[過去ログ] ★ラカンと愉快な仲間たち セミナールU★ (973レス)
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688: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/17(木)02:45 AAS
とりあえずフロイト著作集は全部読まないと話にならない。
そのあとすぐラカンにうつってもいいが、ソシュールを先に読んでおくと
スムーズ。
ラカンは少なくとも邦訳されている岩波のもの全部読むべし。
エクリは最後でいい。
ジジェクだのデリダだのハイデガーだの、ましてや斎藤環など、
後回しでよし。
省7
689: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/17(木)03:10 AAS
>>686
語学レベルじゃない。
ラカン読むにはラカン語を習得しなくてはならない。
くだらない例で言うと、日本語マスターした外国人が、
源氏物語を古文のままで、和歌の修辞法なども含めすらすら読めるか、
落語や歌舞伎を世界にすぐ入れるか、ということと少し似ている。
少しね。たとえが悪いかもしれないが。
697(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/18(金)00:09 AAS
>>説得力あると思います。
フロイト、ソシュールというラインがわかるまでに、
デリダやハイデガー、カントを読まなければ納得いかないし、
ラカンは「カント的」な言説をくり返していることも
わかる。賛成。
699(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/18(金)04:17 AAS
>>698
世代の問題ではなく、テクストの読み方の流れの問題です。
分析家とはまったく無縁の立場から精神分析を批判した
デリダを先に読んでおくことで、ラカンがなぜあそこまで
精神分析に対して異常なまでにとりつかれたか、それがわかるからです。
書き方に問題があったのが、誤解を招いてすみません。
706: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/19(土)01:55 AAS
>>702
すみません、素人なもので。
テクストを読むことはできても、それらを複合的に理解して、
わかりやすい説明をすることは、まだできないんですね。
709: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/22(火)00:10 AAS
>>707
たしかにそう思います。フロイト著作集読破するだけで相当しんどいですね。
あとは、個人のスタンスの問題だと思います。
ラカンを本格的に読むためにはやはりさまざまな文献をその前に
読んでおいたほうがいいし、実際ラカンを読破することは常人には難しい。
生涯ラカンと格闘するくらいの覚悟がなければ無理でしょう。
膨大な知識と、語学の力、それもラカンを読めるだけの語学の力が
省10
710(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/22(火)00:21 AAS
ラカンの格好の入門書と読んでもいい「小説」もありますね。
「ラカンのところで過ごした季節」ピエール・レー。
文学から入るというものまた一興。
また、パリでラカン派の短時間セッションを実際に体験した
南さんの体験記がちょこっとだけのっている、
「精神分析学を学ぶ人のために」
これなんか、ごろっと横になって読むのには最適です。
727: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/25(金)01:17 AAS
>>726
ラカン的に述べるということは、具体的にどういうことでしょうか。
ラカンが言語学を科学とみなしたという観点で、「まとも」という
単語自体を扱うのか、それともほかに意味があるのでしょうか。
少なくとも人文書院のフロイト著作集を読んだあと、ちくま文庫から出た、
中山元氏の翻訳を読み比べれば、あきらかに「まとも」になっている。
ミスリーディングが避けられるようになっていることだけでも、
省1
734(2): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/25(金)01:34 AAS
>>729
なるほど。もっともなご意見だと思います。
ただ、なにをもって「まとも」と判断するかは、最大公約数だけではなく、
個人の見解も含まれると思います。
とくに日本のラカン派が危惧している、現在の翻訳のメタサイコロジー論の
翻訳の不備が、次にどう変化するのかは、見どころですね。
たしかに、地域間格差もあるため、英訳、ドイツ語訳、仏訳などとも
省1
738(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/25(金)01:46 AAS
>>735
「まとも」という表現自体が、日本的な「世間」というのは、
よく理解できますね。では、「まとも」という言葉の変わりに
なにか「○○」になった、という言葉を探そうとすると、
ラカンが行った、「一行一行フロイトのテクストに回帰する」という
作業に、邦訳が多少とも道具として性能をあげたと、そういう解釈で、
いいんでしょうかね。私としては、少なくとも、翻訳の過程で生じた
省2
743(2): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/25(金)02:07 AAS
>>741
フロイトの翻訳では、やはりその程度なんでしょうね。
誤訳を逐一訂正したサイトなどもありますが、文脈上の修正に
とどまっていますからね。
フロイトの翻訳の最大の意義は、やはり、なんだかんだいって、
最初に「精神分析」なるものに立ち会った人物の書物だからで、
そこから派生したさまざまな派の「言説」に正確さをとりもどす
省4
748(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/27(日)03:10 AAS
ラカンを「理解」するところまでいかなくても、人間・分析家としての
ラカンを身近に感じることができれば、セミネールも読みやすくなるでしょう。
フロイトにしても、フロイトの無意識を知ることができれば、読みやすくなる。
ラカンだって教育分析を受けていたのだし(三歳年上の分析家)
そこでラカンがなにを吸収したのかがわかれば、「反復」という観点から、
何かを知ることができるはず。しかしラカンは、そして多くの分析家は、
自分の分析経験(教育分析の経験)を語らない。
省1
752: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/31(木)01:11 AAS
>>749
分析家のプライバシーは患者にとってむしろ害である。
患者にとって分析家、あるいは分析家の身体はイマージュでなくてはならない。
それゆえ、分析家たちは、「個人的経験」「プライバシー」としての
分析経験をあえて積極的に隠蔽している可能性もありますね。
フロイトはパイオニアだから教育分析ではなく自己分析に頼るしかなかったが、
それでもフリースとのやりとりで、二者間の自己分析を行っていた。
省3
754(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/08/31(木)22:28 AAS
>>753
ちょっとまってくださいな(笑)
まず「無意識」と「神」を混同させるのはやめるとして・・・。
それから、盲人が象の鼻を語るのと、分析家・分析者が無意識を
語るのは、明らかにちがう行為だと思います。
(ここに盲人に対する差別は一切ありません)
視覚を失われているから対象を言語化できないということと、
省3
757: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/01(金)02:08 AAS
>>756
精神分析ではあくまで無意識を扱うので、現実界の言語化は問題にされないと
思います。
>言葉で捉えようとする現実が常に揺らめいて静止することがない。
自分が選択した言葉というものが意図に反して作用する性質を持つ。
これは自由連想においては当然起こりうることで、意味がないことではない。
断片的なシニフィアンを連鎖にするまでは、患者は自身の知について
省6
758(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/01(金)02:16 AAS
>>755
おっしゃるとおりでした。
誰かに何かを言及されるとつい熱くなるクセがあるもので。
いや、おはずかしい。
アドバイスありがとうございます。
761(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/01(金)02:43 AAS
>>759
そうですね。
相手に少しはまともな知識や見解があるかどうかは、
見極めなくてはなりませんね。
2ちゃんとはいえ、もう少し期待していたんだけどなあ。
763: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/01(金)03:08 AAS
>>760
自由連想をアホらしいと感じるところにその人の病理があるわけで、
他の分析家との予備面接の際にそのことを話し、再分析に取り掛かるのが、
ベストでしょう。そもそも分析家に対し転移が生じていれば、
アホらしいなどとは感じないはずなので、放棄した分析家との
「出会い損ね」に焦点をしぼってやり直すか、対面の精神療法に
切り替えるのも一つの手段です。精神分析には向き不向きがありますので。
764(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/01(金)03:11 AAS
>>762
フロイト全集や一般言語学講義はもちろんのこと、邦訳されている
ラカンはすべて読んでいる、そして精神分析の経験もある、
そんな人たちの集まりだと思っていたのですが、どうもそうでは
ないようですね。内容的な議論に踏み込んでいけない・・・
766: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/01(金)03:23 AAS
>>765
なるほど。ある意味残念ですが、冷静にお遊びをする分には
いいかもしれませんね(笑)
768: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/01(金)12:02 AAS
>>767
精神分析は「二者間」で行われるものですが、分析家の「解釈」に目が行かず、
あくまで自らの自由連想にのみ目が行っている状態に病理があると思います。
人工的に作られた、カウチに横たわる子供と世話する分析家という設定の中で、
転移が生じないというのはやはりひとつの病理と考えてよいでしょう。
>たまたまそれらしい事が思い浮かんでもやっぱ違うってのを繰り返してたら
そこに分析家の「解釈」が入っていくのが精神分析で、時にあほらしいと
省2
770(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/01(金)12:25 AAS
>>769
読んではいますが翻訳されたものだけなので、「読んだ」とはいえないでしょう。
翻訳されていないもののほうが圧倒的に多いのですから。
ましてや、「理解している」などとは言えません。
勉強不足で申し訳ありません。
775(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/01(金)14:49 AAS
>>771
「自由連想」にたいしてあほらしいと感じることと
「人工的に作られた状況」にたいしてあほらしいと感じることは、
話の次元がちがってきてしまいます。
>無意識に届くというのが二者間の転移ありきみたいな決め付けの根拠は?
この問いに関しては、言葉足らずの私があれこれ言うより、
以下の文献をおすすめします。ラカンからだいぶズレますが。
省3
776(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/01(金)15:06 AAS
<<774
それらを厳密に説明する能力は私にはありません。
前にも申したとおり、ラカンを「理解した」わけではありませんので。
ただ単語レベルの意味を知るだけなら、精神分析事典や
概説書があふれていますので、そちらを参照ください。
シェママ編・精神分析事典は、好き嫌いが分かれますが、
わりとすっきりとした説明を得ることができるように思います。
省1
777: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/01(金)15:13 AAS
↑
>>774です。訂正。
780(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/02(土)08:29 AAS
>>778
>私は一応ラカンを共に勉強する輪の中にいる人間ですが
これはうらやましいですね。私も社会人対象のゼミで師を囲んでカントを
読んでいますが、ラカンを読もう!と呼びかけても賛同者はいません。
ラカンが理解しにくいのは、
ラカンが「定義」を怠ったのか、単に自分の勉強不足なのか、
それはやはり、原語でセミネールをすべて読んでみないとわからないし、
省8
795(2): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/02(土)12:13 AAS
>>794
なるほど。興味深いご意見ですね。
そこでちょっとご指導いただきたいのですが、794さんはこれまでに
どのような解説書を読破され、いま、ご自身の中にどのような
「ラカン」を「つくる」ことができたのでしょうか。
具体的にお教えいただけるとありがたいです。
よろしくお願いします。
797(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/02(土)12:41 AAS
>>796
そうですね。ラカンはフランス人にも読めないと言われているくらいですから。
ただ、原書で読むと、ラカン特有の「言葉遣い」に慣れてきて、「意味内容」が
把握できると、セミネールを読破された分析家に聞いたことがあるので、
少し希望を持ってしまったわけです。ただし10年以上の格闘が必要だそうですが。
フランスにもアメリカにも200や300のラカン派が存在すること自体、
テクストに問題があると思いますね。その問題のあるテクストに魅了されて
省1
818(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/03(日)02:34 AAS
>>806
ラカンを読もうとすると、ラカンだけではどうしてもすまなくなりますね。
フロイトやソシュールは、賛否両論あれやはりおさえておきたいし、
ラカン自体が、ヘーゲル、ハイデガー、ニーチェ、スピノザなどから
決定的な影響を受けていることも考えると、そちらにも手を出したくなり、
それは「二次的恩恵」であると同時に、「二次的困難」でもあります。
この先自分がどれくらいの思想書を読破できるかと考えると、暗澹たる気分になりますね。
省3
829: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/03(日)04:59 AAS
このスレはなかなかおもしろいですね。最近は目覚めるたびにチェックする
癖がついてしまいました。
ところで>>826さん、素人君とは私のことでよろしいのでしょうか。
とりあえず、学者の方をなめているなどということはまったくありませんし、
いろいろ教えていただいたり、間違いがあれば訂正していただきたいと
思っています。せっかく学者の方とコミュニケーションを取れるチャンス
なのですが。素人君というのが私のことではなく、まだまだラカンに
省3
831: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/03(日)05:06 AAS
コジェーブの講義で何が行われていたか。
基本的な解答としては、コジェーブがへーゲリアンであり、
ヘーゲル読解を行っていたことから、やはり「精神現象学にかんするもの」
なのではないかと思います。そこからラカンが欲望について思考を
深めていったことからも、そう答えたくなります。
しかし乱暴に答えるとすると、「全部」なのではないかと。
一人の思想家について講義をするとき、必ず他の思想家との関連が出てくる。
省2
832: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/03(日)05:11 AAS
そもそもラカンだけでなく、フランスの思想家のそうそうたるメンバーが
参加し、多大な影響を受け、しかし彼らは独自の道を歩んでいったことから、
精神現象学を主軸に、多くのことが関連して語られたのではないかと思います。
しかし、コジェーブが6年にもわたって講義した中心の内容は、
やはり「精神現象学」に関するものだったのではないでしょうか。
860: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/04(月)00:15 AAS
上記>>859は、私素人の記述です。
862: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/04(月)00:47 AAS
>>828
756さんの問いとほぼ同じ問いを私も持っていました。
>でもその答は無意識の不確定性であるはずだ。
そんな理論が何故、治療法として利用されているのか。
自由連想の結果も永遠に不確実。
それがクランケの治癒とどう結び付くのか。
そこら辺に興味がある。
省14
869(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/04(月)01:04 AAS
>>861
またM・クラインも立派な分析家であったと思います。
彼女の波乱に満ちた人生にも興味があります。
丸山はソシュールを読んでいるときに、2冊ほどよみました。
おなじみの「ソシュールの思想」とあと「言葉と無意識」だったか。
「欲動」は読んだことがありません。ぜひ読んでみようと思います。
M・クラインの仕事ぶりはもちろん、彼女が女性であったことも
省4
871: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/04(月)01:07 AAS
>>868
当然、承知しております(笑)大丈夫です。読めばわかります。
875(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/04(月)01:32 AAS
>>873
結局、クラインは、せっかくの上等の「経験」をうまく「概念化」できず、
読み手としてはやや稚拙に感じる言葉、たとえば「よい乳房・悪い乳房」などという
用語に甘んじてしまったのだと思います。「死の欲動」を「羨望」と結びつける
くだりも、やや短絡的と感じる読み手は多いと思います。
ただ、アブラハム等に教育分析を受けながら、独自の精神分析を拡大
していった勇気(?)には頭が下がりますが。
省6
881(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/04(月)01:58 AAS
>>878
なるほど。
>精神分析は「思想」であり「解剖学」です。
臨床は「実践」であり「精神の再構築」ですから。
非常にすっきりとする言葉ですね。
自分なりの「臨床」の意味が変化しそうですね。
こういう言葉に出会えると非常にありがたいですね。
省3
889(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/04(月)03:15 AAS
>>884
私は自ら学問として精神分析やその他の精神療法に関わったわけではなく、
さまざまな療法に興味があり、患者として(特に症状もないのに)
関わりました。ロジャーズ派のカウンセリングなどは「治癒」には
適しているだろうという感慨を受けたし、対面の精神療法なども、やはり
「治癒」には効果がある。もちろん、治療者の力量も関係してくるわけですが。
しかし、精神分析は全くちがう。分析経験が5年以上たった今でも、
省7
891: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/04(月)05:31 AAS
>>890
実際に見聞きしたわけではありませんが、ラカンの介入の仕方はかなりのもの
だったと思います。セッションの時間を極端にずらしてみたり、背後から
患者の顔までまわりこんできたり、5分と話を聞かず、患者をぽいと放り出したり。
しかし、その侵襲性が、逆に強烈な転移を生じさせたのかもしれません。
ロジャーズはひたすら「受容」「共感」したのに対し、精神分析家は、
患者の顔も見えない位置で「はなし」をする。ここであえてパロールだの
省9
921(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/04(月)19:21 AAS
なんか荒れているのかいないのか。
私自身、かえれコールや追い出せコール、自作自演容疑と、やはり2ちゃんは
なかなかゆにーくですね。
>899
たしかに、勇気を持ってこたえるべきでした。しかし私の中には「用語」と
しての「象徴界・想像界・現実界」、または解説書などで読んだ他者の
解釈しかなく、自ら説明する能力は、やはりまだないんです。せっかく応援
省6
922(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/04(月)20:08 AAS
>>910
私自身が精神分析派という自覚はありませんでし、哲学派の人たちと対立が起こる
というようなことも知りませんでしたが、そう仮定したとしても、少々疑問点が。
>なぜ後期ラカンでなければならないか。中期ラカンではデリダやドゥーズや、
ポスト構造主義連中に馬鹿にされちゃうからです。
それに中期を語るのにラカンでなくてもたくさんいますから、
ソシュール、レヴィ、バタイユ・・・
省12
965: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/05(火)04:13 AAS
>>924
>哲学者の視点だけではラカン理解はむしろ陳腐なものになっていまうんではないでしょうか?
やはりある程度臨床の視点というか、興味もないと思想の発展性もないように思えます。
そうですね。私は臨床的興味からラカンへの興味に移り、当然、ラカンに深く
関連する思想家たちにも近づいていくという道のりだったので、どうしても
臨床(この言葉が適切かどうかはわかりませんが)的視点でラカンを読む癖が
ありますね。結局は、精神分析的視点と哲学的視点が融合しないと、どうしようもないし、
省9
966(1): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/05(火)04:28 AAS
>>925
日本ラカン協会に関しては、やはりどうしても興味があるのですが、
独学とはいえもう少し勉強しないと、乗り込んではいけませんね。
とはいえ、じつはこそこそと会員の方に相談に行ったり、
分析家(日本ラカン協会に所属しています)に
相談したりもしたのですが、基本的に精神分析を行っている最中は、
「生の分析家」と会う機会は避けたほうがよいとのアドバイスを受け、
省11
967: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/05(火)05:00 AAS
>>926
>バタイユもラカンもコジェーブ学校の生徒なので、
ヘーゲル+ハイデガー経由ですね。
ここは哲学板なので、この当たりは前提としてあるので、
どうしても精神分析派への風当たりは強くなるのでしょうね。
私が語ろうとするラカンは結局、分析家としてのラカンであり、
精神分析について語ろうとしてしまうので、やはり「哲学板」には
省8
969(2): 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/05(火)09:37 AAS
>>968
日本ラカン協会のHPだけでは、ちょっと情報不足なので、もう少し詳しく教えていただけますか。
1、A会員とB会員のちがいについて
2、会員の中の専門職の割合(学者、分析家、医師、文学者等のだいたいの割合)
3、1年間に何回ほど、どんな集まりがあり、その内容はどんなものか
4、総会というと、具体的にどんな場所で、どんな雰囲気で、どういったことがなされるのか
5、入会に際して、率直なところ、ラカンに関してどの程度のレベルのことが求められるのか
省12
970: 素人 ◆jLJAndC18w 2006/09/05(火)09:46 AAS
>>968
師の必要性、ありがたみというのは、よく感じます。
>私はフロイト派、ユング派、ロジャース派、仏教では真言密教、曹洞禅と色々な師についた
経験がありますが
これはうらやましいご経験ですね。なんでも経験するのとしないのでは
大きくちがう。私ははじめ、ユング派の師についていたのですが、途中から
ユング自体に魅力を感じなくなったこと、派閥などがからんで、
省4
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