戦国時代のアイヌ (440レス)
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(1): 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/25(火)22:56 ID:+q0fICBb(1) AAS
蜂起→暗殺がいつものパターン
11: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/26(水)03:09 ID:LQSLCePQ(1) AAS
>>10
本当にそのとおりだから困る
12
(2): 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/26(水)05:27 ID:Cha5Otbm(1) AAS
シャリシャインの代に欧州に攻め込んだんだよな。
征夷大将軍として討伐に赴いた多治比縣守と死闘を展開、
結局破れ、蝦夷に逃げ帰った。
13: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/26(水)14:58 ID:gIVFYen4(1) AAS
>>6
和睦と見せかけて暗殺のパターン多すぎワロタ
アイヌ人もお人好しなのかね。
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(1): 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/26(水)21:29 ID:2FMgl9Ur(1) AAS
アイヌ交易ってどんぐらい儲かったんだろうか
何を扱ってたんだ
鮭とか?
15: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/26(水)22:00 ID:Cj/C6Dsw(1) AAS
羆もあんじゃね?W
16
(1): 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/29(土)20:00 ID:018tXazw(1/3) AAS
某ナコルルが好きだったから、狂ったようにアイヌの事勉強したなぁ。十年前。

好んで読んでた萱野繁さんの本は、内容が民俗や食事、民話がほとんどだったから
このスレには期待。
17
(2): 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/29(土)20:51 ID:3SRv1jat(1/3) AAS
>>16
萱野茂氏は今年亡くなられてしまいましたが、アイヌ文化の保護・伝承に非常に貢献のあった方ですね(国会議員にもなってます
特に明治以降の同化政策で散逸した伝承等を集めて纏めた功績は素晴らしいものがあります
調べてみたらSTVラジオのアイヌ語講座もこの人が起点になってるんですね

ちなみにカムイコタンは今でも実在する地名です

>>14
アイヌ交易はアイヌ側は鮭の干物や干し鮑などの海産物の干物、また毛皮等などを取引していたようです
儲けは都市で売りさばいた回船問屋はなかなかのものだったと考えられます
干し鮑なんかは中国にも輸出されてたようですし

アイヌの歴史は和人の資料を介してしか出てこないから、
省1
18
(1): 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/29(土)21:01 ID:018tXazw(2/3) AAS
>>17
最近聞かないと思ったら、亡くなってたのか(つД`)
御冥福をお祈りします。

アイヌって、確か文字を持ってないんだよね。
19
(2): 17 2006/07/29(土)21:47 ID:3SRv1jat(2/3) AAS
>>18
文字は無いです
そのため歴史も民話も書物にならず口頭伝承だったため、
明治以降の同化政策によって集落が壊滅し離散、これらの多くが失われてしまったそうです
これらが再び社会の表に出たのは萱野茂氏の偉業あってこそ

書物がないため和人が蝦夷地に本格的に進出する以前のアイヌについては全くというほどわかっていません
ただ集落跡の調査等から、比較的古くから中国との交易はあったようで、戦国時代にもおそらく続いていたのではないかと考えてよいようです
20
(3): 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/29(土)22:06 ID:018tXazw(3/3) AAS
アイヌ民族って、戦後マッカーサーに「自地区やるから独立しないか」と誘われて
「んなモンいらねーから日本かえせ」て返事したんだよね。
ゴタゴタはあったんだろうけど、同化政策は比較的うまくいってたのかな。

やっぱり文字文化がなかったのが悔やまれる。
まともに残ってる記述が反乱の事しか無いなんて、ちと寂しい。
21
(3): 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/29(土)22:21 ID:3SRv1jat(3/3) AAS
>>20
うまくいったというよりは、完全にアイヌ社会が破壊されたため、その後の世代では混血が進むなどして、
民族意識が非常に弱くなってしまったりしたのではと思われます

また、同化政策によってアイヌ民族の人口が激減したことや
当時はアイヌ民族は社会的には被差別対象であったことも多少は影響しているかもしれません
22
(2): 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日)17:07 ID:qszVeDPP(1) AAS
>>20
その返答は当時の長老格数人だけで決められて、
後になって知里真志保とか若いアイヌから散々叩かれたって話だけどね。
それでも>>21が言うように、文化的、社会的にズタズタだった当時のアイヌが
国を持ったとしても護持できなかっただろうし、自治区を貰ったところで
「先住民族の権利」なんて概念が皆無の当時の和人からは、
自分達はこんなに大変なのに何であいつらだけ、とか思われただろうな。
23: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日)17:46 ID:CWRr0q2a(1/2) AAS
>>20>>21
そうだったんか。
俺はてっきり美談のつもりでいたよ。
24: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日)17:55 ID:CWRr0q2a(2/2) AAS
アンカーまちがい。
>>21>>22ね。
25: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日)19:59 ID:bbHU8YN0(1) AAS
>>22
アイヌの『先住民族の権利』自体、
ニ風谷ダム訴訟で初めて出てきたに等しいぐらい新しいものですね

閑話休題
アイヌの集落は北海道の太平洋側の海岸付近と石狩川などの大きな河川沿いに広がっていたようです
集落の様子も地域差があり、道東の集落跡などに比べると
和人との境界線にあたる渡島半島ではやはり争いに備えた砦的な雰囲気があるそうです
26: 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/30(日)21:06 ID:I7qnNSQU(1) AAS
アッー!イヌ
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(1): 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/31(月)00:19 ID:5d+Aywpw(1/2) AAS
だめだ、自分なりに調べてみたけど、こと歴史に関しては、このスレで書かれてる以上のものはみつかんないや。

詳しい人に質問。
変わり者のアイヌ人が、どこかの勢力に仕官してたとかはなかったの?
28
(2): 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/31(月)01:29 ID:wGEncbLv(1) AAS
>>27
聞いたことはないです
ただ、九戸政実の乱では蛎崎氏がアイヌ部隊を率いていたことが記録に残っているようです

あともしかしたらですが、
交易の際には通訳を介していた(それくらいアイヌ語は日本語とは全く異なる)と思われますから
松前や函館などの北前船の寄港地で働くアイヌの人もいたのかもしれません
根拠はないですが

後、道外にもアイヌが居住していたのは地名の分布からほぼ間違いないようです
東北にもアイヌ語由来とみられる地名は多く残っています
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(1): 名無しさん@お腹いっぱい。 2006/07/31(月)10:24 ID:5d+Aywpw(2/2) AAS
>>28
なるほど。
居たかもしれないけど、記録に残ってないのは出世した人はいないからって事なのかもね。
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