日本は本当はよい国なのです。 (30レス)
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: 2005/05/19(木)23:37
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30: [] エンドンさんは1965年、職場の同僚で当時高級官僚だったアブドラ首相と結婚。母の教へ 通り主婦として夫を支へ、2人の子を育てた。鴛鴦夫婦として有名だ。首相夫人としても、 マレー語で「愛と労り」を意味する基金を創設。女性の地位向上、子供への虐待問題に先頭に 立って取組む。「家族のきずなはすべての原点」という思いからだ。 マハティール前首相は日本を手本にしたルック・イースト政策を推進した。当時内閣官房 長官だった アブドラ首相はよくこんな冗談を言ってゐたといふ。「私はずっと昔から、東を 見ることには慣れてゐた」 母親の名をたずねると、エンドンさんは「マリアム・アブドラ」と答え、付け加えた。 「日本名は、キミエ」 マリアムさん、日本名「小畑きみえ」さんは81歳になる今、クアラルンプール市内で 子供や孫たちに囲まれ元気に暮してゐた。笑顔を絶さぬ控えめな姿は「日本のお母さん」 といった感じだ。日本語を交えながら英語で話す。 エンドンさんが「伝統的な日本の主婦」と評したと聞くと「日本人の両親の元で育った からあたりまえですよ」と笑顔を見せた。父は寡黙で男らしく、母は夫を立て子供の躾に 厳しい主婦だったという。 両親は長崎県島原の出身。父、小畑乙三さんは、二十歳のときに妻と共に英領マレーに 渡った。マリアムさんは渡航の船上で生れた。戦前、クアラルンプール郊外の港町で陶器 販売業と写真館を営んでゐた一家は戦後も同国に滞り、マリアムさんは地元の修道院付属 学校で英語教育を受けた。16歳でマレー人の鉱山技師と結婚、11人の子供をもうけた。そ のうちの1人がエンドンさんだ。 娘に付ては「私は幸せ。娘が家族を大事にし、弱者に手を差伸る活動をしてゐることに 誇りをもってゐます」と話す。ただ首相夫人になってからは、なかなか会ふ時間が無くて 残念といふ。 http://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/movie/5312/1103900243/30
エンドンさんは年職場の同僚で当時高級官僚だったアブドラ首相と結婚母の教へ 通り主婦として夫を支へ2人の子を育てた鴛夫婦として有名だ首相夫人としても マレー語で愛と労りを意味する基金を創設女性の地位向上子供への虐待問題に先頭に 立って取組む家族のきずなはすべての原点という思いからだ マハティール前首相は日本を手本にしたルックイースト政策を推進した当時内閣官房 長官だった アブドラ首相はよくこんな冗談を言ってゐたといふ私はずっと昔から東を 見ることには慣れてゐた 母親の名をたずねるとエンドンさんはマリアムアブドラと答え付け加えた 日本名はキミエ マリアムさん日本名小畑きみえさんは歳になる今クアラルンプール市内で 子供や孫たちに囲まれ元気に暮してゐた笑顔を絶さぬ控えめな姿は日本のお母さん といった感じだ日本語を交えながら英語で話す エンドンさんが伝統的な日本の主婦と評したと聞くと日本人の両親の元で育った からあたりまえですよと笑顔を見せた父は寡黙で男らしく母は夫を立て子供のに 厳しい主婦だったという 両親は長崎県島原の出身父小畑乙三さんは二十歳のときに妻と共に英領マレーに 渡ったマリアムさんは渡航の船上で生れた戦前クアラルンプール郊外の港町で陶器 販売業と写真館を営んでゐた一家は戦後も同国に滞りマリアムさんは地元の修道院付属 学校で英語教育を受けた歳でマレー人の鉱山技師と結婚人の子供をもうけたそ のうちの1人がエンドンさんだ 娘に付ては私は幸せ娘が家族を大事にし弱者に手を差伸る活動をしてゐることに 誇りをもってゐますと話すただ首相夫人になってからはなかなか会ふ時間が無くて 残念といふ
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