[過去ログ] 末法燈明記の作者は最澄か? (1002レス)
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637: 2020/06/28(日)05:19 ID:H9mWQl/Vg(1/3) AAS
>大乗はむしろ中観派が ”釈迦に還れ” で有部が主張した ”自性(スヴァバーヴァ)” の否定(〜空の強調、戯論(プラパンチャ)の指摘)に始まり、
唯識で再構築されてる
>空海は法華経を称して、薬の効能書きみたいだ、効能書きはあるが、薬の作り方はどこにも書いてない、と評したそうだ。
法華経のどこかに、仏になる方法が書いてあるかね?それがなければ、法華経は画餅だ。
役に立たない。空海の言う通りだ。
空とは、「常」でもあり、「無常」でもあり。
また、どちらでも無い というような一切の概念化も拒否するメタ=思想
または 概念への執着を一切否定するメタ=概念 と
空(非我)を照見する観自在菩薩が五蘊の中にはいない事は誰でも判る筈です。
色即是無としない理由
「中論」第一五章 <それ自体>(自性)の考察
五 有(存在するもの)がもしも成立しないならば、無もまた存在しない。何となれば、有の変化すること(異相)を人々は無と呼ぶからである。
六 <それ自体>と<他のものであること>と、また有と無とを(J註:実体あるものとして)見る人々は、ブッダの教えにおける真理をみない。
一〇 <有り>というのは常住に執著する偏見であり、<無し>というのは断滅を執する偏見である。故に賢者は<有りということ>
と<無しということ>に執着してはならない。
これは龍樹の独創ではなくて、仏教では有無の二見は邪見とされます。
般若心経も仏教のお経ですから色即是無とはしない
>上座部(テーラワーダ)のアビダルマ哲学では、物質は17刹那の間だけしか存在しないと考えます。
1刹那で「生」じ、15刹那「住」し、1刹那で「滅」します。
通常の意識では1刹那の「滅」は認識できないのですが、「観」ではその「滅」を観察しなければなりません。
(1刹那の「生」は意識の上る前に終わってしまうので、認識できません。)
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