[過去ログ] 天理教社会学研究所 カインを 糾す。 (442レス)
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196: 天理教H 2019/01/03(木)16:29 ID:8udh8Z7a2(12/15) AAS
なにもかもあきをあいづにみへかける よふきづとめにはやくかゝれよ (6-13)
明治八年にぢば定め、つとめが全体にわたって整えられ、それ以降つとめ人衆を揃えられた。
明治十五年に教祖は、「合図立合い、/\。」と仰せられ、一列澄ます為のかんろだい普請がかんろだいの石が没収、
そして、一列澄ましてに変更になり、たすけを急ぐ為に十月十二日から十月二十六日まで、
教祖自ら北の上段の間にお出ましの上、毎日々々つとめが行われた。即ち、善と悪が立合い。
そして、扉を開いて明治二十一年の秋に今までこっそりと(陰気に)勤めていたかぐらつとめが堂々と(陽気に)勤められたのである。

おふでさき第六号の執筆は、明治七年十二月(M7.12.1?陰M7.10.23?〜陽M7.12.31?陰M7.11.23?)より
明治八年一月(M8.1.1?陰M7.11.24?〜陽M8.1.31?陰M7.12.24?)までです。
その第六号十三は、一〜十六で一区切りなので明治七年十二月中に執筆されたと思いますので、それから丁度十四年後、
数えで十五年後の秋、公然とかぐらつとめが勤められた。
たん/\と十五日よりみゑかける 善とあくとハみなあらハれる (2-44)

この様におふでさきの予言から数々のおさしづの刻限で旬を外さない様に史実へと繋がるのです。

親神様の神意にすぐに本部の移転があって、しかし、高弟達は、東京で認可してすぐに奈良に
本部を移せば世間からどのように思われるかも知れないその中で、とりあえず”ぢば”に分教会設置を伺ったのです。
そこで親神様は、かんろだいは一つであり、それはぢばに据えられているのであり、ぢば以外に本部を置くのは、
それはぢはに一つの理とはならないので、分教会を設置するのでなく本部をちばに移しなさいと仰っているのです。
それは、ぢばに一つの理があればこそ、世界は治まるのです。

それなのになぜ”かんろだい”が人間になる刻限を入れなければならないのですか?
前後のおさしづと史実と文脈を考えれば違うというところが解ると思いますが。
だから「かんろだい一つ(を)人間(に)定めてある」ではなく、おそらく「かんろだい一つ(据える所の”ぢば”は)
人間(をたすけたいから)定めてある」になるのでしょう。
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