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奥多摩で少年たちに虐待を繰り返していた韓国人の自称住職。実は僧侶資格のない無職犯罪者。★2 (813レス)
奥多摩で少年たちに虐待を繰り返していた韓国人の自称住職。実は僧侶資格のない無職犯罪者。★2 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/
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787: 本当にあった怖い名無し [kage] 2018/11/30(金) 07:49:38.99 ID:VLgy8sTC 「ヽ ̄\ ゞ_、__ /入 \ _jl´frォ j} / / ` ーヽハ-メ_jヽ. ' ,' ,. - ´`ヾヽ ! i イ , =、 ォ= 、 川! ゞハ, ハォ.j 辷j |メ. 『売国議員』杉田水脈先生も、実は背乗りエベンキだったのね♪ `ハ :::: ' :::: イ_ ヾ ,.,ゝゝ、 ` ´ イミミjノ l!V:三} ゙>< ゝ-'⌒丶 / ゝリ! jハ! レ′ l く :.:! o 〈 - | ゝ l:.:.|'\ o _ .人 l 〆ノ | :.:.| /介!V イ´ | .:.:| ` 7 / /ヽ..:.:.| ,. 、 / , イ / / .: .|/ / |ヽ. , イ , :. :|/ \\ /,___ハ 1 ,' ,. -── - 、\\ レ'′ レvゝ_ イイ .. : : : : :\ト_. ヽ / ゝ-ハ/ : : : : : : : : : : : : ノーァム_ ∫ ' : : : : : : / : : : : : : : : : : : ::/ヽ┐::::` 、 r----ォ ゝ ハ: : : : : : : :l! : : : : : : : : : : : :l: : >::::::::::) |::::茶:::| `ー-、: : : : : :ノゝ.. : : : :: : : : : :ヽ : :イ_:_>─‐ ' ゝ---,.' http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/787
788: 基本。 [] 2018/11/30(金) 07:53:18.50 ID:VLgy8sTC 夜昼の理については、「昼」の理がわかることが大切と、認識するのが基本です。 おさしづには、 明治二十三年八月十二日 午後八時 本席御身上願 さあ/\尋ね返やす。又さしづせにゃなろうまい、幾重さしづせにゃなろうまい。分からんか/\。さあ/\身の障り/\、歌のように聞くようではしょうも無い。 どのくらい刻限聞かしてある/\。その場だけ/\理は無いと思う。なか/\いつにこうであって、思て居る者もある。 歌のように思て居ては、ばったりより仕方が無いで。 さあ/\尋ね出る。どんな事聞かしても分からん。 前々一寸さしづ、さあ夜と昼と、夜昼、夜は判っきり分からん。 夜という柔らかい事、さしづ何をすれど、昼その理さえ分かれば、思うようになる。どんな事でも自由自在。 千に一つ悟りくれにゃならん、万に一つ悟りくれにゃならん。小人三才、一寸些かな事である。尋ね尚分からん、よう聞き分けにゃ分からん。 同時 さあ/\身の障り/\、尋ねる話、その場に書き取りその場だけ、生涯のもの。 聞く時後の心どうもならん。 その場の結構は分かるけれども、後の結構は分からん。 身の障り/\、幾日でも、どんなに休んでも、そのまゝ三才子供、放って置く事も放って置けよまい。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ さしづ何をすれど、昼その理さえ分かれば、思うようになる。どんな事でも自由自在。 千に一つ悟りくれにゃならん、万に一つ悟りくれにゃならん。 おやさまが、この世にお生まれになって、それは昼の理。 この原点を、しっかりと思案したいと思うは基本です。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/788
789: 基本。 [] 2018/11/30(金) 07:58:23.21 ID:VLgy8sTC キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、及び国家神道の信徒諸君、一神教は都合の悪い事実を隠し、歴史を捏造する悪い癖がある。 (注.薩長開宗の「国家神道」はその開宗目的からしてもキリスト教らと全く同質の「和製一神教」です) 宗教を支配・統治に利用するという為には、一神教は利用しやすい。 因縁的に言うなら、モーゼのマジック、エジプトの神官のテクニックそのものが人心を惑わすものでありました。 過ぎ越し祭りの、起源そのものの手法、そこには「つくり策」という、おやさまのお嫌いなものが、混じりこんでいます。 おやさまが、日清戦争・日露戦争の予言を書かれたのは、お筆先第四号でした。 777 74の数理にて、何年後の数理を示されていますが、そのことは、情報操作という「五月五日」の出来事に深くかかわっているわけです。 「夜」「昼」の理が、わからなくなってしまう。 そこには、高山の情報操作があり、軍国主義の背景があるということです。 このひがらいつの事やとをもている 五月五日にたしかでてくる 第四号3 それよりもをかけはぢまるこれをみよ よるひるしれんよふになるぞや 第四号4 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/789
790: 基本。 [] 2018/11/30(金) 08:02:38.04 ID:VLgy8sTC >「明治二十七年七月二十六日 朝」 > 日清間事件に付朝鮮国へ人夫五百人本部より出す願 > ここにも、『事情はふでさきに写してある。今の間にも見えると伝えて、どうでも是非々々残念を現われにゃならん。』と、 日清戦争の事情は、おふでさきの予言の実現である事が知らされています。 > 『幾日日柄月柄楽しう理了い次第と言うてある。』 > 『五月五日より始まると言うて、今見えるというも何年以来に伝えてある。』 > ここに示されているのは、おふでさきに五月五日と知らされたものは、今の事情なのだよという、明確な内容です。 > 先ず、おふでさき六号に知らされた「五分五分として成人した」、 これが、明治27年の事情を、あらかじめ知らしていたことは、お分かり頂けたと思います。 > 『幾日日柄月柄楽しう理了い次第と言うてある。』 これは、おふでさき十号のおうたを直接的に示しています。 このひがらいつころなるとゆうならば たあのしゆりをしまいしだいに 十号16 そして、「ひがら」とは、おふでさき四号にしらされてありました。 このひがらいつの事やとをもている 五月五日にたしかでてくる 四号3 > 『五月五日より始まると言うて、今見えるというも何年以来に伝えてある。』 この、五月五日よりというものが、おふでさき四号3、に知らされたものであり、それが、日清間の事情であると言う事をしめしたものです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/790
791: 基本。 [] 2018/11/30(金) 08:08:18.89 ID:VLgy8sTC おやさまは、「この夜」を「昼」に、陽気なものに立て替えるために、「昼の理」の数理、刻限に誕生され、立教された。 それは、お釈迦様の悟り、イエス様の愛として、それまでにも教えてきたものであったが、 宗教組織は、政治権力そのものとなり人を支配する「高山・谷底」の統治術を駆使する側にまわり、 お釈迦様やイエス様の教えすら、統治のマジックに利用されている。 日本の「天皇」を一神教にみたてた、政治制度も、その例に他なく、日清、日露へと国民は誘導され、 それが「夜」なのだということは、第二次大戦の敗戦まで、国民は自覚できなかった。 現在も、「おかけ゜」信仰は、続いていて、お払いさんが降ると言う、「夜」の理は、はびこっている。 忘れてはならないのは、おやさまは、この世に「昼」の理をお知らせに来たということです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/791
792: 基本。 [] 2018/11/30(金) 08:13:21.48 ID:VLgy8sTC > 明治二十三年八月十二日 午後八時 > 本席御身上願 『さあ/\身の障り/\、歌のように聞くようではしょうも無い。』 『どのくらい刻限聞かしてある/\。』 この世界は理責めの世界。 お筆先に刻限を知らされていても、「すばらしいお歌だ」と、歌のように聴いていて、理として聞かない。 それでは、「理・神」がわからない。 『その場だけ/\理は無いと思う。』 お筆先のお歌なんか、その時のその場だけのものだと思って、「理責めの世界の理」なんか、無いと思っている。 まさに、教団信仰者の実態をずばりと、突いています。 山名系天理教学、天理神学は、一神教の悪因縁である「詐術」「装飾術」に長けていて、最悪であり、まるで、お筆先の理を、重い刻限という理の思案が無かった。 現在までも続いている「理の親信仰」は、その宗教家の悪因縁そのものということです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/792
793: 基本。 [] 2018/11/30(金) 08:18:16.21 ID:VLgy8sTC > 明治二十三年八月十二日 午後八時 > 本席御身上願 『なか/\いつにこうであって、思て居る者もある。』 なかなかと言うのは、ひながた時代では「秀司先生・小寒様」を示します。 中には、と訳しますと、ひながたでは「何時にこうであって」と思っているものがいる。 そういう意味になります。 『なか/\いつにこうであって、思て居る者もある。』 でも、中にはという中にも、「なかなか」の者という深い意味があります。 そういう刻限・数理の思案をしてきた者が、いたということ、示されているわけです。 それは、二代真柱様のように、「なかなか」いない限られた人たちであったと受け取るのが、基本です。 『歌のように思て居ては、ばったりより仕方が無いで。』 理を理としてわからない、悟らないでは、ばったりより仕方ない。 道は途絶えてしまう。 『さあ/\尋ね出る。どんな事聞かしても分からん。』 『前々一寸さしづ、さあ夜と昼と、夜昼、夜は判っきり分からん。』 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/793
794: 基本。 [] 2018/11/30(金) 08:24:11.57 ID:VLgy8sTC > 『さあ/\尋ね出る。どんな事聞かしても分からん。』 > 『前々一寸さしづ、さあ夜と昼と、夜昼、夜は判っきり分からん。』 お言葉に「赤衣は赤衣につれられ、黒衣は黒衣につれられ」とあります。 おやさまの教えというのは、赤衣。 しかし、それに黒い衣装を着せろと命じたのは「高山」です。 法律に応じる道として応法の道は、実は本席の時代。 つまり、「黒衣に連れられ」と言うのは、天理教会の細道の時代。 これも、別の予言があることは、2ちゃん天理スレに投稿してあります。 この時代は「神が世上の道理を通す、通させる」と、通させた時代。 その認識で、受け止めなくてはなりません。 「なかなか」の者、「なかなか」の人にしか、お筆先の理は、「理」として、認識されていなかった。 信仰者として、心の闇路にさ迷っていた。 それは、「昼のくらがり」、最悪でした。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/794
795: 基本。 [age] 2018/11/30(金) 09:03:24.34 ID:VLgy8sTC >>1 「刻限」という用語については、ご存知だと思います。 「今なんどきだ」と、質問するという事は、「時刻」を訊ねているわけです。 刻限というのは、時間という意味であり、それは「月日」というもののもつ本質的な要素です。 人間の成長にも時間が必要で、「月日」の守護がないと、育ちません。 そこで、つまり、時間という意味ではあるけれど、刻限には格別な真意というものが託されてあるわけです。 一つの例としまして、原典の公刊という問題があります。 明治二十二年一月十五日(陰暦十二月十四日)午後六時三十分 [本席御障りに付願] さあ/\/\身の障り、さあ/\どういう事を知らす/\。 さあ/\身上々々善悪を分ける。身の知らせ、身上の処、善悪の知らせ。 さあ/\長くやない、僅かの間。 先ず/\十日半月の間。 席はすっきり外へ出せんで。 さあ/\あちらへ歩き、こちらへ歩きするのを、一寸の処知らさん事には。 皆んなの中へ知らし置く。今日から十日半月しっかりと用心。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ このように明確な数字が示されたおさしづがあります。 このおさしづは、明治22年で、一日とは一年ですから、 「先ず」という意味で、 明治22年とは、1889年です。 この時から、「先の」、十日と半月席は表に出すな、ですから、合計三十五日、 つまり35年間は、「席は出すな」ですから、 1889年の翌年から35年の隠蔽、つまり、1990年から1925年までの間は「席」については公にしなかった。 1926年 昭和元年 おさしづ公刊 このように、きちんとおさしづは歴史に実現していて、それはつまり、神のさしづは、歴史に実現していたという事です。 この例は、おさしづを予言として「時刻を示す」という意味で教団の歴史は生きているという事を、意味しています。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/795
796: 基本。 [] 2018/11/30(金) 14:08:06.27 ID:VLgy8sTC > 基本の過去の投稿までは、たぶんご存じないと思いますので、この事について基本を申し上げます。 > 親神様は、予言をされています。 > 明治二十二年陰暦十月十日の事です。 それは、次のおさしづです。 明治二十二年十一月二日(陰暦十月十日)午後九時 [本席身上障り願] さあ/\/\、一寸知らし置くで/\。さあ/\どういう事を知らし置く/\。 すっきり道理上を知らし置く。さあ/\道理上々々々、これから道理上、暫く道理上通らんならん。 難しい。よう聞き分け置かんならん。 これまでというものは、細い道を通して来てあるで。細い道を連れて通りた。 どうもならんから、世界一つの理によって、一寸世界往還道を付け掛けたで。 そこで皆々心許す。往還道通すと、どんと油断してどうもならん。 長い間、道理上の道を通れとは言わん。何年々々の切りを切りて置こう。 さあ/\一二三々々々の切りを切りて置こう。一二三の印を打って置く。 一二三の印の間、世界の道理上で通る。道理上ばかりで通す。 ようこれを聞いて置かねばならんで。 さあ/\多くの人が出て来る。 一時どうもならんと言うて出て来る。 諭す処、暫く世界の道理上の理で通らにゃならん。 一二三の印を打ったら、神一条の道、人間の道理上を以て世界という。 人間から世界の道理上を通らんならんようにするから、どうでもこうでも、道理上の道を通らんならんように成る。 皆心で拵えてあるのや。 さあ今の道、世界の往還道やで。 そこで何でも彼でも、どうもならんと言うたら、道理上の道からどんな理が発しるやら分からん。 油断しては踏み被ぶるで/\。 そこで世界の道理上から、道理上の道を拵えるから、道理上を通らんならん。 どうでも心で拵えてあるのやと思えば、どうも仕様が無い。 そこでどうもならんから、一二三と印打つ。だん/\難しいなる。 早く知らそうと思えども、昼はさわ/\して騒がして諭する事が出けん。 どうもならん。そこで刻限で知らす。 どうでもこうでも、言わにゃならん、聞かにゃならん、聞かさにゃならん。三つ理を。 そこでちいとこれだけの事を、知らし置くという。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/796
797: 基本。 [] 2018/11/30(金) 14:10:47.90 ID:VLgy8sTC つまり、明治22年11月2日の午後九時と言うのは、 五つ時とは午後七時から午後九時までですから、つまり、 22 2(1+1) 2 の五つ時。 2222の五つに、 それは、陰暦の十月十日に、知らされた「重大な」お知らせでした。 史実としては、復元。三十年、三十年の予言で、教えの復元の予言は実現しています。 でも、それは、人類の「宗教」の因縁として自覚されるべきだと思います。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/797
798: 基本。 [] 2018/11/30(金) 14:13:31.22 ID:VLgy8sTC 『ミュトスに対して、ロゴスはある。 「空想」に対して「理性」があり、「物語る言葉」に対して「論証する言葉」があるのである。』 ・・・・・・・・・・・ つまり、聖書冒頭の「先ず始めに神ありき」と言う言葉は、「先ず始めにロゴスありき」という言葉であり、 「理」があるという、意味になる。 ヨハネ伝の聖書の文言そのものが「先ず理ありき」と約されても、意味として正しく、 そして、イエス様は、天にては、父なる神の右手に、いぬいの方向に位置していると言うことも、イエス様そのものから、語られている。 まさに、先ず始めに「ロゴス」あり。となる。 「神は理である、理は神である。」 「あると信じて願う誠に、見えてくる利益が神の姿である。」 それは「理」を信じると言うことであり、「理」が見えない世界とは、まさに、心の闇の世界。 おやさまが存命でおられるということは、「理」が理として、常にそこにあると言う意味をなす。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/798
799: 基本。 [age] 2018/11/30(金) 14:16:13.53 ID:VLgy8sTC >>1 > 《新約聖書「ヨハネによる福音書」第1章から》 > 創世は神の言葉(ロゴス)からはじまった。 > 言葉はすなわち神であり、この世界の根源として神が存在する > 聖書冒頭の「先ず始めに神ありき」と言う言葉は、「先ず始めにロゴスありき」という言葉であり、 「理」があるという、意味になる。 これは、「先ず始めに言葉ありき」の、間違いでした。 先ず始めに言葉がある。 その言葉とは「ロゴス」であり、それは、物語ではなく「理」であること、 お筆先が、まさに、「この世は理で責めたる世界」だと、示している通り。 即ち、原典とは、「理」であって、物語ではない。 聖書と言う「こふき」を有しながら、大工のイエス様の教えを、宗教高山と政治高山の横暴で、泥海にしてしまった、 しかし、「土壌」は、あるのです。 「どぢょ」は、土台となるべき「序」は語られていて、「こふき」として、あるのです。 謙虚に、大工のイエス様の教えに耳を傾けないとすれば、それは、こちらが宗教高慢だということです。 三十一歳で「宮清め」したイエス様の、実行力こそ、天理青年の手本だと、そういう見方も、正しいと思います。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/799
800: 神も仏も名無しさん [] 2018/11/30(金) 14:21:07.56 ID:VLgy8sTC |┌──────────┐ 履歴書 平成30年10月11日 || // ̄ ̄ ̄ ̄\.. . | ┌──────────────── || 彳丿; /,,,,,,,,\ u lヽ . | |氏名: 松本人志 || 入丿 -◎─◎- ;ヽミ. .| ├──────────────── || | u:.:: (●:.:.●) u:.::| .| |生年月日 昭和○○年 ○月○日 || . | :∴) 3 (∴.::: | . | ├──────────────── || ...ヽ、 ,___,. u .. ノ . . | |現住所: 実家暮らし寄生虫株ニート || /\ヽ:.___;;;;;;;;;;___.ノ\.| ├──────────────── || | .\/゙(__)\/゙ . .,| .| 連絡先: 電話無し、携帯無し |└──────────┘.└──────────────── | ┌───┬─┬────────────────────── | | 年 . |月| 学歴・職歴 | ├───┼─┼────────────────────── | | . | | 学 歴 | ├───┼─┼────────────────────── | |昭和○|03| 高校中退(最終学歴=中卒) | ├───┼─┼────────────────────── | | .| | | ├───┼─┼────────────────────── | | .| | 職 歴 | ├───┼─┼────────────────────── | |平成○|○| アルバイト・派遣(正社員経験なしの株ニート) | ├───┼─┼────────────────────── | | . | | 現在無職(ピッタンコパーティーにて婚活中) http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/800
801: 基本。 [] 2018/11/30(金) 14:24:05.07 ID:VLgy8sTC そこで、原典に知らされた戦争の予言について、別スレで語り始めましたが、お筆先を歌のように思っていてはならないという、 そういう意味を込めまして、整理しておきたいと思います。 第四号、七十七歳老女 明治7年4月。(←扉に記載) 1年目 1874年4月〜 お筆先四号 77歳 7号 7年 4月 予言 4年目 1877 西南戦争 [(2月から)9月24日 西郷軍敗戦] 4+7=11年目 1884 秩父事件 [(10月31日)から11月9日にかけて、農民武装放棄鎮圧] 7+7+7=21年目 1894 日清戦争 [(7月)から1895年(4月)、日本勝利] 7+7+7+4+7=32年目 1904 日露戦争[(2月6日)から (明治38年9月5日)日本勝利] 4×7=28年目 1901年 日本初の社会主義政党。治安警察法によって禁止された。 7+7+4=18年目 1891年 足尾公害事件 第2回議会(1891年11月26日開会)田中正造議会闘争。 ・・・・・・・・・・・・・ ↑ このように、お筆先の扉の数理と「おうた」本文の予言は、日本の戦争、紛争をぴたりと予言しています。 「歌」のように思っていてはならない。 先ずはじめに「言葉≡理≡ロゴス」ありき、なのでした。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/801
802: 基本。 [] 2018/11/30(金) 14:26:42.48 ID:VLgy8sTC ここで、日本にとっては、最も重大な戦争の「太平洋戦争」の予言について、申し上げておくべきでしょう。 太平洋戦争は、開戦は真珠湾攻撃の時でした。 1941年(昭和16年) 12月8日 日本、英米に宣戦布告(太平洋戦争(大東亜戦争)開戦)。 戦争終結は、敗戦でした。 1945年 9月2日 降伏文書調印、太平洋戦争(大東亜戦争)終結。 明治7年は西暦1874年4月〜 1年め 1945年4月〜 72年目 敗戦は、西暦1945年9月 (4+7+7)×4 = 72年 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ お筆先7号と書いてありますが、削除訂正すべき箇所です。 失礼しました。 日露戦争の32年目は、4×7+4=32年目です。 訂正します。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/802
803: 基本。 [] 2018/11/30(金) 14:29:04.51 ID:VLgy8sTC 日清戦争 お筆先四号の予言 7+7+7 で結果 見えた姿・戦勝 日露戦争 お筆先四号の予言 4+4×7 で結果 見えた姿・戦勝 太平洋戦争 お筆先四号の予言 (4+7+7)×4 見えた姿・敗戦 このように、勝って「昼みたいに」負けて「夜みたいに」と、 『夜昼知れぬ用になるぞや』 日本の敗戦は、お筆先四号の数理の世界でした。 「7」の神様の嫌いな埃は「欲」。 「4」の神様の嫌いな埃は「腹立ち」 七の組み合わせとは「欲」の原因。 四の組み合わせとは「はらだち」の原因。 日清戦争は、侵略という「欲」のトリプル。 日露戦争は、ロシアへの腹立ちのダブルに、「利権の欲」かけあわせ。 太平洋戦争は、(4+7+7)×4 腹立ちと欲と欲を合わせておいて、そこに腹立ちが、掛け合わされた。 ちなみに「西南戦争」は、腹立ち、士族の怒りが原因と、数理は、きちんとしています。 「歌のように思っていてはならない」のです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/803
804: 基本。 [] 2018/11/30(金) 14:32:03.87 ID:VLgy8sTC おやさまの、ご態度については、確認をいたしますと、 おやさまは、権力の情報操作に対して、このように思想を示しています。 「人間の身体にたとえて云えば、あげ下しと同じようなもの。あげ下しも、念がいったら、肉が下るようになるほどに、神が心配」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・ 国民の不満を煽り立てて「4」の理の「埃」。「腹立ち」。 国民の欲をかき立てて「7」の理の「埃」。「欲」。 それが、「お払いさんがふる」と言う、宗教的マジックで薩長は明治維新を成功させた。 「欲にきり無い泥水」という、「高山」の理の間違いは、「富国強兵」に国民を、 そして、「帝国主義の天皇制」を構築します。 同様の欲があるから、天理教内高山は、戦争協力に走った。 これをとことんさんげしないと、心の闇は、晴れないということです。 はらだちとは、「理をたてないで、われを立てて、腹を立てる」のです。 よくとは、「散財のない」姿。 甘露を、頂いて、それを神の理とも思わず、自分の権勢に、支配に用い、人に腹を立てて、 欲に切り無くなれば、戦争を起こしてしまう。 天理教団こそ、肉がくだらないように、いんちきな教理は説かないような、理のある姿に、立ち返るべきなのです。 つまり、情報操作も念を入れると、国民の生命にかかわるという思想です。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/804
805: 基本。 [age] 2018/11/30(金) 14:34:35.24 ID:VLgy8sTC >>1 予言と言いますと、何時に何が起きるという予言だと、そう認識されています。 しかし、何がおきるかは、実は人間が決める。 その、心の理の結果として、結末が待っているわけです。 「五月五日に」と言う理は、「五つ理を吹く」です。 そして「五分五分」です。 まいた種が生え来る。それが「五つ理を吹く」の五日の理です。 その、理の吹く旬に、神の残念を見ると言うのは、それは「埃」を積み上げたと言うことに相違ないわけです。 そんなことしてると、いつか、神の残念を見るよと、言うのは、「いつか」・・「五日」。 そして、それは、五分五分。 天理教信者であれ、なかれ、みな五分五分。 理には隔ては無い。 そして、五の理の神様は、くもよみさま。 情報とは「五の理」。 それを、捜査して、人の心を惑わすと言う悪は、「高山」の悪そのものです。 おやさまの、おふでさき四号の予言は、人間が、「四の理」と「七の理」を、誠として通らせて頂いたのか、 それとも、埃として通ってしまったのかと言う、結末になるのであり、 それは「夜」か「昼」かは、心次第の道と言うことです。 それには、隔て心の無い世界、情報操作に惑わされない世界が、実現されなければならない。 一列兄弟とは、実に、重い教えです。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/805
806: 基本。 [] 2018/11/30(金) 14:37:07.65 ID:VLgy8sTC >そういえば徳川時代における高山地方は、 >言うところの「天領」だったわけだけど、これまた語呂合わせを超えた繋がりがあったんでしょうかね? 「小学生の社会科」に、「天領」になったいきさつが詳しくありました。 http://gakuen.gifu-net.ed.jp/~contents/syou_shyakai/h15/ikki/index.html 江戸時代の中ごろから、領主のきびしい年貢の取り立てや引き上げに対して、農民が集団で反抗する百姓一揆が全国で増えてきました。 郡上郡でも、宝暦郡上一揆 ほうれきぐじょういっき と呼ばれる一揆が起こりました。 1754(宝暦4)年、郡上藩主金森頼錦 かなもりよりかね は、藩の財政難を解消するために、年貢の取り方を、それまでの定免取り じょうめんどり から検見取り けみどり に変えようとしました。農民たちは、これに反対して、団結して一揆を起こしをしました。 藩では、きびしい弾圧をして、検見取りを行おうとしましたが、農民たちも、激しく抵抗し、4年もの長い間一揆を続けました。 この一揆は、藩主から農民まで、一揆にかかわる人すべてが処分を受けるという、類のない大事件でした。 そして、百姓一揆が原因で、幕府の首脳部まで処分を受けたのは、江戸時代を通じてこの事件だけでした。 ……郡上藩の百姓が、130人も牢屋 ろうや につながれ、男たちはちりぢりになって一人もいなくなりました。江戸でも40人余りが閉じこめられ、村に残された家族も難儀 なんぎ しています。 郡上藩は、山に囲まれ、土地がやせている上に、寒さやけものの害が多く、毎年不作で困りきっています。 わたくしどもは、なんでもかんでも検見取りに反対する気はありませんが、こんなに年貢が重くなってはどうにもなりません。わたくしどもの願いをお聞きくだされば、検見取りのこともお受けいたします。 まず、牢屋につながれている百姓たち、へやに閉じこめられている百姓たちをときはなしてください。その上で、わたくしどもの訴えごとをお取り調べください。 http://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/psy/1510590921/806
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