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日本は本当はよい国なのです。

1羽柴宇土侍従 </b><font color=#FF0000>(Lwh/ddCk)</font><b>:2004/12/24(金) 23:57
【ODA】 東南ア諸国は感謝 施設や救急車「日本支援」を明記[12/23]
http://news17.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1103772966/
外務省ODAホームページ>>ODA入門>>ODAのエピソード>>世界の国からありがとう
ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/nyumon/episode.html
 カンボジアの復興は“日本橋”から
 ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/nyumon/episode/sekai/asia/kanb10.html
 外国の通貨になったODA カンボジアの500リエル紙幣(メコン架橋建設計画)
 ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/nyumon/episode/sekai/asia/tk_cambodia_01.html
 外国の切手になったODA メコン架橋建設計画(きずな橋)(カンボジア)
 ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/nyumon/episode/sekai/asia/kt_cambodia_02.html

探検しよう!みんなの地球 〜外国の通貨や切手になったODA〜
ttp://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/oda/sanka/kyouiku/kaihatsu/chikyu/international_society/cooperation/oda/oda04.html

30名もなき観衆:2005/05/19(木) 23:37:41
 エンドンさんは1965年、職場の同僚で当時高級官僚だったアブドラ首相と結婚。母の教へ
通り主婦として夫を支へ、2人の子を育てた。鴛鴦夫婦として有名だ。首相夫人としても、
マレー語で「愛と労り」を意味する基金を創設。女性の地位向上、子供への虐待問題に先頭に
立って取組む。「家族のきずなはすべての原点」という思いからだ。
 マハティール前首相は日本を手本にしたルック・イースト政策を推進した。当時内閣官房
長官だった アブドラ首相はよくこんな冗談を言ってゐたといふ。「私はずっと昔から、東を
見ることには慣れてゐた」
 母親の名をたずねると、エンドンさんは「マリアム・アブドラ」と答え、付け加えた。
「日本名は、キミエ」
 マリアムさん、日本名「小畑きみえ」さんは81歳になる今、クアラルンプール市内で
子供や孫たちに囲まれ元気に暮してゐた。笑顔を絶さぬ控えめな姿は「日本のお母さん」
といった感じだ。日本語を交えながら英語で話す。
 エンドンさんが「伝統的な日本の主婦」と評したと聞くと「日本人の両親の元で育った
からあたりまえですよ」と笑顔を見せた。父は寡黙で男らしく、母は夫を立て子供の躾に
厳しい主婦だったという。
 両親は長崎県島原の出身。父、小畑乙三さんは、二十歳のときに妻と共に英領マレーに
渡った。マリアムさんは渡航の船上で生れた。戦前、クアラルンプール郊外の港町で陶器
販売業と写真館を営んでゐた一家は戦後も同国に滞り、マリアムさんは地元の修道院付属
学校で英語教育を受けた。16歳でマレー人の鉱山技師と結婚、11人の子供をもうけた。そ
のうちの1人がエンドンさんだ。
 娘に付ては「私は幸せ。娘が家族を大事にし、弱者に手を差伸る活動をしてゐることに
誇りをもってゐます」と話す。ただ首相夫人になってからは、なかなか会ふ時間が無くて
残念といふ。


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