[過去ログ] 卍卍 新・仏教質問箱@参学用 卍卍パート2 (1001レス)
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539(1): 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 05/02/02 15:12 ID:0uxsh9x7(1/3) AAS
お題を頂戴いたしまふ。
_____________________________________
生徒「ニュートンの法則って何ですか。」
教授「今朝体重を測ったら、何と80キロもあったよ。」
生徒「先生の体重なんか聞いていません、ニュートンの法則って何ですか。」
教授「君は体重をはかったことがあるかい。」
生徒「このバカ教授、相手にならん。」
省3
540(2): 名無しさん@3周年 05/02/02 15:33 ID:/sqKJBE0(1/3) AAS
>>539
質の高い話の展開になってきてるんだ。
流れを読め。
541(2): 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 05/02/02 15:56 ID:0uxsh9x7(2/3) AAS
>>540
すまんですね。
論理性の追求は、えてして法が遠のく。
542(1): 名無しさん@3周年 05/02/02 16:16 ID:/sqKJBE0(2/3) AAS
>>541
>論理性の追求は、えてして法が遠のく。
具体的にその箇所を示して解説してくれんかね。
それができないのであれば、ただの誹謗中傷か負け犬の遠吠え。
543: 名無しさん@3周年 05/02/02 16:23 ID:a8WHX/Ad(1/3) AAS
途中までは論理でしょうが、最後は非論理でしょうね。
なぜなら悟りは五蘊(想や識を含む)を超えたところに有るから。
五蘊は皆空ですから。
544(1): 名無しさん@3周年 05/02/02 16:23 ID:/sqKJBE0(3/3) AAS
>>541
おこないと心の関係についてびっくり仰天の真実が話されようとしてる。
その流れなのに、なにがニュートンだ。恥を知れ。
545: 名無しさん@3周年 05/02/02 16:24 ID:a8WHX/Ad(2/3) AAS
想や識(主に識)が論理の場であると考えてのことですが。
546(1): 名無しさん@3周年 05/02/02 16:28 ID:a8WHX/Ad(3/3) AAS
心が五蘊と不離であるとすると、行為によって業が形成され、
業によって五蘊が変化を受けるのか、あるいは業が五蘊にインプット
されるのか。
業や業の力は五蘊から離れたところ存在するのかと思っていましたが。
547(1): 机龍之介 ◆8Z1PfzdK1. 05/02/02 17:03 ID:0uxsh9x7(3/3) AAS
>>542
>具体的にその箇所を示して解説してくれんかね。
ニュートンの法則と体重の、意味連関は全く必要はない。
むしろこの連関を切断する。
隻手の音声といふのは、まさにこのこと。
けっして私は貴殿を誹謗&中傷してはいません。
お気に触ったらゴメソ。
省3
548(1): 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/02 18:17 ID:Yw9ulZ5I(2/3) AAS
>>546
五蘊の色蘊以外は、すべて心と心作用のことですよ。
549(3): 名無しさん@3周年 05/02/02 20:01 ID:4lb1e5mP(1/4) AAS
>>540
質の高い話って・・・うむぅ。
ギョーカイ用語では「薫習」とか「種子」のことじゃん。
真宗のガッコに行けば、保育科ですら一般教養の仏教学で習います。
550(1): 名無しさん@3周年 05/02/02 21:14 ID:HJFDeIZS(1) AAS
近現代心理学、精神医学が無意識やら心的外傷を発見する遥か昔に、
心と体と行為の相互作用を解き明かしていたということですか。
551(2): 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/02 22:24 ID:Yw9ulZ5I(3/3) AAS
>>549
質の高い話かどうかは知りませんが、それをそのまま薫習や種子に置き換えるのには無理があります。
薫習vAsanAの定義と業の定義とは必ずしも一致しないし、行と種子も完全に一致するわけではありません。
薫習種子を言うのであれば末那識・阿羅耶識、無表業の非色を前提にすべきなのです。あまり短絡すると
それこそお話の質を落としますよ。なお、宗門ガッコの一般教養で教えている仏教知らずを引き合いにしないで
ください。汚らわしい。それではあなたが教わったというすばらしい一般教養の仏教学では「行」と「戒体」
との関係をどのように説明していますか?日本浄土教では古今大問題になっている議論であり、倶舎学
省7
552(2): ベロ ◆eOod7XM/js 05/02/02 22:51 ID:fyu4OARQ(2/3) AAS
>>549
おっしゃる様にですね、真宗のガッコでもそういうタームを一応は習いますが、
悲しいかなそれが何か理解できてる学生は皆無でしたね。一般教養の仏教学
なんて一夜漬けで詰め込んで、必修の単位さえ取れればそれでおしまいですから。
電波男さん、「五蘊」や「行」や「業」について一般の方でもわかりやすい
入門書等があれば紹介して下さい。
桜部先生の『存在の分析』は全くの初心者にはちょっと難解ではないでしょうか?
553(2): 暇人 05/02/02 23:06 ID:4lb1e5mP(2/4) AAS
>>551
「潜在的形成力」とは何かという問いかけに対して、
ギョーカイ用語で端的に応えると「薫習」や「種子」です。
あなたの師匠の梶山さんも同意されるでしょう。
身分を明らかにして、責任をもってこれを否定する専門家は皆無でしょう。
第一、あなたご自身が、
その形成された心によって個性が形作られ行いの基盤にもなっていきます。いつも悪いことをしている
省9
554(1): 暇人 05/02/02 23:18 ID:4lb1e5mP(3/4) AAS
>>552
君の回りは皆無だったのか…。先生が悪かったのかな。
うちの妻は龍短保育科卒だが、
覚えておったし、大筋はあたっていたぞ。
桜部先生の『存在の分析』・・・文庫で出てて入門用では?
せめて舟橋さんの「倶舎論講義」ぐらい読んでよ。
555(1): ベロ ◆eOod7XM/js 05/02/02 23:18 ID:fyu4OARQ(3/3) AAS
やはり>>549は暇人さんでしたか。
深浦正文先生の『倶舎学概論』お読みですか?
私が龍谷の学生だった頃にはもうそのようなアカデミックな
空気は院生の極一部の研究室にあるかないか程度でしたよ。
556: 暇人 05/02/02 23:31 ID:4lb1e5mP(4/4) AAS
>>555
深浦先生。龍大の方ですね。ごめんなさい、読んでません。
「アカデミックな空気」は、待っててもできませんので学生の頃、
私は自分で作りましたし、あるところに飛び込みましたけどね。
専任講師をひっぱりだし、「教行信証」の輪読会を毎週一度を二年ほど
とか。
西洋哲学専攻でしたが、ニーチェの原書講読を専任講師・院生が
省3
557: ベロ ◆eOod7XM/js 05/02/03 00:13 ID:MEdL0rB8(1) AAS
やっぱ本人次第ですよね、だからいくら大谷や龍谷、駒沢等に居たって自然と
倶舎学考究の伝統の空気を吸う雰囲気なんて今じゃありえないでしょうね。
昨今の学生のレベル低下はひどすぎると聞いております。
ま、原典からの和訳である『倶舎論の原典解明』は読んでおくと良いでしょうね。
電波さんの丁寧な解説は、唯識派で「薫習」や「種子」というタームで表わされる
もっと以前から、仏教の基本的な思考法としてすでに知られていたものを解説した
のだと私は思っています。「潜在的形成力」をすぐに「薫習」や「種子」と
省1
558(1): 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/03 01:37 ID:GdnUjnur(1/13) AAS
>>553
>身分を明らかにして、責任をもってこれを否定する専門家は皆無でしょう。
論理構造をもう一度見返してください。薫習種子に限定するには無理があるというのが私の主張です。
それを否定しているわけではありません。
>と丁寧に解説されています。これは「薫習」「種子」です。
いいえ、あなたは入門書や概説書を読みすぎなのです。これらの書物の弊害の一つとして、原始仏教
から部派仏教までのアビダルマ要素に関して片手落ちがあり、読者をして私の解説部分が薫習種子に
省14
559: 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/03 01:53 ID:GdnUjnur(2/13) AAS
私は大谷大学出身ではありません。でも京都で学生時代、オーバードクター時代を過ごしましたので
いろんな行き来があり、週2回は絶対に行く至誠堂に寄ったときにはついでに行っておりました。
でも、暇人さんの言う倶舎学の伝統を学生は空気のように吸い取っているとは絶対に思えませんでしたよ。
倶舎学の伝統は真宗系だけではなく、浄土宗にもあります。それはすべてにおいてではなく、学僧のみ
の対象でしたが、三学を捨てて易行道を行くことを考究せずにおれなかったからでしょう。その最大の
関心事が「戒体」にあると私は考えます。比丘戒の戒体は世間法を出ませんが、菩薩戒の戒体は世間を
超えたところにあると示されます。当然菩薩戒は菩提心を前提としますがこの点からも学僧は戒体(無表業)
省2
560: 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/03 02:19 ID:GdnUjnur(3/13) AAS
>>552 ベロさん
残念ながら本格的にするのであれば、『存在の分析』以上の簡単な入門書はありません。
またこれ以上に、苦労して読めば読むほど身につき、他のものと関連付けられる書物もありません。
1回生のときこの書物を読み、それから世親を基点として部派仏教と唯識の森の中に分け入りました。
割合は部派仏教のほうが多かったのですが、タームや概念内容のほとんどが原始仏教、部派仏教に
すでに存在していて、唯識や大乘独自のものは限られると感じ取ったのが2回生のときです。
暇人さんに説明したのもその一例なのですが、日本での入門書や概説書にはこのようなバランスは
省5
561: 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/03 02:34 ID:GdnUjnur(4/13) AAS
>>553
あ、ステップを飛ばしました。
「潜在的形成力」といえば、先ず「行」になります。この範囲でいえば、入門書や概説書も同じです。
この行には五蘊と十二支縁起の行があります。
562(1): 暇人 05/02/03 07:06 ID:LR0W57dI(1) AAS
「行」(サンスカーラ)の原義は、
@これによって作られる
Aこれが作られる
です。これが発展して、
@これによって作られる→つくりあげること→形成力
Aこれが作られる→つくりあげられたモノ→形成されたモノ(有為)
という二義を持ちます。
省13
563(1): 名無しさん@3周年 05/02/03 08:51 ID:pKyD2yCE(1/30) AAS
>>548 心という表現が悪かったのかな。「あなた」にしましょうか。
受、想、行、識は「あなた」ではないでしょう?
564: 名無しさん@3周年 05/02/03 08:53 ID:pKyD2yCE(2/30) AAS
死ねば五蘊はなくなるのだから、同時に「あなた」もなくなるのなら
断見ですね。五蘊と不離で「あなた」はあるのか、五蘊の外に「あなた」
はあるのかという議論は良く有りますが、五蘊そのものが「あなた」だ
という議論は仏教には無いと思うのですが。
565(1): 名無しさん@3周年 05/02/03 09:14 ID:F4EmccuP(1) AAS
>>562
また電波先生に勉強させてもらったようですね。言葉の多義性といえるようになったし。
ヨカッタヨカッタ。
薫習や種子の説明部分が唯識だけだという先入観を払ってもらえたんですね?それに
コメントしないとは三吉さん、負けず嫌いのあなたらしいですよ。行の原義に関して、あ
なたが言うより電波先生に教えを請うべきだと思いますよ。書物や論文などからこぼれ
ている情報がどんどん出てきますから。それはもうお気づきのはず。その方がみんなに
省5
566(2): 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/03 09:50 ID:GdnUjnur(5/13) AAS
>>563
「あなた」と言うのがよくわかりません。死ねば五蘊がなくなると言っている仏典を私は知りません。
「五蘊仮和合」と言って、諸要素が仮に集まって人間存在があり、そこに「我」なるものは認められない
というのが五蘊の説明です。あなたの言う断見は「我がなくなってしまう」という意味が先立っているので、
我見が前提になってしまってます。もう少し考えてみてください。
五蘊の外に「あなた」はあるのかという議論ってどんなのがありますか?
>>565
省2
567(2): 名無しさん@3周年 05/02/03 12:20 ID:twklCtKf(1/2) AAS
質問です。
映画「イノセンス」に出てきた台詞なんですが、
『孤独に歩め、悪を成さず、求めるところは少なく、林の中の象のように』
という言葉があって、聡明な伴侶を得られなければ孤独でいろ、
みたいな意味らしいのですが、最後の「林の中の象のように」がよく解りません。
象って群れてますよね?全然孤独じゃないし、どういうことなのかな、と。
素人に解りやすい説明をお願いします。
省1
568: 名無しさん@3周年 05/02/03 12:30 ID:pKyD2yCE(3/30) AAS
>>566 観自在菩薩が般若はらみたの行をされていたとき、
「五蘊皆空」と観て、、、とありますが。
観自在菩薩はご自分の五蘊を観察されたわけですよね。
その自分の五蘊を観察している自分は誰なのか。という
ことなのですが。
ご自分の心の中を観察したとき、色およびさまざまな心の
動き(受、想、行、識)などを観察することができますよね。
省1
569(3): 名無しさん@3周年 05/02/03 12:36 ID:pKyD2yCE(4/30) AAS
>>566
>死ねば五蘊がなくなると言っている仏典を私は知りません。
死して五蘊破れて云々、という表現は読まれたことは無いですか?
人が死ねば五蘊はどうなるのですか?
当然色(肉体)はなくなりますよね。
受、想、行、識を大脳の働きと考えれば、それも分解されます。
それで「わたし」の存在は終わりなんでしょうか。
省2
570(1): 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/03 12:44 ID:GdnUjnur(6/13) AAS
>>554 暇人さん
このご発言を読み落としていました。『存在の分析』は読破されたのでしょうか?
この本を現在もネタ本にしている有名教授(原始・部派専門、50歳代)も実際におられます。ただ惜しいのは
桜部先生も仰ってたように、伝統タームを漢訳であらわすスタンスを入門者用にあえて崩し、現代語訳にして
しまったところにあるでしょう。この本の第2部と第3部は読む必要ありません。一通りの理解を終えたあと、
現代語訳でもいいから原典に当たり、注などから別の資料へと広げることが大切です。舟橋水哉の倶舎学は
一つの金字塔ですが、それからかなりの進歩発展があります。
省5
571(1): 名無しさん@3周年 05/02/03 12:45 ID:pKyD2yCE(5/30) AAS
>>567 仏教の修行形態としては
一人で森の中で>同性二人で>大勢集まってサンガで>伴侶を得て二人で
←best, better
一人で林の中で、森の中でというのが理想形態みたいですよ。
孤独な象というのがきっと雄雄しくて立派なのだと思いますが。
犀の角のように一人で歩めとか、二つの腕輪はカチャカチャとぶつかり合う、
とか、教えを広める場合は二人して行け、とかそういう表現には良く出会
省2
572(1): 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/03 12:54 ID:GdnUjnur(7/13) AAS
>>569
>死して五蘊破れて云々、
これはなくなる分けではなく、五蘊仮和合の和合が破れるだけです。諸要素へ帰っていくだけです。
仏教では「わたし」と言う存在を永遠視しません。人間存在、つまり「わたし」は五蘊が仮に集まって
できたものであり、そこには「わたし」と言う実体など存在しないと主張します。
死後どうなるのか、断滅するのか、永遠に続くのかは誰も確認できないし、検証できないものだから
議論の対象にならないという意味で釈尊は答えを出していません。そういう詮議は無駄であり、あれ
省2
573(1): 569 05/02/03 13:12 ID:pKyD2yCE(6/30) AAS
>>572
観自在菩薩は五蘊皆空と知ってすべての苦しみから逃れることが
できたわけですが。
Qどうして五蘊皆空と知れば苦しみはなくなるのか?
↓
A
五蘊皆空と知る、すなわち人無我を悟る。その悟りが涅槃だという
省19
574: 569 05/02/03 13:17 ID:pKyD2yCE(7/30) AAS
Q;「あなた」は五蘊そのものなのか、五蘊に
拠って存在するのか、五蘊以外に存在するのか。
A;「あなた」は五蘊そのものなのか、五蘊に拠って存在するのか。
この質問に対する仏陀のお答えは「無記」です。
五蘊以外に存在するのか;
これは否定されていると思う。
↑これは自分なりの答えですが。間違っているかも。
575: 569;追記 05/02/03 13:29 ID:pKyD2yCE(8/30) AAS
観自在菩薩は五蘊皆空と知ってすべての苦しみから逃れることが
できたわけですが。
Qどうして五蘊皆空と知れば苦しみはなくなるのか?
↓
A
これまで私たちは無明からはじまった空である存在=五蘊を頼りに
生きてきたわけです。五蘊依存症だったわけですね。
省10
576(1): 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A 05/02/03 13:32 ID:YXNd3Iop(1/7) AAS
>>573
> (如来の死後につては無記ですが、凡夫の死後は無記ではありません)
パーリ・漢訳の諸本を註釈まで比較検討した上での見解ですか?
> 無明の続く限り「あなた」は六道を輪廻するし、無明を断てば涅槃を得る
> 生きている場合はどうなのか。「あなた」は五蘊そのものなのか、五蘊に
> 拠って存在するのか、五蘊以外に存在するのか。
「五蘊以外の存在」が既に前提されるのは循環論法に他なりません。
省2
577(2): 名無しさん@3周年 05/02/03 13:48 ID:pKyD2yCE(9/30) AAS
>>576 そこまでは学ぶ必要が無いと、世界の多くの宗教指導者たちが
教えています。人間界は善業を積む場であり、学ぶ場ではないのです。
火事が起きているのに溜池の水質分析をしていても仕方ないのです。
水質分析しても良いけど「手短に」。それとも一生かけて分析しますか。
次の生は地獄かもしれませんよ。
この世に地獄なんて無いとお思いですか。
お宅のお庭を、、台所でも良い。顕微鏡や電子顕微鏡でのぞいて見なさい。
省6
578(1): 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A 05/02/03 13:54 ID:YXNd3Iop(2/7) AAS
>>577
お次は論点ずらしで遁走ですか。まるで阿○宗の信者みたいな言い臭ですな。
579(1): 名無しさん@3周年 05/02/03 13:57 ID:pKyD2yCE(10/30) AAS
>>578 論点ずらしではありませんよ。仏陀の無記説って教科書に
載っているでしょう?それ以上詮索して、詮索して詮索して、
それは何のためですか。ご自分の「断見」あるいは「常見」に
すがりつきたいがためでしょう。一生詮索していれば良いと思う。
580(2): 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A 05/02/03 14:01 ID:YXNd3Iop(3/7) AAS
>>579
経典註釈論書よりも「教科書−どこのカルトのやら−」のほうが重要らしい。(藁
581: 名無しさん@3周年 05/02/03 14:03 ID:pKyD2yCE(11/30) AAS
>>580 教科書で私が想定していたのは学研の「バウッダ;佛教」
ですけど。標準的だと思うけど。
582(1): 名無しさん@3周年 05/02/03 14:05 ID:pKyD2yCE(12/30) AAS
>>580 あなたにも私にも、もうそんなに時間は残されていないわけ
だから、がんばって善業を積みましょうね。
583(1): 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A 05/02/03 14:09 ID:YXNd3Iop(4/7) AAS
原始佛教 その10の 2chスレ:psy
に過去の議論をまとめて下さってます。
584: 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A 05/02/03 14:13 ID:YXNd3Iop(5/7) AAS
>>582
「止悪」のほうがより重要。
585(2): 名無しさん@3周年 05/02/03 14:19 ID:pKyD2yCE(13/30) AAS
>>583 じゃあご自分の死後が「無記」だとして。
無記というのは「わからない」という意味じゃないんですよ。
「人知を超えている」。
あなたの死後は「人智を超えています」。
それで、どう生きますか?
「だから輪廻なんて嘘っぱちだ」につながっていって、それから?
586: 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A 05/02/03 14:22 ID:YXNd3Iop(6/7) AAS
詭弁屋に倫理を問われる筋合いはない。
587(1): 名無しさん@3周年 05/02/03 14:22 ID:5iJrxXzX(1/3) AAS
ID:pKyD2yCEへ、
論点がずれていっている様なので終了した方がいいですよ。
588(1): 名無しさん@3周年 05/02/03 14:26 ID:pKyD2yCE(14/30) AAS
>>585 ロムしている人なんていないだろうけど。
585は、如来=衆生であると無理やり無茶な言いかえを
した場合のことです。誤解なきよう。
如来=衆生なら、如来という単語が不要だよね。
仏教学の大先生でも疑惑を乗り越えられない場合も(997/1000は)
有る。非常に高い確率。
なぜなら仏陀の教法を疑惑なしに読めるのは3人/1000人?だから。
589(1): 名無しさん@3周年 05/02/03 14:27 ID:pKyD2yCE(15/30) AAS
>>587 論点って?
如来の死後は無記
凡夫の死後は六道輪廻
仏教から外れていますか?
590: 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A 05/02/03 14:29 ID:YXNd3Iop(7/7) AAS
>>588
文句があるなら原始佛教スレに来れば。カルトドグマを疑惑なしに読むような馬鹿は居ないと思います。
591: 名無しさん@3周年 05/02/03 14:34 ID:pKyD2yCE(16/30) AAS
じゃあまとめ、
私たちは私たちの五蘊が空であることを知り、すべての空から逃れる。
五蘊に対する執着を離れ(空なるものに執着してどうなるであろうか)、
真の我を見つけ幸せになるのである。その境涯は涅槃と呼ばれ、その
「我の」存在形態は人智を超えたものである。
みなさんが幸せになりますように。
592(2): 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/03 14:35 ID:GdnUjnur(8/13) AAS
>>585
命が永遠かどうかについては如来に関してではないこと、少なくとも如来だけではなく衆生を含んだ
意味で決着のついていることです。これは過去ログで阿呆陀羅さんがまとめてくれています。
死後を云々するのは常見になりますね。それは新たな執着を生むので地獄の因になります。
五蘊仮和合と五蘊皆空とは同じことをさしてるのですよ。それとね、「真我」が存在するなんて外道の
極地ですから認識を改めてください。真我が存在しそれを求めそれを拠り所とするなんて無我の逆行
をいくウパニシャッドです。ですからあなたは五蘊の外に我を求めているのです。
593: 名無しさん@3周年 05/02/03 14:36 ID:pKyD2yCE(17/30) AAS
訂正 すべての空から逃れる→すべての苦から逃れる
594(1): 585 05/02/03 14:38 ID:pKyD2yCE(18/30) AAS
>>592 電波男さん、そこを聞きたかったのですが。
大乗仏教の如来蔵とか、チベット密教のリクパとか。
それはどういうものですか?(勝手に真我)とか書いてしまったのですが。
595(1): 585 05/02/03 14:41 ID:pKyD2yCE(19/30) AAS
>>592 電波さんは六道輪廻を認めたくないんですよ。
こわいもんね、それは良く分かる。でも「無記」なんて
もっと嫌じゃないですか?
「お前の死後は無記だ」なんて、それじゃあ「教え」では
なくなりますよね。
596(1): 名無しさん@3周年 05/02/03 14:44 ID:5iJrxXzX(2/3) AAS
>>589
> (如来の死後につては無記ですが、凡夫の死後は無記ではありません)
パーリ・漢訳の諸本を註釈まで比較検討した上での見解ですか?
まず、↑これについての、あなたの回答である>>577が、かなり論点のズレた
回答であると思います。
世界の多くの宗教指導者たちとは、具体的にどんな方々を指すのですか?
多くのと、あるのでダライラマ法王以外で2〜3名挙げて見て下さい。
省6
597(1): 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/03 14:47 ID:GdnUjnur(9/13) AAS
>>594
如来藏を真我と捉えては外道になってしまいます。如来藏は"tathAgata-garbha"「如来の胎児」と
いう意味であり、仏になる可能性を言います。大雑把にいえば要するに仏子の前段階ですね。
煩悩を追い払い、解脱を求めるのは仏子であり、まだ煩悩にまみれているのが如来藏です。あまり
難しく考えたり、それを実体視するのは大きな間違いですよ。
598(1): 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/03 14:51 ID:GdnUjnur(10/13) AAS
>>595
このスレの少し前に述べましたが、六道輪廻とはおこないによる心のあり方や報いとして絶えず行ったり
来たりする精神状態のことを言います。この一生涯にそれが絶え間なく繰り返されるのです。心を安穏
に保ちたいのであれば、まず心静かに善業道に励むことからはじめるべきです。
確認不可能な来世など無意味です。大切なのは「今」ですからね。
599(1): 585 05/02/03 14:58 ID:pKyD2yCE(20/30) AAS
>>598 電波男さん、これは非難して言っているのではないのですが。
やっぱり電波さんは「現世主義」なんですよ。
宗教というのは来世がテーマなんですよね。もちろん現世も大事ですが。
現世より来世に興味のある人はとても少ない。
でも仏陀がそうでしたよね。仏陀は現世主義者ではない。
いくら仏教学を研究しても現世主義は簡単には乗り越えられないのです。
それは人間なら当たり前です。
省6
600(1): 585 05/02/03 15:00 ID:pKyD2yCE(21/30) AAS
>>596
>あるのでダライラマ法王以外で2〜3名挙げて見て下さい。
ダライラマ法王は「過剰な学習は無益である」とおっしゃっているのですか?
601(1): 名無しさん@3周年 05/02/03 15:08 ID:5iJrxXzX(3/3) AAS
>>600
>ダライラマ法王は「過剰な学習は無益である」とおっしゃっているのですか?
いえ、それは知りません。
「世界の多くの宗教指導者たち」とあなたが書かれたので、誰でもスグに思い浮かぶ
仏教の指導者たるダライラマ法王は除外して、それ以外の人で何人か上げて下さい、
と、いう意味でダライラマ法王は除外して下さいと書きました。
602(1): 585 05/02/03 15:09 ID:pKyD2yCE(22/30) AAS
>>597 学者として電波さんにお聞きしたいのですが。
その「仏子」と「わたし」は同一人物なのですか?
凡夫の私と仏子の私は同一人物なのかどうか。
「煩悩、無明」→わたし←「仏子」という関係なのか。
603: 585 05/02/03 15:11 ID:pKyD2yCE(23/30) AAS
>>601 ダライラマ法王はご著書にそうかかれていたと思います。
他のどんな偉い宗教者だって同じことを言うでしょう。と、ちょっと
はったりですね。張ったりはいけません。反省します。
604: 585 05/02/03 15:15 ID:pKyD2yCE(24/30) AAS
>「煩悩、無明」→わたし←「仏子」という関係なのか。
「煩悩、無明」=諸漏
605(1): 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/03 15:20 ID:GdnUjnur(11/13) AAS
>>599
あなたの思想的背景は大体判りました。はっきり言いましょう。あなたは迷っています。
異蘊相続とかを前提に話してたでしょう?
宗教は来世をテーマとしているという根拠を示してください。絶対に答えられないと思いますよ。
釈尊は来世などに興味を示しませんでしたよ。むしろ来世に依存した思想を相手にはしませんでした。
仏教は宗教的指導者など必要としていません。もっともっと個人的な存在の根幹に関わることを
夫々が探求しようとするのを旨としているのですから。
省8
606(1): 567 05/02/03 15:20 ID:twklCtKf(2/2) AAS
>571
ありがとうございます。
象ってのは神聖視されていたんでしょうか。
尊さとか気高さみたいなものの象徴とか。
林の中の象ってようするに仙人みたいなもんですか。
607(1): 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/03 15:22 ID:GdnUjnur(12/13) AAS
>>602
質問の意味がわかりません。
608(1): 585 05/02/03 15:44 ID:pKyD2yCE(25/30) AAS
>>605 そこまでされても「来世」が分からない!
本当に「ひと」というのは業が深いものなのですね。
色々勉強になりました。考えが整理されて本当に助かりました。
ただ、無明→行、五蘊の行;が同じものというのは驚天動地で
した。原語は同じでも(原語は知らないけど)違うものだと、
漠然と考えていたのですが。もう一度考えて見ます。
ありがとうございました。
609(1): 585 05/02/03 15:49 ID:pKyD2yCE(26/30) AAS
>>606 悟った人を白い象に、煩悩にまみれた人を黒い象に
喩えている絵がありましたよ。象がだんだん白くなってきて
面白いですね。「白い象を捕まえて、白い象に乗って帰る」
というのが悟りの境地みたいです。禅だと「牛」ですけど。
仏典には、色々な攻撃に対して(そしりなど)象のように耐え忍ぶ。
とか、象が蔓草を踏み破るように煩悩を踏破するなんて表現も
あったと思います。
省3
610: 585 05/02/03 15:56 ID:pKyD2yCE(27/30) AAS
>>607 諸漏は家屋(わたし)の中に漏れ入ってくる。
良く葺かれた家屋(わたし)にはそれは漏れ入ることが無い。
家屋(わたくし)は作られたものであり、私はその作り手(無明など?)
を見破った。この家屋は空である。
その家屋(わたくし)は取り壊すべきなのか。それとも私には仏心を
容れるべきなのか。そもそも家屋はわたくしなのか。
(この項は無記でしたね)。
省4
611: 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/03 15:57 ID:GdnUjnur(13/13) AAS
>>608
>そこまでされても「来世」が分からない!
いいえ、自他共に過去世来世にわたる宿命を見渡せ、地獄の獄卒、餓鬼の姿まで顕現できましたよ。
でもそれは幻覚であることに気づきます。気づかないで畜生化したのが某開祖ですね。その気になれば、
超能力者気取りや信者をだまくらかすのは私のほうが数十倍上かもしれませんよ。オカルト体験だけ
でもおそらく何百倍もあるのですからね。
本当にかわいそうなことです。信者さん含めて。せいぜいオカルトにおぼれてカルト全快になってください。
612: 585 05/02/03 15:57 ID:pKyD2yCE(28/30) AAS
>>609 黒い象を捕まえて、白い象に乗って、、訂正します。
613: 585 05/02/03 16:07 ID:pKyD2yCE(29/30) AAS
まあ現世主義者のほうが分が良いですよ。
世の人の99%は現世主義者なんだから。
私は来世のために生きてますよ。もちろん今生も大事にしていますが。
(つぶやき↓)
三世とか二世とか今生、来世(さんぜ、にせ、こんじょう、らいせ)
仏教用語だと思ってたのだが、、、変な宗教学者?だわん。
614(1): 名無しさん@3周年 05/02/03 16:09 ID:pKyD2yCE(30/30) AAS
では、仕事します。ばいばい。
やっぱネットは時間がかかる。仕事優先でネットは
今日から禁止にします。
615: 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A 05/02/03 16:11 ID:wW6mna3Z(1/2) AAS
一刹那過去は前世、一刹那未来は来世。
616: 阿呆陀羅經 ◆FBwkMiTy4A 05/02/03 16:26 ID:wW6mna3Z(2/2) AAS
論点ずらしもしくじったID:pKyD2yCEは遁走ですか。
617: ベロ ◆eOod7XM/js 05/02/04 00:19 ID:XZpxU1mM(1) AAS
「来世のために(今生をより善く)生きろ」なんて
決して釈尊は説かなかったと私は思いますね。
「今をより善く生きようとするおもいが(結果的に一刹那の未来の)
心の平安にみちびく」と釈尊は説いてくれたと私は考えてます。
一応、原始仏教では「過去世」や「来世」と言うのは生物学的な生死をまたぐ必要
はなく、時間軸で現在の前を過去世、現在の先を来世と言うのだと私は思ってます。
618(1): 暇人 05/02/04 07:19 ID:veJoHacz(1) AAS
>>570
うんうん。読んでますよ。
619: 電波男Ψ(´д`)Ψ@ヒロヘロ ◆RHudQb4c9k 05/02/04 08:28 ID:guPo1qpY(1/9) AAS
>>618
じゃ、その次に桜部先生の倶舎論の研究で1,2章の現代語訳に挑戦してみたらどうでしょう?
『存在の分析』をマップにして。
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