁起などの理論を取り込んだ哲学思想であるように感じます。
いわゆる在家世界でも生きる仏道みたいな。そんな表現が適正であるように感じます。
950
(1): 2011/07/25(月)01:37 ID:KvXG/XCC(1/3) AAS
>>949
>ただ念仏は嫌いだ。

人間とは、基本的に肉体であり具象である。肉体と具象を忘れた「精神性」が、
宗教の病理の根源。必ず狂気を招く。

どの宗教でも、念仏、題目、賛美歌、儀式、仏像、ステンドグラスなどの肉体
の動作や具象を取り入れる。「精神性」の狂気から「人間」を守ろうとする、
本能的努力であろう。

宝珠氏の不動尊崇拝や密教は、彼の一つの進歩であると見ている。
951
(1): 2011/07/25(月)01:48 ID:mYDGifmE(1/13) AAS
>>950

滅茶苦茶な理論だな。理屈遊びが趣味ですか?

正気と狂気の区別なんて分からんのだよ!

>どの宗教でも、念仏、題目、賛美歌、儀式、仏像、ステンドグラスなどの肉体
の動作や具象を取り入れる。

別に取り入れた訳ではないよ。それらをしなかったら、何もしないことになってしまうだろ。
  
952
(1): 2011/07/25(月)01:55 ID:KvXG/XCC(2/3) AAS
>>951
行きずりに、路傍のお地蔵さんに手を手を合わせていて、気が狂う者はいないw。
953
(1): 2011/07/25(月)01:59 ID:mYDGifmE(2/13) AAS
>>952
じゃあ、お地蔵さんが沢山ある地域では精神障害の人が少ないのかな?
データを採ってみる価値があるかもね。
  
954: 2011/07/25(月)02:13 ID:KvXG/XCC(3/3) AAS
>>953
道元の「只管打坐」「修証一等」「現成公案」や親鸞の「自然法爾」の本当の
意味を理解する必要があるのでは。
955: 2011/07/25(月)02:25 ID:YE0clYO5(1) AAS
>>949 日常のあらゆる思考の結びが念仏になった生活の、
妄想を離れる心地よさは、なかなかのもんです。
教学やら思想やらは、念仏だけでいいんだということにお墨付きを与える役目だけにすぎず、
念仏に落ち着いてしまったあとの生活には、思想は必要ではない。
念仏に伴う幸福感をつくりだせるようになると、
日常生活の中のあらゆる場面で瞬時に幸福感をつくりだせるようになる。
思想というより、肉体的なものかもしれない。
956: 2011/07/25(月)02:47 ID:twsq16XI(1) AAS
そういった理解でも良いんですかねぇ
自己を見つめ直すための念仏なら凡夫ですし、仕方ないのだと思いますが、教学だけなら念仏は気付くだけの行為ですしねぇ。
まあ確かにそういった念仏理解も面白いですよね。勉強になります。
957: 2011/07/25(月)04:42 ID:kvN/vZ0n(1/11) AAS
>>861-862 難しいけど、現代日本で仏教が乗り越えるべき核心的な問いだよね。流石です。オイラに答えられるか疑問だけど所見を述べますね。
恐らく現代日本では普遍妥当性とか検証可能性を持ってないと、認められないという人が少なからず居ると思われます。
そのため、それを持って仏教内の妥当性を提示できるものが有効なわけですね。それが他ならぬ文献学です。
ゲルクやテーラワーダもそれに準ずるものがあるけど、限界があると思います。

ただし、文献学の有効性の範囲というものに無自覚な学者が多いと思うわけです。どこまで有効性を認めるかで明かに温度差がありますね。
厳密な文献学:マテリアルな記号を対象とする方で、多くは言語学に傾斜する。辻直四郎先生や辛嶋静志先生などが代表で信頼性が高い。
穏健な文献学:上下の中間的立場で、思想史などの立ち位置をとる人が多い。山口益先生、水野弘元先生、梶山雄一先生などが代表。
解釈学的文献学:記号を読んで思想・哲学として提示する立場。津田真一先生、丘山新先生、石飛道子先生、和辻哲郎、松本史朗などが代表。
958
(1): 2011/07/25(月)05:00 ID:kvN/vZ0n(2/11) AAS
上の三つのうち、厳密な文献学の妥当な成果は普遍妥当性と検証可能性の強く有し、従わざるえないものです。
その下に行けば行くほど解釈が介入するので、普遍妥当性と検証可能性は薄らいでいくように思えます。
特に和辻哲郎、松本史朗などの解釈は恣意的で新興宗教の解釈と大差ないように思えます。

それでもネットで仏教を論ずるなら、文献学でやるしかないと思います。
なぜかというと、検証可能性があるから、互いに主張の根拠を確認できる立場が確保できるから。
これがないと、単に互いに俺ちゃんが正しい、お前はアホだのループに入ってしまうでしょう。
959: 2011/07/25(月)05:13 ID:kvN/vZ0n(3/11) AAS
ですから、厳密な文献学の妥当な成果に基づいて、妥当な読みによって議論していくのが王道だと思うわけで、そうしてきたつもりです。
ですが、根拠をいくら示しても納得しないで、変な解釈に固執する人がいます。
その場合、読み、文献的根拠以外にも伝統仏教で、その読みをあらゆる地域、あらゆる時代が支持しているなら、支持されている方が妥当性が高いと思われるわけです。

ですから、そう対応してきました。
それでも和辻や松本のような人は、仏教はずっと誤解されてきたのであって、俺ちゃんの解釈が正しいと言うわけです。
松本に至っては「ブッダでさえ仏教を知らない」というような名言を残しています。
このような人と議論してもしょうがないので、スル〜するしかないでしょう。偶に違うといってあげるのが他人のためになると思いますが。
960: 2011/07/25(月)05:26 ID:kvN/vZ0n(4/11) AAS
論理的整合性と業因果の問題ですが、これは難しい。
なぜかというと、因果は縁起によって世俗の習慣に合わせて仮設され、
仮設されたなかで因果を持つわけですが、業はその外にあるからです。

つまり、仮設され現れる以前の潜在的状態を業と呼んでいると思われるからです。
これについて、中観派以外では世俗的有無、論理領域内で整合性を持った説明しようと
部派仏教や唯識などがいろいろ理論を立てましたが、全て失敗に終わっているように思います。
だからこそ釈尊はこの問題を四不思議の一つとしたのでしょう。十/十四無記の問題と同じで、それを論理領域で説明しようとするのが本質的に無理だからではないでしょうか?
961
(1): 2011/07/25(月)05:37 ID:kvN/vZ0n(5/11) AAS
>>875 大乗経典も広い意味でテルマだし、『中辺分別論』もそう。
その帰敬頌が説くのは、テルトンがグル・リンポチェから教えを受けたということと全く同じ。
初めに言っておきますが、この問題にはサマヤが関わるので答えられないことがほとんどなので、質問しないでください。
外部リンク:www.amazon.com
上が英訳、それを読めば何が根本資料かということも分かるでしょう。

それから各テルトンの自伝や伝記も重要です。
962
(1): 前世は一在家 2011/07/25(月)05:48 ID:uY6K2oJ9(1/2) AAS
>十/十四無記の問題と同じで、それを論理領域で説明しようとするのが本質的に無理だからではないでしょうか?

私は龍樹は机上で空を証明した(机上空論)と仮説を立てておりました。

別世の仏教徒が「龍樹は空を証明できないことを証明した。釈尊の哲学化するな
という教えをよく守って。」と言ってました。
なるほどと腑に落ちましたので、最近は机上空論仮説はお休みにしております。
963
(1): 前世は一在家 2011/07/25(月)05:52 ID:uY6K2oJ9(2/2) AAS
>>962
換言しますと、一在家「八不の不去は机上空論」
別世の仏教徒「八不は証明できないことを証明した」

何れも、八不は証明できないという点では同じでしょうか。
964
(2): 2011/07/25(月)07:22 ID:WE6q9tSb(1/2) AAS
ID:kvN/vZ0n

文章が衒学的過ぎます。もっと誰にも理解できる平明な文章にしてください。
あなたが文献の内容と思想を本当に理解しているのなら、可能なはずです。
素朴な古代人が、あなたのような難しい理屈を考えるでしょうか。もっと
直感的、直接的、本質的、シンプルに考えるはずです。
文献学を強調されているが、いかなる文献も、特に古代の文献は、「解釈」
なしでは理解は不可能でしょう。普遍的妥当性や検証可能性は、文献学と解釈
によって突き詰められた、その中心思想について要求されるのです。
佛教とは、釈迦の没後多数の後世の人々によって築きげられた体系ですから、
釈迦が自分の没後の発展については知るわけがないでしょう。その意味では、
省1
965
(1): 2011/07/25(月)07:25 ID:WE6q9tSb(2/2) AAS
>>964の続き

古代語についての文献学及び言語の表現能力には限界があることを忘れては
なりません。古代の文献の言葉の枝葉末節に、過度に執着することの愚を悟る
べきです。
言語学者でさえ、精一杯の解釈を交えなければ、その真意の把握など不可能です。
あなたが批判される学者の方々も、一応は文献学者によって解釈された文献に
基づく、現代人としての解釈なのではありませんか。
釈迦の無記は、人間が考えても無意味なことの列挙です。無記以外の部分は、
その普遍的妥当性と検証可能性についての批判にさらされるべきでしょう。
業因果が仮設されたものなら、「事実」ではないということですね。
966: 2011/07/25(月)07:28 ID:kvN/vZ0n(6/11) AAS
そうそう、『中辺分別論』の帰敬頌を文献学では、その明解な読みは読みとして、
トソツ天でミロクからアサンガが聞いたということを素朴実在論的に解釈する人が多いようです。
これなんか典型的に縁起に基づかずに、単に素朴実在論に立って仏教を解釈している典型でしょう。
それでは何も分からない。分かるのは釈尊が『梵網経』で嘆いたようにつまらない倫理的な面だけになってしまいます。
正にそれを仏教だとしたかったのが和辻で、釈尊の『梵網経』の歎きが正に体現されています。
まあ、和辻がいたら、『梵網経』は編纂されたものだというのでしょうが、聴聞者が形式を与えていない生の記録は一つもありません。
つまり、形式を与える時点、編纂した時点になんらかの解釈は介入せざるえないのは確かですが、だからといってそれだけでは切り捨てる理由にはなりません。
967
(1): 2011/07/25(月)07:35 ID:kvN/vZ0n(7/11) AAS
>>963 いえ、だから『中論』は言語領域で何かを論証するものではなく、
相手の戯論を壊して、寂滅に導くものというのが中観です。
だから、自立論証の論理学を導入した清弁菩薩が中観からの逸脱であると月称菩薩が言ったわけです。
なぜなら、論証になると証明された主張、戯論が残って寂滅に導かないからです。
968
(2): 2011/07/25(月)08:16 ID:mYDGifmE(3/13) AAS
>>958
>それでもネットで仏教を論ずるなら、文献学でやるしかないと思います。
>なぜかというと、検証可能性があるから、互いに主張の根拠を確認できる立場が確保できるから。
>これがないと、単に互いに俺ちゃんが正しい、お前はアホだのループに入ってしまうでしょう。

自らに 「さとり」 がないときに文献学が必要になるのです。
拠るべき根拠が自らの内に存在しないために、多くの先達の言っていることを根拠にしましょう、ということです。
修行の初期では大いに過去の文献を学ぶことが大切ですが、やがては完全に逆の方向が必要になります。
つまり、過去の文献の正否を自らの 「さとり」 によって検証するようになることなのです。

>単に互いに俺ちゃんが正しい、お前はアホだのループに入ってしまうでしょう。
省5
969
(3): 2011/07/25(月)09:11 ID:mYDGifmE(4/13) AAS
インドで20世紀の最大の神秘主義者と呼ばれていた故・バグワン・シュリ・ラジニーシは、
宗教の経典・解説書を彼岸に至るための舟に例えていました。そして、彼岸に行ってからも
その舟をみんなで大切に頭の上に持ち上げて生活する愚かさをジョークにしていましたね。
   
970
(1): 2011/07/25(月)09:14 ID:kvN/vZ0n(8/11) AAS
>>過去の文献の正否を自らの 「さとり」 によって検証するようになることなのです。

これが全くの倒錯であることが分からない人ばっかりですね。

例えば、三昧を悟りと勘違いする人が多いのは言うまでもなく、凡夫の無明まみれの状態まで平気で悟っているという人までいます。
少なくともあなたがちょっとした悟りを得てるというなら、ちょっと私の前に出てきてくれますか。それぐらいの神通もないなら、全く悟りなんてほど遠いただの勘違いであることをよくよく自覚すべきです。

それとそういう人とは話し合いの余地がないということです。なぜなら、その人のいうことを信じるか信じないかしかなく。話しても無駄だからです。おわかりでなければ、私と話しても無駄でしょう。
971
(3): 2011/07/25(月)09:29 ID:kvN/vZ0n(9/11) AAS
>>969 ああ、そういう系統の方ですか。ラジニーシの弟子という人には数十人ぐらい会ったことありますよ。
中には三昧体験があって他心通がある人もいました。ですが、それはオウムの弟子たちと全く同じ印象を受けました。
三昧は悟りの前提ですが、悟りではないので勘違いしないでくださいね。
あと、何度も言ってることですが、ラジニーシや松本チズオと仏教は全く違うものですから、一緒にしないでください。
それは例えば、中華食堂の料理を喰って、料亭の料理を一緒だろと得々と解説しているようなものですよ。
972
(1): 2011/07/25(月)09:41 ID:mYDGifmE(5/13) AAS
>>970

あなたは学者さんですか?

学者さんは、ただ理屈をこねて論文でも書いていれば生活費が得られますからね。
趣味が実益にもなるので、悠長なことを言っている人が多いですね。

あなたのような態度では仏道修行もできないでしょう! 禅道場の師匠も倒錯者扱いしてしまうでしょうからね。

>三昧を悟りと勘違いする人が多いのは言うまでもなく、凡夫の無明まみれの状態まで平気で悟っているという人
>までいます。
省14
973: 2011/07/25(月)10:00 ID:4zCEQmyB(1) AAS
仏教は一部のオタクの中でのみ楽しんでください
974
(2): 2011/07/25(月)10:12 ID:3RwHuf3o(1/7) AAS
>>961
内容ならともかく、誰々が何々の方法で現世にもたらした、の
部分までサマヤに抵触する?
>>969
彼岸に言った人々が意味もなく愚かなことをするという形になっている時点で
破綻してるなと。
975
(2): 2011/07/25(月)10:13 ID:dQ+Py9BG(1/5) AAS
>一代、長文レス乙www

大まかに言えば、了解だwwww
俺の言ってることの趣旨は、ざっくり言うと「普遍妥当性の軽視は、オレオレ仏教化につながり、
危険だよ」ってこと。ここが分かってない宗教は必ず、世間からも浮き上がり、
仏教という内部においても、「おエライ先達さんの言葉」を絶対化したり、
自己の神秘体験を過剰に評価して、「俺はわかってるぜ」となってしまう。
「正当性」の主張には必ず、(それが他者に対しては勿論、自己に対しても)
それを量るものさしが必要なわけで、それを「単なる自己の主観のみ」で行くアホが
多過ぎると思うわけだwww

もちろん
省7
976
(1): [age] 2011/07/25(月)10:19 ID:mYDGifmE(6/13) AAS
>>974
>彼岸に言った人々が意味もなく愚かなことをするという形になっている時点で
>破綻してるなと。

↑ 理屈だけで物事を考える人間の言いそうなことだね。
実際の体験も何もないから、彼岸というのはただ一つあって、そこに行った人々は
みな叡智にあふれた聡明な人ばかり、と勝手に思い込んでいるのだね。
仏教の勉強をやり直なさい!!
  
977
(1): [age] 2011/07/25(月)10:22 ID:mYDGifmE(7/13) AAS
>>975
>その生き方全て、存在そのもので体現していくしかないのでは?と思うがな。
でも、それはまだまだ先の話。

↑ そう、あなたにとっては先の先の先の話です!
  
978
(1): 2011/07/25(月)10:22 ID:dQ+Py9BG(2/5) AAS
>>972 本当に何度言ってもわからんな、「幽体離脱バカ」wwwww

お前の批判は全て、「あんたは仏教の「ぶ」の字も分かってない」とか
「勉強してこい」だの、具体的瑕疵の指摘は一切なく、「総論的罵倒」のみなんだよ。
それじゃあ、小学生の「ば〜か、ば〜か」となんら変わるところがないと言ったろうが?
いい加減に「学習」しろやwwww
979: [age] 2011/07/25(月)10:23 ID:mYDGifmE(8/13) AAS
>>978

ここは子供ちゃんの来るところではありませんよ!!
 
980
(1): 2011/07/25(月)10:24 ID:/UFAeApG(1/3) AAS
>>968
まるっと同意。
その通りだと思う。(原仏スレの在り方の中では、決して出てこなかったろう名文だw)

で、“一代説”のもう一つの(というか別側面の)難点は、
民俗学的或いは考古学的考究との間に軋みを生じるということだ。

たとえば、エビス、マレビトという言葉及び概念がある。
これを、異邦人(エイリアン)、渡来人、(或いは漂着した死体)から派生発展してきた概念と見た時、
所謂恵比寿様信仰との折り合い・整合性をどうつけるか。或いは、(ちょうどお盆の時期でもあるがw)、こんな論考がある。
外部リンク[php]:www.journalarchive.jst.go.jp
あちこちに、「それは違うでしょw」という部分もあるが、
省8
981: 2011/07/25(月)10:25 ID:/UFAeApG(2/3) AAS
民俗学が、『解釈の集大成』という批判を免れ得ないとしても、(柳田國男の功罪への凝視が必要なこととしても)、
そこには、ヒトという生物の、血の通った、生の・心の歴史がある。
結果論的に(悟りの視線で)「こうだ」とすることは吝かでないにしても、【それも解釈の一つにしか過ぎない】。
浄土思想の発端に、オアシス的安住の地の希求が働いていないとどうして言えるのか。
仏舎利信仰を排除できなかったのはなぜか?ストゥーパ建立に功徳を見出さざるを得なかったのはなぜか?
結果論的に、これらを「世俗の諸相」と一括りにすることも、「仏教的理由、意義付け」を見ること可能だが、
それで抜け落ちる部分は本当に抜け落ちていい部分かということだ。
理由・意義付けが後追いであるにも関わらず、あたかもそれを、《最初から“それ”が意図されていた》と騙るには、
かなりの勇気と自信がいる。よっぽど“できた”人でないと・・・。
省11
982
(1): 2011/07/25(月)10:25 ID:3RwHuf3o(2/7) AAS
>>976
そういう反論のされ方をするとは思わんかった。

一つかどうかはわからないが、愚かさを残していても彼岸に渡ってる、って言えるの?
ハードル低すぎじゃね?

それとも彼岸って単に別世界という意味で、行法だけやってそこに行って帰るだけでもいいの?
983
(1): 2011/07/25(月)10:29 ID:dQ+Py9BG(3/5) AAS
>>977 「ボクちゃんは『しゅうきょうたいけん』したからエライんだ」
いい加減にそのバカ話やめたら?wwww

その宗教体験とやらが、
@どのようなものであって
Aそれがどのように自分の言説の正当性を担保するのか

を述べない限り、「私の言うことは全て正しい。なぜならば、それは
私が直接、神から聞いたことだから。」と言ってる精神異常者となんら
変わるところがない。
お前は、それさえも分からんアホなわけだwwwwww
984: [age] 2011/07/25(月)10:32 ID:mYDGifmE(9/13) AAS
>>982
親鸞聖人のご本でも読まれてはどうでしょうかな?!

>>983

だから、ここは子供ちゃんが来るところではないのです!
  
985
(1): 2011/07/25(月)10:42 ID:dQ+Py9BG(4/5) AAS
>私は、大乗諸経・諸思想は特に、そうした発生時の混淆したベクトルを無視できないと思うし、
>そうした視点を、《「現代常識による読み込み不足による断罪」と評する》のは、流石にどうなの?

一代に言わせれば、それは「縁起によってそうなった」というのかな?w
一代は、基本「テルマ、テルトン」を支持する立場だから、
『感得』によってそのようになったと言うのかもw
俺は、後世の混入、増稿、支持だがなwww
(しかし、ニンマも「感得」なのか?「埋蔵発掘」なのか?wwよくわからんw)
986: 2011/07/25(月)10:43 ID:dQ+Py9BG(5/5) AAS
>だから、ここは子供ちゃんが来るところではないのです!

もうそれしか言えないのか?幽体離脱バカwwww
987
(1): 2011/07/25(月)10:45 ID:3RwHuf3o(3/7) AAS
親鸞聖人の教えから彼岸にいった人が意味もなく愚かなことをする
という発想を導き出すことができない。

具体的にどの書のどの箇所を自分はどう解釈しているかを
説明すべきでしょ。
988
(1): [age] 2011/07/25(月)10:52 ID:mYDGifmE(10/13) AAS
>>987

親鸞聖人のことを全くご存知ないのですね。一番基礎的な 「歎異抄」 が分かり易いと思います。

浄土真宗には妙好人と呼ばれる深い信仰を得た人が沢山います。鈴木大拙博士は妙好人の境地を
祖師方と同じかそれ以上だと絶賛されました。その妙好人の人達やそれに近い人々の語録などを
読まれてもよいでしょう。
  
989: 2011/07/25(月)10:54 ID:/UFAeApG(3/3) AAS
この場合の「愚か」は、
世間的に「反社会的、反道徳的」或いは「ぐーたらで、気が利かず」
或いは「無批判無自覚な我欲の追求、自分本位」etc.etc.といったことでなく、
『真摯に努めているけれども、“至らない・・”“できてない・・”という、自省の「愚かさ」』でしょう?
990
(1): 2011/07/25(月)10:56 ID:3RwHuf3o(4/7) AAS
技術でチョチョイと彼岸まで行って経典はもういらね、っていうのとは
対極の人だろ。親鸞聖人は。
>>988
自身の至らなさ、無力さを深く自覚して、一心に阿弥陀を念仏する態度
をどうやったら、てきとうな彼岸観に読み替えられるというのか。
隠居並みのフィルター機能をお持ちですね。
991
(1): [age] 2011/07/25(月)11:02 ID:mYDGifmE(11/13) AAS
>>990
あなたは解説書で得た知識しか持っていないんじゃね。 まあ、これからの精進じゃね!
では、今日はこれで!
  
992
(1): 2011/07/25(月)11:08 ID:3RwHuf3o(5/7) AAS
他の経典・聖道門では、成仏できない、という理由と
俺はもう彼岸にいるので必要ない、という理由は
全く違う。それ以前に念仏も経典で説かれた教えだよ。
最初っから破綻している。
>>991
他の誰もやらない珍奇なだけの新解釈を、本質を見抜いたものと
みなすのもまるで隠居だな。
993: [age] 2011/07/25(月)11:16 ID:mYDGifmE(12/13) AAS
>>971  

>>969 の補足: 

ラジニーシ師は、彼岸に行ったら、もう経典は要らないから捨ててしまえ!と説いたのではありません。
その本質が身に付いている訳です。細かい字句にこだわる必要などなく、彼岸の立場から自由に
使いこなすことを説いていたのです。 また、彼岸に行っても人間はしょっちゅう間違いをするものです。
妙好人の人々の語録には、そのような懺悔の言葉がたくさん出ていますね。 
とにかく、もっと精進して下さい。 では、また!
   
994: [age] 2011/07/25(月)11:18 ID:mYDGifmE(13/13) AAS
↑ アンカー番号が違った!
   
>>971  ・・・ ×

>>992  ・・・ ○
995
(1): 2011/07/25(月)11:24 ID:3RwHuf3o(6/7) AAS
妙好人が「私は彼岸にいる」と言った例があったら教えてくれ。
それとも勝手にそうカテゴリしてあげているだけか。

ラジニーシにおける「彼岸」の意味こそ補足すべきでしょ。
996: 2011/07/25(月)12:31 ID:BNuBLmh4(1) AAS
アホダラ氏が「それ見たことか」とワラッているような気がする
997: 2011/07/25(月)12:54 ID:kvN/vZ0n(10/11) AAS
>>974 方法を具体的に説明するということは要するに密教の見解を説明することになるから

>>975 要するに自分のための論理・信仰と、他人のための論理・説明を自覚しろってことだよね

>>980 どこらへが良いのか分からないな? オイラは『勝義空性経』の此縁性に従って、
習慣に添って記号化・言語化されると考えてるので、何も問題ないと思うけど。
要するに習慣・ラングは恣意的な無常なものだから、そりゃ変わるでしょう。
テルトンがインド人ならインドの、チベット人ならチベットの、
日本人なら日本のその時代のその人の習慣、つまり、言葉が反映されて記号化されるだけのこと。
998: 2011/07/25(月)13:01 ID:kvN/vZ0n(11/11) AAS
>>985 上の通りそういうこと。テルトンが感得する方法もいろいろ。
チベット人学者によって分類もちがいます。

>>995 ラジニーシなんて根拠にしてる時点で終わってると思う。
相手にしなければいいだけ。生命教、ゴキ五郎、宝珠などと同じで話が成立しない人でしょう。
999: 2011/07/25(月)13:02 ID:3RwHuf3o(7/7) AAS
>方法を具体的に説明するということは要するに密教の見解を説明することになるから

南天鉄塔の話も本来は余人が知るべきではなかった?
それともエピソード単体ならよくて、「いかに」感得したかの説明だけが
いけないのだろうか。

>日本人なら日本のその時代のその人の習慣、つまり、言葉が反映されて記号化されるだけのこと。

十一面観音経や毘沙門天王功徳経はいいけど、
延命地蔵菩薩経や聖無動尊秘密陀羅尼経や弁天五部経
みたいに無理のある「訳者名」がついているのは、どうなの?
1000: 宝珠愚者 ◆9XuF3XEACk 2011/07/25(月)13:25 ID:ByRaiEkv(1) AAS
>>964-965
(゚∀゚ノノ゙パチパチパチパチ
1001: 1001 Over 1000 Thread AAS
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。
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ぬこの手 ぬこTOP 0.197s*