[過去ログ] 天理教社会学研究所 カインを 糾す。 (442レス)
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100(1): 神之内分場所M 2018/04/08(日)11:47:05.49 ID:H99lxpsb9(2/2) AAS
いまなるのかんろふだいとゆうのハな 一寸のしながたまでのことやで 9ー45
これからハだん/\しかとゆてきかす かんろふだいのもよふばかりを 9ー46
このだいをすこしほりこみさしハたし 三尺にして六かくにせよ 9ー47
このはなしどうゆう事にきいている かんろふだいのつとめなるとわ 10ー25
一寸したるつとめなるとハをもうなよ 三十六人にんがほしいで 10ー26
こゝで言われている三尺に六かく 又三十六人とは何でしょうか?
決して大きさや人数を言われている訳ではなく、雛形としては良いのですが、それはあくまでも雛形で有って、伏せこみの言葉でございます。
36で弥勒です。差し渡し三尺は対辺でも対角でも良し36の言葉が大事なので有ります。つとめ人衆も36人とはならないでしょう。
36(ミロク)の人を+(タス)という事でございます
120: 神之内分場所M 2018/07/28(土)11:28:34.49 ID:vNWWlAwRo(2/2) AAS
AA省
310: 基本 2019/08/19(月)18:12:16.49 ID:4fmgNXzSq(2/11) AAS
一般の説では、外部リンク[html]:shisly.cocolog-nifty.com
柳田国男と牧口常三郎
柳田国男(1875-1969)と牧口常三郎(1871-1944)は、明治42年5月2日、英文学者の馬場孤蝶の紹介で知り合う。
その後新渡戸稲造主催の郷土会で二人の交流が始まる。
牧口と柳田は農村調査のため明治44年5月12日から15日にかけて旅行をしている。
のち柳田は、創価教育学説支援会の発起人の一人にもなっている。
しかしそのような二人もやがて疎遠になる。柳田は仏教きらいであるらしく、牧口の温厚な人柄に好意を抱くものの宗教に対する根本的な考え方の相違が理由の一つに考えられる。
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322: 基本 2019/08/20(火)00:31:09.49 ID:/6Cx/4mVE(3/8) AAS
甘露台についての社会科学を批判しておきましょう。
先ずやりとりです。引用します。甘露台が倒された件です。
・・てんりさん
‏昨年、倒れたかんろだいは木製です。
二段まであった石のかんろだいが官憲に没収されたのは明治15年の出来事だったかと思います。
‏・・
社会学のコメント欄でも、いろいろ意見が載ってましたが、何故、今、真柱邸に置かれている二段の石を、木の雛形を排して据えないのでしょうかね。
別に完成した形でなくても、陽気暮らし建設途上の象徴として、良いと思うし、石なら重くて動かせないでしょうから、防犯上も安心なのに。
20:39 - 2018年5月4日
リツイート 返信先: @sazannkasatukiさん、@getmilk_cさん
省6
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