[過去ログ] 邪馬台国畿内説 part1934 (1002レス)
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284: 2023/12/19(火)10:50 AAS
報告された(推定ではなく、)状況が事実ならば、整地層が出現した時期は、整地土より上層の布留0式期=庄内3式期の可能性が、高いな。なぜならば、整地層に、主に庄内古式が含まれていたならば、整地土は、周辺の庄内古式の地層を掘り起こし運搬されたことになるからだ。
そして、整地層から、整地作業中に使用され混入した【割れていない庄内3式期の土器】が発見されても、全く、不自然ではないね。
つまり、サクレツFの北端のハシラ穴から発見された【割れていない庄内3式期の土器】は、実際には、発掘破壊時にハシラ穴の底を見逃し、さらに、発掘破壊で掘り下げられた整地土の中に、布留0式期の整地作業中に何らかの目的で使用され、埋もれていた土器だったのだ、というのは、ごく自然な意見だよ。
整地が庄内式期になされたとして、
使用される土器が布留1式や布留2式に入れ替わるまで、つまり、せいぜい半世紀程度の間で、人の活動痕のある、その地表面には、せいぜい数センチの厚さの堆積はあったかもしれないが、ヤマタイコクキナイセツは、発掘破壊調査で、布留式の地層があるかのように報告しているね。
だが、その布留1式期前後の地層の厚さを確認できる、記録写真は、残されては、いないのでは、ないのかな。
連続しながら重複していく他の活動痕があるにも拘わらず、建物や柵のハシラが整地時に立てられ、庄内式期中に抜き出されたと断定してしまったのは、やはり、ホウケイシュウコウボの誤認や建物Dのハシラと布留1式期の溝の切り合い関係の見逃しの件でもわかるように、色々な物事に対して、考えが至らず、早とちりする体質があるからではないのかな。
省2
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