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307: 2024/07/10(水)08:49 ID:gqaiWCS5v(4/4) AAS
 中立のリアル・・・・・・・208

 ここでやっと、個々ときめ細かな行政と資本投下がなされた。落内の全ての土地は、
数百から数千の徴税単位に区画されて、道路や貯水池などの、一部の公共施設を除いた
すべての土地が、私有可能地とした。制度の施行前は一つの土地に対して複数の階級が
権利を有していた。が、施行後にそれらの権利は、ライーヤトの土地所有権に一本化さ
れるのである。地価・地税は、土質、水利、市場との距離などによって、各自に算定さ
れ、3〜5年ごとに改定され更新された。土地の測量と、査定には多大な労力を要した
ため、即座に全地区が、制度を導入することは困難だったが、長い年月をかけ施行範囲
が広げられた。本国政府は、地租の固定を強く希望していたが、後に、改定の頻度は、
10〜30年ごとに延長された。ライーヤトワーリー制度を、マドラス政府が実施した
政策の背景には既得権益の尊重、社会の安定を目標とする考えが存在していた。ポリガ
ール(軍事領主)など有力農民より、さらに少数の中間階級に土地を認めた方が、大領
主が存在する地区に比べ社会は安定していたのだ。制度の対象となる「ライーヤト」の
定義について、実際に耕作に従事するか否か、小規模農民か大地主か、意見が分かれる
が、そもそもが税の安定収入が目的で、選別は色々だった。ライーヤトワーリー制度の
内容は、概ねがマイソール王国の、ハイダル・アリー、ティプー・スルターン親子が行
っていた徴税制度に倣ったものだったからだ。村落が徴税単位で区画され、個々の農民
は、自分に割当てられた土地に、生産活動を集中する。制度施行前の生産活動によって
維持されていた様な、土地共同体の基盤は崩壊しライーヤトは、税を払うためだけに、
自身の農産物を換金しなければならなかった。が、供給が上回る19世紀前半の頃は、農
産物の価格下落し、より多くの農産物を生産しなければならず、農村に重い負担がかか
った。地税の支払いに困窮すし借金の担保として、土地を高利貸しする商人が現れ、結
局中間層が入り取り上げられ、農民と土地の分離が促進されて貧農反乱がおこったのだ
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