母の飼い主 1 (204レス)
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1: 悦司 2013/10/10(木)23:46 AAS
「じゃあ、そろそろ行くから」
 そう母に告げて、僕はボストンバッグを抱えた。
 母は玄関まで見送りに出た。もともと寂しげな面立ちなのだが、その日の母はいつもよ
り気持ちが沈んでいるようで、内心の陰りが表情にあらわれていた。線の細い身体が普段
にもまして細く見えた。
「気をつけてね。何度も言うけれど、ひとり暮らしだからといって、不規則な生活をした
ら駄目。食事だけはきちんと取って」
「わかってるよ」と僕は言った。「母さんだって、ひとり暮らしは初めてだろう? 息子
としては心配で、心配で。食事だけはきちんと食べなよ」
 わざと冗談めかしたような口調で言ったのだが、あいにくと母はジョークの分かる性格
ではない。ぷいっと横を向いて、「あなたといっしょにしないでちょうだい」と怒った声で答えた。
 やれやれ。
「じゃあ、行くから。ゴールデンウィークには帰れたら帰るよ」
「行ってらっしゃい…」
 玄関を出るとき、ふりかえると、母が潤んだ目で僕を見つめていた。

 僕が生まれ育ったわが家を出ることになったのは、大学に合格したからだ。
 東京にあるその大学に通うため、僕は人生初のひとり暮らしをすることになった――同時に、母も。
 僕の父は僕が中学生のとき、心臓の病で亡くなった。以来、僕と母はふたりだけで暮らしてきた。
 幸いなことに、わが家はそう貧しいほうではなかった。資産家の息子であり、開業医でもあった父は、相当の財産を僕たち母子に遺してくれた。
元来、着物好きな母は、父の没後、週に一度カルチャースクールで着付けの先生をするようになったが、それだって生活上の必要に迫られてというよりは、母の個人的な気分転換という意味合いのほうが強かったはずだ。

 そんなわけで、父を失ってからも、僕が学校から帰ると、家にはいつも母がいた。もちろん、父の死は僕にとって大きな衝撃だったが、その後の生活において、さほどまでの寂しさを味わった覚えがないのは、母の存在が大きい。

 もっとも、母にしてみれば、事情はまったく異なっていたにちがいない。
だいたい母という人は、箱入り娘のお嬢さんがそのまま妻になり、母になったというような女性で、世間の荒波に揉まれたことといえば、父の死が最初の経験であったように思われる。もちろん、これは一般の基準からしても大変な出来事であっただろう。なにしろ、まだ三十半ばにして、母は未亡人になってしまったのだから。
いくつになっても少女のようなところを残している母を、それゆえに父は深く愛していたのだと思う。母にしても、一途に父を愛し、心底頼りきっていたから、突然の死に激しいショックを受けた。もともと寂しげな顔立ちの人が、以来、いっそう寂しげに見えるようになった――と、僕はある親戚に聞かされたことがある。

 ところで、母の容貌についてもう少し書くと――なにぶん身内のことで言いにくいのだが――古典的な和風美人という形容がぴったりくる。そのため、再婚話もずいぶんあったらしい。余計なこぶ(もちろん僕のことである)がくっついていることを考慮すれば、それなりに凄いことだと思う。
 その再婚話のいずれも母は断った。父のことを忘れられなかったからだろう。それに、僕というひとり息子の存在もあった。母は亡くした夫のぶんまで、僕に愛情を注いできたのだと思う。
だからこそ、大学合格を機に上京することが決まったとき、僕の胸にあったのは、喜びの感情ばかりではなかった。
ひとりになった母がどんなに寂しい想いをするだろう――と、そのことが気がかりだったのである。
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