熱心党の最後の砦 (185レス)
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(1): 熱心な投稿者投稿@管理移動 2004/10/22(金)11:09 AAS
>ファルケンハウゼンの戦争計画書に基づいて、中国軍が日本軍に対して攻撃を仕掛けたことが原因で
>起こったのであって、日本が仕掛けたものではない
ファルケンハウゼン指導の三個師団を蒋介石が投入したのは1937年8月。決定的な対立となったとされる
盧溝橋事件はそれより前の7月7日です。盧溝橋事件の原因は諸説ありますが、いずれにしても
ファルケンハウゼンのほうは日中戦争にいたる一連の過程においては二次的なものでしょう。
そもそも上海事変や日本の華北侵略、満州国成立等における対日感情の悪化がベースにあるのですから、
それを無視して一方的に仕掛けたのは中国というのは、ちょっと鳥山さんらしからぬ発言だと言わざるを
えません。
どうも鳥山さんの対中発言を見ていると個人的に中国人に含むところでもおありとしか思えないのですが。
10
(1): 投稿@管理移動 2004/10/22(金)11:12 AAS
>>9

外部リンク:ww1.m78.com origin of sinojwar.html
>日華事変は、盧溝橋の一弾で開始された偶発戦争だという見方が現在でも主流である。これは誤りである。つまり戦争に至るには、片方の軍事計画が必ず存在し、その発動を以って開戦となる。宣戦布告や最後通牒の手続きによるのではない。
>この戦争は、蒋介石がファルケンハウゼン軍事顧問団長が作成した戦争計画に承認を与えることにより開始された。
>蒋介石=ファルケンハウゼンの作戦計画は上海にいる海軍陸戦隊(上陸「しゃんりく」と呼ばれた)を挑発し、本国からの陸軍部隊とともにゼークトラインに呼び込み、攻撃させ死体の山を築かせることにある。この作戦計画は結果がわかっている現在から見れば、愚かに見えるかもしれない。しかし第1次大戦中準備された防禦線にたいし攻撃に出た側は、イタリー戦線のカポレットー突破戦を除いて全て失敗、大損害を出している。作戦計画自体は一流と見なさざるを得ない。
上記リンク先の論者と同様、鳥山氏もまた、「盧溝橋事件から南京事件までの経緯」スレッド
したらばスレ:news_410
において、「盧溝橋事件が日中戦争の発端になったのではない」という事を前提として立論している。
しかし、貴方は
>決定的な対立となったとされる盧溝橋事件はそれより前の7月7日です
省6
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