[過去ログ] ▲色即是空の誤り2▲ (1002レス)
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969
(2): 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/06/20(土)13:30 ID:5dzKQzgO(34/43) AAS
>>968
出来ないとは言ってませんけど。
970
(1): 2020/06/20(土)13:30 ID:P9goL4en(3/8) AAS
>>883

で それを裏付けるサンスクリット語の文献は?

もうその時代には大乗経典も存在してたんだから漢人の旅行記よりも正確な文書が有る筈だろ?

無いのか?笑
971: 2020/06/20(土)13:35 ID:GKJYp2K/(33/46) AAS
AA省
972: 2020/06/20(土)13:35 ID:GKJYp2K/(34/46) AAS
>>970
反論するならお前がソース出せよ。馬鹿だなあ。
973
(1): 2020/06/20(土)13:36 ID:erL593T2(15/15) AAS
>>969
これで答えが出たね
純大乗寺院で出家できるのにしなかった理由
それは純粋な大乗専門の寺院が存在しなかったから
だからアティーシャは大衆部系の寺院で出家しないといけなかった

大乗者は小乗僧院に依存していたということ
974
(1): 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/06/20(土)13:52 ID:5dzKQzgO(35/43) AAS
>>973
逆にいうなら、大小兼学って事は純小乗もでもないって事でしょ?
975: 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/06/20(土)13:54 ID:5dzKQzgO(36/43) AAS
単に思想的には大乗でも、出家の方式は部派(小乗)のそれであったって事じゃないの?
976
(2): 2020/06/20(土)13:54 ID:GKJYp2K/(35/46) AAS
AA省
977
(1): 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/06/20(土)13:59 ID:5dzKQzgO(37/43) AAS
取り敢えず私の見解だけど、

>>865
>大乗っていうか、仏教はインドの歴代王朝の中で隆盛を繰り返し、パーラ朝での隆盛を最後に13世紀にはインドから事実上消滅した。

これに疑義ありますか?
978
(1): 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/06/20(土)14:00 ID:5dzKQzgO(38/43) AAS
>>976
大乗メインとか言ってませんけど?
979
(1): 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/06/20(土)14:01 ID:5dzKQzgO(39/43) AAS
>>976
>  2.大乗は消滅

???

消滅したのにパーラ王朝で隆盛になったのは?

www
980: 2020/06/20(土)14:10 ID:GKJYp2K/(36/46) AAS
>>977
何度も同じこと言わせんなよ。

玄奘「大乗の寺は25カ所。それに対し上座部など部派仏教の寺が60カ所、その他部派大乗兼学の寺が15カ所」
義浄「現在のインド仏教の大綱はただ四部派である。」
結論「大乗は衰退した。」
981: 2020/06/20(土)14:11 ID:GKJYp2K/(37/46) AAS
>>979
玄奘「大乗の寺は25カ所。」だったのに、
義浄の記述からは大乗グループがなくなってるだろ。
あのさあ、アスペ連発すんのうざいよ。
982: 2020/06/20(土)14:12 ID:GKJYp2K/(38/46) AAS
>>978
部派仏教の中で細々と大乗も扱われていたと認識できたようで良かったよ。
983: 2020/06/20(土)14:17 ID:GKJYp2K/(39/46) AAS
鹿野園が妄言を繰り返すだけの無意味なやり取りが続いているけど、
スレも残り少なくなったし、このまま消費だな。
鹿野園は思う存分妄想を垂れ流して恥を晒せ。
ただし、次スレには持ち越すなよ。
984: 2020/06/20(土)14:18 ID:vX+LUGku(2/2) AAS
 正量部の成立は,部派仏教における各部派の中では比較的新しいといえる。
しかし,例えば,7世紀,630年ごろから12年にもおよぶインドでの滞在を了えて帰唐した玄奘三蔵(602-664)は ,『大唐西域記』の中で,仏教の学ばれていた場所を全部で99箇所挙げているが,
その中で小乗を学ぶ所60箇所,大乗を学ぶ所24箇所,大乗・小乗兼学の所15箇所としていて,圧倒的に小乗の方が優勢であることを示し,しかもその小乗の60箇所のうち,19箇所が正量部,14箇所が説一切有部であるとして,正量部が最も盛んであった如く示している。
また,同じく7世紀,671年から25年間にわたってインド各地を巡り,後に『南海寄帰内法伝』を著わした義浄三蔵(635?713)も,当時のインドにおける部派を大別すると,大衆部,上座部,根本説一切有部,正量部の4部派に分けられるとし,しかもその中でも正量部が最も盛んであると述べている。
さらに,サールナートの碑文によると,鹿野苑の精舎はクシャーナ朝の時代には説一切有部の所領であったが,4世紀ごろには正量部のものになったといわれている。
 こうしたことからみて,正量部は4世紀ごろにはすでにかなりの勢力を持っており,後代に到るにしたがって次第にその勢力を拡大し,6?7世紀ごろにはインドにおける最大級の部派として存在していたと想像される。
即ち,ここで注意する必要があるのは,この部派が勢力を持っていた時代と,後期大乗仏教の諸論師たちが活躍した時代とが重なり合うということである。
従来研究者の間では,経量部 (Sautrantika)が,小乗仏教から大乗仏教への橋渡しをした部派として,また後期大乗仏教の認識論に大きな影響を与えた部派として注目されてきたが,正量部は,後期大乗の論師たちの背後にあった部派として,もっと注意されてよいように思われる。
外部リンク[pdf]:repo.komazawa-u.ac.jp

何故かくも正量部が人気があったのか?
省2
985
(1): 2020/06/20(土)14:24 ID:P9goL4en(4/8) AAS
>>891

衰退したと廃れたでは意味が全く違うだろ? ゴミクズ 笑

最後までインド仏教と交流し続けナーランダー僧院から蓮華戒を受け入れたチベット仏教が取り入れた大半が大乗経典なんだから寧ろ小乗よりも大乗の方が教学の主流としてインド仏教はその幕を閉じたと見るのが正常な感覚だよ 基地害 笑

小乗が主流ならナーランダー僧院もそうあった筈だが 実際はそうはなっていない

始めに根本経典を学び 次に大乗経典 これ等を学び終えたと承認されて密教の学習が許可されるという歴史的成立順とも矛盾しない教学体系がチベット仏教にしっかり残っているのだからな
省2
986
(1): 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/06/20(土)14:26 ID:5dzKQzgO(40/43) AAS
今外出中で、他にもいろいろバタバタしてて、腰を落ち着けてレス出来ないけど、

そもそも教団の分裂は忌避すべき事だけど、思想的に分裂したのもを再統一するのは困難でしょ?

そこで持ち出されたのが戒律なのでは?
であれば、玄奘の報告も義浄の報告も矛盾しない。

新アジア仏教2の大乗仏教成立辺りを見て下さい。
キンドルなら、一か月の無料体験あるし。
987: 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/06/20(土)14:29 ID:5dzKQzgO(41/43) AAS
思想が大乗でも戒が部派(小乗)のそれであったのはそれで説明出来るし、また、印度で大小の区別なしというのもそれで説明できる。
988: 鹿野園 ◆Bs4PlQ2rjutF 2020/06/20(土)14:31 ID:5dzKQzgO(42/43) AAS
余りこうした事はしたくないけど…

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