[過去ログ] 【名駅】名古屋について語ろう【栄】★part96 (1002レス)
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(2): (愛知県) 2020/05/19(火)09:29 ID:i/i4nWfZ(1) AAS
さて、万年不況、万年パシリ、貧乏金無しの名古屋の田舎猿

さっさと尾張名古屋共和国(笑)で独立しろよ

ノロノロするな

ご自慢の金のシャチホコ(笑)は、常にトゥルントゥルンにしておけ

みゃ〜みゃ〜無駄口叩かず、全身全霊感謝の気持ちを込めて、シッカリ磨けよ

尾張の歴史

◆平安時代◆
・藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)が尾張目代(遙任国司の代わりに地方官吏を監督)としてにらみを利かせる。
・熱田大宮司職を藤姓熱田大宮司一族(本貫地:三河国額田郡)に乗っ取られる。
・以後、荒廃していた熱田神宮は、藤姓熱田大宮司一族の血縁である源氏(鎌倉将軍家、足利将軍家)と結びつき発展する。
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤原季範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子→源頼朝
藤原季兼(別称:三河四郎大夫、三河国額田郡に居住)→藤季李範(額田冠者、三河国額田郡に居住、初代藤姓熱田大宮司)→女子(足利義康(初代足利氏)室)→足利義兼
◆鎌倉時代◆
・三河国高橋庄の地頭職が支配する。尾張守護職を兼務。
・鎌倉幕府の尾張国の守護所が不明なのは、守護が尾張に住んでいなかった為。

◆室町時代◆
・斯波氏(本貫地:三河国碧海郡矢作、尾張守、尾張守護)、今川氏(本貫地:三河国碧海郡今川、尾張守護)、一色氏(本貫地:三河国碧海郡一色、尾張分郡守護、地頭職)が支配する。

◆江戸時代◆
・尾張の支配層は追放され、尾張徳川家が支配する。
・附家老は成瀬家(三河国加茂郡)、その他平岩家(三河国額田郡)、渡辺家(三河国額田郡)、中根家(三河国額田郡)、鈴木家(三河国加茂郡)。

◆現代◆
・トヨタグループのパシリとなる。
822: (調整中) 2020/05/19(火)13:18 ID:Dm6/WBB5(1/2) AAS
>>821
え?京都弁もダメなの?

畿内
坂東武士の勇健は一騎当千の強さである。畿内近国の赤ん坊のような弱い武力で、強健な東国武士に手向いできようか(吉田定房奏状・訳文)
五畿内の町人によく似ている侍ども(甲陽軍鑑・訳文)
私どもが行った現代日本人頭骨の分析から見ても、近畿人、特に畿内人は目立って朝鮮の集団に近いという意味で『特殊な日本人』ともいえる(埴原和郎・東京大学名誉教授)
畿内人は一番胴長短足の人たちなのです。朝鮮半島の人々も畿内人と同じようだとわかりました(松村博文・札幌医科大学准教授)
畿内古代人は韓国朝鮮現代人に類似する畿内現代人と同じグループに属し、縄文人から最も離れている(池田次郎・京都大学名誉教授)

上方
図にあたらぬは犬死などなどと云う事は、上方風の打上りたる武道なるべし(葉隠・佐賀)
上方の弓矢すえになりたる国ども。上方衆恩も存ぜず強き弱きの弁えもなく義理をも恥をも捨て候て(甲陽軍鑑・甲斐)
上方の敵は義理も作法も知らず、自分さえ助かればどんな卑怯なことでもすると聞いている(甲陽軍鑑・訳文)

近畿
「アイヌ系」は縄文人の古い特徴を受け継ぎ、近畿に多い「朝鮮系」は弥生以降の渡来人の新しい特徴を持つ(レヴィン・ソ連の人類学者)
大阪を中心とする近畿地方の人たちは、百済地方の人たちと匹敵するほど頭の形が丸い(欠田早苗・兵庫医科大学名誉教授)
近畿人は日本人全体からかけ離れて朝鮮人に近い(梅原猛・京都市立芸術大学名誉教授)
近畿地方を中心とする関西地方の人々が、朝鮮人的要素を有することは注目に値する(国民百科事典・平凡社)
被差別部落民は、穢多の水上と称せられる近畿地方が最も多い(高橋貞樹・大分県出身の社会運動家)

関西
馬は関東、牛は関西(国牛十図)
関西では馬を降りての攻め合いばかりで、馬に乗っての戦というのを長い間やっておらず、関東の武士と違って、騎馬に攻められたときどう防げばいいのかと言う心がけが無かったのだ(雑兵物語・訳文)
馬は陸奥・常陸の産が第一で、信濃・甲斐・上野・下野・上総・下総の産がそれに次ぐ。関西の産は劣弱である(和漢三才図会・訳文)
関西人には細い目をした髭の薄いのっぺり顔が多いが、沖縄の人は眉や髭が濃く、ぱっちりした二重まぶたの人が多い(中橋孝博・九州大学大学院教授)
823: (調整中) 2020/05/19(火)13:21 ID:Dm6/WBB5(2/2) AAS
>>821
え?京都弁もダメなの?

「東人こそ、言ひつることは頼まるれ。都の人は、ことうけのみよくて、まことなし」

 東国の人間は、言ったことはきちんと守る。京都の人は簡単に受け合うけれど、誠実さがないというわけだ。
これに対して尭蓮上人の答えはこうだ。都の人が嘘つきなわけではない。「心やわらかに、情ある」ために、人の頼みを断り切れないのだ。
しかも貧しい人が多いから、結果的に頼まれたことが実現できないのである。
東国人は、心に含みがなく、無骨で、一途に強い気性だから、できないことは「はじめより否といひて」断ってしまう。
それでも財産・実力があるから、他人からは頼みにされるのだ。
都人を弁護する議論だからこうなっているのだが、これがもし『軍鑑』作者や朝倉教景ならば、きっとこう付け加えるであろう。

 だから公家には命をあずけられないのだ、と。

 武士の世界で「頼む」というのは、己れの命をあずけることである。確実な裏付けもなく「ことうけのみ」よいような、それこそ「うろんなる」者に命はあずけられぬ。
頼むに値する武士、「頼もしい」大将とは、一を一とする、「分別」ある「有りのまま」の人物でなければならない。
(『武士道の逆襲』講談社現代新書)

上方の弓矢すえになりたる国ども、町人に相似たる侍ども、弱敵の国ども
上方衆恩も存ぜず強き弱きの弁えもなく義理をも恥をも捨て候て
上方武士は、歩の頸を一つ取りは、侍の頸を十も取りたるやうに、針ほどの事を棒程に過言を申と、山本勘助が話を聞き候如くあるべきなり。
三河は武篇の国なる故、五千あらば上方の二万にかけあひ申べく候。
(『甲陽軍鑑』)

三河の猛将・本多平八郎忠勝(『本多平八郎聞集』)
「武士は武士臭いのが、味噌は味噌臭いのがよろしい」
「武士は上方風の公家臭いのより百姓臭いほうがマシである」
「上方風の業平侍のような女の腐ったような侍は俺は大嫌いだ」
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