[過去ログ] 2023/05/28~ 粘着の正体見たりクボヲタク ✿ 9 (1004レス)
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398: 20時間埋め立て荒らしパソおじ⇄【ddlG】確認⇄ ◇3yPKpHspFM (スッップ Sdbf-ddlG) 2023/05/30(火)08:50 ID:E1XbeGjGd(1) AAS
1 蚤の市 ★ sage 2023/05/30(火) 08:27:24.13 ID:0xOuqAxW9
 太平洋戦争末期の横浜大空襲から78年となった29日、横浜市中区の大通り公園で市が管理する「平和祈念碑」の内部が公開され、一部の犠牲者の氏名が刻まれた銘板に手を合わせて冥福を祈る人たちの姿が見られた。同区の横浜にぎわい座では市民団体が「5・29横浜大空襲祈念のつどい」を開き、参加者が平和への誓いを新たにした。(阿部博行)
 米軍機から大量の焼夷(しょうい)弾が投下され続けた時間帯にあたる午前十時、祈念碑を訪れた同市神奈川区の栩野(とちの)美枝さん(70)は犠牲者の銘板に二十五歳で亡くなった伯母の名前を確認すると、じっと手を合わせた。
 七十八年前、伯母は浜松市内の病院から横浜の病院に応援に来ていて勤務中に空襲に遭った。二人の患者を避難させようとして逃げ遅れ、折り重なった遺体の中から焼け残った名札で身元が判明した。
 栩野さんの母親(96)は九歳年上だった伯母を今も慕い、一昨年まで毎年、川崎市中原区の自宅から慰霊に来ていた。高齢となって寝言で「姉さん、姉さん」と呼ぶことがあり、栩野さんはこの日、祈念碑に鎮魂と平和への願いを込め、亡き伯母に「母を見守ってください」と祈った。
 祈念碑に近い横浜市南区白妙町の田中敏一さん(88)は山形県に学童疎開中に自宅が空襲で焼かれた。父親は警防団員として活動中で、母親は近所に避難して無事だったが、「山形から戻ると焼け野原になっていて愕然(がくぜん)とした」と振り返る。
 田中さんは毎年五月二十九日に祈念碑に立ち寄っているが「犠牲者の遺族が高齢化したためか、年々訪れる人が少なくなったと感じる」という。「あの戦争で多くの尊い命とお金を無駄にしたことを子どもたちに伝えたい。戦争は断固許せない」と話した。
省16
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