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ガロア第一論文と乗数イデアル他関連資料スレ13
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>>907 > >>899 > >飯高先生と同席させてもらった。 > >そのとき「元気だね」と言って > >ポンと肩をたたいてくれたのが > >うれしかった > > なるほど 飯高先生『吉田健介さんの思いで』を、貼っておきますね > 新谷卓郎先生か。久しぶりにお名前を見ました > <S君の日記から・・> > ”固有値を0、hp,−hpと誤置し、固有ベクトルの計算に不可解な矛盾を生じたり”か > 『固有値を0』が なんかヘンですね。固有値0ね・・。行列だと、退化しているのかな?w ;p) > > (参考) > https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%89%E7%94%B0%E5%81%A5%E4%B8%80_(%E8%8B%B1%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%80%85) > 吉田健一 (英文学者) > 吉田 健一(1912年〈明治45年〉4月1日 - 1977年〈昭和52年〉8月3日)は、日本の文芸評論家、英文学翻訳家、小説家。父は吉田茂、母・雪子は牧野伸顕(内大臣)の娘で、大久保利通の曽孫に当たる。 > 長男・吉田健介(物理学者) > (よしだ けんすけ)1942年9月12日[55]-2008年8月29日 > 清泉女学院小学校から暁星小学校に転入[56]。暁星中学校・高等学校を卒業し、1961年東京大学理科一類に進学[57][58]。大学2年の夏にケンブリッジ大学に留学[58]。ケンブリッジ大学で博士号を取得[58][59]。イギリスのダラム大学、イタリアのナポリ大学で研究を行う[58]。1974年にイタリア人女性と結婚[60]。ミラノ大学教授[58]、のちローマ大学教授[58]として国際的に活躍した[59]。娘のエレナがいる[58][60]。2008年8月29日、東京聖路加国際病院で肝臓癌のため死去[58][60]。久保山墓地に分骨されている[58]。 > > http://iitakashigeru.math-academy.net/iitaka123.htm > 放送大学多摩数学クラブ > http://iitakashigeru.math-academy.net/yoshidaindex.html > 吉田健介さんの思いで > 吉田健介さんは、1942年東京生まれ、東京大学理科1類2年の夏に英国、ケンブリッジ大学に留学.イギリスで理学博士の学位を授与され、後ローマ大学の物理学教授になる。 > 2008年8月29日 東京聖路加国際病院にて逝去 > この頁は、彼の友人知己が思い出を語るために作られました.管理は飯高がします. > > http://iitakashigeru.math-academy.net/Yoshida/Iitaka4.pdf > 吉田君の思い出1,2,3,4 .... 飯高 茂 2008年9月 > > 大学(昭和36年)に入ってまもなく同級生に吉田君がいた。当時の東京大学には語学振り分けの便宜のためにクラスに分けられていて私たちは理科1類15Bというクラスに属していた。彼ははにかみやだったが、話してみると物理や数学に詳しく、複素解析関数や波動方程式を知っていた。このような高校の教育課程を越える話をごく当たり前のように同級生とできたので、とても楽しかった。大学に入ったおけげで、新しい世界が開け、地平線がどこまでも遠く広がっているように思えた。 > とりとめなく吉田君と話をしていると、度の強いめがねをかけ、学生服をきちんと来た人が、傍らに立って身じろぎもしないで、私たちの雑談を立ち聞きしている。話が中断すると、彼はやおらめがねをしっかりと直し、じっとにらむような目つきをして、「みなさまの話を聞いていると、全く理解できないことばかりです。どのような本を読んだら、分かるようになるのでしょうか。ぜひ教えてください」と、きわめて丁寧な言葉で問いかけてきた > > つづく
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