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: 2018/08/24(金)07:59
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860: [sage] ttps://www.jiji.com/jc/article?k=2018082300772&g=soc 昭和天皇、戦争責任で苦悩=晩年の姿、元侍従が日記に 昭和天皇の元侍従、故小林忍氏の日記=23日、東京都港区 昭和天皇が85歳だった1987年4月、太平洋戦争の責任をめぐり苦悩する姿を、元侍従の小林忍氏(故人)が日記に書き残していたことが23日分かった。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記されていた。 小林氏は人事院出身で、74年4月に昭和天皇の侍従に就任。89年1月の昭和天皇逝去後も香淳皇后に仕え、2001年6月に皇太后宮職御用掛で退任した。06年7月に83歳で死去した。 昭和天皇の元侍従、故小林忍氏の日記の一部。戦争責任などについて触れられている=23日、東京都港区 日記は74年から香淳皇后が逝去した00年まで27冊あり、家族が保管。共同通信を通じて、23日公開した。85歳だった昭和天皇が戦争責任を気に掛けていたとの内容は87年4月7日の欄に「昨夕のこと」として記述。当時、宮内庁は昭和天皇の負担軽減を検討しており、同年2月には弟の高松宮が逝去した。 これに対し、小林氏は「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と述べたと記している。 75年11月24日の欄には、同22日の侍従長の話として、「訪米、帰国後の記者会見等に対する世評を大変お気になさっており、自信を失っておられる」と記述。訪米後の75年10月の記者会見で原爆投下や戦争責任についての発言が波紋を呼んでいた。「お上の素朴な御行動が反(かえ)ってアメリカの世論を驚異的にもりあげたことなど申しあげ、自信をもって行動なさるべきことを申し上げたところ、涙をお流しになっておききになっていた」と記している。(2018/08/23-16:37) ttps://www.yomiuri.co.jp/feature/TO000304/20180823-OYT1T50065.html 「戦争責任のこと」昭和天皇、晩年の苦悩 2018年08月23日 公開された昭和天皇の元侍従の日記(23日午前、東京都港区で) 1987年(昭和62年)4月、85歳だった昭和天皇が先の大戦の戦争責任に言及されることに苦悩していたとの記述が元侍従の小林忍氏の日記に残されていたことがわかった。昭和天皇の発言として「仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない。辛つらいことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。兄弟など近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と記されている。 日記は小林氏の遺族が23日に公開した。87年4月7日の欄に「昨夕のこと」として、戦争責任を巡る発言が書かれている。高齢となった昭和天皇の負担軽減が検討される中で、当直の侍従だった小林氏に語ったとされる。「兄弟など近親者の不幸」とは、2か月前の同年2月に弟の高松宮が亡くなったことなどを指すとみられる。 昭和天皇の気弱な発言に対し、小林氏は「戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない。戦後の復興から今日の発展をみれば、もう過去の歴史の一こまにすぎない。お気になさることはない」と励ましたと書かれている。 この時のやりとりについては、すでに公表されている卜部うらべ亮吾・元侍従の日記でも、4月7日の欄に「長生きするとろくなことはないとか 小林侍従がおとりなしした」と、同じ趣旨の記述がある。 (ここまで534文字 / 残り208文字) ttp://www.news24.jp/articles/2018/08/23/07402194.html 昭和天皇 85歳当時、戦争責任へ苦悩吐露 2018年8月23日 18:19 昭和天皇が、戦争責任についての苦悩を漏らしていた。 昭和天皇の侍従だった故・小林忍氏の日記に、1987年4月、85歳の昭和天皇が「細く長く生きても仕方がない。辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり。近親者の不幸にあい、戦争責任のことをいわれる」と漏らしたと書かれていることがわかった。 太平洋戦争などを経験した昭和天皇が、晩年、戦争責任を気に掛けていた心情がうかがえる。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/news/5135/1515314720/860
昭和天皇戦争責任で苦悩晩年の姿元侍従が日記に 昭和天皇の元侍従故小林忍氏の日記23日東京都港区 昭和天皇が85歳だった1987年4月太平洋戦争の責任をめぐり苦悩する姿を元侍従の小林忍氏故人が日記に書き残していたことが23日分かった昭和天皇の発言として仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり兄弟など近親者の不幸にあい戦争責任のことをいわれると記されていた 小林氏は人事院出身で74年4月に昭和天皇の侍従に就任89年1月の昭和天皇逝去後も香淳皇后に仕え2001年6月に皇太后宮職御用掛で退任した06年7月に83歳で死去した 昭和天皇の元侍従故小林忍氏の日記の一部戦争責任などについて触れられている23日東京都港区 日記は74年から香淳皇后が逝去した00年まで27冊あり家族が保管共同通信を通じて23日公開した85歳だった昭和天皇が戦争責任を気に掛けていたとの内容は87年4月7日の欄に昨夕のこととして記述当時宮内庁は昭和天皇の負担軽減を検討しており同年2月には弟の高松宮が逝去した これに対し小林氏は戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない戦後の復興から今日の発展をみればもう過去の歴史の一こまにすぎないお気になさることはないと述べたと記している 75年11月24日の欄には同22日の侍従長の話として訪米帰国後の記者会見等に対する世評を大変お気になさっており自信を失っておられると記述訪米後の75年10月の記者会見で原爆投下や戦争責任についての発言が波紋を呼んでいたお上の素朴な御行動が反かえってアメリカの世論を驚異的にもりあげたことなど申しあげ自信をもって行動なさるべきことを申し上げたところ涙をお流しになっておききになっていたと記している 戦争責任のこと昭和天皇晩年の苦悩 年月日 公開された昭和天皇の元侍従の日記23日午前東京都港区で 1987年昭和62年4月85歳だった昭和天皇が先の大戦の戦争責任に言及されることに苦悩していたとの記述が元侍従の小林忍氏の日記に残されていたことがわかった昭和天皇の発言として仕事を楽にして細く長く生きても仕方がない辛つらいことをみたりきいたりすることが多くなるばかり兄弟など近親者の不幸にあい戦争責任のことをいわれると記されている 日記は小林氏の遺族が23日に公開した87年4月7日の欄に昨夕のこととして戦争責任を巡る発言が書かれている高齢となった昭和天皇の負担軽減が検討される中で当直の侍従だった小林氏に語ったとされる兄弟など近親者の不幸とは2か月前の同年2月に弟の高松宮が亡くなったことなどを指すとみられる 昭和天皇の気弱な発言に対し小林氏は戦争責任はごく一部の者がいうだけで国民の大多数はそうではない戦後の復興から今日の発展をみればもう過去の歴史の一こまにすぎないお気になさることはないと励ましたと書かれている この時のやりとりについてはすでに公表されている卜部うらべ亮吾元侍従の日記でも4月7日の欄に長生きするとろくなことはないとか 小林侍従がおとりなししたと同じ趣旨の記述がある ここまで文字 残り文字 昭和天皇 85歳当時戦争責任へ苦悩吐露 年月日 昭和天皇が戦争責任についての苦悩を漏らしていた 昭和天皇の侍従だった故小林忍氏の日記に1987年4月85歳の昭和天皇が細く長く生きても仕方がない辛いことをみたりきいたりすることが多くなるばかり近親者の不幸にあい戦争責任のことをいわれると漏らしたと書かれていることがわかった 太平洋戦争などを経験した昭和天皇が晩年戦争責任を気に掛けていた心情がうかがえる
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