【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4 (196レス)
【勉強会】The QABALISTIC TAROT【+雑談】Part4 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/
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158: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/01(金)06:45:30 ID:9A4 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 68) --- THE KING OF SWORDS, Lord of the Winds and Breezes, King of the Spirit of Air, King of Sylphs and Sylphides (Last Decan of Taurus − first two Decans of Gemini). 「剣の王」、風たちと、そよ風たちの主、空気の聖霊の王、シルフたちとシルフィードたち の王(金牛宮の最後のデカン−双児宮の最初の2つのデカン)。 The King of Swords is Specific Fire in Primal Air. 「剣の王」は、「根源的な空気」における「特有的な火」である。 --- ここまで --- 「剣の王」に配属されるデカンは、金牛宮(きんぎゅうきゅう、おうし座)の20°-30°と 双児宮(そうじきゅう、ふたご座)の0°-20°となります。 なお、「Sylph/シルフ」は「空気(風)の精霊」の男性形で、「Sylphide/シルフィード」 は「空気(風)の精霊」の女性形となっています。 とはいえ、どちらも女性として描かれることが多いんですけどね。 あと、「剣の王」は、「生命の木」においては ・「剣」=「イェツィラー」=「Primal Air/根源的な空気」 ・「王」=「コクマー」=「Specific Fire/特有的な火」 に配属されていますので、「風」に煽られる「火」のパワーとなって、より強烈な個性を 発揮しそうな組み合わせでもあるわけでした。 あと、「コクマー」の二重性だけでなく、デカンの「双児宮」の二重性を持ちますし、 そもそも、剣のカードって、「起承転結」の「転」に相当する部分ですので、波乱万丈の 幕が切って落とされるような展開になってもおかしくないわけなのでした。 要するに、一つの意味に絞ることが困難なカードであって、それゆえに色々な姿で描かれ、 そして色々な意味を持つという、ややこしいことになるわけですよね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/158
159: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/02(土)09:09:23 ID:TBg 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 68) --- It is a personification of the activating Force behind the World of Astral images and ideas. それは、「星幽界」的な心象たちと観念たちの「世界」の背後にある活性化する「力」の 人格化である。 It is a violent and agressively cutting power, an idea shown best by Crowley, and not at all by the Waite and Marseilles cards. それは、 暴力的で攻撃的な切り裂く能力であり、それはクロウリー版により最も良く 表され、そしてウェイト版とマルセイユ版カードにおいては、少しも無い考え方である。 --- ここまで --- 「剣の王」という「風」に煽られる「火」の「violent and agressively cutting power /暴力的で攻撃的な切り裂く能力」を前面に出した「悪い面」の描写は、トート版にのみ 見られます。 他のカードでは、そういう凶暴さは前面に出さず、そういう狂った部分をうまく抑えた、 「良い面」の姿として描かれています。 ちょっとわかりにくいのですが、この「剣の王」のカードの偽らざる真の姿は、実は クロウリー版で表される「バーサーカー」のような姿なのです。 でも、普段のアッシャーでの生活では、それを「星幽界」の奥にひた隠し、ウェイト版や マルセイユ版のように、偽りの冷静を装う姿で我々の前に鎮座しているということであり、 それゆえに、この手の人の考えていることは、わかりにくいというわけです。 さらに、この「隠された能力」というのは、普段の我々にとって、いまいち理解難い 「星幽界」のものであるため、それが地上において発揮されると、王の配下の下々の者 たちが大混乱になることも、想像に難くないわけです。 そういうわけで、実にやっかいなものであり、「ありのままに〜」なんてやっちまうと、 「やっちまった」的な展開になりがちですので、「ありのまま」ではなくて、良く考えて から、アッシャー界に住む我々にもわかるように説明し行動してほしいな〜、なんて思う わけなのでした。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/159
160: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/03(日)20:34:35 ID:3QY 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 68) --- Crowley's mounted King is the dynamic energy of the charging bull of Taurus, but being predominantly Gemini he turns easily in one direction or the other. クロウリー版の(馬に)乗る「王」は、「金牛宮」の突進する雄牛の活動的な精力である けれども、大部分は「双児宮」であり、彼はどちらかの方向に容易に転向する。 Gemini is also implied in the Golden Dawn King's crest, the Hexagram which is a merging of opposites. 「双児宮」は、また、ゴールデン・ドーンの「王」の兜飾りにある、正反対のものの 融合したものである六芒星に暗示される。 --- ここまで --- トート版の「剣の王」の姿は、一見すると「真っ直ぐ突進する猛牛」のような「荒ぶるだけ の愚直な馬」に乗る、猪突猛進的な戦士のようであるけれども、それはあくまでも「全体の 1/3の金牛宮(地)」の持つ表面的な姿であって、本当の姿は「全体の2/3の双児宮(風)」 の持つ、軽々しくひらりひらりと身をかわすという、身軽で抜け目のない特性が支配的で あるということです。 ただ、風の星座に特有の「ずる賢さ」というのは、トート版の「剣の王」には、いまいち 感じることができないわけで、そういう意味でも、他のものとは異質のように思います。 なお、「Hexagram/六芒星」ですが、ゴールデン・ドーン版タロットでは、例のごとく 「crest/兜飾り」ではなく、胸当ての部分のみに、「"T"の書」に指定された「有翼六芒星」 が描かれています。 ちなみに、ウェイト版では、玉座の部分に双子らしき姿があり、さらに空を飛ぶ二羽の鳥の 姿が描かれていて、いずれも「双児宮」の二重性を暗示したものとなっています。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/160
161: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/04(月)06:47:22 ID:uGV 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 68) --- To this King is attributed a subtleness and craftiness, as Air refers to the conscious mind. この「王」には、「空気」が意識的な精神に関連するので、巧妙さと、ずる賢さが帰属 されている。 --- ここまで --- 「剣の王」の本質は、「双児宮(風)」支配者であり、本来は、非常に賢くて抜け目の 無いというか、ハタから見ると、ワル賢くて、何かイヤなヤツになるわけですが、 周囲からそういう目で見られないように、きちんと計算して立ち回ることの出来るだけの 器用さというものも兼ね備えているわけです。 で、油断して軽々しく近づくと、エラい目に遭うということになるわけですよね。 とにかく、多面性のあるカードですし、いずれか一つの性格に限定して語ることはできず、 ややもすると、怪人百面相のごとく、周囲の人を翻弄するような感じになりがちですので、 なかなか付き合うのが大変な感じになります。 とはいえ、「双児宮(風)」のコミュニケーション能力がうまく発揮できる局面であれば、 そういう無茶振りも少なくなり、元々のスペック値の高さと相まって、周囲とうまく協力 していくことで素晴らしい業績を上げることもできますので、できればそういう方面で 活躍してほしいと思うのでした。 いずれにしても、この「剣の王」が「暴君」となるか「賢帝」となるかは、それこそ 運次第とも言えるものですので、面倒くさいことが嫌いなワタシとしては、あまり近づき たくはない種類の人物であることは確かなのでした。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/161
162: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/07(木)06:30:27 ID:Jq9 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 68) --- KING OF PENTACLES, Lord of the Wild and Fertile Land, King of the Spirits of Earth, King of the Gnomes (Last Decan of Leo − first two Decans of Virgo). 「五芒貨の王」、未開および肥沃な土地の主、地の聖霊たちの王、ノームたちの王(獅子宮 の最後のデカン−処女宮の最初の2つのデカン)。 The King of Pentacles personifies Specific Fire in Primal Earth. 「五芒貨の王」は、「根源的な地」における「特有的な火」を人格化する。 --- ここまで --- 「五芒貨の王」に配属されるデカンは、獅子宮(ししきゅう、しし座)の20°-30°と 処女宮(しょじょきゅう、おとめ座)の0°-20°となります。 「Gnome/ノーム」は「地の精霊」であり、地下や森の中に住む小人の姿として描かれる ことが多いですよね。 あと、「五芒貨の王」は、「生命の木」においては ・「五芒貨」=「アッシャー」=「Primal Air/根源的な地」 ・「王」=「コクマー」=「Specific Fire/特有的な火」 に配属されていますので、「地」に足の着いた「火」のパワーというか、土煉瓦で作られた 炉の中に燃えさかる、きちんと制御された「火力源」みたいな感じですかね。 「コクマー」には、新しいものを作り出すという性質がありますので、それが「地」という フィールドにおいて発揮されることについては、それなりに有益であり、それなりに相性が 良いということなのですが、どうしても最下層にある「アッシャー界」の世界での話になる わけですので、あまり高度なものを生み出す能力は無いということにもなります。 この「ノームの王」のように、自然に囲まれて自然体に生きる姿勢は、ワタシとしては、 決して嫌いではないのですが、頑固というか、物事の奥底にあるものを理解する能力には 欠けますので、いまいち面倒臭いところもあって、やっぱり付き合いにくいのでした。 要するに、ワタシは、この手の男性の支配者階級に対する、一種の苦手意識みたいなものが あって、この4枚の「王」のシリーズというのは、いまいち好きにはなれないのでした。 つまり、ヒーロー物よりは、ヒロイン物のほうが、ワタシの趣味に合っているということ なんですよね。 え、おまいの趣味の話なんて、どうでもいいって? http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/162
163: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/08(金)06:51:50 ID:OLp 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 68) --- It is the most dense manifestation of the Elemental Yod Force, and is the energy which brings about material fruition and growth as Waite has shown here in a very effective card. それは「四大元素のヨッドの力」の最も高密度の顕在化であり、ウェイト氏がここで非常に 効果的にカードに示してきているように、物質的な結実と成長をもたらす精力である。 --- ここまで --- 「王」のカードの主体というか基本にあるのは、「Elemental Yod Force/四大元素の ヨッドの力」であり、それが「五芒貨の王」という「アッシャー界」の次元においては、 どのように我々に見えてくるのか、どう関係してくるのかということです。 そして、それが最もわかりやすい形で表現されているのが、ウェイト版の「五芒貨の王」 であるということなんですよね。 ただし、ウェイト版のデザインは、「"T"の書」からは若干の修正があり、どちらかと いうと、より俗物的かつ守備的な感じが強く出ています。 つまり、野性の雄鹿ではなく家畜の雄牛を、トウモロコシではなくブドウを、そして単なる 肥沃な土地の上で馬に乗る姿ではなく、自ら築いた城で玉座に坐る姿になっています。 要するに、「"T"の書」では「material growth/物質的な成長」段階であり、その一方で、 ウェイト版では「material fruition/物質的な結実」の段階であるということですよね。 そして、ウェイト版では、ブドウの実ったガウンの下には、頑丈そうな鎧を着用していて、 もう完全に守りに入っている状態ですよね。 なんだかもう、農園を経営する頑固なオヤジといった感じの王様です。 とはいえ、ウェイト版での占いの意味は、そんなに悪いものではなく、どちらかというと、 知的で計算能力に長けた、優れた商業的な経営者としてイメージされている感じです。 人は見かけによらない、ということですかね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/163
164: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/09(土)08:39:47 ID:CKw 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) --- His King is the very essence of the energy underlying earthly growth. 彼の「王」は、地上の成長の根底にある精力のまさしくその本質である。 --- ここまで --- ウェイト版の「五芒貨の王」は、素人目に見ても、とても良く「地の火」というものが 表現できているということですよね。 つまり、「地の精霊ノームたちの王」とか「大地の妖精ドワーフたちの王」というような、 割とどっしりした感じで、自然の恵みに囲まれ、大地にしっかりと足が着いた姿は、 この地上と地下の世界を統べる王の姿としては、割と良く出来ていると思います。 ちなみに、ウェイト版の「王」で、鎧を着用しているのが明確なのは、この「五芒貨の王」 だけであり、それも普段はガウンの下に隠していて、軽々しく他人には見せないように、 きちんと配慮しています。 そして、地下から湧き出す魔物が、この地上にこっそりと出現しようとする時には、その 守備的な鎧のパワーと、その圧倒的な重量感と、内に隠された「火」の魔力で、戦わずして 邪悪な魔物を地下世界に押し戻すという、陰に隠れた活躍をしているということです。 我々の住むアッシャー界を統べるにふさわしい、頼りがいがあって、それなりに実力もある、 どっしりした人物ですよね。 それに比べると、他のウェイト版の「王」たちは、ちょっと頼りない感じもします。 要するに、ウェイト氏は、アッシャー界=リアル世界を重要視しているということであり、 その点では、マサース氏やクロウリー氏とは、ちょっとだけ世界観が異なります。 このため、リアル重視の占いでは、理論重視のゴールデン・ドーン版やトート版よりは、 ウェイト版の方が適しているということでもあります。 まあ、リアルに恵まれない人であれば、理論重視で占いをやってもいいと思うのですが、 占いを商売にするのであれば、ワタシとしてはウェイト版を、お勧めするのでした。 とはいえ、きちんとタロットのことを理解して占いをやっているようなプロのタロット 占い師って、ほとんど会ったことは無いんですけどね。(苦笑) http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/164
165: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/10(日)07:59:26 ID:d4E 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) --- The Golden Dawn and Crowley Kings use the emblem of a stag, an animal to whom great regenerative powers are attributed. ゴールデン・ドーンとクロウリーの「王」は、深遠なる再生の能力たちが帰属されている 動物である「雄鹿」の紋章を使う。 The stag mythically eats the Serpent (absorbs wisdom) and in so doing sheds its skin, as well as any illness, weakness and old age. 「雄鹿」は神話的に、「蛇」を食べて(知恵を吸収して)、そうすることで、その皮だけで なく、どんな病気や弱点そして老齢も同じように、脱皮する。 It is totally regenerated. (*73) それは、完全に再生される。(*73) --- ここまで --- ちなみに、(*73)はNOTES/注記の項で、 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 270) --- 73. White, The Bestiary, 37-40. 73. ホワイト著、『動物寓話集』、37-40ページ。 --- ここまで --- とあります。 詳しい書籍情報は、NOTESの72を参照してください。 「"T"の書」では、この「五芒貨の王」を象徴する動物には、「stag or antelope/雄鹿 もしくはレイヨウ」が割り当てられています。 ちなみに、ゴールデン・ドーン版とトート版には、角が数多く分岐した「雄鹿/stag」が 描かれています。(レイヨウは、あまり枝分かれしていません。) さて、この「雄鹿」が、エリクサー的な「蛇」を食べて再生するという神話伝説ですが、 古代ローマ時代からある由緒正しいネタであり、それゆえキリスト教においても、邪悪な ものを退治するというネタにされるほど、有名なもののようです。 なぜ「五芒貨の王」に「雄鹿」なのかは、いまいちよくわからないのですが、「王」の 「火」の属性には、不老不死の意味が込められているようですので、おそらくそういう ことではないかと想像します。 とはいえ、カードの意味自体は、活動的な「雄鹿」というよりも、鈍重な「雄牛」に近い ものですので、いまいちピンと来ないんですよね。 この「雄鹿」に限らず、マサース氏のコート・カードを象徴する動物の選定基準って、 いまいち良くわかんないものが多いんですよね。 オカルト的なネタを知っておかないと、全く違う意味に捉えてしまうこともあるわけ なので、割と要注意なのでした。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/165
166: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/11(月)06:33:16 ID:m3Y 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) --- Thus, it is a fitting symbol for Fire of Earth. このように、それは「地の火」にふさわしい象徴である。 It moves fleetingly, as fire, but also represents the cyclic rebirth of the earth. それは、火として一瞬だけ作動するが、しかしまた、地の周期的な再生をも表す。 --- ここまで --- 要するに、「五芒貨の王」は、この地上界の深遠なる再生能力を象徴する存在であって、 そのネタとして、「蛇=知恵=コクマー=火」を食らうことで、再生する「雄鹿」という 物語を使ってみたということですかね。 そういえば、雄鹿の角って、毎年、春になると抜け落ちて、また新しく生え替わるのですが、 そういうところも、「火」による再生能力として見られているのかもしれません。 いずれにしろ、「火=コクマー」の出番は、その再生の場面だけであり、通常は楽屋裏で 待機していて出番を待っているということであり、不死鳥伝説みたいな感じになるわけです。 つまり、「地」の四季のサイクルを回すための「火」のエネルギーが表に出てくるのは、 4サイクルエンジンの点火した瞬間のように割と一瞬であって、この「五芒貨の王」は、 そのエネルギーを、割と効率的に使っているということになるわけですかね。 まあ確かに、ゴールデン・ドーン版の「王」って、どれも割と堅実的で、割と質素な感じも ありますよね。 で、こうして見ていくと、ウェイト版とゴールデン・ドーン版&トート版では、ずいぶんと 意味が違ってくるなぁという感じですよね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/166
167: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/12(火)06:53:03 ID:TbV 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) --- This same fruition is indicated by the corn (symbol of Isis-Ceres) in the foreground. これと同様の成果は、前景にある穀物(イシス−ケレスの象徴)により示される。 It is clear that Mathers was a student of medieval bestiaries, where the animal legends are collected. マサース氏が、動物の伝説たちが集められている、中世の動物寓話集たちの研究家であった ことは明らかである。 --- ここまで --- 「五芒貨の王」には、春の「再生」と共に、秋の「結実」の能力も割り当てられています。 この意味で、ゴールデン・ドーン版では「corn/トウモロコシ」が、トート版では「corn /麦」が描かれています。 ちなみに、「トウモロコシ」はアメリカ大陸原産であり、ヨーロッパで生産されるように なったのは16世紀になってからですので、古代エジプトの女神である「イシス」、および 古代ローマの女神「ケレス」の象徴となっている作物は、「トウモロコシ」ではなく「麦」 です。 つまり、ゴールデン・ドーン版のトウモロコシの絵は、おそらく勘違いであって、オカルト 的には「麦」が正解であるということになりますかね。 あと、ゴールデン・ドーンのコートカードには、それぞれ動物の象徴が付与されており、 大アルカナにも様々な動物が登場していますが、みんなそれぞれに元ネタがあります。 そして、このネタ元となっているものの多くは、中世の魔術や錬金術と同時期にブームと なった、各種の「bestiary/中世の動物寓話集」にあります。 つまり、マサース氏は、純粋な「ケモナー」であったということではなく、魔術や錬金術の 研究の流れの中で、ここから派生している「動物寓話集」みたいなものにも興味を持ったの ではないかと想像します。 ちなみにワタシは、二次元・三次元いずれであれ、ケモノ大好きです。 古くは手塚プロの不思議三匹アニメから、今ではサンリオの深夜商売アニメまで、 幅広くカバーしております。 あ、朝番組の御大様と通称様の2大巨頭対決も、大変面白うございました。 ケモノって、やっぱりいいよね〜。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/167
168: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/13(水)07:01:40 ID:BEo 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) --- 3. BINAH: Understanding 3. ビナー:理解 The Four Threes 「四枚の3たち」 The Four Queens 「四枚の女王たち」 --- ここまで --- さて、ここからは、「コクマー」の次のセフィラである「ビナー」の話になります。 ゴールデン・ドーンでは、「ケテル」からの流出の小径の割り当てが、従来の、 「ケテル」→「1. 魔術師」→「コクマー」 「ケテル」→「2. 高等女司祭」→「ビナー」 から、 「ケテル」→「0. 愚者」→「コクマー」 「ケテル」→「1. 魔術師」→「ビナー」 に変更されていることに、注意が必要です。 要するに、古典的カバラ・タロット理論における「ビナー」の女性的な面の、かなりの 部分が、ゴールデン・ドーンの思想の底流にある、近代的女性論に修正されなければなら ないということです。 実は、この微妙な違いをうまく理解するのって、思っているよりも、やっかいなことです。 なぜなら、人間の個体は、基本的に、男あるいは女という属性を持つ存在であるために、、 どうしても、自身の性である男あるいは女に「偏った考え方」をしてしまう傾向が強く、 それゆえに、「男」は「女」を、そして「女」は「男」を、お互い理解し難い存在である と認識してしまうからなんですよね。 そう、「ビナー」の「理解」って、我々のような生身の人間には、一生かかっても出来る ことではないのですよ。 とはいえ、お互い理解出来ないと愚痴っててもしょうがありませんので、どうせお互いに 理解し合えることなんて一生できないよね〜、とあきらめて開き直って、ぼちぼち先に 進んでいこうと思うのでした。←無気力感w http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/168
169: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/14(木)06:37:59 ID:3H2 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) --- □ The Supernal Mother □ 天上の母 □ The Organizer and Compensator □ 組織者と補正者 □ The Will to Form □ 形の意志 □ The Dark Sterile Mother, the Bright Fertile Mother □ 暗い不毛の母、明るい肥沃の母 □ The Great Sea □ 大いなる海 --- ここまで --- 「ビナー」を理解するには、対になっている「コクマー」と照らし合わせて考えることが 必要不可欠です。 最初の三つの文には、それぞれ対になるものが「コクマー」にあります。 「コクマー」:「The Supernal Father/天上の父」 「ビナー」:「The Supernal Mother/天上の母」 「コクマー」:「Dynamic Outpouring Energy, Unorganized and Uncompensated/ 未組織で未補正の、活動的な流出する精力 「ビナー」:The Organizer and Compensator/組織者と補正者 「コクマー」:「The Will to Force/力の意志」 「ビナー」:「The Will to Form/形の意志」 これについての詳しい話は、ダイアン・フォーチュン氏の『The Mystical Qabalah/神秘の カバラー』あたりを参考にしてもらうといいと思います。 ここで重要なのは、「コクマー」が「Force/力」というエネルギーを表すのに対して、 「ビナー」は、その「力」を受けて仮想的な「Form/形」を形成するということです。 もちろん、我々が観察可能な実体のある物質という「形」は、「マルクト」において形成 されるのですが、この「ビナー」という初期の段階において、「形」の原形が出来てくる というのは、実は「Force/力」と「Form/形」は、根は同じものであって、我々の住む 物理世界を理解していく上では、非常に基礎的で重要な概念となっているものです。 ちなみに、「The Dark Sterile Mother, the Bright Fertile Mother/暗い不毛の母、 明るい肥沃の母」という二面性は、3のカードのスート毎の意味が両極端になることに 関係している要素です。 「コクマー」も「二重性」を持っていましたが、「ビナー」の「二面性」は、価値観を持つ 「善悪」とか「勝負」とか「上下」とかいう、割とわかりやすい優劣関係で表現されると いう違いがありますかね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/169
170: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/15(金)06:52:22 ID:M6U 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) --- Symbols: The Yoni, the Triangle, the Cup, Heh 「象徴たち」:「女陰」、「三角形」、「杯」、「ヘー」 Planet: Saturn 「惑星」:「土星」 Color: Black 「色」:「黒」 --- ここまで --- この本の、この文章の右側には、「象徴たち」である「スジ入りおまんまん」と、図形の 「三角形」と、「杯」と、「土星」の占星術記号と、「聖四文字」で「四大元素」の「水」 を表すヘブライ文字の「へー」と、「生命の木」における「ビナー」の位置が図示された 絵が描かれています。 なお、「ビナー」の「黒色」は、「ケテル」の「白」や、「コクマー」の「灰色」と比べた 場合の表現であり、光の無い「暗黒」ということではありません。 つまり、「ケテル」は、曇りの無い純粋な「輝く光」ですが、「コクマー」は、薄いベール を被った薄曇りの中の「やわらかい光」であり、「ビナー」は厚く密度の高い雲に覆われた 状態の「暗い光」というような感じです。 そして、この過程は、ビッグバン宇宙の創造の直後に、場の温度が下がってきたことで、 物質が生み出され、それにより宇宙創造に関わる光が弱まり、その後の「宇宙の暗黒時代」 へと至る過程に似ています。 もちろん、この「宇宙の暗黒時代」も、全くの暗黒ということではなく、宇宙創造に関わって いた光は、現在においても「宇宙マイクロ波背景放射」として観測可能となっています。 つまり、「ケテル」「コクマー」「ビナー」の光は、宇宙創造時の「創造神」が発した 原始の光であって、それ以下の「セフィロト」の放つ光は、宇宙創造による物質創生の 後に、その物質から生まれた星たちが放つ、二次的な光であると考えることができます。 要するに、「ケテル」「コクマー」「ビナー」は、「創造神」が直接生みだした「子」の 世代であり、それ以下の「セフィロト」は、「孫」の世代であるということですよね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/170
171: 名無しさん@おーぷん [sage] 2015/05/19(火)06:57:30 ID:xWN 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) --- In Binah is a thick darkness which yet veileth the Divine Glory in which all colours are hidden, wherein is mystery and depth and silence, and yet, it is the habitation of the Supernal Light. 「ビナー」においては、その中に全ての色たちが隠された「神の栄光」を今なお覆い隠す、 深い暗闇であり、 その中には神秘と奥深さと沈黙があり、それにもかかわらず、それは 「天上の光」の住居である。 There is the Supernal Triad completed. 完成された「天上の三つ組」がある。 And the Sphere of its Operation is Shabbathi, or rest, and it giveth forms and similitudes unto chaotic matter and it ruleth the sphere of action of the planet Saturn. そして、その作用する天球は「土星」、すなわち休息であり、そしてそれは混沌とした 物質に形と姿を与え、そしてそれは惑星の「土星」の活動の天球を支配する。 And Jehovah Elohim is the perfection of Creation and the Life of the World to Come. そして、「イェホヴァ・エロヒム」は、創造および来るべき世界の生命の完成である。 And its Archangel is Tzaphqiel, the Prince of the Spiritual Strife against Evil, and the Name of the Angels is Aralim, the strong and mighty Ones who are also called the Order of Thrones. そして、その大天使は「ツァフキエル」、悪に対する霊的な闘争の王子であり、そして天使 たちの名前は、「アラリム」、「座天使」の階級と呼ばれる強くて強力な者たちである。 --- ここまで --- ここの部分は、恒例の、『The Golden Dawn/黄金の夜明け魔術全書』の「第五知識講義」 の「生命の樹に関して」の節からの引用となっています。 相変わらず、いまいち良くわからない文章ですよね。 ちなみに、天使たちの階級で、ここで「Thrones/座天使」というものが出てきています。 この手の階級分けには色々な説があるのですが、ゴールデン・ドーンにおいては 1. ケテル=熾天使(してんし、Seraphim) 2. コクマー=智天使(ちてんし、Kerubim) 3. ビナー=座天使(ざてんし、Thrones) 4. ケセド=主天使(しゅてんし、Dominions) 5. ゲブラー=能天使(のうてんし、Powers) 6. ティファレト=力天使(りきてんし、Virtues) 7. ネツァク=権天使(けんてんし、Principalities) 8. ホド=大天使(だいてんし、Archangels) 9. イェソド=天使(てんし、Angels) というようになっています。 だから何?と言われても、ちょっと困るんですけどね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/171
172: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/20(水)06:39:22 ID:wWr 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 69) --- The key symbol of Binah is the Yoni, or female generative organ, indicating that this Sephira is the energy from which all life emerges. 「ビナー」の重要な象徴は、「女陰」、もしくは女性生殖器官であり、この「セフィラ」が、 全ての生命が出現するところの精力であることを示す。 It is the Great Womb, the Supernal Mother to which all religions make reference in some way. それは、「大いなる子宮」であり、すべての宗派たちが何らかの方法でそれについて言及 している「天上の母」である。 --- ここまで --- この部分は、前項の「In Binah is a thick darkness which yet veileth the Divine Glory in which all colours are hidden, wherein is mystery and depth and silence, and yet, it is the habitation of the Supernal Light./「ビナー」においては、その中に 全ての色たちが隠された「神の栄光」を今なお覆い隠す、深い暗闇であり、 その中には 神秘と奥深さと沈黙があり、それにもかかわらず、それは「天上の光」の住居である。」 という意味深な箇所を、よりエロっぽく、いやいや、より低俗っぼく、いやいや、より 我々にとってわかりやすく象徴化したものと考えることが出来ますよね。 つまり、「ビナー」を想像することは、深い茂みに隠された中にある神秘と奥深さと沈黙 のアレを妄想するのと同値なわけであり、それゆえ黒く塗りつぶされなければならないと いうことにも繋がるというわけです。 要するに、「ビナー」そのものが「黒い」ということではなく、人間の妄想や勝手な都合 で、わざわざ黒く象徴化しているということでもあるわけです。 とはいえ、「ケテル」「コクマー」「ビナー」は、万物の原材料となるものであるため、 それらは「全ての色を含む=無彩色」でなければならないという制限事項があるので、 必然的に「ケテル=白」「コクマー=灰」「ビナー=黒」という無彩色属性が割り当て られてしまうという点は、ある程度は割り切っておかないといけないわけです。 でもまあ、そういう意味での「黒」って、ワタシは決して嫌いじゃないです。 というか、むしろ好きですけどね。 飼い猫は「黒猫」ですし、どちらかというとワタシは「黒い子」が好きなのでした。 それはともかく、この「ビナー」の正体は、「ブラックホール」みたいなものではなく、 「the energy from which all life emerges/全ての生命が出現するところの精力」と 記述されているように、むしろ「ホワイトホール」みたいな性質を持っています。 そして、我々の世界から見れば、そこからは完全に一方通行であって、出てくるだけで 光さえも後戻りは出来ないようなものになっているわけです。 結局のところ、この「ビナー」というものを理解しようとするならば、我々は一方通行 の妄想をする以外に手は無い、つまり、そう簡単に相互理解できるようなシロモノ ではないということなんですよね。 でもまあ、他の人も、おそらく分かっていないので、理解できないことを、そんなに 気にする必要も無いと思います。 ということで、これからも個人的な妄想を、適当に書き連ねていくことにしましょう。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/172
173: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/21(木)06:55:53 ID:yGG 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) --- It is also the completion of the Supernal Triangle, which began as the point in Kether, emanated to Chokmah as the line, and emerges with Binah as the triangle. それはまた、「ケテル」において点として始まり、「コクマー」へと線として発出し、 そして「ビナー」と共に三角形として出現する、「至高の三角形」の完成でもある。 --- ここまで --- 生命の木における、この「Supernal Triangle/至高の三角形」は、他の部分とは次元の 異なる、最も難解で崇高なものです。 そして、この「至高の三角形」でさえも、「上の如く、下も然り」の基本定理を悪用し、 「タロット」という俗世界へとマッピングする暴挙に出たのが、ゴールデン・ドーンと いうことであり、それゆえ古来からのカバラ業界からは、かなりの批判があるわけです。 でもまあ、そういうゴールデン・ドーンの斜め上方向の努力のおかげで、我々のような 低俗な人間であっても、「カバラ」の持つ崇高な部分を、ちょっとは勉強しようかなぁ、 という気になるわけであり、その点では、充分評価に値するのではないかと思うのでした。 だからといって、そういう低俗な部分だけで満足せずに、「下の如く、上も然り」という 逆定理を働かせて、より上位の世界というものを、もっと知っておいてほしいとも思う のでした。 それはともかくとして、この「至高の三角形」に「上の如く、下も然り」の基本定理を 適用すると、「至低の三角形」となるわけですが、これは「ミクロコスモス」における 最もミクロなる世界に隠されたものを指していることになるわけで、これも言葉では表現 することの出来ない、「その中に全ての色たちが隠された「神の栄光」を今なお覆い隠す、 深い暗闇であり、 その中には神秘と奥深さと沈黙があり、それにもかかわらず、それは 「天上の光」の住居である。」に相当するものがあるというわけです。 結局のところ、「至高の三角形」および「至低の三角形」を象徴するものとして、 「女陰」という最もエロい、いやいや神秘的なデルタ地帯が選ばれているというのは、 ある意味当然と言えるわけなんですよね。 要するに、この手の神秘主義が一見するとエロく見えるというのは、決して偶然では ないということなんですよ。←苦しい言い訳ww http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/173
174: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/22(金)06:59:52 ID:GKP 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) --- Two questions generally arise when first considering "sexuality" as it is philosophically described in these upper realms of the Tree of Life. 「生命の木」のこれらの上位の領域たちにおいて、それが哲学的に記述されているように、 最初に「性別」を考慮する時には、2つの疑問が一般に生じる。 The first relates to the fact that the primary female Sephira, Binah, stands at the head of the Pillar of Severity, while the primary male Sephira, Chokmah, is at the head of the Pillar of Mercy. 一番目は、最初の男性の「セフィラ」である「コクマー」が「慈悲の柱」の先頭にある一方 で、最初の女性の「セフィラ」である「ビナー」が「峻厳の柱」の先頭に位置する、という 事実と関連している。 --- ここまで --- この「Supernal Triangle/至高の三角形」において、最初の「コクマー=男性」と 「ビナー=女性」という、哲学的な「男女」の概念が出現しているのですが、これが 次の段階で、「慈悲の柱=男性」と「峻厳の柱=女性」という概念に発展していくと いうことが、この「生命の木」を表面上理解し難くしている点の一つとなっています。 まあ要するに、最初にカバラの概念を考えた人々が、あまねく「男性=慈悲」であり、 「女性=峻厳」であると考えたということであって、このことから、カバラの概念を 作り上げた人たちは、間違いなく「女」に虐げられた「男」どもであろうということが、 容易に想像できるわけです。 もちろん、ワタシも、この考え方には、大いに賛成です。 つまり、あれこれと、もっともらしい理由を並べるよりも、直感的に「女性」の持つ 現実的というか、リアルな「厳しさ」というものを、世の男どもは感じていると思います。 まあ要するに、(バーチャルな)形なきものの「慈悲」にすがる者が「男」であって、 (リアルな)形あるものの「峻厳」を理解している者が「女」であるということなんですよね。 ※なお、この「男と女の概念」はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係 ありません。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/174
175: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/24(日)06:33:16 ID:al7 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) --- This fact reflects the Qabalistic definition of maleness and femaleness as qualities, rather than as static characteristics, as well as the ultimate bi-sexuality of the Soul. この事実は、「魂」の究極の両性素質というだけでなく、静的な特性たちとしてよりは むしろ特質たちとしての男性らしさと女性らしさの「カバラ主義」の定義を反映する。 In the Supernal Triangle, maleness is pure outgoing energy, merciful in that it is unrestricted; femaleness is a limiting quality, and thus severe. 「至高の三角形」においては、男性らしさとは純粋な外向きの精力であり、それが制限が 無いという点で「慈悲深い」ものであり;女性らしさとは制限する品質であり、そして それゆえに、「峻厳」なるものである。 --- ここまで --- 人間の「脳」や「体」は、性ホルモンの影響を受けて、「男」と「女」では、精神面および 肉体面での働きが若干異なることが知られていますが、それでも、人間の核にある「魂」の 部分は、ほとんど変わらないということです。 つまり、人間の「魂」自体は、「至高の三角形」の支配下にあるということになります。 そして、「maleness/男性らしさ」と「femaleness/女性らしさ」は、「static/静的な」 もの、つまり肉体的な性別に固定されたステレオタイプ的な概念ということではなくて、 より動的かつ様々に変化する「qualities/特質たち」として、各個体の様々な部分に発現 してくるということになるわけです。 とはいえ、「maleness/男性らしさ」と「femaleness/女性らしさ」は、「プラス極」と 「マイナス極」、「出口」と「入り口」というような、相互に置き換え可能な単純な極性 というものではなくて、イメージ的には、原料タンクから流れ出す不定形の「原料」と、 それに一定の形を与えて製品化する「鋳型」みたいな感じになります。 でもまあ、金持ちで浮気性の色男が、あちこちの女に「慈悲」という名目で貢ぎまくって いるのを、徹底的にチェックする「峻厳」なる妻のような感じもありますので、いずれに しても、「コクマー」と「ビナー」とは、そう単純な関係ではないということになります。 というわけで、そういう自由闊達かつ積極的な「コクマー」の「energy/精力」が カバラの世界では「Mercy/慈悲」と呼ばれ、そしてそれを一途に受け止める「ビナー」が 「severe/峻厳」と呼ばれているということは、そういう男女間の裏話的な設定があると いうことなのかもしれないですよね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/175
176: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/25(月)06:39:53 ID:JBv 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) --- Moving down through the Tree of Life on the Pillar of Severity we find that Geburah destroys, while Hod again builds up (anabolism and catabolism). 「峻厳の柱」に沿って「生命の木」を通して下へと動く場合には、我々は、「ゲブラー」が 破壊し、その一方で「ホド」が再び構築している(同化作用と異化作用)ことを見い出す。 And on the Pillar of Severity we find that Chesed builds up while Netzach has destructive qualities. そして、「慈悲の柱」に沿う場合、我々は、「ケセド」が構築する一方で「ネツァク」が 破壊的な品質たちを持っていることを見い出す。 --- ここまで --- とりあえず、ここまでをまとめると、以下のようになります。 「峻厳の柱」=「女性らしさ」 ←→ 「慈悲の柱」=「男性らしさ」 「ビナー」=形成 ←→ 「コクマー」=不定形 「ゲブラー」=破壊 ←→ 「ケセド」=構築 「ホド」=構築 ←→ 「ネツァク」=破壊 要するに、「生命の木」の構造の根幹にあるのは、こういう品質の相反するものたちが、 絶妙なバランスを取りながら、きちんと組み合わさっていることなんですよね。 そして、この相反するものたちの組み合わせと周期的な変化のダイナミックな構造こそが、 この大宇宙と小宇宙を記述する「基本原理」となっているということなのです。 もちろん、こういう組み合わせと変化の原理は、理論の単純さを好むワンパターンな人々に とっては、そう簡単には理解できないシロモノですし、それゆえにハードルの高いものです。 でも、これをきちんと理解しておくことが、「カバラ」の理解に繋がるわけですので、 カバラを勉強しようとする人は、この基本原理をしっかりと体得して使いこなすことが 必要となるわけなんですよね。 つまり、階層毎に様々なストーリーを構築できるカバラ理論があれば、ネタに困ることなく、 色々な妄想を飽きることなく展開していくことが可能なわけですよね。←間違った使い方w http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/176
177: 名無しさん@おーぷん [] 2015/05/26(火)06:40:59 ID:Ye4 「セフィロトの図案たち」の章の続きです。 --- ここから --- (Robert Wang, 『The QABALISTIC TAROT』First paper edition, 1987, pp. 70) --- The second question which inevitably arises throughout the Tree of Life is the extent to which there is an interchange of masculine and feminine deities as we know them. 二番目の問題は、必然的に、我々が彼らを知っているような男性および女性の神たちの交換の 広がりが、「生命の木」の至る所で生じることである。 Although the key God figure of Binah is Isis, the male Gods Saturn and Chronos are also attributed to it. 「ビナー」の基本的な神の象徴は「イシス」であるが、男性の神たちである「サターン」と 「クロノス」がまた、それに配属される。 Moreover, at the base of the Pillar of Severity, beneath Binah, we find the male God Mercury in the Sephira Hod. さらに、「ビナー」の下の「峻厳の柱」の基底部において、我々は、男性の神である 「マーキュリー」を、「セフィラ」の「ホド」で見つける。 At the base of the Pillar of Mercy we find the female Goddess Venus in the Sephira Netzach. 「慈悲の柱」の基底部において、我々は、女性の女神である「ビーナス」を、「セフィラ」 の「ネツァク」で見つける。 --- ここまで --- ここに来て、「生命の木」に関する「maleness/男性らしさ」と「femaleness/女性らしさ」 の概念は、さらに流動的というか、全く節操が無くなり、ほとんど何でもありの状況に 陥っていきます。 つまり、我々の抱いている「男性らしさ」とか「女性らしさ」という漠然としたイメージを、 そのまま「生命の木」の「男性らしさ」とか「女性らしさ」に求めること自体が、そもそも 間違った行為であるということなんですよね。 要するに、我々の持つ「男性らしさ」とか「女性らしさ」というイメージは、あくまでも 「ぼくのかんがえたさいきょうの男性らしさ/女性らしさ」であって、そういう独善的と いうか、ひとりよがりな考え方で、この全宇宙を支配するさいきょうの「生命の木」を 束縛するのは、全くもって、けしからんということになるわけです。 つまり、言葉を換えれば、個人の責任で楽しむ範囲においては、ある程度までは個人の 自由にやっちゃっても良いということであり、結果的に、けしからん姿になってしまう ことも、よくあることなわけです。 まあ、そういう意味でも、とにかく何でもありな「生命の木」って、「寄らば大樹の陰」 みたいな、たくましくて頼りがいのある、フリーダムでエロカワな存在なんですよね。 http://engawa.open2ch.net/test/read.cgi/uranai/1415827871/177
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