[過去ログ] 天理教社会学研究所 カインを 糾す。 (442レス)
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162: 神之打分場所M 2018/11/17(土)13:47 ID:VPNd7UWW3(2/2) AAS
前に続く角目
明治三十四年四月十八日(陰暦二月三十日)
別派に立って行け。建家一条はやしき中のもの
「その建家は別派に有ります。でも其の建家は庄屋敷の中に治る、中かんろうだいとと言うもので、南無天理王命で有ります。」

明治二十二年七月三十一日   (陰暦七月四日) 午前六時十七分
世界の道を以って あちらにもこちらにも本部や。
偽の本部やと言うて居る理聴かしたい。
「みかぐらうた九下り目 一つ  ひろいせかいをうちまわり  一せん二せんでたすけゆく
と有ります。一せん二せんわ一銭二銭ではありません。一宣二宣で広めると言う意味で有ります。人間の解釈には無理が有りす。
一宣は今の天理本部、二宣は別派の神之打分場所の事で有ります。
省2
163: 神之打分場所M 2018/11/23(金)10:44 ID:x7pl0mGn2(1/2) AAS
昭和六十年八月十日  午前七時三十三分      おさしづ
さあ/\いかなる事情とて聞けばどんな事でも分かる理や
人間心理を立てて神の理尻に敷き詰める。
この道の理と言うは長らくの間楽しませて来た。
天理つとうた道すがら 神の打ち分け場所と言うて、道に其の元一つの根と言う、甘ろ台と言うて、人間姿で人神と成り表に現れてくる事は、前々よりのふでさきにその証拠が書き記し道の先の為にと残し置いたる。
神の言う事何も一つもうそは言うてない。
神之打ち分け場所と言うは、いかなる所分かり無くば知らせよう。
長い年限の間に時旬を待って、やっと神の念願かのうて、神が天理より外に現れ出て来た所、これこそ名所一点定め付け神之打ち分け場所と言う。
それなる所になむ天理王命は今尚住まいを致し居る。
これこそ古元と言うて居たる所なり。
省18
164: 神之打分場所M 2018/11/23(金)11:57 ID:x7pl0mGn2(2/2) AAS
(続きます)
これまでの長い道筋通れたも、神の自由用有りたればこそ、この先は神のさしづの分からん者に神の自由用伴なわん。
この理一つがどれほどに大切なるかがみな一列に分かりしてない。
しっかりしあんをせにやならん。ここがしやんのしどころや。
これも教えて説いて置く。早くしやんをしてかゝる成り。

ふでさき二号  十六
このはなしなんの事やとをもている    神のうちわけばしよせきこむ

せんしよのいんねんよせてしゆごふする    これハまつだいしかとをさまる 一号 七十四
「先所のいんねん有るがそれ故に………」と言われ有ります。
天理教では前生のいんねんよせてしゆごふすると、前生と言われますが、ふでさきには
省11
165: 神之打分場所M 2018/12/06(木)10:27 ID:j1Yv0/jxR(1/4) AAS
昭和六十年八月五日 午後零時十六分       おさしづ
さあ/\又々さしづ心一つ、理にそむかんよう。
さしづどういう理 神の言葉打ち出す所
これ分かり無くば説いて詳しく聞かせよう
いつにても並の人間なるの言葉と思て居たらば理が違う
誰にても聞き入れ無ければ是非も無い
神は無理にどうせと言わんでな。そこはめい/\の胸次第
心道理にしかと受け取る
かならずと神が見て居て付ける道。誰の為でも更にない
受け取るすじも千すじや。心一つの理に受け取る
省15
166: 神之打分場所M 2018/12/06(木)10:49 ID:j1Yv0/jxR(2/4) AAS
昭和六十年八月五日  午後零時十六分   おさしづ
さあ/\又々さしづ心一つ理にそむかんよう
さしづどういう理神の言葉打ち出す所、これ分かり無くば説いて聞かせよう
いつにても並の人間なるの言葉と思て居たらば理が違う。神の言葉や
誰にても聞き入れ無ければ是非も無い
神は無理にどうせと言わんでな、そこはめい/\の胸次第、心道理にしかと受け取る
かならずと神が見て居て付ける道。誰の為でも更にない
受け取るすじも千すじや
心一つの理に受け取る、
先なるに悔む事すら出来ぬよに成りて後へは戻られん
省14
167: 神之打分場所M 2018/12/06(木)10:50 ID:j1Yv0/jxR(3/4) AAS
昭和六十年八月五日
168: 神之打分場所M 2018/12/06(木)10:52 ID:j1Yv0/jxR(4/4) AAS
昭和
169: 神之打分場所M 2018/12/09(日)09:15 ID:SSXMcCE41(1/2) AAS
前の文章ネットの状況でおかしくなったようです。又 内分場所と間違えてたのを気付かないで載せてました。本来は打分場所です。

昭和六十年八月六日 午前三時二十九分       おさしづ
さあ/\さしづ一条紐説くと言う。みな/\何と心得て居るか。
さしづと言うは、何時のさしづも皆 同じ神の言葉やさしづなり。
誰が何事言をうとも、神が出したる神のもの
かるくあしろて神のさしづを尻に敷く
これから先と言うものは、なんぼ笑をとそしろうと、神の方には良く見える。
何ぼ遠くに離れよと一目で見える神である。尻に敷くなら敷いて見よ。
即座にそれなる理が現れる。心一つの現れが泣くも笑うも理が出る程に
目の前になって来る理で思案せよ。なって来た理で思案せよ。
省12
170
(1): 神之打分場所M 2018/12/09(日)10:41 ID:SSXMcCE41(2/2) AAS
昭和六十年八月七日午前八時九分      おさしづ
さあ/\何も知らざる人間が神に逆らいはんぱつすれど先なる事を知らぬ故なり。
今日の日は何でも言わねばならんから このよに詳しく話し取り次ぐ
定かなる心で以って聞き取れば、如何なる神の言う事も何一つとて分からんで無し。
時旬の花と咲いたる甘ろ台人間姿現したなり。
それ故に甘ろ台人間一つ定めたる、こんなさしづも残したるぞや。
何時迄も知らぬふりしてぼけたふり。何をとぼけて至る事かな。
これまでの道のすがらは説いて有る。何時まで神にさからうべきか
元の原典良く見るが良い。その中に伏せ込んだるの天の理や。
天の理一つが分からんようで、何で天理が通れるものか。
省19
171: 神之打分場所M 2018/12/15(土)12:23 ID:v/hTbs/Cx(1) AAS
昭和六十年八月十日午前十時九分      おさしづ
さあ/\この道の理と言うは、何をほって置いても運ばにゃならん
こういう日の有る事も刻限話で聞かせても有る。
皆々何を楽しんでの道か。
神が人間姿で以ってなむ天理王を名乗り甘ろ台と言う位を身に受けこの世に現れて
来る事は その日有るのも説いて聞かせて その日の為に成る証拠も残して有る。
まさか知らぬなぞとは言われよまい。
ふでさき さしづ みかぐらうたと三つの証拠 この時の為となる物これ書いて残した道の為宝と成るのや教え置く。
その中に伏せ込んだるの天の理や。
知らぬなぞとは神は言わさん。
省7
172: 神之打分場所M 2018/12/16(日)06:36 ID:GeVxrbw8p(1/2) AAS
 前に続く
明治二十三年十月一日
内々本席順序前夜刻限の事情願
しっかり筆取って置け。どういう者引き出すやら分からん。
余儀無きいんねん、ほのかのいんねん、
分からん時から何でもと尽した、心の理、いんねん三ついんねんどう成る。先ず/\の道、真実二つ三つの理、余儀無くいんねんは放って置いても成るやろう。
放って置いても退くに退かれん。ほのかのいんねんは良う成ったら行こうか、
楽しみ成ったら行こうか。何も分からん時から、何でもと運んだ心の理は真実の理、
人ともいう、一人の理という。これをよう聞き分け。
古き者に親が尽して子が尽す当り前、子が尽して親が何でもという心の理がある。
省1
173: 神之打分場所M 2018/12/16(日)12:27 ID:GeVxrbw8p(2/2) AAS
昭和五十三年四月八日      おさしづ
さあ/\何も案じる事いらんで
神が長い年限の中に付けて来た道の中にたった一つの効能と言う理が残し置いたる
この理何程のものや分からせんで
神思惑の元の理、神が長い年限の間 伏せ込んだる種、天理の根である、深き理、みろくぼさつと言う。
この者一人、人間甘ろ台と言う この深き魂の者 世に出す為には、もんかたなき処より
神が教祖 中山みきに天降り、だんだん道付けてひながた見せて一列のめどうにと、
しな型なるもすえしも何故にこのよな事をなしたるか、みな一列に分かり無くば知らそう。しっかりと神の言う事聞くが良い。
神が教祖中山みきに天降りたる時、世界一列助ける為に天降りたる事いうてある。
みな知っている。
省13
174: 神之打分場所M 2018/12/22(土)09:31 ID:vZNdJDifd(1/4) AAS
AA省
175: 神之打分場所M 2018/12/22(土)09:42 ID:vZNdJDifd(2/4) AAS
昭和五十三年四月三十日          おさしづ
さあ/\たいぎ/\心に思うなれどそうやないで。
尽くした理は神が見ている。何も心に止めるやない。
今までも神が言うたる事みな聞いている/\心に治めてくれ、人の為やないで、
みな我がの為や、心のつなぎやしかと分かるか。
人間は何時でも功能/\と思う。功能の理は神が与えるのやで、
この先なるというものは、心に止めるやないで、思うやないで、
心かなえば神が授ける。しっかりさとし置こう。
176: 神之打分場所M 2018/12/22(土)09:52 ID:vZNdJDifd(3/4) AAS
昭和五十三年五月三日         おさしづ
さあ/\何事も人の事いうのやないで。
我が心から磨いてゆけば良いで。
人が良い人やなあというてくれてこそ、我が身も光が出る程に、
日々をしっかり成人する事や。
神の願いやしかと磨いて人の為にとなるのやで、
神からしっかりたのみ置く。
177: 神之打分場所M 2018/12/22(土)14:28 ID:vZNdJDifd(4/4) AAS
AA省
178: 神之打分場所M 2018/12/23(日)12:56 ID:1qRUHvg+k(1/2) AAS
AA省
179: 神之打分場所M 2018/12/23(日)14:09 ID:1qRUHvg+k(2/2) AAS
前より続きます

神がこのよに説いて聞かせたなら、神の思惑心に治め、しっかりと道の立つよに心せよ
これ分からぬようでは みな一列がいずんでしまわなならん日がある。
その時になって今まで神の道というてつくした理、水の泡にと消える日があり。
神が言うのや嘘でない。なって来るから神がとき置く。
目に見えん神の言う事聞き分けよ。
まだ見えぬ先の先から説き置いて諭し置くぞや心せよ。
これ筆先の花 月日親神なむ天理王なり。
さあこれだけの事諭し置いても分からぬというようならば、又神の元にと尋ね出よ。
しかと諭する嘘でないぞや。
省12
180: 18です 2019/01/02(水)03:34 ID:WY93Ofugv(1/5) AAS
久しぶりに投稿します。

>>113
>勢いがなく信者が次々にやめていく理由は何ですか?
やはり末端教会・信者からお金をむしり取る体質が問題なのではないですか?

果たして教祖は御在世中、信者を増やしお道が盛んになる方法を取ったでしょうか。むしろ、大和神社事件、大和神社のふしと
足を引っ張る行為を高弟達にさせたでしょう。それは、広義には「ふしが栄える一つの理」といった理がある為であり、
狭義には信仰していく人々が見極め見極められる証拠とためしの過程があります。つまり、正味とかすを分ける。

それは、普請をするには道具がなければ造れないように神であっても道具がなければどうする事も出来ないので、その道具を選別する為です。
周りにどうしようもない人がいる環境こそ澄んだ心を以って神についてきて、我が事を思う事なくたすけ一条で口と心と行いが同じ人が誠の人になり、
それがたすけの実績に繋がり人が寄って来て盛んになる。その誠の人に出すお供えは誠になる。
省5
181
(1): 18です 2019/01/02(水)03:45 ID:WY93Ofugv(2/5) AAS
ここから人によって見解が分かれると思いますが、

私が思うに、教団は誠真実の人々が居れる規模の大きさが妥当であり、必然的に小さくなる。
そして、中で発生的な兄弟があっても身分の上下(123の序列)をつけるべきではない。
それから、八町四方神のやかたなのでぢばに寄り来る人々が多い状況が一番良い。しかし、すべての人が天理教信者になるのではなく、
来た者に対しては、ぢばから喜んで家に帰る人達がいればそれでいいのではないでしょうか。

それと天理教を信仰していれば幸せになるという勘違い、教祖はそんなことをさせないとか優しいとかメルヘンチックに捉えて信仰している方も
いらっしゃるが、刃を差し向けるのも神であり、教祖自身も現身を隠される前まで艱難辛苦の道だった。
教組が認めた本席もなる前苦労をして、なってからは刻限や本部の者の心違いで身上になり、苦労を一緒に通り抜けた妻を先に亡くし、
子供達も悶々と過ごした。秀司さんも教祖に神が天降る過程で足が悪くなり、教祖の言う通りにしないだけで亡くなり、
こかんさんも普通の人生を求めただけで亡くなった。そして、先人達は信仰しなければ命がない中で家族の不幸や貧しさ等の中を通った人が多い。
省5
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