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: 2018/08/24(金)08:00
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861: [sage] ttps://www3.nhk.or.jp/news/html/20180823/k10011588021000.html 昭和天皇 戦争責任めぐり苦悩漏らす 元侍従の日記に記述 2018年8月23日 18時29分 昭和天皇が晩年、「細く長く生きても仕方がない。戦争責任のことをいわれる」と戦争責任をめぐる苦悩を周囲に漏らしていことが元側近の日記からわかりました。専門家は「昭和天皇が戦争責任の問題を長年重く受け止め、高齢になるにつれその思いが強くなっていたことがうかがえる」と分析しています。 小林忍元侍従は、昭和49年から昭和の終わりまで14年余りにわたって、昭和天皇の側近を務めました。 小林元侍従はこの期間を含め長年にわたり日記をつけていて、このうち、昭和62年4月7日の日記には、当時85歳だった昭和天皇が、前日に「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と語ったと記され、戦争責任をめぐる苦悩などを周囲に漏らしていたことがわかりました。 こうした戦争責任をめぐる昭和天皇の心情は、すでに公表されているほかの侍従の日記などにも記されていて、日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授は「これまでほかの資料で大筋わかっていたことが詳しく裏付けられた。昭和天皇が戦争責任の問題を長年重く受け止め、高齢になるにつれその思いが強くなっていたことがうかがえる」と分析しています。 ttp://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00399310.html 昭和天皇「戦争責任のことを...」 晩年の苦悩 明らかに 08/23 19:07 平成最後の年に明らかになった、ある日記。 そこに記されていたのは、戦争責任をめぐり苦悩する、昭和天皇の晩年の姿だった。 先の大戦で、戦没者がおよそ310万人にのぼった日本。 戦後、昭和天皇は、国民に寄り添うように、戦争で荒れ果てた全国各地に足を運んだ。 その一方で、昭和天皇の苦悩が晩年まで続いていたことが、ある人物の日記により、明らかになった。 1974年4月から昭和天皇が亡くなるまで、そばで仕えた元侍従、故・小林 忍さんの日記。 1987年4月7日の日記には「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛(つら)いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり」、「戦争責任のことをいわれる」などの記述がある。 宮内庁が編さんした「昭和天皇実録」と照らし合わせると、さまざまな苦悩に言及した昭和天皇の発言は、85歳の時、公務を行う宮殿・菊の間で、侍従長らに対して行われたものとみられる。 1975年、初の記者会見で、昭和天皇は「(ご在位中に最もつらく悲しかった思いでは?)第2次大戦であると思います。私は、こういう悲しむべきことが今後も起こらないことを祈っております」と話されていた。 平和への祈りの一方で、戦争責任をめぐる苦悩が晩年まで続いていたことを明らかにした、小林氏の日記。 昭和天皇の発言を聞いた小林氏は、当時、「戦争責任はごく一部のものがいうだけで国民の大多数はそうではない。お気になさることはない(1987年4月7日の日記より)」と、昭和天皇に率直な思いを伝えたという。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/5135/1515314720/861
昭和天皇 戦争責任めぐり苦悩漏らす 元侍従の日記に記述 年月日 時分 昭和天皇が晩年細く長く生きても仕方がない戦争責任のことをいわれると戦争責任をめぐる苦悩を周囲に漏らしていことが元側近の日記からわかりました専門家は昭和天皇が戦争責任の問題を長年重く受け止め高齢になるにつれその思いが強くなっていたことがうかがえると分析しています 小林忍元侍従は昭和年から昭和の終わりまで年余りにわたって昭和天皇の側近を務めました 小林元侍従はこの期間を含め長年にわたり日記をつけていてこのうち昭和年4月7日の日記には当時歳だった昭和天皇が前日に仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり兄弟など近親者の不幸にあい戦争責任のことをいわれると語ったと記され戦争責任をめぐる苦悩などを周囲に漏らしていたことがわかりました こうした戦争責任をめぐる昭和天皇の心情はすでに公表されているほかの侍従の日記などにも記されていて日本近現代史が専門の日本大学の古川隆久教授はこれまでほかの資料で大筋わかっていたことが詳しく裏付けられた昭和天皇が戦争責任の問題を長年重く受け止め高齢になるにつれその思いが強くなっていたことがうかがえると分析しています 昭和天皇戦争責任のことを 晩年の苦悩 明らかに 平成最後の年に明らかになったある日記 そこに記されていたのは戦争責任をめぐり苦悩する昭和天皇の晩年の姿だった 先の大戦で戦没者がおよそ万人にのぼった日本 戦後昭和天皇は国民に寄り添うように戦争で荒れ果てた全国各地に足を運んだ その一方で昭和天皇の苦悩が晩年まで続いていたことがある人物の日記により明らかになった 年月から昭和天皇が亡くなるまでそばで仕えた元侍従故小林 忍さんの日記 年月日の日記には仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない辛つらいことをみたりきいたりすることが多くなるばかり戦争責任のことをいわれるなどの記述がある 宮内庁が編さんした昭和天皇実録と照らし合わせるとさまざまな苦悩に言及した昭和天皇の発言は歳の時公務を行う宮殿菊の間で侍従長らに対して行われたものとみられる 年初の記者会見で昭和天皇はご在位中に最もつらく悲しかった思いでは第次大戦であると思います私はこういう悲しむべきことが今後も起こらないことを祈っておりますと話されていた 平和への祈りの一方で戦争責任をめぐる苦悩が晩年まで続いていたことを明らかにした小林氏の日記 昭和天皇の発言を聞いた小林氏は当時戦争責任はごく一部のものがいうだけで国民の大多数はそうではないお気になさることはない年月日の日記よりと昭和天皇に率直な思いを伝えたという
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