[過去ログ] 坐禅と動中の工夫12 (1002レス)
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539
(1): 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2021/03/21(日)02:32 ID:8tCJKnAl(7/12) AAS
>見分は有りと雖も、而も無分別をなるをもって、能取に非ずと説けり。
>取ること全無には非ず。

>相分は無しと雖も、而もこれ如の相を帯して起こると説くべし。
>如に離れざるが故に。
>自証分、見分を縁ずる時に変せずして縁ずるが如く、此れも亦た応に爾るべし

(成唯識論)
540: 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2021/03/21(日)02:36 ID:8tCJKnAl(8/12) AAS
>>539(続き)
難解ですけど、竹村先生はその解説書で

>相分はないのだけれども無分別智という智慧は真如と一体化し、そこに真如を自覚している(中略)
>智慧はあくまでも有為法でその都度その都度起きてくるものなのですが、真如は無為法で変化のない世界です。
>そうなのですが、しかも無分別智は真如といわば一つになるのです。
>それは自証分が見分を見るとき、見分を現し出してそれを見るのではなくて、見分の内容をそのまま直接受けとめるように、そのように真如を証するという事です。

と解説されており、また、

>相分やら何やらを現し出して、それを縁ずるということになると、そこには何らかの対象への関与が生じて、直接に証することにならず、後得智と同じように分別があることになってしまいます。
>したがって無分別智を理論的に説明する場合は、見分はあるが相分はないというかたちで、ただし真如を挟帯して証するのだと説いています。
>また、無分別智も真如も言葉では説明できない世界ですが、理論的にはこのようにとらえるのです。
省3
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