男「大将! 油マシマシのアチアチラーメン一丁」 (27レス)
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8: [saga] 2020/07/05(日)09:03 ID:sGoLw9kr0(8/22) AAS
??

 店主の記憶は今や、全て明らかとなった。
 あの日も、大タヌキは店に来るなり「こってりラーメン」大盛りを声高らかに注文した。その提供は実に迅速だ。あっという間にできあがったラーメンが、大タヌキの前へと店主自身の手によって運ばれてくる。店主からしてみれば、大タヌキが店に入ってくるなり通常の二倍の麺をゆで始め、注文が入るころには麺のあがりを待ち構えているのだから当然といえば当然の早さであろう。あとは、大タヌキの食の進みに従って、注文されるであろう替え玉の投入時期を見極めるばかりなのである。「ナナフシ」が来店したのは、そんなタイミングであった。

 ナナフシは、大タヌキとは対照的に線の細い男であった。細く鋭い目に、シャープな印象の角ばった眼鏡をかけている。普通の感性であるならば、タヌキの対象で彼に「キツネ」の愛称をつけたであろう。しかし、ナナフシは「キツネ」と称するにはあまりに細すぎる。まるで道端に落ちている小枝のように、細く弱弱しい、かつ長く伸びた手足から想起されるのは必然的に昆虫の「ナナフシ」なのである。しかしながら、彼の食欲はその愛称とは打って変わって太く逞しいものだった。

 と言っても、大タヌキのように大量のラーメンに立ち向かうわけでは無い。彼が食べきるのは常に、通常の「こってりラーメン」一杯に過ぎない。だが、その一杯にかける静かながら熱い思いは常人のそれを遥かに超えている。大タヌキの食べっぷりを敵の大群の中を単身突き進む武将に例えるならば、ナナフシのそれは静止した世界の中から、一瞬で決着がつく剣豪同士の一騎打ちと言えよう。ナナフシの食事はあまりにも静かでかつ早い為、いつも店主が気づかぬうちに食べ終わってしまっているのだ。いつの日か店主は、ナナフシがラーメンの湯気で眼鏡を曇らしながらラーメンを啜っている姿を見てやろうと密かに隙を伺ってみたことがあった。しかしホンの一瞬、寸胴鍋に気を取られた僅かな時間の内に彼は既に「ごちそうさま」の合掌へと移行していたほどだ。
 
9: [saga] 2020/07/05(日)09:03 ID:sGoLw9kr0(9/22) AAS
 
 思い返せば、あの日は、そんな二人が店内に居合わせる初めての日であった。二人とも雷来軒の常連であるものの、来る時間帯が僅かにズレていることもあって、これまで二人が顔を合わすことがなかったのだ。それが何の因果か、今日は普段よりも少し早い時間にナナフシがやってきた。

 店主は、大タヌキを一瞥する。どうやら、食べ終わるにはまだ時間がかかりそうだ。店主の意識は、自然とナナフシへと移っていく。ナナフシは、店主へと軽い会釈を送って店内を見回した。手頃の席を物色しているのであろう。「さて、どこに座るのかな」と店主がその様子を伺っていると、ナナフシは突然ギョッと身体をひくつかせ、目をまん丸と開き呆けてしまった。その見開かれた眼には大タヌキの巨大な背中が映っていた。まあしかし、これは無理のないことだろう。見慣れてしまった店主ならともかく、初めて見るものにとっては大タヌキの体はあまりにも大きすぎた。

 「お好きな席にどうぞ」

 いつまでも動き出す様子のないナナフシに、店主は促す。するとナナフシは、ハッと我に返りそそくさと大タヌキの隣の席に腰を下ろした。他にも空いている席があるだろうに、と店主が訝しんでいると
ナナフシの目玉がチラリチラリと巨大などんぶりに向かう大タヌキへと向いているのが見て取れる。どうやら、ナナフシは大タヌキの様子が気になって仕方がないらしい。それは、ナナフシの目の前にラーメンが提供されてからも止むことはなかった。ナナフシは、何かブツブツと言葉にならない声を口から漏らし、その手に握られた箸はドンブリにたどり着くことなく宙を泳ぐばかりだ。大タヌキもさすがに、不気味な隣席の様子に気づいたようで、どうにもラーメンに集中できなくなってしまっていた。
10: [saga] 2020/07/05(日)09:04 ID:sGoLw9kr0(10/22) AAS
 「ごちそうさまでした」

 大タヌキの声に、店主は思わず「えっ!?」と驚きの声をあげてしまった。大タヌキの食の進み具合を見定め、注文こそ受けていない者の既に替え玉をゆで始めてしまっていたからだ。それを察してか、大タヌキも申し訳なさそうな表情でカウンターに金を置き、そそくさと店を出て行ってしまった。あの大タヌキが、替え玉を頼みもしないなんてことは、いまだかつてなかった。いやしかし、ナナフシの異様な挙動がなければこんなことはなかったであろう。店主は、茹で上がった替え玉をしばし恨めしく見つめ、その責任を問うかのように視線をナナフシへと移した。

 しかし、そこにナナフシの姿はなく、カウンターに置かれた代金と、全く手を付けられていないラーメンが寂しく湯気をあげているばかりであった。

 店主は、膝から崩れ落ちた。経緯はともかく、二人の常連が、一人は替え玉を頼まず、もう一人はラーメンに手を付けさえしなかったという事実が、店主へと重くのしかかったのだ。なにが完璧なバランスだ。なにが知る人ぞ知る名店だ。店主は、更なり進歩を追い求めなかった自分自身を呪った。だが、店主が再び立ち上がるまでにそれほどの時間はかからなかった。店主のラーメンへの熱い情熱が、再びハートを燃え上がらせたのだ。 
11: [saga] 2020/07/05(日)09:05 ID:sGoLw9kr0(11/22) AAS
??
 
 記憶を取り戻した店主は、ひどく戸惑っていた。ラーメンを残されただけで、自身がこれほどまでに正気を失ってしまうとは思いもしなかったのだ。店主は、人知れず自らの未成熟さを恥じ、落ち着いて思考をまわしはじめる。冷静に考えれば、あの日のラーメンに何ら非はなく、全てがナナフシに起因していることは明らかだ。ナナフシと大タヌキの間に、何が起こったのかはわからない。店主が知るのは、あくまで店内での出来事のみなのだ。ならば、どうするか。答えは一つしかあるまい。あの日以降も、この店に通い続けているナナフシに問いただせばよいのだ。

 突然、店のガラス戸が強く叩かれた。店主は、慌てて壁に掛けられた時計に目をやる。時刻は、朝九時をわずかに過ぎたばかり。営業開始には、程遠い時刻だ。扉の向こうには、妙な青い色をした服を着た人の影が見える。店内側にしまってある暖簾のせいで、その表情は伺えない。人影は、「開けてくれ」と荒い声をあげながら扉を叩き続けている。かすれてくぐもってはいるが、明らかに男の声だった。店主は、用心に越したことはないと麺棒を片手に扉へと近づき暖簾の隙間から外を覗いた。
12: [saga] 2020/07/05(日)09:05 ID:sGoLw9kr0(12/22) AAS
 そこには、息を切らした背の高い男が一人。青く生地の薄い一枚布の妙な服だ。店主は、それが医療ドラマなどでよく見る手術衣であることに気づいた。短い袖に、短い裾。そこから伸びた細長い手足は常連のナナフシを思い起こされるが、対照的にポッコリと突き出た腹が別人であることを物語っている。しかしまあ、何というアンバランスな体形だろうか。仮に店主が名付けるとしたら、まんまるとした体に刺されているかのような手足、「リンゴ飴」であろう。しかし、りんご飴と呼ぶには肌は酷く黒ずんでいて如何にもまずそうだ。目の周りに至っては、その黒さはまるで墨を塗っているかのようであった。

 店主は、謎の来訪者の顔を見て驚いた。

 「大タヌキじゃないか!」

 頬の肉が削げ落ち、肌の黒さがまし、異様な体形と人相に変わってこそいるが、目の前に立っている男は正に来々軒の大常連「大タヌキ」に間違いなかった。明らかに壮健とは言い難いその立ち姿に、店主の不安が一層に増す。しかし、こんな不健康そうな男を、いくら開店時間まで時間があるからと言って店先に立たせておくわけにもいかない。店主が、扉の鍵を開け大タヌキを店へと招き入れると、大タヌキは汗だらけの顔で精いっぱいの笑顔を店主へと向けてみせた。

 「大将。こってりラーメン大盛りで」
13: [saga] 2020/07/05(日)09:05 ID:sGoLw9kr0(13/22) AAS
??

 大タヌキの手術衣はところどころ生地が裂けており、更には靴すら履いておらず、土にまみれた素足には赤黒いものすら見て取れた。顔面一杯の汗も、健康的にかかれたものではあるまい。俗にいう冷や汗というやつだ。「雷来軒」は、その発する強いとんこつ臭が故に山奥に構えられた店だ。大タヌキの様子を見るに、とても車でやってきたとは思えない。

 「大将、聞こえなかったのか?」

 「いや、すまない。注文は聞こえていたさ。しかし、お客さん。その恰好は一体……?」

 目の前の状況に、店主は半ば混乱していた。あんな格好で山を登ってきたのか。いったいどこから。いや、どうして。いやいやいや、そんなことより財布は持っているのか。通常では考えられない状況に、疑問が疑問を呼び思考が定まらない。
 
 「大将! 俺はアンタのラーメンを食うために命を懸けて、ここまで来たんだ!」
省1
14: [saga] 2020/07/05(日)09:06 ID:sGoLw9kr0(14/22) AAS
 店主の脳内は、疑念に溢れ相変わらずの混乱状態だ。だが、厨房に入ると体に染みついた動作が自然と繰り出される。スープはいい具合に煮詰まってきている。白髪ねぎを細く刻み、瓶からメンマを取り出す。チャーシューは、薄すぎず熱すぎず。スープの熱で、中まで十分温まるぐらいがベストだ。そして、昨晩の内に燻しておいたゆで卵。こいつがあるのと無いのじゃ、段違い。さあ、机に並びますは来々軒が最高の一杯「こってりラーメン」だ。

 「へい、お待ち」

 大タヌキは目の前に置かれたどんぶりを前に、感極まっている。震える手を何とか抑え、割りばしへと手を伸ばす。静まり返った店内に、割りばしの割れる音が響いた。

 「いただきま―――」

 「だめだ! それを食べては死ぬぞ!」
省1
15: [saga] 2020/07/05(日)09:06 ID:sGoLw9kr0(15/22) AAS
??

 ナナフシの着た服は、色は同じであるものの大タヌキのそれに比べて生地が丈夫でかつ上下に分かれたものであった。そして、手にはめられたゴム手袋。顔を覆うマスクにゴーグル、頭にのった同色の帽子が示す答えは、大タヌキとの関係性だ。ナナフシは、医者であったのだ。ならば大タヌキは。当然、患者であろう。

 「先生。堪忍してくれ!」

 「そんなものを食べてごらんなさい。折角下がった血圧が、また上がりますよ。そうしたら、次に手術ができるのがいつになるかわかったもんじゃありません!」

 声を荒げる二人を前に、店主は、ようやく状況を飲み込みつつあった。察するに、何らかの手術を前にして逃げ出した大タヌキを医者であるナナフシが追ってきたのであろう。
省1
16: [saga] 2020/07/05(日)09:07 ID:sGoLw9kr0(16/22) AAS
 検査の結果は、当然のごとく芳しいものではなかった。むしろ、最悪といっていい状況であった。ありとあらゆる成人病を身に宿した男を前に、ナナフシはラーメンか健康かを迫った。まさにデッドオアアライブ。大タヌキも、如何にラーメンが好きとはいえ自らの命と天秤にかけられれば他に選択の余地などない。ナナフシに言われるがまま、すぐさま入院することとなり様々な医療的処置を受けることとなった。大タヌキも、しばらくの間は大人しく体を労わった。

 しかし、それが3か月目にもなると我慢も限界だ。やせ細った身体が、あの油に満ちて香ばしい匂いを立ち上らせるラーメンに焦がれだしたのだ。あとは御覧の様である。病院を抜け出した大タヌキの素足は、来々軒を具えるこの山へと向いたというわけだ。

 「でもよう先生ぇ。手術が終わったって、すぐにラーメンが食えるようになるわけじゃあ無いんだろう? 俺はもう我慢ならねえ!」

 「あっさり出汁のラーメンを病院食で出すよう指示を出しますから。それなら、手術後一週間も経てば食べられるようになりますから!」

 「ここのラーメンじゃなきゃ駄目なんだよう!」
省3
17: [saga] 2020/07/05(日)09:07 ID:sGoLw9kr0(17/22) AAS
 箸を振り上げた大タヌキに、ナナフシが組み付く。いくらやせ細ったといっても、大タヌキとナナフシでは決着は明らかだ。だが、ナナフシはその細い身体のどこに宿したものか、あらんかぎりの力で大タヌキの食事を阻止している。争う二人を前に、店主の思考はゆっくりと回り始めていた。

 大タヌキは言う「命をかけてラーメンを食う」と。対してナナフシは「命をかけて救う」と宣う。二人の人間が、それぞれの心情を前に命をかけてみせた。店主は、どちらに味方するでもなく二人の争いをただ見守ることしかできていなかった。二人のあまりの気迫に、自らがどこか場違いな人間であるかのように感じてしまっていたのだ。いや、大タヌキの目の前に置かれたラーメンは、それこそ店主がこの三か月の間、命を削って作り上げた新作なのである。ならば、この二人の物語に割って入る権利が俺にもあるはずだ。店主は、そう思いなおしこそすれ動けずにいた。

 せっかく作ったラーメンだ。誰かに食べてもらわなければ報われない。だが、もし大タヌキがこのラーメンを食べ、もろもろの結果死に至るとしたらどうだろうか。店主は、自らの命をかけてラーメンを作れこそすれ、誰かを殺す覚悟迄は持ち合わせてはいなかった。店主は、あまりの情けなさに泣きそうになっていた。ここは、店主の城「来々軒」であるというのに己だけが蚊帳の外にあるようで寂しくなったのだ。

 「ここは、俺の店なのに。俺がルールなのに」

 そう、この店は「雷来軒」。提供するのは、自慢の「こってりラーメン」のみ。完璧なバランスで生み出されたラーメンには、店主以外の如何なるものも手を加えてはならない。だから机には、辛子高菜もニンニク醤油もコショウすら置かれていない。
省1
18: [saga] 2020/07/05(日)09:08 ID:sGoLw9kr0(18/22) AAS
 店主のハートがふと燃え上がった。

 「何人たりとも俺の店で好き勝手にされてたまるか。何が『命をかけてラーメンを食う』だ。俺の作った味には、如何なる者も手を加えちゃいけねえんだ。客の命なんてもん絶対にかけさせねえ。かけていいのは俺の命だけだ。それに、何が『私が代わりに食べてやる』だ。こいつは、朝九時一杯目のラーメンなんだ。食していいのは俺だけだ!」

 店主は、二人の間に無理やり割って入る。二人ともすごい力ではあるが、朝早くから徒歩で山を登ってきた身である。とても店主の腕力には適わず、ドンブリを奪われてしまった。店主は、恐ろしい勢いで麺をすすり、スープを飲み、燻製の玉子をかじった。みるみる失われていくドンブリの中身に、大タヌキがすすり泣き、ナナフシがあんぐりと口をあけてその様子を眺めている。

 店主は、ずずずっと最後の一滴までスープを飲み干し空のドンブリをドンっと机に置いた。

 「今日のラーメンはいまいちだ。帰ってくんな、今日はもう店じまいだ」
19: [saga] 2020/07/05(日)09:08 ID:sGoLw9kr0(19/22) AAS
??

 とある昼下がり、店に暖簾は掲げられていない。カウンターには、三人の男。店主に、ナナフシ。そして、いまや大タヌキの名を返上した『細タヌキ』だ。

 「どうだい。来々軒新作の『あっさりラーメン』は」

 ナナフシが、店長を讃え感嘆の声を漏らす。

 「いや、さすがです店主。『こってりラーメン』とベクトルが違うこそすれ、その絶妙な味のバランス感覚は十二分に発揮されている」
省3
20: [saga] 2020/07/05(日)09:09 ID:sGoLw9kr0(20/22) AAS
 「だめですよ、もう少しの辛抱なんですから我慢してください。それに、店長は病み上がりの貴方に負担をかけないためにわざわざこの新作を作ってくれたんですよ。感謝こそすれ、文句を垂れるとは何様ですか」

 ナナフシに諭され、細タヌキは拗ねた子供のようにそっぽを向く。

 「でも、ありがとうよ大将」

 照れくさそうに感謝の意を告げる細タヌキを前に、店主がニヤリと口角をあげ厨房の奥へと引っ込んだ。しばらくして、戻ってきた店主の手には透明な小瓶が握られていた。カウンターにコトリと置かれた小瓶の中には、灰色の粉末がいっぱいに詰まっている。細タヌキとナナフシが、驚いて顔を見合わせた。

 「おい大将……こいつはコショウじゃねえか」
省2
21: [saga] 2020/07/05(日)09:09 ID:sGoLw9kr0(21/22) AAS
 「まあ、命をかけられるよりはマシってもんさ」
22: [saga] 2020/07/05(日)09:10 ID:sGoLw9kr0(22/22) AAS
卍卍卍卍卍卍卍卍

    おわり

卍卍卍卍卍卍卍卍
  
23: 2020/07/05(日)19:14 ID:P6zeRPLQO携(1) AAS
読みやすいし面白かった、乙
24: 2020/07/07(火)01:52 ID:CUY1jcYc0(1) AAS
良いねぇ!!
25: 2020/07/07(火)11:10 ID:MpsHL5OU0(1) AAS
腹が減ったぜ……
26: 2020/07/10(金)05:41 ID:PilxKjpq0(1) AAS
やるじゃん
27: 2020/07/12(日)02:05 ID:V3f7pyAw0(1) AAS
美味そう
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