[過去ログ] 【西尾 天 西尾 地 西尾 火 西尾 人 そして神西尾】 (364レス)
前次1-
抽出解除 レス栞

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
38
(10): チャンバラ(〇´∀`*)エリザ ◆TJ9qoWuqvA 2008/03/23(日)20:20 ID:iS93Ze+A(1/5) AAS
日本の歴史で他国と違い解りづらいところは、朝幕並存ということでしょう
朝廷と武士(幕府)が並立しているということです、権力が一元化していませんから
朝廷は兵力はないですから、そこで武士にある時はまかせ、ある時は依存し、ある時は"利用"したのでしょう。

武士は武士で権力が欲しいので、征夷大将軍になりたいわけです(武士で初の征夷大将軍は源頼朝です)
朝廷の家来になりたくないので源頼朝が狙ったのが征夷大将軍というポストです。

ところで日本で一番最初に今でいう警察なるものを作ったのは源頼朝です弟の義経を全国手配して惣追捕使を作ります
朝廷に警察部門は征夷大将軍に任せてくださいということです、朝廷は政治の権限は渡したくないですけれど
穢れの仕事はしたくないので追捕使をおくことを認めたのです。

武士で一番最初に頭角を現したのはおそらく平将門でしょうね、でも流れ矢に偶然あたり、亡くなってしまいます
それと、僧侶この人達が武装していた事これは以外?に知られていない事実かもしれません
省11
111
(1): チャンバラ(〇´∀`*)エリザ ◆TJ9qoWuqvA 2008/05/01(木)19:29 ID:l6bXcBFh(1) AAS
日本人は本来色彩豊かな民族である、ということはエリザも知っています。
>>38
ここでも書き込みしました、"目だった者勝ちの源平合戦"いかに目立つかを考え、鎧なんかも色とりどりだったそうです。

「生類憐れみの令」については、あの時代(戦国時代)人を殺して評価されていたのが、「生きのもを殺してはいけない!」
と人々の意識を変えたという、今では専門家が評価しているのは、知っています。
115
(1): ('A`)音成(´♭ω♭) 遊 2008/05/03(土)21:20 ID:ooqIgg1N(1) AAS
>>111
エリザ久しぶり、源平合戦に興味あの?
>>38
頼朝さんに義経さんか・・・それと平将門に織田信長・・・熊谷直実に平ノ敦盛あのころの有名な話だね。
121
(7): ('A`)風の勘太郎 ◆/3LZLGDsxY 2008/05/08(木)20:27 ID:1q5O/uZQ(1) AAS
>>38
武士が何故興ったか考えないとね、朝廷は穢れの仕事?をしたくなかったのでしょう。
>>39>>40
あの当時の農業は今では考えられないほど過酷だからね、男でが必要であった
信玄さんは途中で亡くなってしまうし、信長さんは凄いね
なんかで聞いたけど、当時の信玄の騎兵の操り方はずば抜けていて、家康が相当研究して参考にしたんだって。
>>40
全世界の城を見渡しても、城壁がないのは日本だけ、海に囲まれてるから。
>>97>>98
伝承芸能がなくなると、日本人の心が衰退していく証明ということでしょうね。
省9
125
(5): ('A`)音成(´♭ω♭) 遊 2008/05/10(土)19:21 ID:XgcIK2LD(1) AAS
>>123
弁慶は京の橋の上で(幼名)牛若丸「後の、源・九郎・義経」と戦うのだけれど
そこで、まぁ言ってみれば、まだ牛若丸と呼ばれていた、はっきり言って子供である牛若丸の子分になるのですよね
弁慶曰く「貴方様はいったいどなたなのですか?」牛若丸「我は源氏の嫡男、義経である」
鎌倉時代、源平合戦、壇ノ浦で平氏が滅ぶんだけど、弁慶さんもかなり義経さんの参謀みたいな形で活躍するからね

「天下布武」僧侶は武装するなその代わり何かあったら、俺たち武士が守ってやる武士以外武装するなでしょう
織田信長という方は志半ばで、本能寺の変で自戒に追い込まれましたし
ただただ、圧倒的に日本と言う国を変えたのは「信長」という方であると考えています
武農工商全てが武器を持っていた時代ですから、特に宗教勢力が武装していましたから
あの時代に この宗教勢力から、武装を止めさせたということは大変なことであったということでしょう。
省3
130
(3): ('A`)風の勘太郎 ◆/3LZLGDsxY 2008/05/10(土)23:20 ID:dCVj/+3A(2/2) AAS
>>38
源平合戦でも民衆(一般庶民)は「平家にあらねば、人にあらず」で義経さんに拍手喝采したのでしょう
朝廷には、義経さんは利用されてしまった感じがする。
139: ヒロ( ▼〆▼) 2008/05/15(木)20:28 ID:Q3NMfQpN(1) AAS
>>38
朝幕並存ですか、朝廷に兵力がありませんからね、武士に頼るわけですよ。
武士の悲願であったのでしょうね、土地所有(^^♪、でも源頼朝さんも朝廷には手を出さなかった事実。
>>39
信長さん「天下布武」でも朝廷より自分が上であると考えたのが
>>98聖徳太子という方のメンタリチィー、「詔をえけたまはりて必ずつつしめ」の逆鱗に触れてしまったのかな?安土城(^^♪。
>>100
徳川家康さんが抜けていますよ。
>>106
>○幕府は小蝦夷、薩摩は大蝦夷 打ち間違え。
省4
140
(2): ('A`)音成(´♭ω♭) 遊 2008/05/15(木)23:49 ID:5NyIAVle(1) AAS
>>38
国を生んだのは、イザナギノミコトとイザナミノミコト、イザナギノミコトが黄泉の国から身を清める為身を清め時生まれたのが
左目からアマテラスノミコト、右目からツクヨミノミコト、鼻からスサノオノミコトが零れ落ちたそうです。

精力的に国作りをしたのがオオクニヌシノミコトなんだけれど、ところがアマテラスノミコトが天皇の子孫である
自分の子孫こそがこの国治めるべきであると、高天原(ここは何処かは解りません)から現れたんだよね。

国譲り、ここであまり戦わなかったので参照幸神谷遺跡>>122、朝廷はあれど朝廷には力(兵力)がない
武士は当然武士なんであるから(武装している)力はあるけれど発言権はないという、不思議な国ではありますね。
147: いなばの白兎 ◆9H85jyhaFM 2008/05/21(水)01:15 ID:SenIpGNO(1/2) AAS
>>2
その10の挨拶を欠かさないで現実の社会で使いこなしたいものです
お金が支給される会社以外でもです、誰にでも挨拶ができる人は無条件で教養がある人だと感じます。
>>38
遡れば日本神話で国譲りがされたのですけれど、話し合いのより国譲りがされましたから
日本は権力が一元化されていないという事に繋がってくるのでしょうね。
平家を壇ノ浦の戦いで滅ぼすのですけれど、源義経さんが活躍しました、けれど朝廷に利用されたり
兄の源頼朝さんに疑われたり、悔しかったのはあるでしょう「自分は正義の為にしたんだ」という思いですね。
朝廷は平家をある時は利用し、ある時は源氏を利用し、義経さんが一番利用されてしまったのは事実でしょう。
>>96
省2
154
(1): ヒロ( ▼〆▼) 2008/05/27(火)22:34 ID:zQALCK27(1) AAS
>>2
日本人の多くはその精神性を稲作から学んでいますから、こういった挨拶なんでしょうね
外国の多くは挨拶は握手なんです、握手では頭は下がりませんから。
>>46
>それで外交はアメリカまかせにしてしまったのでしょうね、軍事をアメリカに任せたからこそ
>奇跡と言って良いくらいの、先進国の仲間入りができたのです( ^ω^)〆
吉田ベクトリンでしたっけ?
>>38->>40>>96->>100頭良い方のエリザ発見。
>>48>>123頭悪い方のエリザ発見。(西尾のおっさん)
317: いなばの白兎 ◆C2EFX6XnSA 2008/09/05(金)20:50 ID:ygzfIm+z(2/4) AAS
>>13
なるほど。
>>38
一の谷の合戦で、義経軍の奇襲により総崩れとなった平家軍
沖に浮かぶ味方の船を目指して、ただ一騎で逃れゆく「平敦盛」を呼び戻したのは、「熊谷直実」であった
平家物語の中から、この名高い一場面を取り出しここを軸として熊谷直実の像か。

軍記物語での熊谷とその子小次郎の武勇、一の谷での平敦盛との出会い有名な場面でしょう。
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.137s*