日本は本当はよい国なのです。 (30レス)
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27: [age] 2005/02/07(月)21:29 AAS
『されど、わが「満州」』 文藝春秋編 (文藝春秋) 1984・3・1
[読者手記 53編] 文藝春秋・特別号 '83・9掲載
3、逃亡(1) ― 草生す屍 「陵辱」  広島県尾道市 平本直行(新聞販売業・57歳)

 昭和20年8月20日頃であったろうと思う。・・・(中略)・・・ぶきみという程静かな日が続いて
いたので、新京の街で何が起こっていたのか解らなかった。
 そんな日病院の玄関で大声で騒ぐ声にびっくりして、私は板でくくりつけた足をひきずりなが
ら玄関に出て見て驚いた。12、3の少女から20ぐらいの娘が10名程タンカに乗せられて運ば
れていた。それは、まともに上から見ることの出来る姿ではなかった。その全員が裸で、まだ
恥毛もそろわない幼い子供の恥部は紫に腫れ上がって、その原形はなかった。大腿部は血が
いっぱいついている。顔をゆがめつつ声を出しているようだが、聞き取れない。次の女性は
モンペだけをはぎとられて下(しも)の部分は前者と同じだが、下腹部を刺されて腸が切口から
血と一緒にはみ出していた。次の少女は乳房を切られて、片眼を開けたままであったから死ん
でいるのかも知れない。次もその次も、ほとんど同じ姿である。
「ああ女とはこんな姿でいじめられるのか・・・」。次々に病室に運ばれて行く少女を眼のあたり
に見て、その非情なソ連兵の動物的行動に憤りを感じると同時に、道徳も、教養も平和な中に
のみあるのであって一つ歯車が狂ってしまったら、そんなものは何の役にもたたないのだ。
・・・(中略)・・・1週間私はこの病院にいて毎日毎日この光景を見て、その無残、残酷さに
敗戦のみじめさを知った。銃でうたれて死ぬのは苦痛が一瞬であるが、自分の体重の3倍
以上もある毛むくじゃら男数名になぶられた少女や娘等はどんな苦しみであったろうか。
 ・・・(中略)・・・また女医さんに聞いたことだが、「10名に2、3名は舌を噛んで死んでいるん
です。また何名かの方は胸を圧縮されて息絶えている人がありました」と語られたことを想い
出す。・・・(後略)

≪しかし、聞くだけのことは聞かねばならないので、大島さんを揺すぶって起こし起こして
聞いてみますと、哀れなこの看護婦は私の腕に抱かれなが ら、ほとんど意識を失いかけ
ている臨終の眼を無理矢理にひきあけて、次のように物語るのでした。
「私たちはソ連の病院に頼まれていったはずですのに、あちらでは看護婦の仕事をさせら
れているのではありません。行った日から病院の仕事は全 然しないで、ソ連将校の慰みも
のにされているのです。
最初に行きました三人に、ほとんど毎晩三人も四人もの将校が代わる代わるやって来て私
たちをいい慰みものにするのです。否と言えば殺されて しまうのです。
私も殺されるぐらいはかまいませんが、次々と同僚の人たちが、ここから応援を名目にやっ
て来るのを見て、何とかして知らせなければ死んでも死 に切れないと考えましたので、厳重
な監視の眼を盗んで脱走して来たのです」というのでした。
聞いている私をはじめ、居残っていた病院の人たちも、その話にただ暗澹と息をのみ、激し
い憤りに身内が震えてくるのを禁じ得ません。脱走した 時、うしろから撃たれたのでしょう、
十一発の銃創の外に、背中に鉄条網をくぐって来たかすり傷が十数本、血をふいて、みみ
ずばれに腫れていま す。どんな気持ちで鉄条網をくぐって脱走してきたのか、どんな危険
を冒して来たのか、その傷は何よりも雄弁に物語っているではありませんか。
身を挺して次の犠牲者を出したくないと決死の覚悟で逃れて来たこの看護婦の話に、私の
涙は噴水のように後から後から噴き出し釆ました。
国が敗れたとしても個人の尊厳は冒すこと出来ないのではないのでしょうか。それをわずか
七日間の参戦で勝ったというだけで、清純な女性を犯すとは何事ぞと、血の出るような叫び
を、可憐な二十二歳の命が消えて行こうと する臨終の床に、魂をさく思いで叫んだのでした。
「婦長さん!もう後から人を送ってはいけません。お願いします」という言葉を最後に、その
夜十時十五分、がっくりと息をひきとりました。泣いても泣い ても涙が止まりませんでした。》

堀喜美子著「従軍看護婦の集団自殺」より
外部リンク[htm]:www.geocities.co.jp
(この事実は7・27(日)産経新聞にも記載されています)
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