[過去ログ] 末法燈明記の作者は最澄か? (1002レス)
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83: 2017/11/25(土)16:18 ID:c8u871Go2(1/5) AAS
智の見解では、この経典は釈迦の悟りの内容を示しているといい、「ヴァイローチャナ・ブッダ」という仏が本尊として示されている。
「ヴァイローチャナ・ブッダ」を、「太陽の輝きの仏」と訳し、「毘盧舎那仏」と音写される。毘盧舎那仏は、真言宗の本尊たる大日如来と同一の仏である。
華厳経にも、如来蔵思想につながる発想が展開されている[5]。
陽光である毘盧舎那仏の智彗の光は、すべての衆生を照らして衆生は光に満ち、同時に毘盧舎那仏の宇宙は衆生で満たされている。
これを「一即一切・一切即一」とあらわし、「あらゆるものは無縁の関係性(縁)によって成り立っている」ことで、これを法界縁起と呼ぶ。
「六十華厳」の中で特に重要なのは、最も古層に属する「十地品」と「入法界品」の章とされている。
84: 2017/11/25(土)16:23 ID:c8u871Go2(2/5) AAS
[5]
「華厳経如来性起品」を参照(『大乗仏典12 如来蔵系経典』に収録。高崎直道訳注、中央公論社のち中公文庫)
85: 2017/11/25(土)16:35 ID:c8u871Go2(3/5) AAS
中村元によれば、中論の主張する縁起は、有部の縁起論とは著しく相違するが、後世中国の華厳宗の法界縁起の思想には非常に類似しているという。
法界縁起の説においては、有為法・無為法を通じて一切法が縁起していると説かれるが、その思想の先駆は中論に見いだされるという。
86: 2017/11/25(土)16:53 ID:c8u871Go2(4/5) AAS
華厳教学の存在観。究極的な縁起のあり方。すべての個々の事物・事象の中に一切が含まれるという形で、あらゆる存在が互いに関連し合って生起していること。
諸事象の真実の姿を真如といい,その本性にそなわっている起の性質,すなわち動きという性能が外界に顕現した結果を縁起という。
森羅万象がその根本の真実の姿に関係して,一即多となっているのが法界であり,それらが相即相入していることを説くのが法界縁起である。
真如がまさっている場合を浄縁起といい,無明がまさっている場合を染縁起という。
87: 2017/11/25(土)17:11 ID:c8u871Go2(5/5) AAS
ゆいしん‐えんぎ【唯心縁起】
仏語。一切の諸法は一心の縁起によって顕現したものであるということ。

一心
宇宙の事象の基本にある絶対的な真実。真如 (しんにょ) のこと。
また,仏陀の救済を信じる心は,その本質が仏陀の心そのものであって,このような信仰を得た人は,凡夫でありながら仏陀の心をそなえているので,このような心を仏凡一体の一心と呼ぶ。
仏語。あらゆる現象の根源にある心。
唯一絶対の心。すべての現象の根源としての心。真如。
絶対なる全を表す。すなわち、万有の事象の基底にある絶対的真実。
仏教の最初期の文献には、このような意味の一心はなかったが、大乗仏教の文献に頻繁にみられるようになった。そこでは、あらゆる現象の根源に存在する心とか、衆生に内在する真実なる心識の意味で用いられた。
『華厳経(けごんきょう)』に「現象界は虚妄であり、それはただ一心のつくりたるものである」と述べられているが、この一心の実体について後世の学僧は、如来蔵(にょらいぞう)とか仏性といい、
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