[過去ログ] 【三戦板】 三戦板白馬党 3 【解放区】 (1001レス)
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(1): 2015/06/17(水)16:46 AAS
日本資本主義の地域構造 ―人類学的下部構造からみた生産と消費―
外部リンク[pdf]:www.okabem.com

@絶対核家族
自由主義と平等主義が社会的な強制力として働くことが、絶対核家族地域の特徴である。
そこでは、子供の早い時期の独立と厳密な平等相続の習慣が、分けがたく結びついている。
この制度を支えているのは、親と子供の早期の別離をもたらす隠居と、末子相続の制度である。
この家族形態は日本の家族制度の中でもっとも権威主義から遠いところに位置する。
近世(17世紀から19世紀前半)においては、絶対核家族は、旧土佐藩、長州藩、薩摩藩の特徴であった。
近世を通じて関東の経済社会が成熟するにつれて、江戸と大坂を中心とする中央日本に核家族地域が形成されたが、
南部九州(主に旧薩摩藩の領域)ほど厳密で平等主義的な相続は行われなかった。
南部九州は、都市化がほとんど進まなかったにも拘らず、西南日本で最大かつ均質的な核家族地域である。
いわば、「地域産業はまったくの農業でありながら、家族類型はまったくの都会並み」(内藤、1972)なのである。

A平等主義的核家族
近世以来、近畿を中心として、中部地方、関東地方に支配的である。
南部九州ほど親子の別居が制度づけられていた訳ではないが、親と、結婚した子供との同居の習慣は行われなかった。
相続原則は、兄弟を平等に扱ったうえで、長子に優先的に相続させている。
平等主義的核家族においては、強制力としての自由主義的人間関係ではなく、むしろ強い権威の不在が特徴となっている。

B不完全直系家族
北陸、東海、北部九州に見られる。
基本的に結婚した子供と両親が同居し、相続習慣は長子優先だが、東北地方ほど長期にわたる親子の同居は行われない。
江戸時代から現代に至るまで、長子以外の「出稼ぎ」という形で他の核家族地域への恒常的な人口移動がある。
家と家の関係も主従的ではなく、平等的である。

C完全直系家族
東北日本、山陰に見られるこの家族形態は、権威主義的で不平等な社会関係を強固に保存している。
親子の同居はどちらかの死亡まで続き、分家した後も濃密な依存関係が続く。
特に農村部の家族は家父長的性格を保持し、本家―分家の結合が強く、両者は主従的関係にある。
ここでは、たいてい長男が唯一の遺産相続人になる。
東北日本の農村では、多くの農民家族が一人の「嫡系」成員に家産を相続させながら、
それ以外の「傍系」成員を家の外部に排除するという家産の保護・継承システムが伝統となっている。
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