[過去ログ] 懐古64 (1002レス)
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(1): (スッププ Sd62-L67M) 2023/11/05(日)08:08 ID:la/1ZxF4d(1) AAS
柿澤といえば父親からして元キャリア官僚ながら信用できない男だった

柿澤 弘治(かきざわ こうじ、1933年〈昭和8年〉11月26日 - 2009年〈平成21年〉1月27日)は、日本の政治家、大蔵官僚。位階は従三位、勲章は旭日大綬章。
衆議院議員(7期)、参議院議員(1期)、外務大臣(第117代)、自由党党首、自由連合代表を歴任。長男は自由民主党所属の衆議院議員の柿沢未途。

東京大学経済学部経済学科卒業[1]。1958年、大蔵省(現財務省)に入省。本省勤務の他、外務省や経済企画庁への出向やフランス、ベルギーでの海外勤務を経験し、ベルギーに赴任中には長男の未途が誕生した。
帰国後の1974年より、三木内閣で井出一太郎内閣官房長官の秘書官を務める。

1977年の第10回参議院議員通常選挙に新自由クラブ公認で東京都選挙区から立候補し[2]、初当選した[3]。
1980年、参院議員を任期途中で辞職。第36回衆議院議員総選挙に旧東京6区(定数4)から新自由クラブ公認で立候補し、当選した(当選同期に古賀誠・平沼赳夫・太田誠一・久間章生・川崎二郎・森田一・高村正彦らがいる)。
しかし、翌年新自由クラブ・社会民主連合の統一会派結成に反対し、新自由クラブを離党。1983年に自由民主党に入党し、同年の第37回衆議院議員総選挙は自民党公認で当選した。
なおこの総選挙で、自民党は旧東京6区に柿澤、天野公義、山口シヅエの3人を擁立したが、当選したのは柿澤のみであった。自民党入党後は中曽根派に所属し、渡辺美智雄の側近であった。

1994年4月、首相の細川護煕が唐突に辞意を表明。後継首相の選出にあたり、新生党代表幹事の小沢一郎が自民党の渡辺美智雄の擁立に動く。
省9
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