[過去ログ] 浜田省吾 ON THE ROAD Part159 [無断転載禁止]©2ch.net (1002レス)
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83: 2016/06/15(水)22:13 ID:3XLT1ZPQ(2/3) AAS
「日本の伝統が忘れ去られようとしている」。そんなかけ声と共に、演歌を保護・振興する機運が高まっています。

ただ、歴史をひもとけば、生まれは1960年代後半と浅く、
しかも、誕生直後は、ロックのように反体制・アウトロー的な価値観をまとっていました。
それが今や、伝統をことさらに強調し、体制の保護を求めるまでに。演歌の数奇な歩みをたどってみました。

大御所がロビー活動
今年3月23日、演歌や歌謡曲の復活を後押ししようと
「演歌・歌謡曲を応援する国会議員の会」が超党派の議員により、設立されました。

自民、公明、民主、共産など80人の議員が終結。
杉良太郎さんや山本譲二さん、瀬川瑛子さんら演歌界の大御所も出席し、
世間の演歌離れを防ぐ手立てを考えていく方針を確認。
設立準備会で、杉さんは「日本の伝統が忘れ去られようとしている」と危機感を示しました。
  
杉さんの言葉がまさに象徴的ですが、
昨今では、演歌と聞いて「日本の心」「日本の伝統」といった連想は、違和感なく受け入れられています。

もともと「Jポップのようなもの」だった
けれども、故・島倉千代子さんが「この世の花」(1955年)でデビューした時も、
北島三郎さんの「なみだ船」(62年)がヒットした時も、実はジャンルとしての演歌は存在していませんでした。
「現代用語の基礎知識」に初登場したのは70年版です。

昭和初期、大衆音楽の世界は、レコード各社の専属作家が活躍した時代で、
彼らがジャズやハワイアン、マンボような外来音楽に、端唄や都々逸などの日本的音楽要素を交配させては
雑多に新しい音楽を生み出し、ヒット曲を模索していました。
それらはおしなべて「流行歌」という名の風呂敷に包まれ、それは今で言うJポップのようなものでした。

流行歌の一部がジャンル化
ただ高度経済成長期の到来で一変します。
人々の生活様式や価値観が急変。音楽においても、さきほどの風呂敷に収まらない『グループサウンズ』『フォーク』
といった新しい音楽が日本社会に急速に浸透。結果、皮肉なことに、流行歌は、相対的に古くさいものに位置付けられます。
演歌はそんな端境期に、産声を上げました。

音楽評論家の北中正和さんは指摘します。
「それまで日本の発展を支えてきた人々の一定数は、音楽も含めた社会の大きな変化に戸惑いを覚え、
一昔前の価値観や様式に郷愁を覚えるようになった。その思いをすくいとる形で、
流行歌の一部が『演歌』の名でジャンル化したと言えます」
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