[過去ログ] ´ω`)ノ こんぬづわ10 (1002レス)
前次1-
抽出解除 必死チェッカー(簡易版) レス栞 あぼーん

このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています。
次スレ検索 歴削→次スレ 栞削→次スレ 過去ログメニュー
237: 共産党宣言 [sage] 2015/10/05(月) 20:07:30.28 ID:r2LN84vZo(1/7) AAS
p161
このような批判はどこに落ち着くのか。これまですべての社会の歴史は、それぞれの時代にそれぞれ異なる形態を取る階級対立の中で生まれた。
 しかしこうした階級対立がどんな形態をとろうと、社会のある一部による他の一部の搾取は、これまですべての時代に共通したものであった。
したがって、すべての時代に、その多面性や相違にもかかわらず、ある共通の形態、
すなわち階級対立が完全に消滅しない限り完全には消滅しない社会的意識形態が生まれたことは、驚くべきことではない。

 (注釈)古代奴隷制社会からブルジョワ社会に至るまで、それぞれの支配階級は、自己の正当性を示す意識形態をつくってきた。
その支配が続く限り、言い換えれば階級闘争が続く限り、そうした中で支配される側の社会的意識が正当化されることはつねにない。
だから階級対立が消滅しない限り、新しい意識形態は生まれない。しかし、共産主義社会はその新しい意識をつくり出すのみならず、
支配的ではない意志をつくり出すという困難な課題を背負うことになる。

p162
省31
238: 共産党宣言 [sage] 2015/10/05(月) 20:08:24.23 ID:r2LN84vZo(2/7) AAS
p180
近代文明が発達した地域では、新しい小市民社会が形成されたが、彼らはプロレタリア階級とブルジョワ階級との間で揺れ動き、
ブルジョワ社会の補完的部分としてたえず新たに形成されるが、その仲間は競争を通じてプロレタリア階級へと落ちていく。
まさに大工業の発展とともに、近代社会の独立した一部としての彼らの存在は消滅し、商業、マニュファクチュア、
農業における労働監督官や家僕へと置き換わっていく時代が訪れる。

 (注釈)資本主義の発展によって、プチブル的資本家は必然的にプロレタリア階級へと墜落するという考えは、『資本論』では、
資本主義的蓄積の法則という形で展開される。やがてその収奪が、階級闘争を強め、資本家の独占を強めることで、最後の鐘が鳴る。
つまり収奪者が収奪される時が来る。「この収奪は資本主義的収奪自体の内在的法則の作用によって、資本の集中によって実現される。
つねに一人の資本家が多くの資本家を滅ぼす」(『資本論』岩波文庫第3巻414-415頁)。こうした諸資本の競争は『資本論』第3巻では、
恐慌によってより加速化される述べられる。恐慌はむしろ資本相互の収奪戦の様相を帯びることが展開される(『資本論』第7巻33章)。
省30
239: 共産党宣言 [sage] 2015/10/05(月) 20:10:26.43 ID:r2LN84vZo(3/7) AAS
p191-192
ドイツの社会主義は、僧侶、学校教師、田舎のユンカー、官僚とともに、絶対王政の脅威となっているブルジョワ階級に対する好都合の案山子として、
ドイツの絶対王政に貢献したのである。
 彼らの担った役割は、この同じドイツ政府がドイツの労働者-蜂起に対して繰り広げた厳しい鞭と銃を甘い言葉で補うことであった。
このように真正社会主義がドイツのブルジョワ階級に対する政府の武器になったのだとすれば、それはまた直接、反動的階級の利益、
ドイツの小市民的社会の利益も代表していたと言えるのである。ドイツにおいては、16世紀以来の伝統的、
そしてその時以来さまざまな形で現在なお新たに復活している小市民階級が、現存状態を維持するための重要な社会的基礎となっているからである。

 (注釈)ドイツ的現状についてエンゲルスはこう語る。「ドイツの現在の制度は貴族と小市民との間の妥協にすぎない。この妥協は、結局第三の階級、
つまり官僚のの手に行政を委ねることに帰着する。---小市民は決して貴族を倒すことができず、貴族と肩を並べることさえできない。
せいぜい貴族を弱めるのが関の山である。貴族を倒すには、もっと広範な利害、もっと大きな所有、
省18
240: 共産党宣言 [sage] 2015/10/05(月) 20:15:48.03 ID:r2LN84vZo(4/7) AAS
p193
思弁的蜘蛛の糸で織られた見せかけの衣服は、美しい知的レトリックの花で刺繍され、愛らしき、官能的な、感情の露が染みており、
ドイツの社会主義者の骨となったいくつかの永遠の真理とやらを包み隠すこの大げさな衣服によって増大したのは、
一般大衆に対する書物の販売数だけであった。

 (注釈)思弁という美しい蜘蛛の糸で織られた見せ掛けの衣服、美しいレトリック。これこそエンゲルスの「詩と散文におけるドイツ社会主義」
に見られる表現である。そこでは、カール・ベックの『「貧者の歌」、別名真正社会主義の詩』、カール・グリュンの『人間的立場から見たゲーテ』
が取り上げられ、批判の俎上に上る。ここで真正社会主義者が人類愛に訴え、慈悲を請う姿が揶揄される。
「ベックは現実社会に生きている詩作する能動的な人間ではなくて、霊界に浮動する「詩人なるもの」である。
しかもその霊界たるや、ドイツ市民の朦朧たる空想に他ならない。ベックはその大げさなこけおどしの言辞から、無味乾燥きわまる市民的散文へと、
現存の状態に対するちょっとした好戦的ユーモアから、現存の状態とのセンチメンタルな妥協へと転落する」(MEW4巻230頁) 。
省4
241: 共産党宣言 [sage] 2015/10/05(月) 20:17:47.95 ID:r2LN84vZo(5/7) AAS
p194
一方ドイツの社会主義は、自らの天職とはこうした小市民の高慢な代表になるということだと、ますます了解するようになっていった。
 ドイツ社会主義は、ドイツ民族を正常の民族であると主張し、ドイツの自主性のない人々を正常な-人々であると主張した。
ドイツの社会主義はこうした卑劣な思想に対して、隠された、気高い、社会主義的な意味合いを与えたのである。
実際にはまったく逆の意味だったのだが。ドイツの社会主義は共産主義の粗野で破壊的な方向に対し直接反対し、
あらゆる階級闘争に対してどの党派にも属さないという中立を明言したのだ。いくつかの例外はあるものの、
ドイツで表向きに社会主義や共産主義の作品だとして流通しているものはどれもこれも、こうした薄汚い、気の滅入る文献である。

(注釈)マルクスとエンゲルスの1845-48年までの批判の多くは、この真正社会主義者向けられた。その理由は、マルクスとエンゲルス自身、
実はかつてその仲間だったことにある。ヘーゲル左派の延長線上に出てくるこの真正社会主義者は、ある意味でマルクスとエンゲルスと祖先を同じくする。
マルクスとエンゲルスは1845年以降ドイツの外での共産主義運動に接するようになり、その批判力を増す。
省12
242: 共産党宣言 [sage] 2015/10/05(月) 20:21:59.05 ID:r2LN84vZo(6/7) AAS
p218
一言で言えば、共産主義者はどこでも既存の社会的政治状態に対する、あらゆる革命的運動を支持するということだ。

 (注釈)エンゲルスの『原理』ではこの部分はこうなっている「共産主義者は、したがって支配のために、
たえず自由ブルジョワ党と手を組み、ただブルジョワの自己幻想と分かちあったり、ブルジョワの勝利の栄えある結果から生まれるプロレタリア階級の
誘惑的な安泰を信奉することに警戒をするだけである」(『原理』問の25)。共同路線をとると言っても、ブルジョワ的幻想の中で止まることのないように注意を喚起している。

p219
こうしたすべての運動において、運動の根本的原理として共産主義者が強調するのは所有問題である。
たとえその問題が、発展した形態をとっていようが、いまいが。

 (注釈)1847年6月の共産主義者同盟規約の第一条がまさにこの所有揚棄の問題である。
第一条は「同盟の目的」である。そこで同盟の目的は、私的所有のない新しい社会建設であると謳ってある。
省26
243: 以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします(関西地方) [sage] 2015/10/05(月) 20:25:54.30 ID:r2LN84vZo(7/7) AAS
C■~ ☆大著読了。理解したとは到底言い難いが。まぁ、ポエム的に読むのもありでしょう。

>>236
236(1): 以下、VIPにかわりましてパー速民がお送りします [sage] 2015/10/03(土) 03:47:31.39 ID:TOCv3wLDO携(1) AAS
‘∀‘o)
つ旦~

うしみづわ
ランボーですな

アリさんマークww
ふざけた会社やねえ。潰れればいいのに。
前次1-
スレ情報 赤レス抽出 画像レス抽出 歴の未読スレ AAサムネイル

ぬこの手 ぬこTOP 0.415s*