ヤマト王権なんだわ (946レス)
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1(2): 2023/12/11(月)15:48 AAS
奈良県立橿原考古学研究所の
青柳正規所長は桜井茶臼山古墳の調査の意義について「邪馬台国が北部九州か畿内かといわれているが、3世紀末の奈良盆地には、邪馬台国とは比較にならない圧倒的な王権が存在したことが明らかになった」と述べた。
外部リンク:www.sankei.com
927: 02/13(木)19:35 AAS
>>923
>さらに百済人であれば馬だけでなく文字や大陸の文明を残しているはずであるが
馬や仏教や漢字のいち早い普及は、「阿波」から。 @阿波
928: 02/13(木)19:37 AAS
>>924
>あのバグ黄金製の馬具
「我が国唯一 全面に鍍金(金メッキ)された馬鐸」
鳴門市大麻町萩原の「ぬか塚」は、樋殿谷川をはさんで春日神社古墳群の対岸に立地している。
直径約30m、高さ約5mの円墳で、片袖式の横穴式石室を持っている。6世紀後半の築造と考えられている。
玄室内からは、鉄刀、鉄鏃、馬具類(馬鐸、輪鐙、轡、辻金具)、須恵器、径18cmの漢鏡、三塁環式環刀柄頭、
切子玉や丸玉などの遺物が発見された。
このうち馬鐸は片面が扁平で文様はなく全面に鍍金(金メッキ)されており、分厚い作りで両側に鰭ひれがある。
この馬鐸が 我が国唯一のもの として注目され、東京帝室博物館(現東京国立博物館)で収蔵されることとなった。
鍍金(金メッキ)された馬鐸の出土は、阿波に倭王権があったことの傍証のひとつになる。 @阿波
省2
929: 02/13(木)19:59 AAS
すべての事実は、朝鮮半島の古墳(ヤマトか三韓)に記述されていると思う
だが、あいつらは前方後円墳を再びうめたりするからなあ
930(1): ネトウヨ撲滅隊! 02/14(金)08:13 AAS
ヤマト王権と邪馬台国は同一の存在
九州や瀬戸内などの連合勢力による宗教を基盤とした共立国家
その王家は九州の恐らく糸島半島の付け根にあった伊都国の出身
記紀が編纂された時代には既に忘れられていただろうが、ここが宮崎ではない本来の筑紫の日向だった可能性がある
韓半島の最先端文明を取り入れる窓口だった伊都国と奴国は倭国最大の先進国で強国だった
これらの国がヤマト王権の母体になった可能性があると多くの考古学者が指摘している
931: ネトウヨ撲滅隊! 02/14(金)08:29 AAS
後漢書は伊都国の人口を一万戸と記述しているが、魏志倭人伝ではその戸数が千戸に激減している
これは邪馬台国=ヤマト王権で、建国の際に王のみならず多くの住民が伊都国から畿内の邪馬台国に移住したからと考えれば辻褄があうだろう
邪馬台国は今日の纏向遺跡である
纏向の住人はその出土物から明らかに他所からの移住者であって畿内の原住民では無かったと判る
ここまで書いておけば神武東征伝説のモデルになった古代の歴史が見えてこよう
紀元前660年の建国というのは完全に神話であり、ヤマト王権の始まりは魏志倭人伝の云う邪馬台国の建国時期である西暦180年頃である
932: 02/14(金)08:46 AAS
ということは、卑弥呼が生まれたのは畿内ということになるな。
だが、その後の倭の五王(ヤマト王権)までの流れはどうなる?
邪馬台国の流れであれば女王の存在や、あるいは大王の絶対的地位が確立されていたはずだが。
倭の五王(ヤマト王権)というとローカルな武装集団で大王も他の豪族と対等な立場で遠征していたイメージがある。
つまり畿内にあった邪馬台国の本流が衰退して国が再び乱れ始めた頃に、邪馬台国の傍流(体育会系)がヤマト王権を作り、
再び全国に支配を及ぼしていったとは考えられないだろうか。
933: 02/14(金)08:54 AAS
そして倭王武(雄略天皇)の頃にほぼ全国に支配を及ぼすことができ、大王は豪族たちの上に立つ存在となった。
戦が一段落すれば、大王は祭祀などを行う神聖化された存在として祭り上げられた。
この辺りは女王卑弥呼の擁立過程と似ているかもしれない。
934: 02/14(金)09:23 AAS
あと、なぜ畿内に向かったのかが謎。
おそらくは領土を拡張していくうちに畿内にたどり着き、
ここは交通の便もいいし土地も豊かだから、とりあえずここに本拠を構えようということだったのかもな。
九州は大陸との交易には便利だが、地理的に近いので侵略される恐れもあったのかも。
935: 02/14(金)09:31 AAS
>>930
>ヤマト王権と邪馬台国は同一の存在
だったら、倭王権と言え! 存在しない「ヤマト」なんか使うな! @阿波
936: ネトウヨ撲滅隊! 02/16(日)10:21 AAS
アイヌ民族は江戸時代には既に松前藩の和人より人口が少ない状態だった
米食は多くの人口を支える卓越したパワーを持っている
弥生人と縄文人つまり倭人とアイヌ人では、凄まじい人口増加力を持つ倭人系が人口でアイヌ系を圧倒して、古墳時代が始まる頃には北東北と北海道でしかアイヌ民族はいない状態だった
韓半島の無文土器時代に倭人が稲作技術と稲の品種を山東半島から入手して、それが倭人の興隆をもたらし温暖な日本列島への進出をも促したのだろう
日琉祖語は前二世期頃に韓半島南部で話されていた言語であるとオレは観ている
倭人の日本列島渡来は大きく分けて二段階に分かれており、第一波が紀元前10〜8世紀でこれが日本列島に弥生時代をもたらした人たち
彼らの言語の残滓が日本語より古い日琉語つまり上代東国語や隼人語であったのだろう
そして第二派の渡来が紀元前3〜2世紀頃で、これが日本列島に鉄器文明をもたらした人たち
彼らの言語が所謂日琉祖語である
高天原というのは天上世界という神話的世界である
省3
937: 02/16(日)10:36 AAS
そもモデル
938: 02/16(日)10:39 AAS
アイヌを背乗りする在日コリアン
939: 02/16(日)18:48 AAS
トルコでは、12000年以上前の石柱の神殿跡が出土。農耕が始まるより、ずーっと古い時代に、権力者がいた事が判明。
日本でも、農耕が本格的に始まるより前(4000年前頃)から、宗教的指導者(ウガヤ王朝)がいて、シュメール文字に似た神代文字が使われてた可能性は否定出来ない。
940: 02/16(日)20:07 AAS
動画リンク[YouTube]
941: 02/18(火)17:41 AAS
西日本縄文人の核ゲノムの4割ぐらいは、現代人にも受け継がれてるはず
942: 02/23(日)01:01 AAS
国会図書館
『万葉集画撰』第63図 陸奥ノ國の黄金を賀し奉れる歌「一」 大伴ノ家持(4094)
解説が佐佐木信綱となっているが、実際は折口信夫だぞ。
間違うなよ。
943: 02/24(月)08:03 AAS
東日本縄文人は、旧石器時代日本人の核ゲノムのうち、6割ぐらいしか実際に受け継いでない。
944: 02/25(火)06:36 AAS
京阪式アクセントは、シナ系言語の影響で、遼東半島から来た燕系中国人の末裔だろ?中平銘鉄刀が公孫氏から送られたのもそのせい
945: 02/25(火)22:29 AAS
日本最古の貨幣通貨は無文銀銭だが、それに匹敵する
更に古い貨幣通貨が見つからないかな。
946: 02/28(金)08:16 AAS
古事記は室町時代の写本しか残って無いが、出雲が大国だったのは弥生前期までだったので、出雲神話はその時代の話しでしょうね
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