【沢田泰司】TAIJI Part.118【X LOUDNESS DTR…】 (929レス)
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685: 2024/04/25(木) 21:29:30.92 AAS
「チャー坊(“村八分”)の生と死」(『Quick Japan』Vol.9 1996)
山口冨士夫談
p.89
・・・オルタモントで“ストーンズ”観てきたっていう話。ヘリコプターでアシッドばらまいて、オルタモントからシスコに帰っても、まだ髪の毛にはオレンジ・サンシャイン(註・もっとも効き目の強いLSD)五、六個付いてたっていう…。
p.94
“村八分”がいちばん濃かった時期っていうのは、慶応の三田祭(註・七一年一一月六日。学園紛争の余波で大荒れになり、“はっぴいえんど”のステージを“頭脳警察”が完全ジャックした)から始まるんだよ。その頃オレ達は、単なるロック・バンドとは全然違う、もっと意識的なレヴェルにいたんだ。例えば、オレ達がなんで最初の頃から化粧してたかっていうと、“ストーンズ”のハイド・パーク・コンサートのヴィデオをチャー坊と一緒に見たのがきっかけさ。キース・リチャーズが目の下にラインをグッって入れてて、ドスが効いてんだよ。あと歌舞伎とか、チャー坊の影響で興味あったから、それで化粧初めて。


ちなみにチャー坊はビートルズも観ている
「チャー坊(“村八分”)の生と死」(『Quick Japan』Vol.13 1997 p.79)
チャー坊の姉談
“ビートルズ”が初めて日本に来た時(註・昭和四一年六月二九日)、ミキオさんっていう上の弟の友達が、和志を一緒に連れて行ってくださって、往復の旅費と(コンサートの)入場料を持たせてやったのが、確か一万四千円ぐらいじゃなかったかと思いますから。“ビートルズ”のことは、そんなにいいとは言わなかったですけど。
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