同盟者としての後北条氏 (129レス)
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99: 06/26(水)20:35 ID:etPdRsqm(1) AAS
>>98
詳細、ありがとうございます。
たしかに理解し難い行動だな。
生き残りの為に両天秤を掛けた?
大名にも「半手」が認められていた?(んなわきゃない)
佐竹がよくも見逃してくれたものだ。
100: 07/22(月)18:56 ID:2DMllKFY(1) AAS
>>97
お前あちこちで仮想戦記書いてるな
見てて痛いよ
101: 07/23(火)00:24 ID:QT0n0MN6(1) AAS
北條おっさんは自分が荒らしだと理解してないのが痛すぎる
102(1): 08/03(土)20:37 ID:7xqrokFs(1) AAS
信玄(ぽかっ!)
氏康「おい!いま後ろから頭叩いただろ」
信玄「知らんな」
氏政「お父さん、武田さんが叩くわけないでしょ」
氏康「いや確かに叩いた」
信玄「すまんな最近手が震えてな」
氏康「そんなわけあるか!」
省6
103: 08/03(土)22:19 ID:4A643O2w(1) AAS
>>102
武田勝頼はウシロ頭じゃなくて真っ正面から北條の顔に泥をぶっかけたようなもんだからな。
いくら何でもちょっと。
104(1): 08/04(日)00:31 ID:26ANBgnY(1) AAS
つうても勝頼は別に北条に何かした訳じゃないしな
景虎を助けに行けなかったのは北条の自業自得だし勝頼に責任転嫁するのは筋違い
105: 08/04(日)02:22 ID:dX9vuGMg(1) AAS
北條氏政はあの時点で多方面(北に上杉、北東に佐竹、南東に里見)に戦線を展開していたわけだが、
北の情勢が突発的なものだったとは云え優先順位付けによる戦線整理(例えば佐竹らと和睦して下野方面は凍結してしまう等)はできなかったのかという憾みは遺る。
かつて同様の危機に瀕した氏綱や氏康の見事な舵取りと比べると更にその感は強い。
相甲同盟を過信したか。
と、云うのも結果を知る後世の人間だからこそ…ではあるんだが。
106: 08/04(日)09:10 ID:P2i+sGgf(1) AAS
1週間や2週間で決着がついてしまったのなら仕方ないけど
1年も続いたのに北条は積極的に動かなかったところを見ると本気で助ける気があったのか謎だわ
107: 08/04(日)13:16 ID:xui4NjXr(1/2) AAS
東上州問題くらいで武田氏との対立の怖さを知ってる氏政が
あまり和解の動きを見せずに沼津三枚橋の時点でもう関係断絶前提にしてる
それがちょっと意外だった
108(1): 08/04(日)13:18 ID:xui4NjXr(2/2) AAS
北条氏も単に弟を助けるじゃなくて越後の国衆が後ろ盾を頼んできたから
支援せざるを得なくなって、そこでサボタージュされて、
メンツ重視で事態が回っていったのも一因かな
武門は何だかんだでメンツが全てだし
109: 08/04(日)23:56 ID:cePUoBEN(1) AAS
>>104
北条軍の北信(おそらく西上野も)通過を拒絶した
それにより沼田・上田陥落が絶対命題になった
つーか5月でもう既に菊姫入嫁の秘密交渉が始まってる
110(1): 08/05(月)00:11 ID:QELV5NF1(1/2) AAS
>>108
もともと沼田はおろか厩橋まで上杉領
河田重親が北条恭順したのは上野家成との内ゲバが先
まあそこまでした上野は会津移封前に失脚させられてしまうんですけどね
111: 08/05(月)00:32 ID:vAgKrJ0x(1) AAS
>>110
「もともと」と云っても何時の時点かで変わる。
相越同盟成立時は上野全域を上杉領とするのが条件だったし、
逆に再手切れ後、謙信が関東から全面敗走した時点で上杉領は消滅した。
あとは孤立した上杉方国衆が幾らか散在していただけだろう。
112: 08/05(月)05:46 ID:QELV5NF1(2/2) AAS
高広父子が出兵してくれと言いつづけるくらいには残ってたじゃん
まあ謙信のやる気のなさっぷりが最後の動員が関東ではなく対信長決戦用と今なお広く信じられてる理由の一つではあるのだが
113: 08/06(火)22:27 ID:8vix6oX/(1) AAS
北条も内心迷惑だっただろうな。
景虎のために越後の内乱に巻き込まれてさ。
景虎後継なんて乱がおきるまで誰も考えてないはず。
114: 08/09(金)14:21 ID:g7siTdy4(1/3) AAS
AA省
115: 08/09(金)15:52 ID:sEFll9lt(1/2) AAS
そもそも景虎と景勝の和睦は実態ないな
依然として軍事衝突続いてる
勝頼景勝の書状の中にしか無い
116: 08/09(金)16:00 ID:g7siTdy4(2/3) AAS
勝頼と氏政で、甲越同盟への理解がたぶん違うんだよな。
勝頼から見たら
「景勝後継は既定路線だったし、その時の状態に戻して三和が一番いいじゃん」
ってなる。つまり和睦と言っても景勝後継で甲越相が遺恨なく付き合いましょう
武田にとってもメリットないしね
しかし氏政は当事者だから、一方当事者との同盟は裏切り行為
それでも最後まで武田との対決を回避できないか気を使ってる
117: 08/09(金)16:02 ID:g7siTdy4(3/3) AAS
でも氏政も勝頼が何を考えてたかくらいは理解してるだろう
何しろ北条だって景虎が盟主に担がれるまで景虎後継なんて一瞬も考えてないんだから
景虎自身というか、与党の上野衆が支援を求めてきたから景虎支援に回ってるのだよな
118: 08/09(金)16:05 ID:sEFll9lt(2/2) AAS
まず北条一族の誅滅がわけわからん
直前まで三奉行として働いて神余と折衝してたのに
119(1): 08/11(日)12:08 ID:nG9MAGh8(1) AAS
両上杉氏との同盟関係はいかがで
120: 08/11(日)14:16 ID:c61o2i3E(1) AAS
北条は外交が下手くそだよな
121: 08/12(月)12:24 ID:PHdtukbP(1) AAS
外交は下手くそかもしれんな
成功例って三国同盟だし
122: 08/16(金)00:11 ID:cEUFoXAM(1/2) AAS
>>119
両上杉の内紛が相当幸運だと思う。
江戸城取るまで安泰じゃなかったのでは。
123: 08/16(金)00:25 ID:sAhgtG5h(1) AAS
山内とは一度も同盟していない筈だが。
堀越侵攻、伊豆戦争、七島海域紛争、小田原城接収から武蔵出兵まで全て「長享ノ乱」に於ける扇谷方としての行動。
伊勢の同盟相手たる扇谷が山内に降伏したことで梯子を外された形になった。
広く見れば江戸城もむしろ上記状況の延長線上で奪わなければ「ならなくなった」というのが事実に近いのではないか。
124: 08/16(金)21:21 ID:cEUFoXAM(2/2) AAS
山内上杉と同盟して扇谷を叩くって発想にならなかったのかね。
125: 08/22(木)21:00 ID:Av4uHUh2(1) AAS
同盟とは違うけど
やたらに国衆滅ぼした長尾さんと違って北条氏は国衆を残していて感心だね
126: 08/22(木)21:55 ID:VurlTtk5(1) AAS
伊豆でジェノサイドした反省からかな
127(1): 09/08(日)20:42 ID:ue9CQyVU(1) AAS
両上杉氏視点の本があってもいいよなぁ
北条視点だと山内の氏綱期の動向がよくわからんのだよ
128: 09/08(日)21:57 ID:F91Up8QS(1/2) AAS
>>127
あったら是非読みたい。
『対決の東国史5 山内上杉氏と扇谷上杉氏』(木下聡 吉川弘文館)
と云う本があるにはあるんだが、
惜しいことに詳論は長享ノ乱終結まででその後は駆け足で済ませてしまっている。
氏綱期に対応する山内上杉の印象は、
省4
129: 09/08(日)22:05 ID:F91Up8QS(2/2) AAS
追記。
対北條包囲網も内実としては古河vs小弓の根源的矛盾を孕んでいて、
上杉一門でも古河派の山内に対して一度は屈伏させた筈の扇谷は小弓との連携を止めない(山内がそれを抑え切れない)と云う危うさの上にあった。
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