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邪馬台国畿内説 Part751 (1002レス)
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1 ◆n7jxAxKCBhb6
2022/01/13(木)10:53
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43: 1 ◆n7jxAxKCBhb6 [sage] 2022/01/13(木) 10:53:41 ◆FAQ 49 Q:光武が印綬を賜うた委奴国はイト国と読むべきではないのか? A:古代音韻史が未発達であった時代の謬説であり、過去の遺物である。 今日の定説では「奴」をdoと濁るのは隋唐長安音であり1世紀の発音としてあり得ない。上古音nagが順当であろう。 また、范曄後漢書に先行する袁宏(東晋)後漢紀光武帝紀にも「倭奴国」として現れており、「委」が「倭」と同義であることに疑問の余地が無い。 魯宣公倭が委とも表記されることからも通用が明らかである。 「宣公 名倭。一名接。又作委。文公子。」(杜預左氏伝註) さらに「委」、「倭」の子音はwであり、伊都国はyであるので全く発音が異なる。 固より光武時には已に「倭人」という民族名が知られており、此の文字を同じ倭人の国名表記に、民族名としての倭という語義を含意させずに固有名詞「倭奴」として用いることも、就中発音の異なる表音文字として使用することも、凡そ正常な用字とは考え難い。 また、正式の国名が複合語であるケースも「(女偏に若)羌」「車師後部」など珍しくない。 ◆FAQ 50 Q:纒向の大型建物群はそれほど画期的で空前絶後なものなのか? どこにでもありそうだ。 A:建物群が大小とも中心軸を共有する規格性を有することは画期的であるが、計画的配置という点では伊勢遺跡という先行例がある。 画期的と言う意味では、建物及び囲繞柵列が作る空間が「庭院と回廊からなる朝庭」的空間を想起させる点は、接面する幹線道路の質と相俟って、柵列を伴う倉庫群と一線を画す。 纒向全体の規模と計画性を鑑みれば、必然的に比較対象は飛鳥等の宮処となろう。 勿論、箸中山・渋谷向山・行灯山の規模を考えれば誉田山・大仙に対応する未発見の宮処がより上位であることは予察されるものの、現状では飛鳥時代の宮処以前に纒向の大型建物群に比肩するような知見はない。 単に床面積のみ着目すれば時代的に後続する七尾の万行遺跡SB02(布留0併行)は大規模であるが、立地ならびに構造から見て用途が宮処ではないので、比較対象外である。 http://lavender.5ch.net/test/read.cgi/history/1642037432/43
光武が印綬を賜うた委奴国はイト国と読むべきではないのか? 古代音韻史が未発達であった時代の謬説であり過去の遺物である 今日の定説では奴をと濁るのは唐長安音であり1世紀の発音としてあり得ない上古音が順当であろう また後漢書に先行する宏東晋後漢紀光武帝紀にも倭奴国として現れており委が倭と同義であることに疑問の余地が無い 魯宣公倭が委とも表記されることからも通用が明らかである 宣公 名倭一名接又作委文公子杜預左氏伝註 さらに委倭の子音はであり伊都国はであるので全く発音が異なる 固より光武時にはに倭人という民族名が知られており此の文字を同じ倭人の国名表記に民族名としての倭という語義を含意させずに固有名詞倭奴として用いることも就中発音の異なる表音文字として使用することも凡そ正常な用字とは考え難い また正式の国名が複合語であるケースも女偏に若車師後部など珍しくない 向の大型建物群はそれほど画期的で空前絶後なものなのか? どこにでもありそうだ 建物群が大小とも中心軸を共有する規格性を有することは画期的であるが計画的配置という点では伊勢遺跡という先行例がある 画期的と言う意味では建物及び囲柵列が作る空間が庭院と回廊からなる朝庭的空間を想起させる点は接面する幹線道路の質と相って柵列を伴う倉庫群と一線を画す 向全体の規模と計画性を鑑みれば必然的に比較対象は飛鳥等の宮処となろう 勿論箸中山渋谷向山行灯山の規模を考えれば誉田山大仙に対応する未発見の宮処がより上位であることは予察されるものの現状では飛鳥時代の宮処以前に向の大型建物群に比肩するような知見はない 単に床面積のみ着目すれば時代的に後続する七尾の万行遺跡布留0併行は大規模であるが立地ならびに構造から見て用途が宮処ではないので比較対象外である
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