[過去ログ] 天理教社会学研究所 カインを 糾す。 (442レス)
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226: 天理教H 2019/01/20(日)19:11 ID:0H1UZjc+1(1/3) AAS
>>225
>天理を伺い立てて治めると言う事です。

たすけでもをかみきとふでいくてなし うかがいたてゝいくでなけれど (3-45)
教祖は、はっきりと伺い立てていくではないと仰っています。
教組が助造事件で足を運ばれたのも親がもう一人何処にあるか訪ねたのではなく、元の理非を明らかにしたひながたであります。
教祖御在世時、飯田岩治郎宅に足をお運びになりましたが飯田宅だけではありません。
水屋敷事件時は教祖は現身を隠されていらっしゃらなくて本席は足を運んでいません。

異端が出るのも内の掃除であり、その水屋敷事件が起こったのも本部がおさしづを用いない(聞き分け出来ない)背景があっての事情、
明治三十年六月三日安堵村飯田岩治郎事情願(事情は神様下がると言うに付将来治め方に付願)にて、
その神意は、飯田岩治郎の事云々でなく、上田ナライトの事、明治二十七年七月、上田ナライトは気の間違いのようになったので、
省2
227: 天理教H 2019/01/20(日)19:14 ID:0H1UZjc+1(2/3) AAS
天理教の為の天理王命でないは、賛同します。天理王命が天理教の発展の為なら小さくならざるを得ない。

増野鼓雪先生がそのような事を言っていたのは知りませんでした。真意は解りませんが、
ぢばに天啓者が居なくなれば、皆がぢば中心でなく教会中心となり、天理教は衰退すると言いたかったのではないでしょうか?

史実では、
天理教の教勢100年
外部リンク[pdf]:opac.tenri-u.ac.jp
本席が出直しされ、一派独立してから教勢は大きく伸びています。
不幸な歴史があり、それから数十年後衰退が始まったが、それこそ天理教の発展の為の天理王命と捉えるから小さくなります。
明らかに世の中は、教組が仰った寝ておぢばに帰れる、人が空を飛ぶ、針金がもの言った通りになり、
女松男松の隔てない世界、平等の世界、長寿に向かっています。
省1
228: 天理教H 2019/01/20(日)19:20 ID:0H1UZjc+1(3/3) AAS
大西愛治郎が何故人間甘露台を説いたのかは、自らの身体の異変がきっかけとなり、根拠を求めて原典を研究した。
当時としては、おふでさきも昭和3年に注釈付きが公刊されるまで、実際教祖から直々に教えを受けた人達が会議を重ねた注釈がない私刊本であり、
それぞれ独自の解釈が出回っていた時代である。
大西は、布教に成果があがらずに悶々としていた時におさしづ全巻(私刊本)を手に入れたので、おさしづ研究が主となり、
しかも個人で各史実を調べられる訳ではないので、おさしづに書かれた文言だけで判断した。
それが結果的におふでさきと共に史実を無視した形となった。そして、肝心の「一つの理」が悟れなかった事が誤解の大きな原因だったのでしょう。

しかし、この事柄も教祖がさせた事であり、この大西愛治郎のおふでさき、おさしづの曲解から不敬事件となり、
警察当局が熱心に教義の研究を始めて本部の方へ解釈の問い合わせがあり、
その事柄が注釈付きおふでさきの公刊、おさしづの年次を追って公刊となる旬が訪れたのです。
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