[過去ログ] ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ5 (1002レス)
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317(1): 2023/07/04(火)07:54 ID:/GO+q4yd(1/2) AAS
>>307
>>1974年にチャームクォークのJ/ψ中間子が発見されて
>>岩波の科学に記事が出たことを覚えている
>>そのときは、謎の粒子という記事だった
1974年にフィールズ賞を受章したのは
ボンビエリとマンフォード
1977年の谷口シンポジウムでは
この二人の姿を同時に拝めた
>>その後、チャームクォークによるものと判明して
>>暫くすると、1973年発表の小林・益川理論が有名になった
益川さんが共通一次試験の監督をされたときお手伝いした。
名古屋ではしばらくの間、毎年センター試験の監督をした。
318: 2023/07/04(火)08:04 ID:/GO+q4yd(2/2) AAS
>>クォーク模型に至る道は、20年に至る道のりであった。
>>小林稔の2中間子仮説を、わずかばかり修正し、
>>坂田の2中間子仮説が出る。その後、多くの素粒子を分類・理論化する試みがなされ
>>(1949年2粒子からなるヤン・フェルミ模型など)、1953年にマレー・ゲルマン、
>>西島和彦らのストレンジネスの同時発見がなされる。これらを元に、
>>1955年に坂田昌一が坂田模型を発表し、大貫義郎らが、群論を使いSU(3)モデル(IOO対称性)を示す。
>>(クォーク模型において群論を使った嚆矢) さらに、八道説(日本でも唱えられている)を経て、
>>マレー・ゲルマン、ジョージ・ツワイク、ユヴァル・ネーマンが1964年、
>>独立してクォークを示し、長い素粒子を整理する戦いは終わる。
湯川秀樹、小林稔の指導で物理を勉強していた中野茂男を
数学の道へと転向させたのが秋月康夫であった。
中野先生に「小林(昭七)先生が」と言いかけたとき
「どっちの小林?」と遮られた。
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